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短編

偽りの聖女は、神託じゃなく仕様書を読み上げたい

作者: 河合ゆうじ

「――という訳で、次期聖女様と目されるリリアンナ・クラフト様ご本人に、ご足労願った次第です」


 丁寧すぎる言葉遣いと、深々と下げられた頭。目の前で跪くのは、王都からわざわざこんな辺境までやってきたという騎士様だった。ぴかぴかの甲冑が、私の薄汚れた工房の窓から差し込む光を反射して、やけに眩しい。


「はあ……」


 私は気の抜けた返事をしながら、油で汚れた手をぼろ布で拭った。聖女? せいじょって、あの、奇跡を起こしたり神様の声が聞こえたりするっていう?


「人違いでは……? 私、リリアンナ・クラフトですけど、ただの魔道具職人ですよ。しがない、しがない職人です」

「ご謙遜を」


 きらきらしい笑顔で騎士様は顔を上げた。整いすぎた顔立ちは、物語に出てくる王子様のようだ。歳は私とそう変わらないように見える。そんな人が、なんでこんな場所に。


「あなたが先日、我が第三騎士団に納品された『夜を照らす宝珠』。あれこそ、神の御業に他なりません!」

「よるをてらすほうじゅ……?」


 なんだか大層な名前が付いているけれど、私が納品したものにそんな大層なものはない。首を傾げる私に、騎士様はぐっと身を乗り出した。その瞳は、狂信的とすら言える熱を帯びている。


「あの宝珠の聖なる光によって、長年森を支配していた夜魔の群れは浄化され、騎士団は一人の犠牲者を出すことなく、完全勝利を収めたのです! これはまさに奇跡! 神託に示された『光の聖女』の降臨に違いありません!」

「…………」


 ああ、なるほど。思い出した。

 三週間ほど前、騎士団から「とにかく明るくて、軽くて、雨に濡れても壊れない光源を百個」という、無茶な注文を受けたっけ。

 徹夜続きで必死に作った。改良に改良を重ねた、高輝度・長時間稼働・防水機能付きの、携帯型魔導ランタンのことを、彼は言っているらしい。


 聖なる光、じゃなくて、魔力を高効率で光に変換する魔導回路を組んだだけ。

 夜魔の浄化、じゃなくて、多分その魔物は強い光が苦手だっただけ。


 つまり、これは。


(……とんでもない、勘違いだ)


 私の職人人生最大の危機は、神様の悪戯みたいな、壮大な勘違いから幕を開けたのだった。



「ですから、あれはただのランタンなんですってば」


 王都へ向かう馬車の中、私はもう何度目になるか分からない説明を繰り返していた。私の向かいに座るのは、あの日、私の工房にやってきた騎士様――アレクシス・フォン・シルヴァーグ様。若干二十四歳にして、第三騎士団の団長を務めるエリートらしい。


「リリアンナ様は、ご自身の御力にまだお気づきでないのですね。聖なる力とは、時として無自覚のうちに発現するもの。書物にもそう記されています」

「その書物、多分ファンタジー小説ですよ」

「なんと。予言の書でしたか」

「話が通じない……!」


 アレクシス様は、私の皮肉をすべて真に受けてしまう、恐ろしく真面目で純粋な人だった。金色の髪は陽の光を浴びてきらきらと輝き、真っ直ぐな青い瞳は一点の曇りもなく私を見つめている。そんな瞳で見つめられると、私が何か悪いことをしているような気分になってくるから不思議だ。


