クラーケンマンVSクラーケンマン
新大阪都庁にある魔法少女課に呼び出された魔法少女ピクシースパイスは、魔法少女課主任の柊香子とデスクを挟んで、向かい合っていた。
紫のラインが差し色として入っている銀髪に紫のスーツに銀縁眼鏡。睨むような視線。柊 香子は、ピクシースパイスより何世代も前の元魔法少女でピクシースパイスが最も苦手とする大人だった。
「イカの魔人。クラーケン大魔人ラブリーは、確かに、お前が倒したんだよな。なぁ、ピクシースパイス」
柊 香子は、ルポ・キャスター(魔人対策課の隊員全員の防弾ヘルメットに取り付けてあるドライブレコーダーのような録画機器)に記録された映像をピクシースパイスに見せながら、訊ねた。
「はい」
ピクシースパイスは、魔法少女課に嘘の報告をあげていた。
魔法少女全員の命運をかけた戦いでクラーケン大魔人にボコボコの惨敗を期し、見知らぬおっさんに助けてもらったなど上に報告できなかったのだ。
「じゃあ、このおっさんは、誰なんだ?殺したはずのクラーケン大魔人が、実は、生きていたんじゃないとすると、こいつは、クラーケン大魔人が出産した新種というところか?それにしては、右腕以外は、人間っぽいが」
(この人は、私を助けた あの時の……)
ルポ・キャスターで記録された立体映像には、魔人対策課の堂前達から逃げる時東誠人の姿が映し出されていた。
「この映っている人物にお前は、まるで覚えがないのか?」
「はい」
ピクシースパイスは、嘘に嘘を重ねた。
時東誠人を見たことがあると言えば、どこで見たかという話に当然なり、自分が助けてもらった事も説明するはめになり、失態を晒す事になる。
―ピコロン―と柊 香子の携帯が鳴る。メール画面を見て、
「今、化学分析班からメールで報告があがった。国民データによれば、このイカの魔人は、時東誠人という37歳の無職の男らしい。時東誠人に抱えられている男は、時東誠人の同級生で久保田和也、十三で久保田医院という個人医院をやってる医者だ。元は、大学病院に勤めていた相当な秀才らしい」
とピクシースパイスに伝える柊。
そこで、―ピコロン―とまた柊 香子の携帯が鳴る。
再び、携帯の画面を見た柊は、より一層、厳しい目つきになる。
「警察病院で監視・保護していた久保田和也がイカの魔人化した。人を食って、殺してまわり、病院外に逃亡したらしい。ピクシースパイス、直ちに時東誠人と久保田和也の二匹のイカの魔人を確保しに行け。生死は、問わない」
「私、一人でですか?」
「当たり前だろ。今、動ける魔法少女は、お前しかいない」
(おいおい、生死は、問わないって私のことじゃないでしょうね)
ピクシースパイスは、ボロボロに傷んだ身体にぐっと力を入れ、新大阪都庁の屋上から飛んで出動した。
時東誠人は、久保田医院の診察室で一人で悪戦苦闘していた。
人間の姿に戻ろうとイカ魔人の触手化した右腕をチェーンソーで切り落とそうとしているのだが、痛すぎて、一人では、とてもできない。
久保田和也がいた時は、彼が麻酔で時東を眠らせ、その間にすべてを済ましてくれていたのだ。
痛みに耐え、やっと12本あるうちの触手を1本、切断し終えたと思ったら、ちょっと目を離した隙にその触手は再生し、元通りになってしまう。
「久保田のやつ、いったい、どうやってたんだ?」
時東誠人は、そう言った後、切断した後にバーナーで焼く必要があるのだと気づく。
そして、全てのさじを投げ、チェーンソーを捨てた。
チェーンソーで自分の腕を切断するだけでも、筆舌し難い、苦行なのに、そのうえ、自分で自分をバーナーで焼くなんて、できるわけがない。
やはり、人間の姿に戻るには、友の久保田の協力が必須だ。
時東誠人は、携帯を取り出し、数少ない友達名簿から高校時代の同級生の上田を選び、通話ボタンを押した。
「おっ?なんや?トッキーか?珍しいな。なんの用や」
「上田、お前、高校ん時、警察無線、盗聴すんのが趣味やとか言うてたよな。淀川の堤防あたりで昨日の夜、捕まった奴、今、どこにいるか、わかるか?」
「ああ、あのイカの魔人の新種が現れたっつー、今、一番、警察無線盗聴マニアの間でホットな話題ね」
「知ってんのかい。なら、早く教えんかい!」
「なに、お前、その事件となんか関係あんの?」
「いいから、早よ、教えろて」
「久しぶりに電話かけてきたと思たら、なに?なんで命令口調なん?なんで、そんなこと、俺が無償でトッキーに教えなあかんの?俺、チミになんの借りもないんやけど」
「何したら、教えてくれんねん」
「まず、君がどうクラーケンマンの事件に関わってるのか、知りたい」
「なんや?そのクラーケンマンて?」
「新種のイカ魔人のことを俺ら、盗聴マニアの間では、そう言うとる」
「やったら、俺が、そのクラーケンマンや」
「は?マジで言うてるの?」
「マジで言うてる」
「とうとう頭、イカれたんか?病院、行ったら?」
「ちょっと待っとけ」
時東誠人は、自分の右腕が映るように携帯で自撮りし、その画像を上田に送った。通話をまたONにする。
「届いたか?」
「なにコレ、グロいな。合成?それとも生成AI?」
「ちゃうわ。ほんもんやて」
「なんか、かなりヤバいことになっとるみたいやなー」
「ほんま、それ。かなりヤバい状況なんやて。俺、久保田がおらんと人間に戻られんのに、その久保田が警察に攫われてしもて」
「んー、そうかー。昨日、警察に捕まったん久保田やったんか〜。あいつ、高校ん時からマッドサイエンティスト的な発言、多かったけど、友達、イカ人間にして、警察に捕まるとはなー。俺よりめっちゃ犯罪者やん」
