14話
令奈が紙をめくる音だけが、やけに大きく響いた。
「第三項――崩壊阻止後について。」
静かな室内で、古風な文体が読み上げられる。
「崩壊の阻止が成されたとき、この世界での記憶と知識を保持したまま、元いた世界の、元いた時間へ帰還することができる。これは、成功報酬の一つである。」
誰も動かない。
「ただし――汝らのうち、一人までこの世界に残ることができる。なお、残る者がいる場合、この世界と汝らの世界は、平行世界の関係から切り離される。この時、残る者は、この世界と命を共にすることとなり、崩壊と消滅の危機は、残る者が均衡を保つ限り訪れることは無い」
読み終えた瞬間、部屋の空気が変わった。
叫びも、否定もない。ただ、全員が理解していた。
「……一人、か」
幸樹が、ぽつりと呟く。
「残る者は、汝らの世界においては“いなかったこと”となり、あらゆる平行世界から記録、記憶共に消滅する。されど、汝らの記憶から消えることはない。」
そこまで読んで、令奈は紙から目を離した。しかし、その先に、最後の文があった。
――期限は、3年目、最後の日。残る者は3階の像に触れよ。触れるものが無い時、全員が戻るものとなる。
誰も、すぐには言葉を発しなかった。それが嘘ではないことを、そして、もう終わっている話ではないことを、全員が理解していたからだ。
主人公の胸の奥で、あの違和感が、紙の言葉によって静かに形を持つ。
――期限。
均衡は保たれている。崩壊は止まった。だから、次は……
「……選べ、ってこと?」
奈々美が低く言う。
「強制じゃない。でも、避けられない」
結依が続ける。
流美は、唇を引き結んだまま紙を見つめていた。
「帰れるんだよな。俺たち」
幸樹の声は、確認のようだった。
「うん。記憶も、力も持ったまま」
結衣子が答える。
その“救い”があるからこそ、この宣告は残酷だった。
主人公は、何も言わなかった。
だが胸の奥で、ひとつの答えが、既に浮かび上がっていた。しかし、今すぐそれを選ぶことは、できなかった。
「……話し合おう」
先生が、静かに言った。誰も反対しなかった。
机の上の紙は、もうただの紙ではなかった。
それは、終わりでもあり、始まりでもある。
「今日の区切りは、ここじゃない、ね?」
早紀が、確認するように言う。
「うん。これは、まだ終われない」
主人公は頷いた。今度は、自分たちが選ぶ番だ。
「全員が帰るのか、それとも、誰かがこの世界に残るのか。それが決まるのが、この話の……この世界の、一区切り。」
全員が、黙り込む。終わりがないからではない。
残れば、この世界は安定する。しかし、元の世界は失われる。
この世界で過ごした3年の年月は、全員を悩ませるには、十分だった。
「私は、帰りたいな」
結衣子が、まず自分の思いを告げる。
「この世界、とても楽しかった。たくさん友達ができた。でも、元の世界には、大事な人が居るから。私は、帰りたい」
それは、1人の思いでは無かった。
主人公も、そうだった。家族や、友達の存在――元の世界への望郷の思い。だが、その思いを持った瞬間、脳裏に、紬の笑った顔がよぎる。
「そう言われると、私も帰る方を選びたいかな。子どももいるし、元の時間に戻ることができるならそうしたい」
元の世界にパートナーがいる、結依が続く。
「私は、今は決められないけど……気持ちは、戻りたいって方が、強い。」
令奈が呟く
「俺は……帰る方、かな。戻るならみんなと一緒がいいけど……」
晶は、言葉を考えながら話す。
それぞれが思いを、考えを、皆に伝える。その流れは優しく、しかし止まることはない。
「主人公は?」
話を振られ、ハッとして顔を上げる。
考えていて、他の仲間の考えは全く覚えていない。しかし、主人公にとって、この選択は、そこまでして考えなければならないほど重いものだった。
「今は、答えられない。答えが出ない」
「そう、だよね。主人公には尚更、難しい問題だよね」
春樹が、優しくフォローする。
「その……これを決める期限まで、後何日かな?」
流美が静かに、それでいて力強く問いかける。
「後……2か月って言ったところかな」
カレンダーを見て、日向が答える。
「それなら、ゆっくり考えたほうがいい」
先生が、主人公の代わりに、この話の区切りを作る。
「主人公、まだ時間はある。期限はあるが……ゆっくり考えなさい」
その言葉で、この会議は終わった。
止まれる世界になった。
だからこそ、最後の決断も、止まって決められる。外では、夜風が桜を揺らしていた。
主人公は、最後の日に赤丸が付けられたカレンダーを、ただ一人、静かに眺めていた。