「大体、私が聖女なわけないじゃないですか。見てください、この手。油と薬品で荒れ放題。聖女様の手は、きっと絹のように滑らかなんですよ」

「それは、聖女の御力をその手に宿すための試練……。民のためにその身を捧げてこられた、尊い献身の証です」

「違います、ただの職業病です!」


 もう、だめだ。何を言っても無駄。この人の頭の中では、私はすでに『民の暮らしに寄り添う、謙虚で心優しき聖女様』という設定で固まってしまっている。


 そもそも、事の発端となったあのランタン。夜魔に効果があったのは、本当に偶然の産物だった。

 あの魔物は、強い指向性の光を浴び続けると、体の構成要素である闇の魔素が霧散してしまう、という珍しい生態だったらしい。そんなこと、私も騎士団も知らなかった。ただ、夜目が利かない新人騎士でも安全に森を歩けるように、とびきり明るい光を放つように設計しただけなのだ。


 それが、どうしてこうなった。

 辺境のしがない魔道具職人にすぎなかった私が、王都に『聖女候補』として召喚されるなんて。まるで、出来の悪いおとぎ話だ。


「……着きました。ここが王城です」


 感嘆の声を漏らすアレクシス様の視線の先には、天を衝くような白亜の城があった。馬車を降りると、そこには既に大勢の人が集まって、私の到着を今か今かと待ち構えていた。


「おお、あの方が光の聖女様か!」

「なんともお優しい顔立ちだ……」

「我らの国は、ようやく救われるのだな」


 聞こえてくるのは、期待と歓喜に満ちた声。そのすべてが、重い鎖となって私の足に絡みつくようだ。逃げ出したい。今すぐ「ぜーんぶ嘘でした!」と叫んで、辺境の工房に引きこもりたい。


「リリアンナ様、こちらへ」


 アレクシス様に手を引かれ、私はまるで罪人のように俯きながら、大理石の廊下を進んだ。連れてこられたのは、玉座の間。きらびやかな装飾が施された部屋の中央には、いかにも王様、といった風情の壮年の男性が座っていた。


「面を上げよ、リリアンナ・クラフト」


 厳かな声に、私はびくりと肩を揺らす。恐る恐る顔を上げると、国王陛下は探るような目で私をじっと見つめていた。その隣には、派手なドレスを纏った王妃様と、つまらなそうな顔をした少女が座っている。


「其方が、夜魔を浄化したという魔道具を作りし者か」

「は、はい。ですが、あれは……」

「ほう。して、その力、真の聖女たる力であるか、我らの前で示して見せよ」


 国王陛下の言葉に、私は息を呑んだ。

 示すって、何を? 私にできることなんて、魔道具の修理か、新しい回路の設計くらいだ。そんな地味な作業をこの場で見せろと?


 私が困惑していると、国王陛下の隣にいた少女――おそらくお姫様だろう――が、くすりと意地の悪い笑みを浮かべた。


「お父様、ちょうどよいものがございますわ。先日、隣国から献上された『嘆きの聖杯』。呪いがかかっており、注がれた水はことごとく濁ってしまうとか。真の聖女であれば、その呪いを解けるはずですわ」


 きた、無茶ぶり。

 周りの大臣たちも「おお、それは良いお考えです」などと頷いている。もう、引くに引けない状況だ。


 やがて、侍従が物々しい雰囲気で、銀細工の美しい聖杯を運んできた。そして、綺麗な水をその中に注ぐ。すると、透明だった水は、みるみるうちに白く濁ってしまった。


「さあ、聖女よ。その力、見せてみよ」


 国王陛下の冷たい声が、玉座の間に響き渡る。アレクシス様は、心配そうな、それでいて期待に満ちた目で私を見ている。観衆の視線が、針のように突き刺さる。


(終わった……私の人生、ここで詰んだ……)


 頭が真っ白になる。どうしよう。どうしようもない。

 ただの職人に、呪いなんて解けるわけがない。


 私は震える手で、その『嘆きの聖杯』を受け取った。ひんやりとした金属の感触が、手のひらに伝わる。絶望的な気持ちで聖杯の中を覗き込んだ、その時だった。


「…………ん?」


 濁った水の底に、何かが見えた。聖杯の内側の底に、ごく微細な、しかし無数の傷が刻まれている。そして、その傷の隙間に、白い粉のようなものが付着している。


(これは……まさか)