「うん、ちょっとちゃうけど、もう、それでええから、久保田の居処、教えて」
「なぁ、この画像、SNSに載せてええ?」
「絶対、あかん」
「えー、大阪で絶対、あかん言うたら、痴漢だけやろ。信号無視も普通の国やで」
「ごめん、マジでやめて。それ、されたら、俺、人生、終わる」
「わかったわかった、半分本気の冗談やて。SNSに載せへんから、そのかわし、なんでクラーケンマンになったんか、後でええから、詳しーおせえてやー。今から、なんかやることも含めて」
「おう、後で全部、教えるから、早よ、久保田、どこにおるんか、言うてくれ」
「中津警察病院や。あっ、でも、あっこ、今、なんかものごっついことになってるようやから」
時東誠人は、まだ上田が喋ってる途中で電話を切った。
「おし、中津警察病院やな。………………………………それって、どこ?」
ヒッキーくずニート生活の長かった時東には、土地勘が無かった。
夏の蜃気楼の世界を漂う存在のように久保田和也は、頼りなさ気な足取りで梅田HEED5という赤いファッションビルの前を歩いていた。
すでにイカの巨大な触手化した左腕は、人間の左腕に戻っていた。
久保田和也は、すでにイカの魔人化する己の肉体を完璧にコントロールできるようになっていた。
だから、イカ化から人間化する事も容易にできた。
それでも、彼の普通の人間の擬態は、完璧ではなかった。
何故なら、血まみれの白衣姿だったからだ。
人々は、当然、彼から距離を置いて、歩いた。
「イカの魔人、久保田和也だな!」
「イカの魔人?」と言って、久保田和也が怪談話に出てきそうな人形のようなカクカクした動きで振り返ると、そこには、魔人対策課の堂前がいた。
「会うのは、二度目だな。イカの魔人」
堂前は、不敵に笑い、警棒片手に久保田和也に近づいて行く。周りに一般人が多くいる為、以前のように無闇やたらに拳銃を発砲することは、できない。
それに倣って、他の七人の魔人対策課の隊員達も警棒片手に堂前の後に続く。
「うりゃ!」
堂前は、力いっぱいに久保田の頭部へ向け、警棒を振り下ろした。
―カン!―
久保田は、それを太陽の光を遮るようにして、前方上部へと右腕をかざし、受け止めた。人間の右腕で。
「俺をイカの魔人というクソダサい呼称で呼ぶな」
久保田和也の声は、怒りに打ち震え、目は尋常じゃなく、血走っていた。
堂前は、それに構わず、警棒を久保田の顔面めがけて投げ捨て、前に出されたままの久保田の右腕を右手で掴んで、久保田の背中に廻り、左脇で久保田の右腕を挟み、くるっと遠心力を加えて、久保田の背中に体重をかけ、足払いした。
久保田は、うつ伏せに倒れ、背中を堂前に制され、動けない。
ジャパニーズポリスメン逮捕術である。
堂前は、それをやる際、倒れた久保田の右腕をめぇいっぱい頭上に上げ、人間の腕の曲がらない方向へ曲げた。
それだけで、久保田の右腕は、めきょっと音を立て、関節が外れるか、骨が折れるか、したはずである。
しかし、そうはならなかった。
久保田の右腕は、関節が外れることも骨が折れることもなく、くねくねとうねって、堂前の上半身を包み込み、飲み込んだ。
久保田の右腕は、瞬時にイカの巨大な触手化を遂げていた。
久保田和也は、イカの魔人化を完璧にコントロールできた為、右腕だろうと左腕だろうと身体のどの箇所でも自由に人ならざるイカ魔人らしい姿に変えることができた。
「俺を決してイカ魔人などと呼ぶなよ。人間共」
久保田和也は、立ち上がって、堂前を包み込んだまま、触手を天高く伸ばした。
「俺は、もっと高位な存在だ。神が選び、お前ら、人間より圧倒的な力をお授けになった。この世に現れた救世主。お前ら、人間を導き、支配する真のスーパーヒーローだ」
「お前の……どこが……ヒーローだ……イカゲソ野郎……」
自らを包み込む触手に圧迫され、息も絶え絶えに力弱く、つぶやくしかない堂前。しかし、いくら必死に抵抗しようと、さすがに気道を触手に塞がれては、堂前も死ぬ以外にできることがない。
―ぶじゅん!!―
その音が鳴った瞬間、堂前を包んだまま、天高く上げられていた12本の触手が不自然にそのボリュームを失う。そこから、地面へとぼとりと落ちていく堂前の下半身。
一拍置いて、あたりに血の雨が降る。堂前を包んでいたはずの12本の触手から噴水のように血が噴き出していた。そこにあったはずの堂前の姿はない。もうすでに、世界のどこにも魔人対策課の堂前の姿はない。あとに残ったのは、圧力でぺしゃんこに潰された肉と骨だけだった。
久保田は、その残りカスを宙に向かって、投げ、投げたのとは、別の触手を使って、弾き、爆散させ、跡形もなく、文字通り、消した。
「うぁぁあああぁああ!!!」
一人の魔人対策課の隊員が発狂してしまうと、周りの隊員にもそれが伝染し、彼ら彼女らは、全員、冷静さを欠いてしまった。
銃を取り出し、やたらめったら撃ちまくったので、当然、何人もの一般人に被弾した。
彼ら彼女らにとっては、それでも良かった。それで、イカの魔人が死ぬならば、万々歳だった。
しかし、そうはならなかった。
久保田和也は、右腕と左腕の両方を触手にした。片方の腕だけでも変身させると12本の触手となるので、合計で24本の触手を使って、周りのスマホをこちらに向けていた一般人を掴み、彼ら彼女らを平気で盾に使った。
何発か久保田自身も被弾はしたが、クラーケン大魔人の再生能力ですぐに回復し、銃声が全て止む頃には、無傷だった。
銃声が止むとは、どういうことか?彼ら彼女ら魔人対策課の隊員達が正気を取り戻したのか?
