第五章 中 妖側に立つという選択
妖側に立つという選択
朱の光は、
まだ、消えていなかった。
けれど、
明らかに、
弱っている。
安倍晴明は、
結界の内側に立ちながら、
膝をついていた。
四神の気配は、
呼応している。
それでも、
応えきれていない。
力が足りないのではない。
支えが、長く続かなかった。
「……さすがに、
消耗が激しいですね」
玉藻前の声は、
落ち着いている。
勝ち誇ってはいない。
ただ、
結果を確認しているだけ。
「百鬼夜行を起こせなくても、
ここまで削れれば、
十分です」
その言葉は、
静かで、
残酷だった。
晴明は、
顔を上げる。
「……まだだ」
声は、
掠れている。
「都は、
まだ、守れている」
玉藻前は、
小さく笑う。
「ええ。
だからこそ、
厄介なのです」
結界は、
壊れていない。
けれど、
保つ側が、限界に近い。
均衡は、
数ではなく、
耐久で崩れる。
私は、
一歩、
前に出そうとして、
やめた。
もう、
私の役割は、
ここにはない。
私が、
何かをする必要は、
ない。
この夜は、
選ばれた者たちが、
決着をつける夜だ。
「……来ますよ」
玉藻前が、
視線を向ける。
都の外。
結界の、
さらに外側。
闇が、
ゆっくりと、
形を取る。
妖の流れ。
ただし、
これまでとは違う。
統率がある。
意思がある。
そして。
「遅うなって、
すまんな」
低く、
落ち着いた声。
蘆屋道満は、
結界の縁に立っていた。
踏み越えない。
けれど、
拒まれてもいない。
晴明が、
目を細める。
「……来たか」
驚きは、
ない。
否定も、
ない。
二人のあいだには、
長い時間が、
横たわっている。
「今回は、
遅れてきた」
道満は、
軽く肩をすくめる。
「都が、
もう、
一人で立てそうやったからな」
その言葉に、
玉藻前が、
わずかに、
眉を寄せる。
「あなたは、
どちらに立つのです」
問いは、
確認だ。
もう、
答えは、
分かっている。
道満は、
空を見上げる。
「どちら、でもない」
そう言ってから、
視線を戻す。
「……けどな」
一歩、
前に出る。
結界の外。
四神の内ではない。
「今回は、
妖側に立つ」
その宣言は、
挑発ではなかった。
逃げでもない。
ただの、
選択だった。
「歪みは、
都の外に溜まる」
道満は、
淡々と続ける。
「それを、
引き受ける者が、
必要や」
玉藻前が、
静かに息を吐く。
「あなたが、
それを?」
「今さらやろ」
短い返答。
「ずっと、
そうしてきた」
晴明は、
そのやり取りを、
黙って聞いている。
そして、
ゆっくりと、
立ち上がった。
「……助かる」
その一言に、
感情は、
ほとんど含まれていない。
けれど、
信頼だけが、
確かにあった。
玉藻前の視線が、
鋭くなる。
「妖を、
味方につけるつもりですか」
「味方ちゃう」
道満は、
首を振る。
「引き受けるだけや」
次の瞬間。
妖の流れが、
反転する。
都へ向かっていた歪みが、
道満の方へ、
引き寄せられる。
玉藻前の計算が、
初めて、
崩れた。
「……なるほど」
声に、
初めて、
苛立ちが混じる。
「あなたが、
“外”を塞ぐなら」
晴明の朱が、
一気に、
息を吹き返す。
四神の結界が、
再び、
均衡を取り戻す。
内と外。
役割が、
完全に、
分かれた。
私は、
その光景を、
ただ、見ていた。
胸の奥が、
不思議なほど、
静かだ。
――これが、
私の望んだ形だ。
彼は、
誰かに守られる存在ではない。
誰かを、
犠牲にする存在でもない。
選んで、
引き受ける存在。
玉藻前は、
後ろへ下がる。
もう、
主導権は、
彼女にはない。
「……まだ、
終わりではありません」
そう言い残して、
闇へ溶ける。
夜は、
一度、
深く息を吸った。
決着は、
次の瞬間に、
訪れる。