 私は一度、聖杯の水を捨てさせてもらった。そして、懐からいつも持ち歩いている精密作業用のルーペを取り出す。


「な、何をしておるのだ?」

「聖女様、それは?」


 周りのざわめきを無視して、私は聖杯の内側を覗き込んだ。

 間違いない。


 これは呪いなんかじゃない。


「陛下。この聖杯を、一度綺麗に洗ってもよろしいでしょうか?」

「……洗うだと?」

「はい。できれば、研磨剤と、綺麗な布を」


 私の突拍子もない申し出に、玉座の間は再びどよめきに包まれた。姫様は「何を馬鹿なことを」と呆れた顔をしている。しかし、国王陛下は何かを考え込むように顎に手をやり、やがて「……許す。好きにせよ」と告げた。


 私は侍従に研磨剤と布を持ってきてもらうと、その場でしゃがみ込み、聖杯を磨き始めた。ごしごしと、いつもの工房での作業のように。ドレスを着た貴婦人方が「まあ、はしたない」と囁いているのが聞こえるが、知ったことか。


 この聖杯、素材は銀だが、表面に特殊な合金でコーティングが施されている。そのコーティングが、経年劣化か、あるいは製造時のミスか、目に見えないレベルで剥離していたのだ。その細かい合金の粒子が水に溶け出して、化学反応で水を白く濁らせていただけ。いわば、これはただの『不良品』だ。


 原因が分かれば話は早い。問題のコーティングを、物理的にすべて剥がしてしまえばいい。


 しばらく無心で磨き続けていると、聖杯は元の輝きを取り戻した。私は立ち上がり、再び侍従に水を注がせる。

 今度は、水は濁らなかった。どこまでも透き通ったままだ。


「おお……!」

「呪いが……解けた!」

「なんと……聖杯を磨いただけだというのに……!」


 玉座の間に、歓声が沸き起こる。姫様は信じられないといった顔で目を丸くし、国王陛下は満足げに深く頷いた。


「見事だ、リリアンナ・クラフト。其方こそ、真の聖女に相応しい」

「さすがです、リリアンナ様! なんという素晴らしい奇跡!」


 アレクシス様が、子犬のように目を輝かせて駆け寄ってくる。

 私は、その顔を見ながら、心の中で盛大にため息をついた。


(だから、奇跡じゃなくて、ただのメンテナンスだって言ってるのに……!)