いや、違う。単なる弾切れである。
24本の触手で掴んでいた一般人の死体24体を捨てると久保田は、素早い動きで7人の魔人対策課の隊員達を触手で掴み、そのままグルグルと触手を巻き、胸を圧迫して肺を押し、彼ら彼女らの気道も触手で塞いでやった。
そして、紙くずでもゴミ箱に投げ捨てるかのような動きで、自らの背中側にある梅田HEED5の屋上にある赤い観覧車まで隊員達を後ろ向きのまま、放り投げた。
隊員達の断末魔と観衆の悲鳴を聞き終わると、久保田和也は、ゆっくりとしたモーションでもったいつけるように24本の触手で地面を叩きつけ、跳躍した。天高く昇った彼は、梅田HEED5の屋上にある赤い観覧車のてっぺんに着地し、街を眺める。
「まずは、この街から支配する。すべての人間は、この人間を超えた人間、クラーケンマンに支配され、服従する義務があるのだ」
「そのとうりよ。和也ちゃ〜ん。ホント、賢い子ね。オホホホ〜」
クラーケン大魔人ラブリーの声が久保田和也の脳内にだけ響く。
携帯のマップ検索でなんとか中津警察病院の前までは、辿り着いた時東誠人。
が、中津警察病院の入口は、何か事件があったようで一般人の人だかりと警察官で溢れ返っていた。
イカ魔人の触手化した右腕は、雨がっぱでグルグル巻きにして隠してはいたものの、そのまま、そこにいれば、怪しまれるのは、自明の理。時東は、中津警察病院の裏手へと廻った。
高い塀に人通りの少ない車道。
時東誠人の目から見て、中津警察病院のセキュリティは、ザルに見えた。
イカ魔人の触手の跳躍力を使えば、楽々、屋上から侵入できそうだ。
「六階建てのマンションも飛び越えられたし、この病院は、四階建てだから、余裕っしょ」
時東誠人は、中津警察病院から充分に距離を取り、車道を挟んだ向こう側から、雨がっぱを解き、自由にした触手を地面に叩きつけるようにして、思いきり跳躍した。
雲に届きそうな跳躍で高さは、充分であった。だが、高さに跳躍力を使うあまり、距離の微調整でミスった。
時東誠人が着地したのは、中津警察病院の屋上ではなく、四階の病室の窓だった。窓から突っ込んで、ガラスを割り、傷だらけで転がりながら、病室に入った。
幸い、割れたガラスで負った傷は、イカの魔人の驚異的な再生能力で、すぐに治ったが、痛いのは痛かった。
「つぅっ……」
時東誠人は、苦痛に顔を歪めながら、立ち上がる。
「あんた、新しい看護師さんかえ?」
病室の白いベッドに入った70歳ぐらいの男性が、上体だけ起こして、ボケてそうな目つきで時東に訊ねる。
「ちょっと小瓶、持って来てくれんかのう。あと、昼ごはん、まだぁ〜?」
「おじいちゃん、ご飯なら、さっき、食べたでしょ」
時東誠人は、一度、言ってみたかったセリフでごまかそうとした。
老人は、その瞬間、ナースコールのボタンを押した。
「看護師さ〜ん。わしの部屋に看護師じゃない男が侵入しとるよ〜。侵入者じゃあ!侵入者がここにおるぞ〜!」
老齢の男性は、スピーカーのある天井に向かって、力強く叫び始めた。
その声に駆けつけた警官が一人、病室に入ってくる。
時東は、即座に荒野のガンマンのような早撃ちで、
―プシュッ―とイカ墨弾を発射した。
警官は、紺色の制服を真っ黒に染められ、水圧で病室の外の廊下の壁まで吹っ飛ばされる。
壁に強く背中を打ちつけ、悶絶。警官は、そのまま、気を失った。
時東誠人が、廊下に出ると、徒競走でもしてるのかと思う程、きれいに列をなして、警官達が走って、こちらに向かって来ていた。
時東は、それを前から順番にイカ墨弾で倒していく。
皆、イカ墨弾の水圧に次々と吹っ飛ばされ、床や壁や人にぶつかり、その衝撃にぐったりと気を失う。
時東は、倒れた警官一人ひとりの脈を測って廻る。
「おし、死んでない」
確認して、時東が立ち上がると、すぐ側で女性の看護師が青ざめて震えながら、立っていた。
時東誠人は、その看護師を少し不憫に思いながらも、右腕の触手を向け、
「久保田和也の病室まで案内しろ」と脅した。
久保田和也の名札の掛かった病室は、3階にあった。
病室には、ベッドは、一つだけ。シーツを全身に被り、丸くなっているこんもりとした人の膨らみに時東は、近づく。
「おい、久保田。助けに来たぞ」
と言って、人間の方の手で揺すってから、時東は、違うと気づく。
シーツの中にいる人間は、丸まっているんじゃない。丸まっているとこちらが勘違いしてしまう程、身体が小さいのだ。
こいつは、久保田和也じゃないと時東誠人が気づいた頃には、遅かった。
シーツの中にいた人物は、いきなり、シーツから飛び出し、スプレー状の何かを時東の顔に吹きかけた。
尋常じゃない痛さで時東は、目を開けられなくなった。
「効くんだね。レモン1000%汁」
ベッドの方角から、子供のようにおどけた大人の男性の声がする。
目潰しをされたのは、間違いなかった。
理解がそこまで及んだところで、後頭部に衝撃と鈍痛が走る。
棒状の何かで殴られたのは、わかったが、どうにもならない。
今度は、時東誠人が気を失う番だった。
