エピローグ
風は、穏やかだった。
高台の桜は、すでに葉桜になっている。春は過ぎ、初夏の光が町を包んでいた。
夫婦は、町を見回るように、子どもと共に歩いていた。
町は、今日も動いている。何十年も過ぎた。町には、瓦礫と更地が目立った、あの頃の面影はもう何処にもない。
店が立ち並び、人が行き交い、客を呼ぶ、威勢の良い声が響く。
町外れのショッピングモールに向かう車、ゲームをして遊ぶ子ども、庭先で一服する老人。
それぞれの日常が、そこにはあった。
3人の目的地は、町の中心の資料館。夫婦が、初めて出会った場所。
「久しぶり、だな」
思い出すように、悠は呟く。
「久しぶり、だね」
確認するように、紬が言う。
「どうしたのー?」
子どもは、2人の様子を気にして、声をかけた。
「ここは、父さんと母さんが出会った場所なんだ。それを、思い出していた」
「へー!そうなんだ!」
納得して、喜ぶ子どもの手を繋ぎ、3人は、資料館の中へ入る。
「ここは、変わらないな」
避難所として使われていた、旧体育館。半面に当時の避難生活が再現され、もう半面は、当時の瓦礫が積まれている。その中心にある、資料館が避難所だった時のミニチュアは、当時のことを思い出させる。
「ボロボロだ」
「そう、ボロボロだった」
3人は、順路に沿って、旧校舎へ入る。廊下には、復興までの道のりが、川の流れのように表現され、纏められている。その中には、12の知と、1つの先導者の功績も載せられている。
悠は、その資料に寂しさを感じた。
歩いていくと、伝承が記された古い文献が、額縁に入れられ、展示されていた。
――世界の流れが止まる時、同じ時を刻む、別の世界より人来たる。
――彼ら、老いること無き。されどその姿、我らと違いなし。彼ら、知恵を以て動きを繋ぐ
――その流れ、始め小川なり。されど侮るべからず。
――時に集いて川となり、時に止まりて泉となる。其れ繰り返し、大河となり、世界は続く。
――時経ちて、彼ら消える。されど、彼ら作りし物は残り、紡がれる。
古風な表現は、悠が聞いた物と、ほとんど同じだった。
「ねえねえ、なんて書いてるの?」
「古い、お話。でも、最近本当にあった、お話」
「もしかして、お家の絵本のお話?」
「そうだよ」
あの出来事は、記録を残す知を持つ者が、いつの間にか絵本にしていた。仮初の作者は存在する。しかし、真の作者は誰か、この世界の誰も知らない。唯一、この夫婦を除いては。
また歩みを進め、最後の部屋――祭りの起源を伝える資料の部屋に来た。
誰かが撮っていた写真、ステージの設計書、屋台や遊び場の配置。そんな資料の中に、夫婦が映る写真が1枚、そこにはあった。
「パパとママだ!」
その下には、短い説明書きだけがある。
――復旧が終わり、涙する女性を抱き寄せる男。復旧の『区切り』を表す写真として、この資料館に、大切に保管されている。
「誰が、撮ったんだろうね」
「多分、あの人だろう」
写真を撮るのが上手だった、先導者のことを思い出す。
資料館の展示を見て回った先、そこには、あの木陰のベンチがあった。
復興の資料として、今は触れることも、座ることもできない。しかし、復旧の最初の区切りとして使われたと言う、ちょっとしたゲームの説明が、そこには書かれていた。
「まだ、残っているんだ」
「ここまで、資料にしなくてもいいと思うけど」
夫婦は、笑いあった。
資料館を後にした3人は、高台へ向かった。
珍しく誰もいない、高台。駆けていく子どもを見守りながら、夫婦はその坂を上がっていく。
変わったことといえば、この高台が、ちょっとした聖地になった事だろうか。6月のある日、夏の正午に婚姻の鐘を鳴らせば、その夫婦は永久に離れる事はない。それが、新たに増えた伝承だった。
「悠、こっち」
呼ばれて、隣に座る。
子どもは、少し離れたところで石を集めている。
「なにをしているんだ?」
「遊びだって」
紬が、クスリと笑う。
「あのゲーム、か」
悠は懐かしむように、その姿を見守る。
「……ねえ、悠」
「ん?」
「幸せ?」
少しだけ、意地悪な問い。
悠は空を見上げ、それから隣を見る。
紬がいて、子どもがいて、町があって。
「うん」
その答えに、迷いは無かった。
紬が微笑む。
風が吹き、葉が揺れ、町が呼吸する。
「ゲーム、しよ!」
子どもが、石を数歩先に置く。
「当たったら、お散歩終わり!」
「……そうだな、やろう。3人で」
「じゃあ、僕から!」
青い空に、小さな靴が舞う。
また一つ、区切りがつく。けれど、それはただの『終わり』ではない。次への『始まり』でもある。
今日もどこかで、誰かが言うだろう。
「――今日は、ここまで」
――そして、また明日。