 こうして、勘違いはさらに加速し、もはや誰にも止められないところまで来てしまった。

 私の工房への帰還は、絶望的に遠のいたのだった。



 偽りの聖女としての生活は、想像以上に過酷だった。

 まず、豪華すぎる城の一室を与えられた。ふかふかのベッドも、磨き上げられたテーブルも、落ち着かない。床に座って工具を広げたい衝動に駆られる。

 次に、常に侍女や護衛に囲まれている。一人の時間が全くない。こっそり魔道具の設計図を描くことすらできない。

 そして何より、次から次へと持ち込まれる「奇跡」の依頼だ。


「聖女様、どうかこの『鳴らない鐘』を鳴らしてくださいまし!」

「聖女様、この『開かずの箱』を開けてはいただけませんか?」


 持ち込まれるのは、いわくつきの品ばかり。しかし、そのどれもが、私から見ればただの『故障品』だった。

 鳴らない鐘は、内部の歯車が錆びついていただけ。潤滑油を差してやったら、高らかな音を響かせた。

 開かずの箱は、鍵穴にゴミが詰まっていただけ。精密なピンセットで取り除いたら、あっさり開いた。


 人々は、そのたびに「おお、奇跡だ!」とひれ伏し、私への信仰を深めていく。私はといえば、日に日に胃が痛くなるばかりだ。


「リリアンナ様、またお顔の色が優れませんね。神託を受け取るのは、さぞお体に障るのでしょう。何か、私にできることはありませんか?」


 今日も今日とて、護衛のアレクシス様が心配そうに眉を下げている。彼の優しさが、今はただ辛い。


「いえ……大丈夫です。それより、アレクシス様」

「はい、何でしょう」

「騎士団の剣の鞘、調子はどうですか? 先日、納品した自動研磨機能付きのやつです。ちゃんと動いてます?」

「はっ! 素晴らしい切れ味を維持しております。あれも聖女様がお力を込めてくださったおかげ……」

「違います。内部に仕込んだ小型の砥石が、剣を抜き差しするたびに刃を研ぐ仕組みになってるだけです。メンテナンスフリーですが、一年くらいで砥石は交換してくださいね。仕様書にも書いておいたはずですが」

「なんと……あの分厚い書物は、聖句が綴られた神聖な教典ではなかったのですか……!」

「マニュアルです!」


 もう、このやり取りにも慣れてしまった。

 私がどんなに技術的な説明をしても、彼にはすべて「奇跡の解説」に聞こえるらしい。


 そんなある日、私の偽りの聖女生活を根底から揺るがす、最大の試練が訪れた。

 王城の庭園に古くからある『聖樹』が、枯れかかっているというのだ。

 その聖樹は、建国の女神が植えたとされ、国の安寧を象徴する存在らしい。それが枯れるのは、国が滅びる前兆だとか。


「聖女リリアンナよ。其方の力で、聖樹を蘇らせてみせよ」


 国王陛下の命令は、もはや拒否権などなかった。

 私はアレクシス様に連れられ、問題の聖樹の前に立った。確かに、葉は茶色く縮れ、枝は力なく垂れ下がっている。素人が見ても、瀕死の状態だと分かった。


「……これは……」


 さすがに、これは無理だ。

 機械なら直せる。道具なら修理できる。でも、生き物の、それも植物の命なんて、私にどうこうできるわけがない。今度こそ、本当に終わりだ。


 私が青ざめていると、どこからか嘲るような声が聞こえた。


「あら、偽物さん。とうとう化けの皮が剥がれる時が来たようですわね」


 振り返ると、そこに立っていたのは、例の意地悪な姫様――セレスティア王女だった。彼女の後ろには、神殿の神官長を始めとする、いかにも高位な聖職者たちがずらりと並んでいる。


「神殿に古くから伝わる、真の聖女を見分けるための儀式。それが、この聖樹を蘇らせること。あなたのような、からくり仕掛けの偽物には到底不可能な偉業ですわ」

「……」

「もし、あなたが聖樹を蘇らせることができなければ――その時は、神を騙した大罪人として、火炙りが妥当ですわね?」


 セレスティア王女は、扇子で口元を隠し、残酷に微笑んだ。周りの貴族たちも、遠巻きにこちらを見てひそひそと噂話をしている。誰もが、私が失敗するところを見たがっているのが、ひしひしと伝わってきた。


「リリアンナ様……」


 アレクシス様だけが、心配そうに私の名前を呼ぶ。その声に、私は顔を上げた。

 彼の青い瞳は、不安に揺れながらも、それでも私を信じようとしていた。


(ああ、もう……どうして、そんな目で見るのよ)


 期待されるのは、もううんざりだ。

 でも、彼のこの信頼だけは、裏切りたくない。


 私は、覚悟を決めた。

 職人の意地を見せてやる。奇跡なんかじゃない、私の持てるすべての知識と技術で、この絶体絶命のピンチを乗り越えてやる、と。


「分かりました。その儀式、お受けします」


 私は、セレスティア王女を真っ直ぐに見据えて、言い放った。


「ただし、三日間の準備期間をいただきます。聖樹を蘇らせるための『祈り』に、集中したいので」


 もちろん、祈りなんて捧げない。

 私がやるのは、徹底的な『現地調査』と『原因究明』だ。



 その夜、私は侍女たちの目を盗んで、こっそり城を抜け出した。もちろん、護衛のアレクシス様には、事前に「特別な祈りのために、一人で聖樹のもとへ行きます」と伝えてある。彼は「危険です!」と反対したが、「これも神の思し召しです」とかなんとか、もっともらしいことを言って説得した。我ながら、口からでまかせを言うのが上手くなったものだ。