時東誠人が目覚めると視界は、真っ暗に塞がれていた。
アイマスクを付けられていると気付き、外そうと腕を動かそうとした途端、鋭い痛みが両腕に走る。痛みに悶えれば、悶える程、その鋭い痛みは、余計にひどくなった。
「無駄だよ。ピアノ線で縛っているからね。いくら、イカ魔人の触手の力でも、所詮は、触手もただの肉なんだ。力を入れれば、入れる程、きれいに切断されるよ」
気絶する前に聞いた男の声だった。たぶん、背が低い。こちらが椅子に縛りつけられ、座っているのに、同じ高さから、声がする。と時東は、たいして賢くない頭で必死に分析してみる。
切断?切断と言ったか、こいつ。だったら、攻略法は、一つだ。
しかし、それは、時東誠人にとって、あまり、進んでやりたい行為ではなかった。
時東が躊躇している間に小さな男は、話を進める。
「イカ魔人の新種君。いや、君には、時東誠人という名前があったね。君は、名前のある国民データにも載ってる普通の人間だったわけだ。なのに、どうやって、イカの魔人なんかになったのかな?そのきっかけを良ければ、教えてくれるかな?」
優しい口調だったが、意に添わない回答をすれば、何をするかわからない怖さを含んでいた。
「イカの魔人の卵を食べて寝たら、翌朝、こうなってた」
時東誠人は、正直に答えた。
「卵を食べて?クラーケン大魔人ラブリーの細胞を肉体に取り込んだわけか。そんなこと、ありえるか?食べた卵に含まれるクラーケン大魔人ラブリーの細胞が、もし、胃の中で再生し、全身に広がったのだとしたら……、可能性は、なきにしもあらず……」
男は、一人でぶつぶつと考えごとしたかと思うと、急に
「どう思う?」
とその場にいる時東以外の誰かに訊ねた。
「嘘は、言っていないと思う」
と女性の声が答える。
どこかで聞いた声だと思ったが、時東誠人は、思い出せなかった。弥馬田グフ子でないことだけは、確かだった。
「じゃあ、久保田和也の方は、何故、イカの魔人化しているんだ?」
男の質問に時東は、
「久保田がイカの魔人に?」
と大きく動揺した。
「実験に失敗したのか……」
と思わず、つぶやいてしまう。
「実験?実験とは、いったい、なんのことだ?」
男は、時東の左胸に何かの先端を突き立てた。
時東は、勝手に自らの心臓にナイフが突き立てられているのを、想像した。
「久保田は、俺と逃げる時に銃で撃たれて、俺の細胞から培養した何かで、その傷を治すと言っていた」
「つまり、お前の細胞から取り出したクラーケン大魔人の再生細胞を傷を治す為に久保田和也は、取り込んだんだな?なんてバカでマッドなことをする医者なんだ、そいつは」
「なぁ、久保田は、どうなったんだ?俺みたいに捕まったのか?」
「奴なら人を食って、殺しまわっている」
男の言葉を当然、時東は、受け止めきれない。
「久保田が人を食った?久保田が人を殺した?そんなの嘘だ。あいつが、そんなこと、できるわけがない」
時東は、信じたくないあまり身震いし、余計に痛い思いをした。
「おそらく、クラーケン大魔人の細胞に自我を乗っ取られたんでしょう。逆にあなたの自我が、まだ、何故あるのか、私達は、不思議で仕方がないんだけれど」
と女性の声の方が言う。
それは、時東誠人が古の神々に魂の契約で精神の保護をしてもらっているからだが、本人すらその事には、気づいていない。
「クラーケン大魔人は、自らが出産した卵に自らの意識を遺伝させる能力を持っていた。魔法的な言葉を使うなら、転生だ。奴は、最初、大魔人会の中でも底辺の雑魚魔人だったが、転生を繰り返す度に強くなり、最高幹部にまでなった。我々の最も警戒する最強の敵が、あんたの同級生の身体を使って、今、暴れまわっているのは、完全にあんたが奴の卵なんかを食べたせいだ」
男は、時東誠人を攻めた。しかし、女の方が、
「違うの」
と言い出し、
「私が今日まで、その事を知らなかったから、クラーケン大魔人に転生の能力があるって知らなかったから、あの時、あなたが卵を持っていくのを止められかったのが、そもそもの原因なの。私が悪いの。あなたは、何も悪くないの」
と涙声になる。
「あの時って、なんのことだ?」
男が困惑を口にした時、
「あぁあ!!こんなところでダベってる場合じゃねぇ!!!」
と時東誠人が暴れだす。彼のイカの魔人の触手化した右腕は、ピアノ線でぶつりぶつりと一本ずつきれいに切断されていく。が、切れた先から再生されていき、ピアノ線の外側へと出て新しい12本の触手が生える。
自由になった触手で時東は、アイマスクを外し、自分を拘束していた椅子をぶっ壊す。椅子が壊れると、隙間ができ、ピアノ線がするすると時東の身体から滑り落ちた。
「お前……。あの時の……」
自由になり、視界がクリアになった時東誠人の前には、胸に大きなリボンの付いたピンクのヒラヒラのミニスカドレスを着た17歳の少女が立っていた。さっきの看護師と同じ顔をしている。
「あの時は、助けてもらったのに、こんな事になってしまって、ごめんなさい!」
ピクシースパイスは、時東誠人に頭を下げ、謝罪した。
白衣のチビの男は、
