その闇に抱かれて
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ハロウィン風味の短編です。
お楽しみいただければ幸いです。
「きゃぁぁぁぁぁ!!」
少女の悲鳴に続いてガシャーンとけたたましい音が、小さな小屋に響いた。
窓際で柔らかな秋の日差しを浴びながら微睡んでいた黒猫がピンと耳とヒゲを立てて音の方を見やる。
ひょいと重さを感じさせない身軽さで窓際から降り、音の発生源らしい台所へと黒猫が向かえば、オーブンの前で呆然と座り込んでいる一人の少女の姿があった。
年の頃はこの国の成人である十五を迎えたくらいであろうか。
黒いローブに包まれた体躯は明らかに落ち込んでいて、元々小さな体躯はさらに小さく見えた。
なぁんと黒猫が一声鳴けば、少女がくるりと振り向いた。
本来であればキラキラと好奇心に煌めいているオレンジ色の瞳には涙が溜まり、赤く染まった小さな鼻と震える唇が一層の憐れさを誘っていた。
「……のあぁ……どうしよう……」
少女の視線が黒猫を見止めた瞬間、ぽろりと涙は決壊し、まろやかな頬を一筋滑り落ちていった。
『どうしたもこうしたも……なんだ、また失敗したのか?』
つつつと近づいてきた黒猫が、少女の前に散らばっていた黒くて平べったい塊を爪の先で突けば、それはカチカチと硬質の物を触れ合わせたときに出るような音を立てた。
「どうしよう……月末のサウィンの前夜祭で精霊様に捧げるお菓子なのに……。今年は成人して初めての前夜祭だから、失敗する訳にはいかないのにぃぃ!!」
べしょりと泣き崩れる少女とは裏腹に、黒猫はご機嫌そうにヒゲを立てて、ふんと鼻息を溢した。
『ジェシーにはオレ様がいるだろう。今更他の精霊に媚びる必要はないではないか。それとも何か? オレ様というものがありながら、浮気かジェシー? ……いい度胸だ』
黒いカギシッポをゆらゆらと揺らしながら宣う黒猫に、ジェシーと呼ばれた少女はきょとりと目を丸くした。
「ノアはわたしの使い魔でしょ? ノアが側にいるのと、精霊様に感謝を捧げるのとは別の話じゃない。
だいたいサウィンの前夜祭で精霊様にお菓子を捧げるのは、わたし達魔女が精霊様のお力をお借りして魔法を使っている事に感謝する意味であって……」
『わかったわかった。とりあえずサウィンの前夜祭で精霊のチビ達にやる物が必要なんだろう?』
「チビって……精霊様に失礼よ? ノア」
ジェシーと呼ばれた少女が、黒猫のノアに窘めるようそう言うと、ふんと一つ鼻を鳴らしたノアがゆらりゆらりと不機嫌そうに尻尾を揺らす。
『オレ様が、チビ共をチビって称して何が悪い』
「えぇ? だってわたしが精霊様のお力をお借りしてノアと使い魔の契約をしてるから、わたしとノアはこうやっておしゃべりできるんでしょう? 感謝しないいわれはないわ?」
こてりと首を傾げたジェシーに、ふんと鼻息を返すノア。
そんな二人は、今年成人を迎え独立したばかりの新米魔女と、その使い魔の黒猫という関係だった。
「……それにしてもホントどうしよう……。精霊様にお菓子を捧げられない魔女なんて魔女じゃないよ……」
床に散らばった黒焦げのクッキーを集めながら、再びオレンジ色の瞳にじわりと涙が滲む。
ひょいと机に飛び乗ったノアが、ツンツンと机の上にあるものを指し示した。
『そんなにチビ共に何かやりたいんだったら、これでもいいんじゃないか?』
ノアが肉球のついた手で指し示した先には、魔女特製の薬と一緒に売っている、ジェシー手作りのビーズアクセサリーだった。
クッキーを焼いている間に作業していたのか、机の上にはキラキラと輝くビーズと、途中まで作られたブレスレットが、窓から差し込む陽の光に煌めいていた。
「それは……食べられないじゃない……」
ジェシーの言葉に、ノアが呆れたようにうにゃんと鳴く。
『バカだなぁ。別にチビ共は食べ物が欲しくて寄ってくるわけじゃない。
