16話
カレンダーの赤丸には、新たな意味が加えられた。
ばつ印は、その赤丸の前の日まで迫っていた。しかし、誰も慌ててはいなかった。
高台の、桜の木の下。
作業員たちが噂を聞きつけて、急ピッチで組み上げた小さなウェディングベル。そして、町の式場から運び出されてきた、移動式の、純白のステージ。仲間達が町の人と協力して作り上げられた、参加者用の椅子。炊き出しの人々や、子どもたちが集めてきた、花束。避難者用の住宅として使われていたものを改造した、プレハブ小屋の控室。
主人公は、その中にいた。
「準備は、良さそうだな」
幸樹が、様子を観に来る。主人公の心臓は飛び出しそうなほど、強く脈打っていた。
「正直、かなり、緊張してるよ」
「仕方ないさ。この町にとって、俺たちは一種のヒーローだ。その晴れ舞台となれば、みんな、集まるさ」
「それにしてはちょっと、集まりすぎじゃあ、ないかな?」
窓の外は、椅子に座れなかった参加者でごった返している。唯一、レッドカーペットの上だけは、誰もいない。
「さあ、な。誰かが噂を広めたんだろうよ。さ、出番だ。……楽しんでこい」
「言われなくても」
冗談を言い合い、開かれた扉へ足を踏み出す。外へ出たとたん、高台だけではなく、町中に大歓声が響いた。
「なんで、カメラがあるんだよ……」
目の前には、不相応なテレビカメラ。持っているのは、令奈だ。
「はいはい、そんなことは気にしないで。ささ、壇上に」
促されるまま、拍手の下、ステージへと上がる。神父役は、先生だ。
少しだけ照れくさそうに、それでも誇らしげに立っている。
「新婦、入場です!」
アナウンスは、流美。声を張っているが、その表情から、緊張が伝わる。
もう一つのプレハブ小屋の扉が、開かれる。
誰もが、息を呑んだ。
純白のドレスを身に纏う紬の姿は、参加者に、町中に、拍手をすることすら忘れさせた。
ステージに上がった紬は、悠の顔を見据え、小声で言う
「なんだか、大ごとになったね」
「こんなになるとは、思ってなかったよ」
「タキシード、似合ってるよ」
「紬こそ。ドレス、似合ってるよ」
2人は、先生の方を向く。誓いの言葉の返答は――勿論、YES。
また、2人は向き合う。
「流石に、恥ずかしいな」
「でも、嬉しい」
大勢に見守られる中、指輪を交換する。
拍手の音が、町中を包み込む。
誰かが、口笛を吹く。
修子は、親かの如く大泣きだ。
それは、何処にでもある、ごく一般的な結婚式だった。
ただ一つ、違ったのは。
――一つの終わりが、もう決まっていること。
それでも、2人は笑っていた。
夜。
これまで誰も入らなかった、拠点の3階。
そこに鎮座する木の像の前に、全員が立っていた。そこには、紬の姿もあった。
「時間、だね」
流美が言う。
「そう、だな」
悠は、声を振るわせながら、答えた。
紬は、隣に立っている。指を、そっと絡めた。
「怖く、ない?」
小さな声。
「怖いさ。でも、これは自分自身に作る、区切り。俺が、最後の『止まる側』になる」
像を見上げる。
なんのお供物もない、ただの木の像。だが、ここが世界の、主人公の『区切り』になる。
先生が、一歩前に出た。
「……主人公」
「……はい」
「最後に……何か、あるか?」
悠は、仲間たちを見る。
泣いている者、無理に笑顔を作る者、必死に平静を保っている者――。
この顔を見るのも、おそらく最後だ。だからこそ、主人公は一言。
「――今までありがとう、皆」
それだけだった。
「主人公と過ごした日々は、間違いなく、ここにある」
晶は頭を指差す。
「死ぬまで絶対――忘れないから」
令奈が静かに言う。
「さようなら、なんて言わない」
早紀が、涙を堪え、声を震わせる。
「そう、だよな……」
仲間たちの言葉に、不思議と、目頭が熱くなる。
「皆……またな」
主人公が、像に触れる。
音は、なかった。光も、衝撃も。
ただ、空気が、世界が、1つ呼吸した。
振り向いた時には、仲間たちの姿は無かった。
いるのは、主人公と、紬だけ。
仲間たちは、帰った。
1階に降りる。机の上の紙は消え、人数分あった筈の食器は、2人分に減っていた。まるで、元から無かったかのように。
だが、不思議と、空虚ではない。
「帰ったんだね、皆」
「うん……」
胸は痛い。けど、崩れない。
拠点――家の、外に出る。
瞬間、主人公の頭に、あの時のように、意味だけが置かれた。
――残ることを選んだ者よ。
――汝への報酬は、隣の者と未来を歩む事。
――世界を残してくれた事、感謝する。
思わず、空を見上げた。
「仮置き」された感覚は消え、空はもう、乾いていた。
「悠……泣いてるの?」
思わず、顔に手を当てる。手は、確かに濡れていた。
2人以外の、誰も知らない。
今この瞬間、世界の均衡が、たった一人の存在によって保たれていることを。
だが、それでいい。区切りは、ついた。
そして――
続いていく。