「おいおい、何がどうなってんだよ?」
とピクシースパイスの様子を見て、動揺している。手には、鉄製のものさしを握っている。時東が勝手にナイフだと勘違いした物の正体は、実は、これなのだ。
「柳さん、彼は、ヴィランじゃなく私を救ってくれたヒーローなんです!」
「は?」
白衣のチビ男・柳は、ピクシースパイスの言葉に混乱する。
「クラーケン大魔人ラブリーを倒したのは、私じゃなく彼なんです!」
「はぁあ!?」
ピクシースパイスは、魔法少女課に秘密にしていた自らの失態を柳に全て白状した。
「俺は、魔法少女課化学分析班 班長の柳 大和だ」
柳 大和は、梅田HEED5付近に向かう車内で時東誠人に自己紹介を済ます。
「いいか。作戦を確認する。まず、あんたがおとりになって、久保田クラーケンマンと戦う。そして、隙を見て、ピクシースパイスが横から攻撃。ピクシースパイスのスパイス魔法は、お前ら、クラーケンには、効かないから、レモン1000%汁を使う。効果は、あんたで立証済みだから、奴にも効くはずだ。レモン汁を発射する際は、スパイス魔法のビームも一緒に放つ。ダメージを与える為ではなく、ビームの閃光でレモン汁を避けれなくする為だ」
「閃光で目を瞑ったら、レモン汁が目に入らないのでは?」
時東は、当然の疑問を柳に投げかけた。
「一生、目を瞑ったままならな。いつかは、開けるだろ?目の付近に一度、当てさえ、してしまえば、レモン汁は、遅かれ早かれ、かならず目に入る。1000%のレモン汁が。この作戦のミソは、かならず、相手にレモン汁を当てることにあるんだ。その他のことは、どうでもいい。目潰しに成功したら、あんたが後頭部を殴るなり、なんなりして奴を制圧する」
「殺しは、しない」
時東は、念押しするように確認する。
「ああ、殺さなくていい。制圧してくれれば、それでいい」
「説得するのも諦めない」
時東は、また念押しする。久保田和也を正気に戻して、無事、生きて、元の日常に帰らす。それが、久保田をイカの魔人にしてしまった時東の目的、贖罪だった。
「ああ、奴に自我が、まだあって、話し合いのできる状態なら、自由にしてくれ。あんたの役割は、奴の気を引くことだ。それができるなら、別に戦わなくたっていい」
「一つ、訊いていいか?」
「なんだ?」
柳は、運転席からバックミラーで後部座席にいる時東を見やる。
「どうして、そんなに俺に都合良く協力してくれるんだ?」
「ピクシースパイスの失態とイカ魔人になったあんたのことを不問にするには、あんたらに手柄を上げさせるしか方法がない」
「だから、なんで?あんたに得が何も無いだろう?」
柳 大和は、右手の人差し指を上にあげ、くいくいと二人の乗っている車の上空を滑空しているピクシースパイスを指差した。
「あんた、ロリコンか?背は、低いけど、あんた、もう成人してるだろ?」
「男なんてみんな、ロリコンかマザコンだろ」
柳は、平気そうな顔して、そう断言した。
「そんなことないだろう」
「いや、これは、統計とってるから、間違いないね。男が結婚する相手は、母性を感じる奴か、母親に似てる奴か、父母本能をくすぐられる年下だ。それ以外の条件で付き合ってる奴は、全員、やり目だ」
「そんなことないだろう。うーん、そうかなぁ。でも、17は、犯罪だろう」
「あと、一年、我慢すれば、いいだけだも〜ん。まぁ、俺的には、将来の嫁を助けるのも、将来の嫁の命の恩人、助けるのも、わりとフツーつーか、当然っちゃ当然なのよね」
「きっしょい激ヤバおじやな、あんた。でも、影ながら応援するわ」
その時だった。柳の運転する車の走ってる道路の前方に赤い観覧車が降ってきたのは。
もの凄い音を立て、前方を走る車は、大破した。
急ブレーキが間に合い、柳達の車は、衝突を免れる。
ごうごう音を立て、潰れた車も観覧車も燃え始める。
時東誠人は、車を降り、それに近づいて行く。
「おい、アホ!なにするつもりや!」
後ろから、柳の怒声が飛ぶ。
「まだ、生きてる人がいるかもしれない」
「アホ!もう全員、死んどるわ!そんなん作戦とちゃうやろ!」
「でも!」
―ぎぃいいいいっ!!!―と音を立て、道路に絶妙なバランスで突き刺さっていた観覧車が傾く。
気づけば、時東誠人は、前進し、右腕の12本の触手を伸ばし、観覧車を支えていた。
じりじりと触手が焼け、イカ臭い匂いがあたりに充満する中、「きゃー!!!」という少女の叫び声が時東誠人の上から聞こえる。
見ると、観覧車の一番てっぺんの箱の扉が開き、5歳児ぐらいの少女が扉の縁に掴まり、宙ぶらりんになっている。
少女の親は、何をしている?と辺りを見回すと、すでに少女の父親と母親らしき大人がアスファルトの地面に叩きつけられ、絶命していた。
周りを見れば見る程、そんな死体がそこら中に転がっている。
12本の触手は、すでに観覧車を支えるのに使ってしまっていて、少女救出には使えない。もし、少女を助けるのに触手を使えば、観覧車は、崩れ落ち、また、新たな犠牲者が出るのは、火を見るよりあきらかだった。
俺は、たった一人の少女も救えないのかよ!!!
