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「エーギル…エーギルいる?」
コンコン、コンとせわしなく窓を叩いた手は小さく降り注ぐ悲しみのように冷たい雨から逃れるように粗い麻の布で体がすっぽり隠れていた。
見た目は乞食の子どものようだった。
細い腕、小さな手のひらがもう一度窓を叩いた。
「エーギルじゃなくてもいい、エーギルの……大事なひと!ここはあなたの家で間違いない?お願いだから、返事をしてほしい!お願いだ……!」
子どもの声は次第に必死さを帯びて拳にも力が入る。
窓はガタガタと震えて必死に呼ぶ。
「エーギル、私だシャルロッテだ……」
夜が明ける前に、どうしても会わなければならない。
夜が明けてからでは遅い、もう遅い、手遅れになる前に、エーギルにこの事実を知らさなければ。
もう一度窓を叩こうとした、が、無理だった、この数週間北から南へ東から西へ惜しみなく魔法を駆使し駆けまわり、地を這いずりまわった。魔力が底をつくのがわかった。
疲労で視界が靄がかり意識が遠のく感覚を、生まれて初めて憎み悔んだ。
膝から彼女が崩れ落ちる刹那、その華奢な体を太く頑丈な腕が抱きとめた。
「窓でなくとも扉を開けばよいものを」
彼女がうっすらと笑った。
「君と買った椅子がまだ窓辺にあったものだから…てっきりここが玄関かと思ったんだ」
「軽口を叩く余裕があるのか」
「…いや、ないね」
彼はため息をついて懐から紅く光りを放つ鉱石を取り出し子どもの口に含ませた。
子どもが懸命に喉を上下させ嚥下する。
「エーギル、この恩はいつか必ず返さなければなんないな」
「違うな、友人との間にそういうものは持ちこまない事にしている、返す義理などない」
子どもを抱きかかえてエーギルは家の中へ入った。
「えーぎる…どうしたのこんな、あさ、はやくに」
「起こしてしまってすまない、友人が訪ねて来たんだ」
寝台の上で目をこする妻に詫びながら、麻にくるまれた子どもをソファに横たえさせた。
「はじめまして、私はシャルロッテ、身なりは…最悪だなもっときちんとした格好で会いに来るつもりだったのに」
「はじめまして、エーギルの…妻です」
妻、という言葉にシャルロッテは目を見開き、そして眉根を寄せた。
まるで怯えるようにエーギルの腕を掴んで無言で説明を求めた。
「ロッテ、彼女と私は婚約をしていまは居を共にしている」
「契約は?」
エーギルは表情を変えずにやましいことなどひとつもないことを態度で示すために毅然として首を横に振った。
「していない」
そのたった一言がこの世の救いだとでもいうように彼女はその大きな瞳から絶え間なく涙を零した。
肩を震わせ、唇をわななかせ、歯を食いしばり、眉をギュッと寄せ
「よかった…っ」
よかった、と何度も何度も熱に浮かされたように繰り返した。
「ごめんなさいね、あなたには少し大きな服しかなくて…いま湯浴みの支度をしてるから待っててね」
「いきなり押し掛けてごめんなさい」
子どもの服を脱がせて丁寧に体を洗ってやる。
「エーギルの友人で、契約のことを知っているって事は…あなたも人ではないのね」
「え、ああ、うん、そうだよ」
深窓の令嬢だと聞いていたシャルロッテには、その単刀直入な物言いがひどく新鮮に聞こえた。
「…こわくないの?」
おびえたり、悲鳴を上げたり、触る事すら忌むものだっているのに、ごく普通に接されることに驚きと戸惑いを禁じえない。
「こわい?うーん、何でかしらね、驚いてはいるけれどこわくはないわ」
「契約…してないんだね、夫婦なのに」
「私、もともと長生きできない体でね、今の歳まで生きることは出来ないと言われてたの。ところがどっこい元気でいるわけなんだけど…私は明日死のうが100年後1000年後に死のうがそうは変わらないと思ってるのよ」
「好きな人と永遠に一緒にいられるとしても?」
「今の私がその分を愛せられないわけじゃないでしょ?」
その笑った顔があまりにも幸せそうに見えて、ロッテは言葉が続けられなかった。
「ロッテ、あれからどれくらいのドラゴンが墜ちてきた」
「6000くらい…」
「そんなに…」
「実は、どうして…こんなことになったのか分かったんだ」
「やはり…病かなにかか?」
彼女は小さく首を横に振った。
「ひとが、殺したんだ」
「ひとが?ひとがそう簡単に殺せるようなものじゃないだろう」
「違うんだ、ひとがひとを…ドラゴンと契約した人間を殺めたんだ」
「契約がどういう仕組みで履行されるか知ってる?一体のドラゴンの魔力を生命維持のために人間と共有してドラゴンが魔力を生成し続けることで…実質上、永遠の生命を得られる、っていうものなんだ」
表面上は何も問題なんて見当たらない、よく出来た魔法に見えるだろう?
「だけど、だ。片方、契約した人間の方が殺されたら生命維持のためにどれだけの魔法が際限なく注ぎこまれると思う?もう生き返らない体に力を尽くしたって無駄だってことは理性があるドラゴンなら分かる事だ………でも契約はその理性を無視する、魔力が底をついても注ぎ込まれ続ける」
「ドラゴンが死ぬ時が人間の死ぬ時だというのなら……逆もあるということなんじゃないかな」
言葉もでない2人に、出来るだけ淡々と事実を話す。
残酷すぎる現実を突き付けないように。
「ドラゴンが墜ちてくるだろう、墜ちないドラゴンもいてね…傍らには必ず殺された契約者がいたよ。どこのドラゴンのところにも国の偉い奴らがやってきてばらばらにして持って帰る」
「体を……」
無残に荒らされた兄の遺体が脳裏に閃いて、その悲惨な光景に強く目をつぶった。
あれを…あれを人間が…!
シャルロッテは四肢を伸ばしてそして片手でそっと顔を覆った。
「エーギルが契約をしてなくてよかった…本当によかった、よかったって思うんだ」
「契約は絶対にしないで、お願い、一生のお願いだから」
彼女は床に降りて額に土がつくほど深く頭を下げた。
「契約は、便利な魔法なんかじゃない。私はこれからそれをみんなに知らせてまわるつもり。それから……契約は一度交わしてしまったら二度と破棄はできないから」
心得ておいて
彼女はそう言って、そうして麻の布をかぶりなおして窓に足をかけた。
「じゃあ、また二人の顔を見にくるよ」
お幸せに
エーギルはただ、ソフィリアの小さな手を握っていることしかできなかった。
今日は長いです
長いにもかかわらずここまで読んでくださった全ての方に感謝
では次話も乞うご期待☆