美味しい物、楽しい物、綺麗な物……そんな物に惹かれて集まってくるだけだ』
「……そうなの? じゃあビーズアクセサリーを捧げ物にしても大丈夫?」
ふんと一息鳴いて、ノアが椅子の上に丸くなった。
『ジェシーのヘタクソな菓子よりよっぽど喜ぶだろうさ』
「ちょっと! そこまで言う事なくない?! ……確かにヘタクソだけどさぁ……」
ぷすりとふくれっ面を浮かべるジェシーを、丸まった隙間からどこか愛おし気に眺めるノア。
『本当に……。魔女の秘薬も作れるし、料理も美味いのに……チビ共に捧げる菓子だけはヘタクソだな?』
そう言って意味ありげに口角を上げたノアに、ジェシーは気づくことはなかった。
◇◇◇
「よしっ! こんなものかな!」
サウィンの前夜祭を夜に控えた日。
パンパンと手を叩いたジェシーの視線の先には、窓から差し込む陽の光に照らされて、色とりどりのビーズで彩られた小さなブレスレットやネックレスなどが、キラキラと輝きを放っていた。
「はぁ。でも本当にこれで精霊様にご満足いただけるのかなぁ?」
『なんだジェシー? オレ様を疑うのか?』
相変わらず妙に不遜な態度の使い魔に、ジェシーは思わず胡乱な目で見てしまう。
「だって、お師様にも聞いたけど、精霊様にお菓子以外を捧げるなんて聞いた事ないって……」
『その後あの女は、オレ様が言ってるなら大丈夫だとも言ってただろ?』
ふんと居丈高に鼻を鳴らすノアに、いったいその自信はどこから来るのか甚だ疑問だし、何故自分の師はああもこの黒猫を信用しているのかと、ジェシーの中では疑問が尽きない。
「そうだけどぉ……」
『オレ様を信用しろよ。だいたい使い魔を信用しない魔女なんてありえないだろ?』
「そうだけどさぁ……」
ぺしょりとビーズアクセサリーの前に突っ伏すジェシーの頬を、爪をひっこめた状態の猫の手がぺしぺしと叩く。
ぐっと黒猫の顔が近づいてきて、スンスンと鼻を鳴らす。
その度にふわりふわりとヒゲがジェシーの頬をなぞって、ジェシーがくすぐったそうに肩を揺らす。
少しだけ濡れた鼻先が、ジェシーの鼻先にぺたりと押し付けられて……。
『……よし。これで他の奴らはちょっかい出さねぇな』
満足げに鼻を鳴らしたノアが、てしりてしりと顔を洗い始める。
「……他の奴らって? わたし、ノア以外の使い魔を選ぶ気ないよ……?」
『ったり前だろ? お前の隣は……誰にも譲らねぇよ』
人間であればにやりとでも笑っていそうな口調でそう宣うノアを、ジェシーは首を傾げて不思議そうに見つめるだけだった。
そしてサウィンの前夜祭の夜が来る。
昼間の柔らかな気温とは打って変わって、冷えが忍び込んでくる夜に、丁寧なパッチワークでキルティングされた掛布に包まって、猫のように丸まって寝息を立てるジェシーを、真っ黒い猫の目が見つめていた。
とんっと軽い身のこなしで窓枠に飛び乗れば、そこにはジェシーが精霊に捧げる為に用意したビーズアクセサリーが月の光を浴びて柔らかい光を放っていた。
『ふん。オレ様がシルシをつけてる人間に近づいてくる愚か者はいないと思うがな……』
そうノアがボヤいた瞬間、さっと窓から光が差した。
『……ちっ。ジェシーの眠りを妨げんじゃねぇよ』
窓からの光が昼間のように室内を照らし始めた途端、ノアは舌打ち一つして、パチリと目を瞬いた。
その瞬間、ジェシーの周りだけが光を避け、柔らかな闇に包まれた。
「……おや? とても素敵な気配を感じて来てみれば……」
ふわりと音もなく窓が開き、キラキラとした煌めきと共に真白に輝く美丈夫が姿を現した。
緩く波打つプラチナブランドの髪を腰の辺りまで伸ばし、真っ白なローブに身を包んでいる。
整った顔には、銀の瞳が美しいバランスで収まっていた。
誰が見ても美しいと言えるその存在は、翻って畏怖さえ感じさせるものだった。
その美丈夫が窓際に供えられていたジェシーのビーズアクセサリーを一つ手に取る。
「これはこれは……なんと美しい……。
是非ともわたくしの番となって……「やらねーよ?」……おや?」
