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後編

 令嬢にあるまじき「二度寝」宣言は、「さすがのアゼリアも婚約破棄はこたえたのだろう」という家族の謎のあたたかさによって受け入れられた。


 婚約破棄はこたえたのだろうって、それですむ話なのだろうか? あの一件に対する周囲のこの扱いの軽さはなんなのだろう? と思いつつ、アゼリアは食堂を辞して自室に下がる。

 白づくめの自称天使である青年、フレミングも一緒だ。


 部屋に向かう途中で「しばらく誰も近寄らないでください」とメイドに宣言し、アゼリアは自室につくとしっかりとドアを閉める。

 フレミングも、すばやく中へ入り込んでいた。


(あら……? これはもしかして、家族でも婚約者でもない男性と二人きりという、破廉恥な状況ではなくて? 婚約者に浮気を告白された翌日に、自分までまさかの報復浮気のような)


 冷静になって考えてみると、大変なことになっている。

 やっぱり、今からでも場所を変えるなどの対策を取った方が、と思いながらアゼリアは「あの、フレミングさん」と振り返った。

 視線の先では、白づくめの天使が真っ黒な陰影の中で頭を抱えてうずくまっていた。


「……フレミングさん、なんですかその、わかりやすすぎる落ち込みは……」


 関わり合いになりたくないんですけど……と、アゼリアは少し引き気味になる。そして、すぐにその自分の態度を反省した。


(私のこういうところは、いけないですね。相手が落ち込んでいるのですから、まずは優しい言葉をかければ良いのに)


 ジェイクから「意地悪」「冷血漢」と言われたときは反論したい気持ちでいっぱいだったが、ひるがえって自分の言動をみれば決して優しくはないと、はからずも実感することとなった。

 それほど、目の前のフレミングの落ち込みは強烈だった。


「大丈夫ですか?」

「ああ、ごめんなさい。ひどい目にあったのはあなたなのに。私が、勘違いしたばかりに」

「いったい、何をなさったんです?」


 相手は天使と名乗った上に、アゼリア以外には見えていないらしいという少し不思議なところが実際にあり、先程から「手違い」「勘違い」など不穏な言葉を連発している。


(寝て起きたら異世界とは言わなくても、天使の関与で何かとんでもないことが起きているというの?)


 警戒しきりのアゼリアに対して、フレミングはすくっと立ち上がった。

 濃い青の瞳を潤ませながら、一歩近づいてくる。


「私はいま天使昇格試験の最後の課題のために、人間の世界に来ています。本来なら、この課題はさほど難しいものではありません。なにしろ『愛する二人を、周囲に祝福されるように結びつけること』だけだからです。なんらかの理由で結婚を思いとどまっている若い恋人同士を見つけて、そっと背中を押せばそれでおしまい。それで得点できるのですから、まさにサービス問題と言って良い内容です」


 やはり、これは不穏な話だった。

 その「祝福」に関して、思い当たることのあるアゼリアであったが、天使と出会った人間としてひとまず言いたいことを口にした。


「天使が手を貸そうが貸すまいが、大差がないようなことを、試験課題にする意味ってありますか?」


 うっ、とフレミングは胸をおさえる。何やらダメージが入ったらしい。

 ああ、これも言い過ぎみたいと思いつつも、勢いがついていたアゼリアはもう一押ししてしまった。


「放っておいても結ばれるような二人を、不思議の力で後押ししたとして、自己満足以外の何が得られるというのです?」


 あの二人が結婚するのに、自分は一役買ったんだよ……! なんて語り草にしても、さして他人の興味をひくとも思えない。

 天使の昇格試験というのなら、もう少し世の役に立つことをしても良いのではないだろうかと、疑問に思ってしまったのだ。

 そのアゼリアに対して、フレミングは「おっしゃる通りでございます、が」と前置きをして滔々と語り始めた。


「これは言い訳ですが、そもそも『善行』は、自己満足の積み重ねの面もあるわけです。動機が純粋か不純かという、当人の内面に焦点を当てて問題にし始め、いちいちその感情に名前をつけるのはあまりよろしくない。『おこぼれに預かろうという下心』『自分が褒められたり感謝されたい承認欲求』『自己肯定感上げるために、相手を利用した』とか、向き合うのが辛い言葉がいっぱい出てきて、なんとなーく『善意から親切にしただけなのに、自分が卑しい人間みたいな気持ちになるくらいなら、何もしない方がいいかな』って思い始めるのは人間も天使も同じなんです」


「……言っていることは、わかる気はします。善行をしたときに『良いひとにみられたかったんでしょう?』と誰かにからかわれたり、自分の中で心の声が言ったりすると、急にがっくりくるんですよね。すみません、フレミングさんの仰る通りです。降って湧いた天使の親切を、程度問題にしたり、もっと偉業をなすべきだと、他人が口出しするのは大変おこがましいと思います。反省します」


 アゼリアは、心から非礼を詫びて、頭を下げた。

 途端、フレミングは「いいって! そんな大層な話じゃないから! 顔を上げて!」と焦った声を上げる。

 

