憂鬱な花嫁に愛と薔薇を
「わたし、結婚するの」
久しぶりに顔を見せた彼女はそう嬉しそうにはにかんだわ。それから、こっちまで照れてしまいそうな何とも言えない表情で彼女は話すの。
いつかこんな日が来るのはわかっていたのに、それでも少し凹んでしまったわ。
だって彼女はとーっても、大事なお友達なんだもの。
ずーっとあたしの一番で、これからもずーっと一番であり続けるあたしの大事なお友達なんだもの。
だけどあたしはあなたの一番にはなれないのね……。
それが少し悲しくて凹んでしまったわ。
でも、そうね……それ以上にあたしはあなたの笑顔が好きだから、そんな幸せ一杯の顔を向けられたら言うしかないわね。
“おめでとう”って。
そのいじらしい笑顔を引き出したのが、あたしじゃないのが悔しいけれど。
「わたし……とても、幸せなの」
彼女は唐突に呟いて、その言葉の通りとても幸せそうなのに、その言葉がもたらす響きは不安に揺れていたの。首を傾げて続きを待てば、風が彼女の髪を躍らせながら通り過ぎていったわ。
「幸せ過ぎて怖いの」
彼女の落とす溜め息はとても、とても深かったわ。ずっと不安だったのね。でも、大丈夫。何も怖がる必要はないわ。いつものようにあたしに話してご覧なさい。
「夢だったらどうしよう、って毎朝思うの」
ぽつりぽつりと零す始めた将来への不安に、あたしは何度も頷いて“大丈夫よ”と言ったわ。
だって、あなたは幸せになる為に生まれてきたんだもの。あたしが保証してるのだから絶対平気。
だから、ねぇ、笑って、あたしの大事なお友達。そして振り返ってみるといいわ。
素敵な未来が待ってるから。
******
「ロゼ、探したよ」
掛けられた声に驚いて振り返ると、柔らかい光を背にした彼が、同じような柔らかい微笑みを浮かべて立っていた。
「エド……」
小さく呟いた時には、わたしは彼の腕の中に納まっていた。
優しく、でも強く抱きしめられる。彼から香る陽だまりの匂い。
「……ごめん」
唐突に紡がれた言葉の意味がわからず、わたしは彼を見上げ続きを待った。
彼の指がわたしの髪を優しく撫で、そのまま頬に添えられる。
「君がそんなに不安がっているのを気付いてあげられなくて」
「……あっ」
見られていた。その事にわたしは酷く狼狽した。あんな情けない姿を彼に見られていたなんて……。
愛想を尽かされてしまったかもしれない……。そんな考えが頭を過ぎり、一気に血の気が引いた。
彼と視線を交わす事がどうしようもなく恐ろしくて、わたしは瞳を閉じて俯いた。
だけど、そんなわたしを彼は容赦なく仰のかせる。
「僕を見て、ロゼ」
切なげに乞われれば、逆らう事なんてできなくて……。震える目蓋を押し上げれば、コバルトブルーが飛び込んでくる。吸い込まれそうなほどに深く澄んだ瞳にドキリと胸が鳴った。
「愛してる……愛してるんだ、ロゼ。やっと君との結婚まで漕ぎ付けた。この日をどれだけ待ちわびたか……」
囁かれる甘い吐息に、親指で頬をなぞられる感触に、何度も背筋が震え、その苦しげな声に、切なげな瞳に、痛いほどに愛を感じて、どうしていいかわからなくなる。
息が、胸が苦しくて、嬉しくて、感じた愛を信じたくて、涙が溢れた。
「ほ、ほんっ、とに……わたしで、いいの……?」
閊えながらも言葉を紡ぐ。それは初めて彼にぶつけるわたしの不安――。
怖かったの、嬉し過ぎて。
怖かったの、幸せ過ぎて。
怖かったの……貴方がわたしを選んだ事が信じられなくて――。
「ロゼがいいんだ! ロゼじゃないと駄目なんだ! ロゼがいないと僕はもう、生きていけない……!!」
気が付けば、彼はわたしを強く掻き抱き、叫んでいる。その少しだけ苛立ちっが混じった声音にピクリと体が反応する。見上げれば噛み付くような口付けが降ってきた。
「んっ……!!」
いつにない乱暴なソレに瞳を瞬かせる。その拍子にポロリと零れた涙が頬を伝い、顎先に雫を作る。それを彼の指が拭い、そのままもっと深く重なるように誘導される。
やがて息苦しさに藻掻くと名残惜しそうに唇が一度離れ、目元の溜まる涙を「ちゅっ」と音を立てて吸われた。そして、乱れた呼吸が整うや否や再び深く重ねられる。幾分か丁寧になった口付けに、次第にわたしは翻弄され始めた。
逃げれば追われ、押し返せば絡め取られる。何度も、何度も、何かを教え込むように執拗に繰り返される。
とうとう彼に支えられていなければ立っていられないほど体中が蕩け、先程とは違う理由で瞳が潤む。
縋り付くようにシャツを握る手に力を籠めれば、髪に忍び込んでいた彼の手が暴れる。
言葉がなくても流れてくる思いに、わたしは壊れたように彼の名を呼んだ。
「エド……エドっ、エドっ! エドっ!!」
彼に相応しくありたいと、認めてもらいたいと、嫌われたくないと、日々怯えていた。
周りの目に、心ない言葉に、わたしは一番大切な事を忘れてしまうところだった。
何も怖がる必要はないと、信じて欲しいと告げた彼の言葉、そして――
わたしが彼を――エドワード=ルーズヴェルトを誰よりも、誰よりも「愛している」と言う事――。
そう……わたしは彼に愛して欲しくて、彼を愛するのではない。ただ、彼が愛しいから愛するのだ。
どうして、こんなに簡単で大事な事を忘れてしまっていたのだろう。相応しくありたいのも、認めて欲しいのも、嫌われたくないのも、全て彼を愛しているから思う事だったと言うのに。
「ごめんなさいっ……わたしもエドが……あなたがいないと生きていけないっ」
途端、強くなる抱擁に息が詰まる。苦しいのに、もっと強くと求めてしまう。
彼の全てが愛おしくて、閉じた瞳から涙が零れた。
******
ああ、もう、見てられないわ。もう少し自重くらいして欲しいわね、全く。
でも、まあ、彼女が笑ってくれるなら良しとしましょうか。
それから彼と彼女はしばらくイチャ付いてたわ。あの甘々な雰囲気は公害の域よ。あたしがいるのを忘れてるわね、絶対。
だけど、そんな二人が少し羨ましいとも思うのよね。だってあたし、愛に飢えてるから! なーんて…………ねぇ……あたしの大事なお友達。あたしのお願い、聞いてくれるかしら。
そんなに難しい事じゃないの。そうね、例えば、その髪にあたしを差してくれるのでもいいし、その胸元にあたしをあしらってくれるのでもいいわ。
あたしのお願いはね、些細な場所でも構わないから、あなたの大事な日にあたしを飾って欲しいいのよ。
理由――? それはね、あなたが幸せだと、あたしも幸せになれるって事。
……だから、ねぇ、笑って、あたしの大事な、薔薇の名を持つお友達。