時東誠人は、心の中で怒鳴り、自分の無力さを呪った。
そんな中を上空を突っ切り、少女のもとへと飛んで行くピンクの人影があった。
魔法少女ピクシースパイスだ。
ああ、これで大丈夫だ。と時東誠人は、安心した。
その瞬間、もの凄い速さで隼が獲物を狙う角度で新幹線が突っ込んで来たような威力の蹴りが時東の胴体にぶちかまされる。
時東誠人は、オフィスビルの一階にあるカフェテリアへとすっ飛ばされ、ショーウィンドウを突き破り、店内めたくそにして、壁にオーケストラの楽器ばりの音を響かせ、衝突し、ようやく止まる。
当然、観覧車は、崩れ落ち、辺りは、阿鼻叫喚の嵐となる。
「なに、人助けなんて、正義マンなことしてんだよ。そんなのお前のキャラじゃないだろ、時東」
時東誠人を蹴った犯人は、久保田和也だった。というより、観覧車を道路に落とした犯人も久保田和也だった。
久保田和也は、目が赤く血走り、白目の部分が全て赤かった。肌は、イカのように異様に白く、背中から触手が24本、生えていた。
彼こそが、クラーケンマンだと時東誠人は、脳震とうを起こしている頭でぼんやりと思った。
久保田和也の後ろの遠くの方で、ピクシースパイスが無事、少女を救出し終えたのが、見える。
彼女は、時東に向け、サムズアップした。
グッジョブ。ピクシースパイス。さすが、本物のヒーローだ。
と思いながら、ひーほーひーほーと呼吸音を立て、なんとか立ち上がる時東。
「どこ見てやがんだ?むかつくなぁ」
久保田和也が振り返ろうとする。それを止めようと時東は、力を振り絞る。
こいつを今、絶対、振り向かせては、ダメだぁーーっ!!
安っぽい正義感を原動力に身体全体のパワーとスピードが増す。
触手で店内の椅子やら机やらを掴んで、それで久保田に殴りかかる。
しかし、いかんせん12対24の触手。時東の攻撃は、全て久保田の触手によって、受け止められてしまう。
「まだ、そんな雑な戦い方しかできないのか?お前の方が先にこの身体になったのに。適応をしろよ、時東。適応を」
久保田は、時東の攻撃を受け止めて尚、余っている残りの触手を使って、時東の胴体を掴んだ。
そして、軽く時東を持ち上げる。
「俺が、この身体の戦い方を教えてやる」
久保田は、時東の身体を掴んだまま、触手を右に左に上に下に縦横無尽に振り回した。
結果、時東は、壁に床に天井にと身体を強く打ちつけ、白目を剥いた。
ぐったりしてしまって、口から泡状の唾液が出ていた。
「おいおいおいおい、もうグロッキーかよ」
久保田は、意識が朦朧としている友を人形のように持ち上げたまま、勝ち誇る。
そこで、はっと気づく。店内に自分達以外に人がいない。
これだけ暴れれば、けが人の一人や二人出てもおかしくないのに。
それがいない。
客や店員が自主的に逃げ出したのか?全員が全員?いや、そんな間は、なかったはずだ。
「まさか」
久保田は、ぐったりしている時東をまじまじと見直す。
そう、時東は、久保田に攻撃を仕掛けると同時に触手を使って、客や店員を店の外へと出し、すでに逃がしていたのだ。
「生意気な」
久保田は、触手で力任せに乱暴に時東を店の外へと放り投げた。
その瞬間、久保田の視界は、閃光に遮られ、一秒程、見えなくなる。
いつの間にか、久保田のすぐ後ろまで近づいていたピクシースパイスが、久保田が時東を投げ捨てる振り向きざま、スパイス魔法のビームの閃光を浴びせ、作戦通りレモン1000%汁をかけたのだ。
しかし、事は、作戦通りには、運ばなかった。
久保田は、インテリらしく眼鏡を掛けていて、レモン1000%汁の直撃を免れたのだ。
久保田は、人間の方の手で眼鏡を取り、
「なんだ?」
と言って、それをべろべろと舐めた。
「すっぱ。レモンか」
久保田は、余裕を持って、ピクシースパイスを眺めた。
すでに、ピクシースパイスは、久保田の意識とは関係のないところで独りでに動き出した触手に一秒で捕まり、ぐるぐる巻きにされ、絞め上げられていた。
「ちょこざいな」
久保田は、ボロ雑巾のようにピクシースパイスを投げ捨てた。
ピクシースパイスは、柳の車のボンネットまで飛ばされ、身体を強く打ちつけ、動けなくなる。
「ピクシー!」
