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祈りとペン

初春の陽に照らされたマキナの金色の髪が視界の隅に入った。

手にしたトレイの上では、ティーセットのカップやソーサーの縁が煌めいている。


頬杖をついていたフィリッドが気怠そうに顔を向けて視線を交わすと、マキナの唇が悪戯に弧を描いた。


「おお、フィリー。汝は死せり。されどまだその時にあらざりければ、主にぞ囁き、祈り、念じ奉らむ。」


そう言いながらトレイを一段高く掲げて一礼すると、恭しくミサを執り行う司祭の足取りで前に進み出た。

緩めた白い修道服の胸元から入った風がマキナの全身を慰めながら、音もなく踝まで来ている裾をはためかせて抜けていった。


「ゾットの茶だとさ。再誕のお祝い。下で気前よく文字通りばら撒いてやがった。その死人みてぇな眠気っ面に効くといいな?」


実際眠かったフィリッドは欠伸を噛み締めると目を擦りながら軽くノビをした。

マキナが緩やかにトレイをテーブルの上に置く。体躯の良いこの修道士は目を細めてバルコニーから遠方を眺めやると、カブルー湾の今朝は穏やかなその群青へと祝福の文句を唱えた。

教会の普段よりも高い鐘の音が響き、喜びを共有する人々の声が遠くこだまする。


彼の信仰は篤いはずだが、何時もただふざけているだけのようにみえるのがフィリッドには可笑しかった。


祝福を終えたマキナは厳かに目を閉じると、大きく深呼吸をしてから胸の前でサークルを描いて、フィリッドの方へと首をたれながらクエリュー司教の掠れた声色を真似て言った。


「かしこみかしこみ、安らかに。汝の魂の輪が再び廻らんことを…」


「生き返って欲しいのか召されて欲しいのか、どっちかハッキリしてくれよ」


並びの良い白い歯列を覗かせると、マキナは向かいの椅子へと腰をおろした。


「安心しな、いずれ好きな方を選ばせてやる」


海からの風が吹き、マキナの額をすっかり現にした。

いつもフィリッドは存外整ったその顔立ちを見ると、若干の勿体のなさを感じる。

今も目の前で茶をカップへと注いでいるその絵面は、ともすると節制を象徴する天使や女神に見えなくもない程度には美しかった。触れてみたくなる程にきめの細かい白い腕の肌には静脈が浮き、胸元に吊るしたリングが微かにその間で揺れている。


魔導学院都市と教会との交換留学としてこの教会にきて半年がたつ。

祈りと説教、こねくり回しの偏屈な神学講義ばかりで退屈だときかされていた留学は、当初の灰色の期待とは裏腹に、このマキナのお陰で随分と興味深く楽しいものになっていた。


爽やかな茶の香りが、そんなフィリッドの思考を現実へと引き戻す。

差し出された茶を受け取ると、マキナは自分の分を用意しながら、何時もの悪態をつき始めた。


「アホらしい。下の連中にも出してきたけど、どいつもこいつも早速本や新聞を読みながらお茶を飲むんだ。信じられるか?もっとちゃんと味わえってな、そりゃあ、あちらはさぞかし楽しいだろうさ、安らかで明瞭な光の国だ。中毒者どもめ。あの平たい長方形を眺めていれば世界を手に出来ると思っているその勘違いにすら気付いちゃいない。いや逃避なのかそれは知らんが、ともかく、それに比べて俺らはどうだ?まるで古代人。不安と苦痛に苛まれながら薄暗闇の中を蠢いてる健康な虫。大昔のヴェルダン人もかくやってな。光あれって誰か俺にむかって言って欲しいね。」


一息にそう捲し立ててから、瞼を閉じた笑顔と共に鼻腔一杯に茶の香りを吸い込むと、マキナはその赤い唇をカップの縁へと当てた。濡れた唇が彼の表情をより一層魅力的に見せた。片目を流しやって軽食のサンドイッチを手に取ると、フィリッドに向けながら再び五月蝿い口を開いた。


「仏さんも生き返らせたし、再誕式の片付けを済ませたら、俺もお前も休暇をとらなくっちゃな」


「頂きます。そうしたいね、ここのところ忙しそうだったもん。僕も神学講義は暫くうんざり。それにしても、ラーベイルさんだっけ?随分急だったね」


「まったくな、いい迷惑だぜ。氷結魔法の失敗で急死したんだと。それも瓶水から製氷しようとして自分が凍っちまったって話だ。そんな馬鹿な話あるか?もうろくしてフガフガ発音もままならないようなら今年中にまた失敗して死ぬぜ。そうでなくても寿命がつきて永眠だ、アステリア金貨10枚賭けてもいい」