「天使は大胆で、図々しいのが取り柄でもあって、いちいち他人の言うことは気にしないし内省もしない。自分が『良い!』と感じることがあったら、躊躇なくガツンと手出しする。それで失敗してもあんまり気にしない、本来ならそういう存在だから!」


 力いっぱい語られて、顔を上げたアゼリアは、目を瞬いた。


「でも、フレミングさんは、落ち込んでいますよね?」

「……ああ……うん……そう……落ち込んで」


 目に見えて、フレミングの表情がくもった。気の毒なほど、顔色が悪い。


「さしつかえなければ、何があったのか教えてください。そのために、我が家にとどまっていたのではないですか?」


「はい。昨日……、庭園で逢引をしている恋人たちを見かけて……。『愛しているのにこの先何年も我慢しなければならないなんて』と言い合っているのを聞いて、『なんか面倒なこと言っているけど、愛があれば良いんじゃないか?』と思って、愛の矢を打っておいたんです。これで試験も終わりだから、天界に帰れるなって思いながら」


「雑……」


 想像以上に、雑な打ち明け話であった。

 言われたフレミングもまた「雑ですよね」と神妙な顔をして認めている。認めれば良いというものでもないが、認めないよりはマシ、なのだろうか。


「一応自分のしたことだし、最後まで結果は見ておくかと思ったら、夜会の場で妙なことになっていて……。あの二人、庭園でいろいろ致していたので、てっきり婚約者同士で、どちらかが留学でもするから結婚まで何年もかかるとか、そういう嘆きだと早合点していたんですが、どうやら違ったみたいで」


「それは、ジェイクとナンシー嬢のことですね?」


 誤解などがないように、アゼリアは言葉に出して確認した。フレミングは、「はい」と頷く。


「そうです。彼らは、不義密通で道ならぬ情事にふける間柄だったようですが、私の力が働いたことにより、お祝いムードで『まあいいじゃないか』と周囲に受け入れられるという、摩訶不思議な事態になってしまいました。それもこれも、私の『恋する二人を幸せにしたい! 幸せになれ!』という力が強いからなんですが」


 アゼリアは、脱力しつつソファへ向かおうとしたが、足がふらつき何もないところでつまずきかけた。フレミングが横から手を出して、腰に腕を回して支えてくれる。


(実体が、あるのね……)


 しっかりと抱きかかえられて、そのままソファへと運ばれてアゼリアは感心してしまった。まるで現実の人間のようだ、と。

 壊れ物を扱うように、ソファへとアゼリアをおろしたフレミングは、そのまま片膝を床についてアゼリアを見つめてきた。


「昨晩あなたの身に起きた婚約破棄騒動は、すべて私の手違いということで、大変申し訳なく思っています。結果的に、道義に合わないことを天使が後押ししてしまいました。『愛があるなら良いじゃん』という大変雑な判断によって……」


 度重なるフレミングからの告白に、アゼリアは実はショックを受けていたらしい。

 心身がふらふらですぐにはまともな言葉が出てこなかったが、頭の中では「別にそれはそれで、そこまで悪くないのでは?」と思い始めていた。


(フレミングさんは、二人の重大な証言を聞いているわ。「この先、何年も我慢しなければ」ってジェイクとナンシー嬢のどちらが口にしたのかはわからないけど、どういうことかしら? あのまま婚約を継続して結婚していれば、私は何年か後には亡きものにされていたということ?)


 いくら相手に不審感を持ち、警戒をしていたとしても、夫婦として一緒の家に暮らしていれば、気を抜く場面もあるだろう。そういうときに、毒を盛られたり、事故に見せかけて階段から突き飛ばされたりしてしまえば、あっさり殺されてしまっていた恐れもある。

 

「愛ある二人を結びつけることで、結果的に私が愛のない結婚を回避できたのなら、天使の祝福の力はとても偉大なのだと思いますわ。世間的にも、問題にならないという奇跡まで。そう、結果としては、全然悪くないと思います」


 ぐったりとソファに腰掛けたまま、アゼリアはかすれた声でフレミングに告げた。


「ですが、私の目にはあなたがとても苦しんでいるように見えます。教えていただけますか? あなたの望みを」

「私の?」


 意図がわからないと、アゼリアは聞き返す。

 フレミングは、ここぞとばかりに頷いて「あなたの望みです」と繰り返した。


「私の思い込みにより、あなたは婚約者を失いました。元婚約者はお咎めなしで愛するひとと結ばれ、あなたはこうしてひとりで落ち込んでいます。私は、この不均衡をどうにかしたい。平たく言うと、あなたを幸せにしたいんです。どうすればあなたは幸せになれますか?」


 答えようにも、それはアゼリアにとって、とても難しい問いかけであった。


(私の幸せ? ジェイクと結婚することは、私にとって幸せでも不幸せでもない、通過点だった。私の幸せ……)


 婚約者を裏切ったという意味では、ジェイクとナンシーの恋愛ははた迷惑で道義にもとる行いであったが、「二人でいるのが幸せ」という真理に至り、天使の後押しも受けたというのなら、その思いの強さはすごいことだとアゼリアは思う。称賛することはないが。