柳は、ピクシースパイスを抱きかかえ、すぐに車の影へと隠れた。
「なんだったんだ?今の奴は」
久保田は、ピクシースパイスに蚊ほどの興味もなかった。
「魔法少女ピクシースパイスよ」
久保田の頭の中でクラーケン大魔人ラブリーの声が響く。
「魔法少女か。そういえば、いたな。そういう前時代的なものが、この世界には」
「そうよ、和也ちゃん。この世界には、16匹も魔法少女がいるの。ワタシのかわりに早く奴らを皆殺しにしてちょうだい!」
「黙れ黙れ黙れ!俺は、お前の奴隷じゃない!命令するな!魔法少女なんて、俺の知ったことか!」
「久保田、お前、まだ自我があるのか?」
時東は、投げ飛ばされた場所から、すばやく触手の跳躍力で久保田の前まで戻ってきていた。
「久保田、こんな事は、もうやめよう。お前は、こんな事をする奴じゃないだろう?」
「やめるって、何をだ?まだ、始まったばかりだろ?時東、お前もこっち側へ来いよ。俺と一緒に帝国を作ろうぜ」
「何を言っているんだ?久保田、お前、どうしちまったんだよ?」
「何をって、お前こそ、何も感じないのか?時東、感じるだろ?溢れ出る万能感が。身体中から生命力が。今まで感じたことのないエネルギーが湧いて出てくるだろうが!!俺達は、負った傷も怪我もすぐ治るし、パワーも常人とは、桁違いだ。俺達は、選ばれたんだ。物語を動かす神によって。俺と一緒にこの世を支配する主人公になろう」
「やめよう、久保田。そんな厨二病が、ほざくような馬鹿げた事は。今なら、まだ、引き返せる」
「引き返せねぇよ!!俺は、もう人を食ってるんだ!殺してるんだ!もう、今さら、引き返せねぇんだよ。このまま、突っ切るしかねぇんだよ、俺は。テメェこそ、なんだよ。ついこの間まで、社会の底辺のクズニートで人生、捨ててたくせに。パワーを得た途端、ヒーロー気取りか。キャラじゃねぇんだよ、テメェ!!」
「お前こそ、キャラじゃねぇだろ。こんな理不尽に人を殺してまわる悪党なんかじゃねぇよ、俺の知ってる久保田和也は」
「お前に俺の何がわかる!!!」
久保田和也の24本の触手による地鳴らし。地面への高速で強烈な打撃で時東誠人の身体が一気に浮き上がる。
足場の無いその不安定な時東の身体を12本の触手と人間の腕で掴み、残り12本の触手で跳び、時東ごとミサイルのような速さでオフィスビルの14階へ突っ込んでいく久保田。
アクリル強化ガラスを粉々に割って、外からいきなり14階のオフィスに入って来た異様な化物そのものの風体の二人に言葉を失い、呆然と見つめる社員達。
久保田は、時東を離し、距離を取る。
時東は、アクリル強化ガラスにとんでもないスピードで突っ込んだ衝撃で、まだ、中腰でしか立てない。全身の擦り傷も酷い。
久保田は、時東を盾にして、アクリル強化ガラスに突っ込んだので、ほぼ無傷だ。
「お前が俺の何を知ってるって?時東」
時東は、身体中のあちこちの細かい傷から血を垂らしながら、体勢を立て直す。
「俺の知ってる久保田は、無職のどうしようもないおっさんでも、友達として対等に接してくれる優しい奴だよ」
時東の言葉を聞くなり、久保田は、
「ハハ!ハハハハ!ハッハハハハ!!」
とバカにしたように時東を指差して、笑った。
「時東。お前は、全くの道化だよ」
久保田の言葉に眉をひそめる時東。
途端、久保田は、表情から笑みを消した。
「いつから、俺らは、そんな仲良しこよしなったんだ。やめてくれよ、安い友情ごっこは。俺達は、そんな関係じゃないだろ?それとも、あれか?友情に熱い正義の味方面すると気持ちがいいのか?自分は、いいもんですって演じて、悦に入ってるんだろ?テメェ、実際は、そんな奴じゃねぇのによぉ」
久保田は、周りにいる社員達を次々と触手で掴み、持ち上げた。
「やめろ!」
というだけで時東は、何もできない。人質を取られた状態だ。
「そんなにいいもんやり続けたきゃ、助けてみろよ。ヒーロー」
久保田は、自分達が割ったアクリル強化ガラスがあった方へと触手で捕まえた社員達を投げた。
地上から14階分の高さの空宙へと投げ出された社員達。その数、9名。
時東誠人は、迷わず、その社員達を追って、自ら空宙へダイヴした。
1、2、3、4、5、6、7、8、9!
