夏の思い出
「ねぇ、もうやめようよ」
前を行くヒロユキはかまわずずんずん進む。
「ねぇってばー!」
仕方ないので私も続く。
ここはこの地域では有名な廃墟ビル。3階建てでコンクリートで出来ており、窓ガラスは割れ放題、ツタもからみ放題。周囲も森に囲まれていてカラスの一声ですら、十分に雰囲気を醸し出せる場所だった。
私とヒロユキはクラスの友だちとゲームに負けてここに来ている。
「いくら罰ゲームだからって、ここ危ないし、もう戻ろう?ねぇ!」
私はヒロユキの袖を思い切り引っ張ってみた。
キッとにらみをきかせてヒロユキは言う。
「こんなのどうってことないだろ。この石置いてくればいいだけなんだからさ」
泣きそうな目で見つめる。
「そんなに嫌ならユウコはここで待ってるか?」
それこそ嫌だ。涙をこぼしながら首を振った。
「じゃあ行こうぜ」
突然、ゴオッと背後で音がした。
キャア!
思わず叫んだ。
「ばっか、ただの風だって。行くぞ」
なぜこの男の子はぐんぐん進んで行けるのだろう?全く怖くないのだろうか・・・。
「手、つないでいい・・・?」
ヒロユキは少しの間を開けてから、手を握ってくれた。
「ありがとう」
心底ほっとした。これでヒロユキの勇気も分けてもらえる気がした。
途中何度か叫んだが、ようやく石の置き場所にたどり着いた。
「よーし。さっさと戻ろうぜ」
半泣きの笑顔で首を縦に振った。
歩き出そうとしたその時、部屋がふっと暗くなった。時計を見るとまだ夕方の4時。夏のこの時期に暗くなるには早すぎる。ただでさえ薄暗い廃墟の中は、真っ暗に近くなった。
1,2分もするととてつもない雨が降ってきた。割れた窓からもざーざーと雨が降り込んでいる。
「これじゃ外に出られねーな・・・。ユウコは震えてるし。どうしたもんかね」
そう言われても怖いものは怖いのだ。
「なぁ」
珍しくヒロユキのほうから話しかけてきた。
「なに?」
「さっきから階段のほうで何かが動いてる気がする・・・」
言われた瞬間、鳥肌が立ち、足がすくんで座り込んでしまった。
「へ、変な事言わないでよ!!」
「ウソなんか言うかよ」
「いやだいやだいやだいやだいやだ!!!」
もう泣いてしまいたかった。いや、とっくに泣いていた。
「階段のほう、見てみろよ・・・何かが動くんだ」
涙をぬぐい、おそるおそる階段のほうを見る。
――ざざっ
動いた。人間の子どもほどの何か黒いものが動いた。
「ひろゆき・・・いた・・・」
声にならない声で報せた。
ヒロユキも声を出さず、うんと頷いただけだった。
身を潜めるように二人動かずに、じっと雨が止むのを待った。
ふっと部屋が明るくなった。通り雨が過ぎ去ったのだ。
はっとして階段のほうを見やると、もう何もいなかった。窓から夕陽が射し込んで、綺麗に茜色に染まっていた。
無事、外に出るとクラスメート達が「遅かったな-!」と迎えてくれた。
ヒロユキは「雨が降って来ちゃったからな」とはぐらかし、あの黒くてざざっと動くものについては何も言わなかった。
私も何も言わないことにした。
無言の二人の怖い怖い夏の思い出。