 真っ暗な庭園で、頼りになるのは自作の小型ランタンの明かりだけ。聖樹の前に着くと、私はさっそく調査を開始した。

 まず、土。指でつまんで、匂いを嗅ぎ、少しだけ舐めてみる。


(……鉄分が極端に少ない。それに、この辺りの土壌は、元々リンやカリウムも不足しがちだ)


 次に、樹皮。慎重に、ほんの少しだけ剥がして、ルーペで観察する。微細な虫が食った跡がある。これは、樹が弱っている証拠だ。

 最後に、周辺環境。聖樹のすぐ近くに、最近作られたらしい噴水がある。そこから流れてくる水が、聖樹の根元にまで流れ着いている。まさかとは思ったが、私は噴水の水も少量採取し、調べてみた。


(……間違いない。この水、微量だけど聖別された銀が溶け込んでる)


 噴水に使われている装飾用の銀板は、聖なる力を高めるために神殿で祝福されたものなのだろう。しかし、皮肉なことに、植物にとって高濃度の銀は毒でしかない。土壌の微生物を殺し、養分の吸収を阻害する。つまり、聖樹は毎日少しずつ、聖なる水によって毒殺されていたのだ。


 原因は特定できた。あとは、どう解決するか。

 必要なのは、土壌改良と、害虫駆除、そして毒素の中和。

 奇跡なんて、起こす必要はない。必要なのは、正しい『処方箋』だけだ。


 私は急いで城に戻り、紙とペンを手に取った。

 三日間で、私が作るべきもの。それは――


『聖樹再生用・全自動栄養供給システム』だ。



 約束の三日後。

 聖樹の前には、王侯貴族から神官、そして噂を聞きつけた民衆まで、大勢の人が詰めかけていた。皆の視線は、期待と、好奇心と、そして侮蔑が入り混じった複雑な色をしていた。


「さあ、偽物さん。言い訳の時間は終わりですわよ。存分に、最後のお祈りをなさったら?」


 セレスティア王女が、勝ち誇ったような笑みで私に告げる。

 私はそんな彼女を一瞥し、静かに頷いた。


「アレクシス様。お願いしていた『聖具』の準備はよろしいでしょうか?」

「はっ! こちらに」


 アレクシス様が合図をすると、数人の騎士が大きな木箱を運んできた。私がこの三日間、工房に籠って作り上げたものだ。もちろん、表向きは「祈りのための祭壇」ということになっている。


 私が木箱の蓋を開けると、中から現れたのは、磨き上げられた真鍮と、複雑に絡み合ったガラス管、そして中央に鎮座する水晶玉で構成された、奇妙な機械だった。


「な、なんですの……それは?」

「聖樹の魂に、直接神の御力を注ぎ込むための『神託増幅器』です」


 もちろん、真っ赤な嘘だ。

 本当は、土壌に突き刺したパイプから、私が調合した特殊な液体肥料を適切な量と圧力で送り込むための、自動栄養供給装置である。

 鉄分は古い釘を溶かして抽出し、リンは厨房からこっそり貰った動物の骨を焼き、カリウムは草木の灰から。害虫駆除の薬も、植物由来の成分だけで作った。それらを水晶――に見せかけた魔力溜めのガラス玉――の力で効率よく混ぜ合わせ、根に直接届ける。ただそれだけの、純粋な技術の結晶だ。