 少なくとも「幸せとは何か」「望みは何か」を聞かれても答えられないアゼリアよりは、天使の祝福を受けるのにふさわしかったのではないだろうか。

 天使から直々に尋ねられても、アゼリアは何も浮かばない。


「私は、貴族の生まれで衣食住で苦労したことはなく……。これまでの十九年間、人並みに辛いことも悲しいこともあったかとは思いますが、不幸というほど大きな悲劇に見舞われることもありませんでした。そういう自分は『幸せ』なのだとわきまえていますので、今のところ天使に願う望みはありませんね」


「婚約破棄されたばかりなのに!?」


 まるで大問題のように言われたが「結婚前で良かったなと、前向きにとらえています」と答えたことにより、フレミングを大いに悩ませることになってしまった。


「補填できない……。『この二人、結ばれればいいのに』って俺の雑な親切心から、二人以外の関係者に多大な迷惑をかけたのに、取り返すことができない……」


「そんなに落ち込まなくても良いのではないですか? 私は自由になったことで、せいせいしていますよ。あの二人に対しては……、悪いとわかっていたはずなのに『いろいろと致していた』って、しかもよりにもよって我が家の夜会に招かれたタイミングでですか? とは思いますけど、そういうことをする二人が、この先うまく世渡りをできるとは思えなくて。天使の祝福効果も、いずれ消えますね?」


「鋭いことを言いますね」


 冷や汗を浮かべたフレミングに、痛いとこをつかれたとばかりに言われて「そうでしょうか?」とアゼリアは首を傾げた。


「後押しなんて、本人あってのことですよね。今回はたまたま二人の愛が真実のものだったから、天使の祝福があり、周りも巻き込まれた。でも、その愛が冷めたり、二人の間に諍いが絶えないものとなったりさらに道義にもとる行いを繰り返したりして、周囲に見放されることも起こり得るでしょう? そう思うと、天使の力で何か達成しても虚しい……」


 うっ、とまたもやフレミングが落ち込んだように胸をおさえたので、アゼリアは言い過ぎに気づいて口を閉ざした。


(どうも私には優しさが欠けているわ。本当のことだからって、ずけずけ言っていいものではないわね)


 この性分を直さないことには、いずれ自分で災いを呼び込むことになるだろうと深く反省をして、フレミングに穏やかな声で話しかけた。


「私の願いは、もう少し優しい人間になりたいということです。たとえ天使の祝福を得られても、私自身が驕った人間であれば、祝福は意味をなさないことでしょう。だから、まずは自分自身の努力で納得するまで自分を叩き直したいです」


「婚約破棄された翌日に、そこまで反省できるあなたは何者ですか? 神ですか?」


「天使がそれを言うのはどうかと思います」


 天使の声って、神にまで届かない? 大丈夫? と焦りながら、アゼリアは不穏当な発言を遮った。


(フレミングさんって、もしかして超絶うっかり天使なのでは……。逆に心配になるくらい)


 アゼリアの心の声が聞こえたかどうかは定かではないが、フレミングは思い詰めたような顔になり、すくっと立ち上がった。

 そして、アゼリアに向かって宣言をした。


「あなたの望みを、私は完全に理解しました。願いを聞き届け、祝福を授けます」

「本当に理解しています? 私、祝福を授かるにはまだ早いかな~って言いましたよ?」


 フレミングはアゼリアに水を差されても、ものともしない様子で「大丈夫です」と言い切った。


「天使の昇格試験に、時間制限はありません。私はあなたというひとを取りこぼしたことで、課題未達成と認識しましたので、あなたが幸せになるまで、あなたのお側を離れません。幸せになるのを見届けます。というか、幸せにします。私が」


 にこ、と破壊力抜群の笑みを向けられて、アゼリアはクッションを抱えながら、固まってしまった。

 これほどあけっぴろげな笑顔と強い善意を向けられたのは、これまでの人生で初めてかもしれない、とぼんやりと思う。

 じわじわと頬に血が上ってきた。その自分の反応に戸惑いながら、アゼリアは「わかりました」と答えた。それが、精一杯の返答だった。




 大胆で、図々しいのが取り柄。

 自分がする善行に疑いをもたないと言い切った天使は、それからは他人にも認識されるように確かな実体を得て、どこへ行くにもアゼリアを守るかのように付き添うこととなる。最初の頃はしっくりこなかったアゼリアも、行く先々で常識がないゆえに珍妙な行動を取るフレミングを放っておけなくなり、同行を拒まなくなった。


 やがて「婚約破棄の責任を取って、次の婚約者を見つけるのに力を尽くします」と言い張るフレミングをよそに、誰に恋する様子も見せないアゼリアの本音に気づいたフレミングが「幸せにすると言いましたので。それは私でも良いのではないですか。というか、私が良いのでは?」と、猛烈にアタックを開始することになるのだった。


※最後までお読み頂きありがとうございます!

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✼2024.9.13発売✼
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