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第二章 下 知っていて、止められなかった

 知っていて、止められなかった


夜は、最初から不穏だった。


風が、低く鳴っている。

屋根の上を撫でる音が、

人の気配よりも先に、耳に触れる。


私は、

自分がどこへ向かっているのかを、

はっきりと理解していた。


それでも、

足を止める理由が、

見つからなかった。


――また、呼ばれる。


そう思ったのは、

玉藻前の声が聞こえたからではない。


もっと、

内側の感覚だった。


境が、

揺れている。


第一章の夜と、

よく似た場所。

けれど、今回は、

私の方が、

少しだけ知っている。


「……ここは」


呟いた瞬間、

背後から、声がした。


「来てくださったのですね」


玉藻前。


振り向く前から、

分かっていた。


同じ場所。

同じ距離。

同じ、整った微笑み。


「今日は、

前回よりも、

歪みが強い」


玉藻前は、

空を見上げる。


月は、

薄い雲に覆われ、

輪郭が曖昧だった。


「放っておけば、

内側に影響が出ます」


その言い方が、

前回と、まったく同じだった。


「……それは」


私は、

言葉を選ぶ。


「前にも、

聞きました」


玉藻前は、

驚いた様子を見せない。


「ええ」


むしろ、

当然のように頷く。


「同じことが、

起きているのですから」


違う。


同じなのは、

“状況”だけだ。


私は、

もう、知っている。


前回、

ここで何が起きたのか。


私が、

何をしたのか。


「あなたは、

気づいているのでしょう」


玉藻前は、

静かに言った。


「自分が、

境に触れていることに」


胸が、

わずかに痛む。


「……はい」


声は、

思ったよりも、

はっきり出た。


「なら、

なおさらです」


玉藻前は、

私の答えを、

肯定として受け取る。


「歪みは、

意識して向き合わなければ、

より大きくなる」


それは、

理屈としては、

正しく聞こえた。


「……でも」


私は、

一歩、下がる。


「前回、

ここで……」


言葉が、

詰まる。


百鬼夜行。

結界の穴。

夜に溢れた、

数えきれない影。


玉藻前は、

私の沈黙を、

最後まで待つ。


「前回、

私は、

引き金になりました」


言ってしまうと、

胸が、

一気に軽くなる。


「それでも、

今回も、

同じことを

しろと言うんですか」


問いは、

鋭くなかった。


責めるためではなく、

確認するための問い。


玉藻前は、

少しだけ、

視線を落とす。


「選択肢は、

あります」


そう言ってから、

顔を上げる。


「ただ、

何もしない、という選択も、

また、

結果を生みます」


何もしないことで、

起きる災厄。


それは、

否定できない。


「……」


私は、

拳を握る。


頭の中に、

低い声が、

重なる。


――ここは、夜になると荒れる。

――女一人で来る場所やない。


もし、

あの人が知ったら。


私が、

ここに立っていることを。


どう思うだろう。


止めるだろうか。

それとも、

何も言わずに、

引き受けるだろうか。


どちらでも、

胸が痛む。


「……少しだけ、ですか」


私の声は、

掠れていた。


玉藻前は、

穏やかに頷く。


「ええ。

前回よりも、

小さく」


同じ言葉。

同じ、軽さ。


私は、

差し出されたものを、

見つめる。


前回と、

よく似た“境”。


触れれば、

また、

何かがほどける。


分かっている。


これは、

正しい行為ではない。


けれど、

何もしないまま、

夜が壊れるのも、

耐えられなかった。


「……一度だけ」


自分に、

言い聞かせるように。


「これで、

終わりにします」


その約束が、

守られないことを、

私は、もう知っている。


それでも。


手を、伸ばす。


触れた瞬間、

前回よりも、

はっきりとした感触があった。


境が、

“こちらを認識する”。


嫌な感覚。


夜が、

息を吸い込む。


「……来る」


玉藻前の声が、

遠くなる。


闇が、

溢れ出す。


百鬼夜行。


一度目よりも、

制御されている。

けれど、

確実に、

京へ向かっている。


私は、

その場から、

動けなかった。


今回は、

知らなかったわけじゃない。


分かっていて、

触れた。


遠くで、

朱の光が立ち上がる。


安倍晴明。


そして、

境の外側で、

低い気配が、動く。


――蘆屋道満。


彼は、

今回も、

何も問わない。


ただ、

歪みを引き受ける。


守る側にいながら、

守られる側には、

決して立たない。


その姿を見て、

胸が、

締めつけられる。


私は、

また、

彼を悪に近づけてしまった。


そう理解した瞬間、

涙が、

遅れて落ちた。


夜は、

やがて、

静まる。


けれど、

静まったあとに残るものは、

前回よりも、

はっきりしていた。


――私は、

選んでしまった。


そして、

この選択は、

もう、

後戻りできない。


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