 私は装置を聖樹の根元に設置し、厳かに両手を掲げた。


「おお、大いなる地の女神よ。我がか細き祈りを聞き届け、この聖なる御神木に、再び生命の息吹を与えたまえ……!」


 詠唱と共に、私は足元に隠したスイッチを踏んだ。

 ウィーン、という低い駆動音と共に、装置が光を放ち始める。ガラス管の中を色とりどりの液体が流れ、中央の水晶玉がきらきらと輝きだした。見た目は、派手であればあるほどいい。民衆はこういうのが好きだからだ。


 周囲から「おお……!」というどよめきが上がる。

 私は構わず、それっぽいポーズを取り続けた。装置が、計算通りに土壌を改良していく。でも、効果が目に見えて現れるまでには、時間がかかる。


「……祈りは、終わりました」


 やがて、装置の光が収まると、私は静かに告げた。

 聖樹に、目立った変化はない。


「ふん。やはり、はったりでしたのね。何も変わっていませんわ」


 セレスティア王女が、鼻で笑う。民衆も、ざわざわと「やっぱり駄目だったのか」「偽物だったんだ」と囁き始めた。


「いいえ。神の御力は、今、確かにこの地に満ちました。あとは、聖樹がその御心に応えるのを待つだけです」


 私は毅然と言い放った。

 その時、誰かが叫んだ。


「あ! 見て! 枝の先に……!」


 全員の視線が、聖樹の一点に集中する。

 そこには――枯れきっていたはずの枝の先に、ほんの小さな、しかし鮮やかな緑色をした若葉が、一つ、芽吹いていた。


「……芽が……」

「聖樹が……生き返った……!」


 最初は、小さな囁きだった。それが、やがて波のように広がり、割れんばかりの歓声に変わった。人々は泣き、抱き合い、そして私の名を叫び、ひれ伏した。


「リリアンナ様! なんという……なんという素晴らしい奇跡を……!」


 アレクシス様が、感極まった様子で私の手を取る。その手は、興奮で微かに震えていた。

 セレスティア王女は、信じられないものを見るように、その小さな若葉と私の顔を交互に見て、呆然と立ち尽くしている。


 こうして、私はまたしても、とんでもない勘違いを上塗りしてしまった。

 そして、火炙りの刑を免れただけでなく、国を救った『本物の聖女』として、その名を歴史に刻むことになってしまったのだった。



 その日の夜。

 私は国王陛下に、自室へと呼び出された。てっきり、聖女としての今後の活動について、何か言われるのだろうと思っていた。

 部屋に入ると、そこには国王陛下と、昼間のドレスから簡素な部屋着に着替えたセレスティア王女だけがいた。


「リリアンナ・クラフト。今日の儀式、見事であった」

「もったいないお言葉です」

「うむ。……して、あの『神託増幅器』とやら。その仕様書を、余にも見せてもらえぬか?」

「…………え?」


 仕様書、という単語に、私は思わず固まった。聞き間違いだろうか。

 私の表情を見た国王陛下は、にやりと口の端を上げた。それは、為政者特有の、全てを見透かしたような笑みだった。


「聖杯の呪いとやらを解いた時、お主、研磨剤を使ったな。鐘を鳴らした時は、油を。開かずの箱には、ピンセットを。……余は、見ておったぞ」

「……!」

「お主は、聖女ではない。優れた、職人だ」


 断言され、私は息を呑んだ。隣のセレスティア王女も、驚いた顔で父親を見ている。


「なぜ……ご存知で……」

「我が国に必要なのは、祈るだけの聖女ではない。問題を特定し、解決へと導く、実用的な知恵と技術だ。お主の力は、どんな奇跡よりも、この国にとって価値がある」


 国王陛下は立ち上がり、私の前に来た。


「リリアンナ・クラフト。お主を、新設する『王立魔導技術院』の初代院長に任命する。表向きは聖女のまま、その裏で、お主の技術を国のために存分に振るうがよい。これは、王命である」


 ぽかん、と口を開けたままの私。

 聖女のふりを続けながら、国直属の魔道具職人として、大好きな研究と開発に没頭できる?