愛しい者へ愛撫を施すようにアクセサリーに触れながら、真白の美丈夫がそう呟いた時、別の男の声が割って入った。
「……おや、誰かと思えば闇の……。
こんな所で何をしているんです?」
声の主を探してくるりと室内を見渡していた美丈夫が、暗がりに溶けとむようにして在った黒猫に目を止めた。
「ん? そりゃ、番の成長を心待ちにしながら、テメェみてぇな余計なのを近づかせないよう見張ってんだが?」
ゆるりと黒猫の輪郭が崩れ、闇がふわりと膨らんだかと思えば、そこには一人の男が立っていた。
窓から入って来た美丈夫とは相反するような、漆黒の髪に瞳を持った男は、白の美丈夫とは異なる野生味ある美貌を歪めて、侵入者を見ていた。
「……なるほど? 彼女は既に貴方のモノでしたか……。
うーん、残念ですねぇ。彼女ほど清らかな魔力の持ち主はなかなかいないのですが……」
「……へぇ。ならオレ様から奪うか? ……力づくで……」
ギラリと黒い瞳に剣呑な光を乗せて睨め付ければ、白の美丈夫は軽く肩をすくめた。
「そこまではしませんよ。
貴方がそんなに執着も露わにする相手に手を出すような命知らずな真似なんてごめんです。
ただ……そうですね。
こちらの捧げ物はいただいても?」
チラリと名残惜しげにジェシーのビーズアクセサリーへと視線を投げる白の美丈夫に、黒衣の男は軽く肩をすくめた。
「それくらいは構わねぇよ。むしろ精霊が持ってってくれたって事実がジェシーも喜ぶしな。
……まぁ、持っていったのが光の大精霊だとは思わねぇだろうがな」
驚くだろうなとくくと笑う男の言葉に、光の大精霊と呼ばれた美丈夫が微妙な表情を浮かべる。
「……彼女、そばに居る黒猫が闇の大精霊だって知らないのでしょう?
ましてやその大精霊が、自分を番にする為に十八になるのを今か今かと側で待ってるとか……」
気の長い話ですねぇと呆れた声を出す光の大精霊に、闇の大精霊と呼ばれた男は肩をすくめた。
「もうコイツも十五だ。あとたかだか三年。
それくらいオレ様達にゃあっという間だろうさ。
それにな……」
そう言って闇の大精霊はぐっすりと眠り続けるジェシーの頬を愛おしげに撫でる。
「……コイツの使い魔の黒猫として過ごすのも、なかなか悪くねぇんだよなぁ」
「はぁ……そうですか。
まぁ、貴方の酔狂は今に始まったことではないですしね。
……では、こちらいただいていきますね」
光の大精霊がフワリと手を振った瞬間、沢山あったビーズアクセサリーは跡形もなく消えていた。
「ではまた来年」
あっさりとした別れの言葉を残して、光の大精霊はキラキラとした粒子になって消えていった。
「……って、アイツ来年もジェシーの捧げ物狙いで来る気かよ」
ガシガシと黒髪を掻いて、ため息を一つ吐く。
そして足音もなくジェシーに近づいていく。
「……あと三年……。三年経ったらオマエの全部、オレ様のモンだ……」
ジェシーの細いおとがいを掴んで上向かせ、半開きになっていた桃色の唇に己のものを重ねる。
するりと猫のようにジェシーの口腔内に舌を滑らせて、その甘さを余すことなく味わっていく。
クチュリと水音が響くも、闇に誘われた安寧の眠りからジェシーが覚めることはなかった。
「……しばらくはイイコの使い魔でいてやんよ。
だから、オマエも……」
いつかオレ様に気持ちも全部くれよ?
その懇願は、柔らかな闇に溶けて消えた。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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ハロウィンにちなんでということで、ハロウィンの原型とも言われているサウィンの前夜祭をイメージしてみました。
なんだかヒーロー?がヤンデレ気味なのは……まぁいつものということでご了承くださいませ(汗
改めて、最後までお読みいただきありがとうございました!




