千年越しの再会
あれから何度か季節が巡って春。
図書館は、静かだった。
窓から差し込む春の日差しが、
開いた本の紙の上をゆっくりと滑っていく。
私はとある歴史書の一冊を両手で持ち上げる。
ゆっくりと、蘆屋道満の項を開く。
私が作り替えた正史。
蘆屋道満。
平安中期を代表する陰陽師。
妖を使役し、
卓越した陰陽術により幾度も都を救い、
安倍晴明と並び悪と戦ったとされる。
私は思わず笑った。
「……よかった。」
千年前。
何度も死んで。
何度も泣いて。
それでも諦めずに掴み取った未来。
やっぱり、本当に、終わったんだ。
私は本を閉じようとした。
その時だった。
ページが勝手にめくれる。
風なんて吹いていない。
それなのに、一枚、また一枚と紙がめくられていく。
最後の白紙で止まった。
そこへ、じわりと墨が滲み始める。
筆を走らせる音が聞こえた。
誰もいないはずなのに。
文字が浮かぶ。
……遅い。
私は息を止めた。
続けて、もう一文字。
千年も待たせる女がおるか。
その瞬間。
ふっと、懐かしい香の匂いがした。
墨と白檀。
あの日々を思い出す匂い。
「……道満?」
振り返る。
本棚にもたれかかる一人の男がいた。
黒い狩衣。
腰まで流れる黒髪。
鋭い切れ長の目。
けれど、その口元だけは悪戯を思いついた子どものように笑っている。
「よう。」
まるで昨日別れたばかりのような口調だった。
「そんな顔するな。」
「……幽霊?」
「失礼やな。」
男は肩をすくめる。
「千年待った男に向かって、最初の一言がそれか。」
「だって……」
「死んだ、はず。」
「死んだで。」
あっさり言う。
「ほな今は?」
「知らん。」
「……知らないの?」
「知らんもんは知らん。」
彼は笑う。
「陰陽師でも、死んだ後までは専門外や。」
思わず笑った。
何も変わっていない。
この人は。
「笑うようになったな。」
その一言で、笑顔が止まる。
道満は真っ直ぐ私を見ていた。
千年前。
最後に見たあの目だった。
「昔は、そんな顔せぇへんかった。」
「……誰のせいだと思ってるの。」
「僕。」
悪びれもせず答える。
「せやから、責任取りに来た。」
そう言って彼は私の前まで歩いてくる。
不思議だった。
足音がしない。
でも、ちゃんとそこにいる。
「歴史、変わったやろ。」
「……うん。」
「満足か?」
私は歴史書を見る。
悪人ではなく。
英雄として名を残した蘆屋道満。
それだけで十分だった。
「うん。」
「そうか。」
彼は少しだけ目を細める。
「なら、悪い知らせや。」
「え?」
「終わってへん。」
空気が変わる。
図書館中の本が、一斉に震えた。
ばさっ。
ばさっ。
ばさっ。
何百冊ものページが勝手にめくれ始める。
私は立ち尽くくす。
「な、何これ……」
「歴史が鳴いとる。」
「鳴く?」
「君が正史を書き換えた。」
「その瞬間から、他の時代も動き始めた。」
彼は困ったように笑う。
「歴史はな。」
「一本の木や。」
「枝を一本切れば、他の枝も揺れる。」
私は何も言えなかった。
「だから迎えに来た。」
そう言って。
彼は私に右手を差し出す。
長い指。
何度も私を助けてくれた手。
「もう一回。」
「一緒に来るか。」
私はその手を見つめた。
「……怖い。」
「知っとる。」
「また、大切な人を失うかもしれない。」
「それも知っとる。」
「それでも?」
彼は少し笑った。
「今度は一人で泣かせへん。」
その笑顔は昔と同じだった。
飄々として。
何も考えていないように見える。
けれど。
その奥にある覚悟だけは、誰よりも重い。
「千年前。」
「君は僕を救ってくれた。」
「せやから今度は。」
彼は私の手を優しく包む。
「僕が君を守る番や。」
触れた瞬間。
世界が白く染まった。




