冷たい友達
寝ようとしたら、布団の横を小さなゴミムシが歩いている。これがゴキブリだったら飛び上がっていたところだ。
ゴミムシは部屋の隅の物陰へと姿を消した。私は昆虫が好きだ。ゴミムシなら許そう。
朝起きて出勤の準備をする。出る前に忘れ物が無いか部屋を見渡す。昨夜のゴミムシ、彼はこの部屋で生き永らえるだろうか。何か食べたり子孫を残したりできるのか?ともかくも部屋を出た。
マイカーに乗り込む。ハンドルを握っていると、姿を消した友人が思い出された。もう10年は会ってない。幼馴染の彼とは、互いに別々の職に就いてからしょっちゅう会っていた。毎週のように食事に行き、ドライブに出かける頻度はそれよりも多かった。それぞれ恋人が出来てもその関係は続いた。それがある時、我々は同時期に恋人と別れた。「別の仕事を見つけたんだ」。そう行って彼は隣の県へ越していった。
それ以来会ってない。連絡もない。我々の間にはトラブルが起きたことはない。「久しぶりに何か食べに行くか!」等の誘いがどちらかからあってもおかしくないはずだ。それでも向こうから何もないし、私からするつもりもないのは、単に飽きたからだろう。我々は付き合いが長すぎたのだ。
「よお、また飲みに行こうぜ」事務処理が一段落すると同僚が話しかけてきた。「いいよ」内心、渋々で承諾した。
彼は一昨年この職場に転勤してきたヤツで、何回か食事に行った。数少ない楽しみの一つに外食がある。一人で行く気にはなれない。誰かと行く必要があるが、候補はいつも一人か二人しかいない。快く思っていない相手でも引き受けるしかないのであった。が、それももう終わらせよう。今回で。「これでいいよな」同僚は前回の食事の、支払いの際に商品券を差し出した。冗談でも何でもなく彼は本当にそれで支払いを済ませた。なんてヤツだ。同時にまたか、とも思った。
友達はすぐ出来るほうだ。問題はその友達が、時間と共に私に害をなすようになる、という点だ。金を巻き上げられるのはもちろん、悪徳商法、業務上のトラブルに巻き込まれるのもしょっちゅうである。恋人を寝取られたことさえある。「商品券」なぞは些末ではあるが、それがきっかけで大事に至るのはもう分かり切っている。今回が彼との最後の晩餐になるだろう。
思うに私には人を堕落させる何かがある。「悪いけどオマエとは終わりな」何度通告したことか。その兆しがあれば早めに友人との付き合いを辞めてしまう。恋人であっても。いつも「候補が一人か二人」なのはそのせいなのであった。
「水漏れしてるみたいなんだけど」。親から相談された。古い友人が家業で水道工事をやっているのを思い出した。さっそく彼に連絡し、相談がてら食事をする事になった。
「久しぶりだなあ!」、「全然変わってないな」待ち合わせ場所に現れた彼は私の顔をジロジロ見ていった。「おまえは変わり過ぎだろ」私は呆れていった。いつも青ざめているような顔をしていた古い友人は、すっかり日焼けしていたのである。聞けば日焼けサロンに通っているという。人は変われば変わるものである。
一緒に卓を囲むと、水道工事などそっちのけになった。若い頃と同じ話題で盛り上がる、話は尽きない。見た目こそ変わったが中身は一緒の様だ。「で、3年前くらいにアイツにあったんだけど」、「特に変わった所は無かったな」古い友人は、10年前に姿を消した幼馴染の話をし出した。私と古い友人、幼馴染はよく3人で遊びに出かけたのだった。やはり隣の県で働いている事、未だ独身である事ぐらいしか分からなかった。我々は未だ3人とも独身なのだった。
「じゃあまたそのうち」。我々は遅くまで飲んで別れた。水漏れに関して力になれそうにない、古い友人はそういった。「そのうち」はもうないだろう。別に堕落への兆しがあったわけではない。幼馴染と同様、古い友人とも、付き合いが長すぎたのだ。過ぎ去っていく友達たち。去っていくのは私である、ともいえる。
仕事から帰り、誰もいないアパートの部屋の明かりを点ける。朝、部屋を出た時と同じ眺めだ。そこへ、物陰から小さなゴミムシが這い出てきた。元気だったかい。ゴミムシは光に集まるのだ。自分でも信じられないような早業で逃げ回るゴミムシ君を捕まえ、ドアを開け、放り出した。これで食べるものには困らないし、子孫も残せるだろう。私は冷たい人間なのかもしれない、ふと思った。
まだ手に、昆虫の温かみが残っていたから。