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第五章 下 正史が選ばれる瞬間

 正史が選ばれる瞬間


夜は、

息を止めていた。


内と外。

境界は、

はっきりと分かれた。


結界の内側では、

朱が息を吹き返している。

四神の気配が、

再び、都を包む。


結界の外では、

妖の流れが、

一箇所へ集まっていく。


蘆屋道満のもとへ。


均衡は、

崩れかけて、

そして、

初めて、

形を得た。


玉藻前は、

静かに立っていた。


敗北を悟った者の顔ではない。

ただ、

計算を終えた者の顔。


「なるほど」


その声は、

穏やかだった。


「そういう結末を、

選んだのですね」


誰に向けた言葉か、

分からない。


晴明か。

道満か。

それとも、

この夜そのものか。


「百鬼夜行は、

もう、起こりません」


玉藻前は、

はっきりと言った。


「都は、

守られる」


晴明は、

何も答えない。


道満も、

沈黙したまま。


「ですが」


玉藻前は、

続ける。


「歪みは、

消えません」


ゆっくりと、

視線が、道満へ向く。


「それを、

引き受け続けるのですね」


道満は、

短く息を吐く。


「今さらやろ」


その言葉は、

誇りでも、

諦めでもない。


ただ、

受け入れている。


「都の外は、

これからも、

荒れる」


「妖は、

消えない」


「正史は、

すべてを、

救わない」


淡々とした言葉。


けれど、

そのすべてが、

“役割”として落ちていく。


玉藻前は、

小さく笑った。


「ええ。

だからこそ」


静かに、

一歩、下がる。


「あなたは、

残る」


それは、

敗北の宣言だった。


夜の緊張が、

ゆっくりと、

ほどけていく。


朱の光が、

安定する。


妖の流れが、

沈んでいく。


百鬼夜行は、

起きない。


もう、

この都に、

起こる理由がない。


私は、

遠くから、

その光景を見ていた。


胸の奥が、

ひどく静かだった。


――終わった。


戦いではない。

選択が。


晴明が、

道満を見る。


長い沈黙のあと、

一言だけ言う。


「……均衡は、保たれた」


それ以上、

何も言わない。


道満は、

軽く肩をすくめる。


「そら、

よかったな」


それだけ。


勝利の言葉も、

感謝も、

ない。


それで、

十分だった。


二人は、

同じ場所に立たない。

同じ側にも立たない。


けれど、

同じ夜を、

終わらせた。


それが、

答えだった。


玉藻前は、

最後に、

こちらを見た。


まっすぐに。


「あなたの願いは、

叶いました」


その言葉に、

私は、

何も答えられなかった。


願ったのは、

私だった。


でも、

叶えたのは、

彼自身だ。


夜が、

明け始める。


長い夜の終わり。


この瞬間、

正史は、

確定した。


蘆屋道満は、

悪ではない。


都の外で、

歪みを引き受け続けた者として、

残る。


私は、

その光景を、

最後まで見届けた。


もう、

ここにいる理由は、

残っていない。


それでも、

胸の奥は、

満たされていた。


これで、

いい。


本当に、

そう思えた。


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