「ふーん。確かに、わざとやらないと難しいくらいの失敗だね。…本当に事故なのかな?」


フィリッドは不謹慎と弁えながらも、ちょっとした悪戯心からそう聞いてみた。


「よせよ、三文小説じゃあるまいし。事故当時は1人だったらしいが侵入者の形跡はないし何にも盗られちゃいないって話だ。遺産も相続済みで60からもう隠居してたんだと。その上で年金をそっくり同居してるあの女にくれちまってるくらいだから、むしろアンデッドにしてでもあと50年生きろって腹だろ。蘇生の神託が下って、さぞかし喜んだだろうな」


「なるほど。まぁ、死ぬも生き返るも神様がそうお決めになったのならそういう運命だね」


「ゼニの神様がな」


僧侶ではなくただのしがない魔導学徒に過ぎないフィリッドでも、蘇生の信託と実施はでっち上げで、教会が取り繕いの慈善で復活させるのを除いて、それは地位と名誉と財産で“買われる”ことは勘付いている。成功するかどうかは置いておいて、余程熱心な信徒でもない限り、現在死後の審判によってその実施の可否が下ると信じているものは少ないだろう。とは言え、異端の恐怖からも、マキナのような例外を除いて、伝統は確証のないままそれを明け透けに口外させるほどに脆いものでもなかった。


「マキナがそれを言う?」


「いいんだよ、本当のとこは分かんねぇんだからさ。『信仰の厚さと寄進の量は比例もしなければその逆もない。』俺たちの得意文句さ。多ければより大勢の傷を癒せる、みんなハッピーだ。神は大きな器を通じて小さな器も満たしてくださるってな。物は言いよう。おお、ただそうだ、そんなことより、あの爺さんは商人になる前はオクルスの魔法使いの落ちこぼれだったらしいぜ。出身地なんだとさ。オクルスには一度は行っておきてぇよな、なんせ歴史のある土地だ、ヴェルディア領で信仰と魔導の結びつきが強い。それに俺の鼻はオクルス人っぽいだろ?凹凸が少なくって滑り台みたいな。嫌いなこの鼻もあちらでは役にたつのかもしれんし。」


マキナが自分の鼻を嫌っていることが意外だったフィリッドは、何を聞かれたのか一瞬上の空だったので、サンドイッチを嚥下してから少し困惑した表情を浮かべて言った。


「それもいいけど、僕はもう一度蘇生の奇跡をみたいな。初めてみたけど感動したよ。」


学院の者の大半は教会の奇跡は魔導の一種であると疑っている。しかし実際目の当たりにすると、あれには魔法のような呪文も、魔術のような術式も陣も確かに存在しなかった。にも関わらず亡くなっていたあの初老の遺体が実際に復活する様は、信じてみたくなる気持ちが出てきても不思議ではないどころか、さもありなんとすら思う。


「ミイラとりがミイラになるようなこと言うじゃんか」


口元に運んでいたカップの手をとめ、フィリッドが驚きに目を丸くする。


「気にするな、交換留学なんてそんなもんだ。こちらの僧侶も今頃学院であれこれ探ってることだろうさ」


信仰は人に基づくとつくづくフィリッドは確信した。


「確かに、あれには感動する。俺もまだ実践できんし実際のところは知らんが、寿命や首を跳ねられたり身体損失が大きすぎる場合失敗するみてぇな幅と程度があるにせよ、死という根幹を多少でも操作できる点でその魅力は絶大だ。仮に信じれば水の上も歩けると言われたとして、どんなに信じようと頑張ってみてもバカ言うなって話しだろ。だから感動しちまう。右手に入っているはずのコインが左手から出てくる。」


不意に可笑しさが込み上げてフィリッドは笑ってしまった。


「マキナと話していると、僕の方が僧侶で君の方が学院の人間じゃないかと混乱しちゃうよ。」


マキナも小さく笑みを返す。


「かもな、俺もお前の方が良い僧侶になるんじゃねぇかと思ってるとこだ。とまぁ嫌味を言ったところでお前には意味ないか。なんせ心から信じてねぇんだから。けどなフィリッド、これが一個カラクリだ。お前はそこらに溢れ返っている無神論者みたく、神を否定することで合理に寄れると勘違いしている馬鹿とは違う。そういうお前みたいな人間にとって神は不信仰という勝手口からとっくに入りこんでいて後は、絶対に出て行かない。毎日煩わしい鼻詰まりや、自分の中の小さなコンプレックスのように、鬱陶しく、しつこく、お前の意識の底にへばりついて離れない。それが信仰のやっかいな種。俺が知っていて教えてやれることはそんなとこだ。」


マキナの言葉を咀嚼していると、マキナはさらに口を開いた。


「もっとそれっぽくいってやろうか?」


マキナが聖職者特有の洗練された笑顔を向ける。

美しい笑顔だとフィリッドは素直にそう思った。


「疑問を抱くことは、信仰の始まりですよ。フィリッドくん」


束の間雲に隠れていた陽光が再び顔を出し、フィリッドの手にしていたカップの縁を煌めかせた。

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