5話
朝は、あっけなく訪れた。
特別な合図もなく、誰かが起き、誰かが外へ出て、それにつられるように、人の気配が家の中に満ちていく。
転移してから、五日目。
悠は、その数を意識してから、すぐにやめた。
数えることに、意味を感じなかったからだ。
低い卓の周りに人が集まりかけた、そのときだった。
先生が、先に口を開いた。
「夜の間に、昨日の情報を纏めておいた。悠が聞いてきた伝承は、大きな手がかりだ。ただ、ほかの情報は個人の“感じ”が強すぎる。改めて詳しい情報を得たい。それを纏めた後は君たちに任せる。」
反論は出なかった。
それが、この人のやり方だと、皆が知っている。
先生は続けた。
「流通の状況と、避難所。往来の道と、ライフライン、最後に町の範囲。以上が欲しい情報だ。分かる範囲で構わない」
早紀が役割を割り振っていく。
——流れを作る前の、下準備。
昼前、情報が揃った。
日向が、地図代わりの紙に印を足す。
「町の主要範囲はこんなところで、大通りの道は破損はあるけど生きてる。往来自体は止まってないけど、入ってきている物は少ない。」
奈々美が続く。
「市場は縮んでる。在庫は薄いけど、回ってはいる。
“完全停止”ではない」
修子が、少し言葉を選んで補足する。
「避難所は、大小含めて複数ある。骨組みもしっかりしているけど、……どれも度重なる災害でかなり傷みがひどい。次に何か起きたら、危険な場所も多いと思う」
場の空気が、わずかに張る。春樹が、低く言った。
「どこも作業はしてる。でも、皆ばらばらだ。避難所がこの状況で、仮設住宅の数が足りていないから、どの人も、先ず住む場所を何とかしようとしているみたい。避難所を復興拠点にして、順番に整えようとしている人もいるみたいだけど……」
その一言に、悠は町の光景を思い出す。
それぞれが、自分の家、自分の土地を直している。家が使えない者はあばら家を作り、仮設住宅はできたそばから奪い合う。
場所によっては、助け合っていないわけでもない。
ただ、どこも繋がっていない。
「小さな流れが、あちこちにある感じだな」
と、誰かが呟いた。
日向が頷く。
「合流してない。昨日の表現を借りるなら、小川が散らばってる」
続いて真希が地図へ印を付ける。
「ライフラインはこの印の地点で破損していて、ほとんど寸断。ただ、ガスについては、ライフラインとしてはそもそも無いみたい。壊れた家の中にIHコンロがあったから、おそらく電化がかなり進んだ世界なのかも。」
先生が、もう一つ確認する。
「子どもはいたか?」
奈々美が首を振った。
「いたけど、町の中には少ないです。町中の避難所が危ないから、町外れの公共施設に家族と避難している家庭が多いみたいです。……あと、残っている子の中には、孤児も、いるみたいです。」
一瞬、沈黙が落ちる。
先生は、全員を見渡してから、まとめた。
「流通は生きている。町は災害でどこも傷んでいる。避難所は脆い。作業は動いているが、繋がっていない。子どもについては、避難できているが、孤児もいる……」
——整理された事実が、卓の上に並ぶ。
「幸い、手を入れる余地はある。ただし、次に何かが起きれば、一気に崩れる」
その言葉で、空気が一段、前へ進んだ。
早紀が、頷く。
「取り掛かりは、見えたね」
日向と奈々美が、視線を交わす。修子は、すでに頭の中で手順を組んでいる。それぞれの“正しさ”が、噛み合い始めていた。
悠は、その輪の少し外で、息を整える。
流れが、作られ始めている。それは、小川を繋ぐ行為でもあり、同時に、流れを強める行為でもあった。
まだ、速すぎない。
まだ、止める理由もない。
だから、悠は何も言わなかった。
しばらく、誰も口を開かなかった。
卓の上に並んだ事実が、重さを持ってそこにある。
最初に動いたのは、早紀だった。
「……じゃあ、やることは一つずつだね」
指を折るように、視線を巡らせる。
「まずは、避難所。全部を直す必要はない。次に何かあっても、安全に人が逃げ込める場所を確保する」
修子が、小さく頷いた。奈々美も、計算するように視線を落とす。
「次に、町の作業を繋ぐ。今は皆、自分の家、自分の区画だけを見てる。それ自体は間違ってないけど、流れとしては弱すぎる」
早紀の言葉は、指示ではなかった。「やれ」ではなく、「そうなっている」と言っているだけだ。
「だから、私たちは“繋ぐ”側に回る。人と人、作業と作業を」
そのときだった。
結衣子が、少し考えるように首を傾げてから、口を開いた。
「……それってさ」
全員の視線が、自然と彼女に集まる。
「昨日聞いた伝承の話、あったでしょ。流れが止まりかけた世界に、外から来た人が入って、知恵で流れを作った、っていう」
早紀は否定しなかった。
むしろ、その続きを待っている。
「今やろうとしてること、それの再現なんじゃないかな」
再現。その言葉が、卓の上に落ちる。
「力で押すんじゃなくて、知恵で繋いで、小さな流れを集めて、大きくする」
結衣子は、誰かを説得する調子ではなかった。
ただ、分かりやすい形に置き換えただけだ。
日向が、ゆっくりと息を吐く。
「……確かに。今の町の状態なら、そのやり方が一番自然だ」
奈々美も続く。
「急に全部を変えるより、流れを作る、か……。無理は出にくい」
言葉が揃っていく。
早紀は、短く頷いた。
「そうだね。私たちは、伝承をなぞるわけじゃない。でも――」
一拍、置く。
「結果として、“流れを作る役”になる」
その場にいた誰もが、
それを前向きな役割だと感じていた。
悠だけが、その言葉を、少し違う角度で受け取っていた。
再現。
なぞる。
流れを作る。
それは確かに、世界を続かせるための行為だ。
――同時に、一度作った流れは、簡単には止められない。
悠は、何も言わなかった。
まだ、速すぎない。
まだ、止める理由もない。
だが、この言葉が、もう下ろせない“旗”になったことだけは、はっきりと分かっていた。
動き出す理由は、もう十分だった。
早紀は、最後に一言だけ添えた。
「今日は、準備までにしよう。本格的に動くのは、明日から」
誰も反対しなかった。
その判断は、今の流れにとって自然だった。
悠は、その様子を眺めながら、胸の奥を確かめる。
今はまだ、小さな流れだ。
それでも、「もう戻れない地点を越えた」という感覚だけが、はっきりと残っていた。
話がまとまると、空気が少しだけ軽くなった。
誰かが立ち上がり、誰かが外の様子を見に行き、
誰かが道具の置き場を確認し始める。
伝承は語られ、方針は共有され、役割は前向きな意味を持って配られた。
それらはすべて、
ーー戻るため、という理由もあるがーー
それ以上に善意だった。
だからこそ、この流れは、強い。間違いなく強くなる。
悠はふと、町の外れで引かれた細い線を思い出す。
小川。
やがて川になり、泉を作りつつ、大河になるもの。
まだ、止める理由はない。
まだ、止めるべき時でもない。
だが、止めるべき瞬間が来ることだけは、もう、分かっていた。
夜が、静かに拠点を包み込む。
明日から、流れは形を持つ。
それが、救いになるかどうかは、まだ、誰にも分からない。




