2話
扉は、鍵がかかっていなかった。きしむ音を立てて開いた先、その家の中は、外よりもわずかに暖かかった。
火が入っているわけではない。ただ、壁と屋根があることで、風の流れが断ち切られているのが分かる。
その造りに、悠は妙な懐かしさを感じた。
誰かが扉を閉めた。
「……思ったより、ちゃんとしてるね」
誰かの声が落ちる。
悠は返事をする前に、視線を動かしていた。
部屋は、1つではなかった。
正面には右向きに上がる階段があり、左右を見ればそれぞれ部屋がある。
壁際には、手作り感のある古ぼけた靴箱。床は荒れてはいないが、掃き清められてもいない。
人が使っていた。そして、これから使われる前提で残されている。
その事実が、静かに引っかかった。
誰が言うでもなく、全員で広そうな右の部屋へ向かう。
「ここ、寝るには十分だね。」
低い声でそう言ったのは、日向だった。
天井の高さを目で測り、壁との距離を確かめるように、ゆっくり歩いている。
「この人数が寝るには……ぎりぎり、かな。少し整えれば少しだけ余裕はできるかも。」
感想のようでいて、判断だった。
その中で、先に奥へ入った奈々美は棚の中を見ていた。悠が後をついていくとそこはキッチンだった。
器の数、水の量、保存された食料の種類。
「今日と、明日くらいなら問題ない。突き詰めれば、もう少しは持つ」
ひとしきり探索した奈々美の独り言に近い声は、その場の空気が、わずかに緩ませたのを悠は感じた。
「蝶番のネジが緩んでる」
修子が、扉の端に指をかけて言う。
「しばらくは大丈夫だろうけど、放置は危険かな……。もし工具があったら教えて、直すから。」
誰に向けた言葉でもない。しかし、それが“これからの為にやるべきこと”だと、誰もが理解した。
他のメンバーや先生もそれぞれに探索し、発見を共有していく。
悠は何も言わず、それを見つめる。
探しているわけではない。
けれど、目に入るものすべてが、「ここで時間が進む」ことを前提に置かれているように思えた。
ふと目を向けた机の上には、紙の束があった。
それは使われていない家にあるものとしては整えられすぎている。無造作に置かれたというより、置かれる位置まで決められているようだった。
「それ、後で見た方がいい」
令奈が、紙に手を伸ばしかけた悠を、静かに制する。
「今は一旦、何があるか確認するのが優先と思う。それは後でみんなで見よう」
理由は説明されなかったが、不思議と納得できた。
部屋の隅で、春樹が壁にもたれている。
視線は人に向いているが、特定の誰かを見ているわけではない。
悠は、その目が場全体をなぞっていることに気づいた。
口にされない不安。
言葉にされない疲れ。
それらが、少しずつ溜まり始めている。
「……1回、集まろうか」
声を上げたのは、早紀だった。
その一言で、探索は自然に終わった。
続きを主張する者はいない。
反対する者もいなかった。
悠は、最後にもう一度だけ部屋を見渡す。変化があるわけではない。だが、机の上の紙に、小さな違和感を感じた。
気づけば全員が、紙の積まれた低い卓の周りに集まり始めていた。
椅子は無いが、どこにあったのか座布団が持ち出され、それぞれが腰を下ろす。
早紀が、軽く周囲を見回した。
「じゃあ、分かっていることだけ共有しよう。今は整理が先だね」
日向が、すぐに口を開いた。
「建物は全部で三階。今の間に見てきた限りは、1階だけでも生活はできそう。それと外に、離れになっている部屋があった。階段の先はまだ見てないけど……構造的には問題なさそう」
地図を描いたわけでもないのに、空間が頭に浮かぶような言い方だった。
「それと、家へ入る前にぱっと見た感じ、森は深いけど道は一本。迷うことはなさそうだった」
それを受けて、奈々美が続ける。
「食料と水は、今日と明日分は確保できる。消費を抑えれば、もう少し伸ばせると思う。……なんであるのかは、分からないけど」
断定ではない。
それでも、その数字は信じられる気がした。
修子が、卓の縁に指を置いた。
「扉と窓は、早いうちに手を入れた方がいい。放置すると、トラブルが起きそう。他にも気になるところはあるけど。」
誰かがうなずき、誰かが工具の話を始めかける。
流美が、そこで柔らかく挟んだ。
「流石に、全部をするのは難しいと思う。優先度だけ決めて、その順番で回そう」
流れが、自然に整う。
幸樹が言った。
「外に資材や道具が一通りあった。必要なものがあればすぐ作れる。」
指で卓の上をなぞりながら、見えない線を引く。
会議は、前に進んでいる。
進みすぎている、と主人公は思った。
晶が、静かに口を開く。
「みんなも声が聞こえたと思うけど、僕たちの転移には、何かしら目的、あるいは目標みたいなものがあると思う。言ってしまえば、今は導入、1話の始まりだよ。ここで方針を固めすぎると、目標は分かりやすくなるけど、この先の展開が窮屈になる」
言葉は穏やかだったが、その一言で空気が少し張った。
結衣子が、すぐに補足する。
「皆、いつも自分がしていた役割から出来そうなことをしようとしているかもしれない……だけど、今は無理に進めなくてもいいと思う。」
その言い方は、誰かを急かすものではなかった。
主人公は、黙ってそのやり取りを聞いていた。
決められることは、まだ少ない。
それでも、決めたくなる空気だけが、先に膨らんでいく。
部屋の隅で、春樹が視線を上げた。
「……少し、疲れてきてる人がいる」
名前は出さない。
それで十分だった。
真希が、頷く。
「話が少し前に進みすぎてる。まだ見えてない物がある気がする。それに、この紙も気になる。」
結依が、静かに言った。
「今日は、ちゃんと休める前提で終わらせたいな。
眠れなくなる決定は、明日でいいと思う」
言葉が、卓の上に落ちる。
主人公は、自分の中にある違和感が、形を持ち始めるのを感じた。
今は、続けられない。
続ければ、何かが削れる。
彼は、顔を上げた。
「……この話は、ここで区切ろう」
視線が集まる。
「この家が使える保証もないし、ここが何処かも分かってない。決めるには前提が足りなさすぎるんだと思う。」
反論は、なかった。
早紀が、少しだけ考えてから、頷いた。
「そうね。この話はここまでにしよう。それよりも、今はここが何処か、この家が使えるのか、この2つが確定できる情報を得るのが先だね。そのためには……」
全員の目線が、積まれた紙に集まった。
「これに何が書いているか、みんなで確認しよう。」
空気が、少し変わった。