 それは、私にとって、火炙りよりも恐ろしい、けれど、何よりも魅力的な『褒美』だった。


「……謹んで、お受けいたします」


「――という訳で、あの偽聖女は今や『王立魔導技術院』の院長様よ。表向きは聖女として祭り上げられたまま、裏では城の予算を湯水のように使って、奇妙な機械ばかり作っているわ」


 セレスティア王女は、呆れたようにそう言って、紅茶を一口飲んだ。彼女の向かいに座るのは、隣国の王子だ。二人は、政治的な意味合いを多分に含んだお茶会に臨んでいた。


「ほう。それは面白い。我が国にも、奇跡を起こすと噂の聖職者はおりますが……大抵は眉唾物でして」

「うちの聖女も、眉唾物よ。本物の」


 セレスティアは、ふん、と鼻を鳴らした。あの日、父である国王に真実を聞かされてから、彼女はリリアンナに対する見方を変えざるを得なかった。最初は屈辱だったが、今ではどこか、その破天荒な『職人』を面白がっている自分もいる。


「先日も、私の母の形見である『沈黙のオルゴール』が鳴らないと泣きついてきた侍女がいたのだけれど……」


 セレスティアは、遠い目をする。

 あの時、侍女はリリアンナの前にオルゴールを差し出し、「どうかこの呪いを解いてください」と祈った。リリアンナはそれを一瞥するなり、こう言ったのだ。

『ああ、これは主ゼンマイの滑りですね。経年劣化で油が切れて、歯車がうまく噛み合ってないだけです。ちょっと分解して洗浄すれば直りますよ』

 そうして、あっという間に美しい音色を蘇らせてしまった。侍女は泣いて感謝し、リリアンナの聖女伝説に新たな一ページが加わった。


「その『聖女様』は、今頃どうしているのかしらね」


 セレスティアがため息をついた、その頃。


 王城の一角に新設された『王立魔導技術院』――という名の、リリアンナ専用の巨大な工房で。


「――よし、できた! これで、王都全域の水道圧を均一に保てるはず! 『水神のアクア・ティアーズ・システム』、稼働開始!」


 油まみれの作業着を着たリリアンナは、巨大な配管と魔導回路の前で快哉を叫んだ。その隣では、相も変わらず護衛として付き従うアレクシスが、感極まった様子で胸に手を当てている。


「おお……! なんという荘厳なお名前! そして、この複雑に輝く魔導回路! まるで、神様が描かれた世界の設計図のようです! これで、水不足に悩む下町の民も、等しく聖女様の御慈悲に与れるのですね……!」

「いえ、だから、これはただの自動圧力調整バルブで……仕様書にも書いておいたんですけど、読みました?」

「はい! 毎晩、枕元に置いて拝読しております! あの神聖な御言葉を胸に、今日も職務に励んでおります!」

「だからあれは教典じゃなくてマニュアルですってば……!」


 いつものやり取りに、リリアンナは盛大なため息をついた。

 聖女のフリは疲れる。けれど、最新の工具と潤沢な予算、そして何より、自分の技術で人々の暮らしが目に見えて良くなっていくこの環境は、最高に楽しかった。


 偽りの聖女。本物の職人。

 そんな奇妙な二重生活にも、彼女はすっかり慣れてしまった。


「まあ、いっか。……さて、次は騎士団の盾を軽量化する合金の開発だ!」


 楽しそうに新たな設計図を広げるリリアンナと、その姿を神々しいものを見るように見つめるアレクシス。

 勘違いから始まった物語は、まだ始まったばかり。偽りの聖女の、国を揺るがす(物理的に)大発明は、これからも続くのだった。


「リリアンナ様……! なんと尊いお姿だ……! まさに、我らが『機械仕掛けの聖女様メカニクス・サンクタ』!」

「だから、ただの職人だって言ってるでしょ!」


 工房に響く声は、今日もやっぱり、ちっとも噛み合わないのだった。

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