時東誠人は、空宙で9本の触手を使って、触手1本につき1人の人間をキャッチすることに成功する。
そして、残り3本の触手を自らがダイヴしたアクリル強化ガラスが割れている部屋へと伸ばす。
触手のうち1本目、2本目は届かない。3本目がギリギリ届き、強力な吸盤の力でぶら下がることに成功する。
1本目、2本目の触手もオフィスビルの外壁に吸盤でくっつけることで安定する。
宙ぶらりんの状態ではあったが、なんとか9名の人命を守ることができた。
けれど、それ以上は、何もできない。
考えなしにダイヴしたまでは、いいものの。
9名の社員をオフィスビルの中に戻そうにも、久保田和也が待ち構えている。
時東が見上げると、久保田がオフィスビルの中からいじめっ子のような目つきで見下ろしていた。
「これが映画なら俺は悪役で、この部屋にせっかくかけた お前の触手を踏みつけたり、剥がしにいったり、それか、そうだな。さらに、ここから人を次々と外へと投げ捨てたりするんじゃないか?」
オフィスにまだ残っている大勢の社員達が騒然となる。
「久保田、お前……」
「しないよ。俺は、お前にそんないじわるなことは、しないよ。俺達、友達だろ?」
そう言うと久保田は、空宙へダイヴし、時東の頭に着地した。
「て、てめぇ……」
時東は、なんとか久保田を睨みつけようとするが、それも上から踏みつけられる。
「なぁ、時東。俺が、なんで今まで、お前なんかと友達でいたと思う?」
時東は、考えてみたが、理由らしい理由は、浮かばなかった。そもそも友達でいるのに理由なんかあったら、友達ではないのではないか。
久保田は、とうとうと語り続ける。
「最初は、お前といると利得があったからだ。お前は、勉強は俺程できなかったが、運動がピカイチだった。学校中の不良達が、お前に一目、置いていて、お前の隣にいるだけでイジメられる心配がなかった。お前の側にいるだけで、俺は、一軍でいられた。なら、お前が落ちぶれてからは、なんで一緒にいたと思う?自分よりダメな奴が側にいると気分が良かったからだ。親が死んで大学病院を辞めて、チンケな個人医院を継がなくちゃいけなくなった時も自分よりかわいそうな奴がいると思うだけで、救われたんだ。学校でスターだった奴が落ちぶれているのを見ると最高の慰みになるんだよ。わかるか?俺にとって、お前は、そういう存在なんだよ。そういう存在でしかないんだ。親友だと思ってたのは、馬鹿なお前だけなんだよ!」
久保田は、時東の頭部をさらに強く踏みつけた。
「お前みたいな馬鹿と、社会の落後者と、俺が対等なわけねぇだろーが!」
久保田は、時東の頭部をさらにさらに強く踏みつけた。けれど、それだけでは、終わらない。
時東の頭に乗ったまま、自らの触手を鞭のようにしならせ、フルスイング。時東の脇腹を殴打。連続で何度も何度もレバーブローをおみまいする。
時東は、思わず、触手で掴んでいた9名を離しそうになる。
「きゃーーーっ!!」
「し、死ぬーー!!」
が、なんとか耐えた。
「なんで、そこで耐える?離すのを我慢する必要なんて、どこにも無いだろう?見ず知らずのあかの他人だ。まだ、ヒーローごっこを続ける気か?離せよ。離せば、殴るのをやめてやる。わかってるか?この高さから受け身もなく、落ちたら、さすがの俺達でも助からない。助かるには、イカ魔人の触手で受け身をとらなくちゃならない。でも、今、お前の触手は、9本が他人の命で埋まってて、使えない。他に3本あるが、それで受け身をとるのは、俺が阻止する。絶対にだ。賭けてみるか?なら、こうしよう。そいつらを離して、見殺しにすれば、お前の命だけは、助けてやる。仲直りして、一緒に世界を征服しよう」
「やめて!助けて!離さないで!」
「黙れ!ブス!ぶち殺すぞ!」
「頼む!娘がいるんだ!」
「黙れ!ハゲ!死にてぇか!」
この間、久保田は、時東のレバーをずっと触手で殴り続けている。
口撃も攻撃の手もやめる気はない。
「なぁ、時東、大人になれよ。離せ。合理的になれ。離せ。他人の命より自分の命。それが本来のお前なんだよ。お前の本音なんだ。ただ言い訳が見つからなくて、意固地になってるだけなんだ。認めればいいだけだよ。自分は、ヒーローじゃなかったって」
わざとらしく優しく囁きながら、時東をずっと殴り続ける久保田に時東は、
「仮に……」
と顔面を蒼白しながら、苦しそうに尋ねる。
「仮に俺が触手を離して、この9人を見殺しにしたとして、お前が俺を殺さない保証がどこにある?」
「俺を信じろ」
「俺の触手は、12本。お前の触手は、24本。このまま、落ちたとしても、お前は、俺の触手を全部、抑えつけたうえで、残り12本の触手で受け身がとれる。それでも、お前を信じろと?」
「賢いな。お前」
久保田和也は、そう言うと触手の跳躍力で上に大きく飛翔した。
「なら、俺に勝って、全員、助けてみろよ。ヒーロー」
落下し、落ちる先は、時東誠人の身体。どこに逃げても、24本の触手で捕らえ、重力を味方につけた蹴りをお見舞いするつもりである。
避ければいいが、触手で持っている9人が邪魔で、そのうえ、レバーが効いていて自由に動けない。
かくなるうえは。
時東誠人は、覚悟を決めた。
久保田和也の全力の蹴りを受け止める。
宙ぶらりんで支えていた3本の触手は、その威力で引き千切れる。
時東誠人は、久保田和也に踏みつけられたまま、オフィスビル14階の高さから真っ逆さまに落ちていく。当然、触手に掴まれた9人も一緒に。
「きゃーーーっ!!」
「今度こそ、し、死ぬーー!!」
「かぁちゃん!!」
「お父さん!お父さん!」
「魔王がいまー!」
と歌ったのは、久保田である。
結果、触手に掴まれた9人は、死ななかった。
時東が最後の最後まで触手を上に向けたままでいたから、落下の衝撃を免れ、落下し終わってから、時東が力尽きてから、時間差でするりと触手から地面へと降りたのである。
「こんな結果になって、残念だよ。お前とは、最後まで友達でいたかった」
最後まで9人を助ける為、触手を上に向けるのに全力をそそいでいた時東誠人は、当然、受け身などとれず、後頭部が陥没し、血の領土を広げていた。
「帝国を作るには、信頼できる手下が必要だからな」
そう言うと、久保田和也は、実につまらなそうに、どこかへ去っていった。
時東誠人の助けた9人には、一瞥もくれなかった。興味がないのだ。
クラーケンマンVSクラーケンマン
クラーケンマンの敗北