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高山咲良

 仕事を終えた高山咲良はビールを片手にリラクゼーションチェアへと腰掛けていた。


「貴志のやつ、何だって彼女のあたしを……」


 テーブルの上には既に空き缶が5つ。控え目に見たとしても飲んだくれている。


 咲良が語るところによると、二人は恋人関係にあるらしい。そんな貴志が綺麗さっぱり忘れてしまったなんて、彼女には我慢ならなかったことだろう。


「そりゃあ、いきなりリーダーって重責だけどさ……」


 六本目がカシュッと爽快な音を立てた。ブランケットを抱え込みながら飲む咲良はこのまま酔い潰れる予定のよう。


「何だか腹が立ってきたわ……。里乃って誰よ……?」


 咲良にとって架空の存在である里乃は目の上のこぶにもならない。つまりはぶつけようのない怒りが溜まる一方であり、ストレスの発散先は貴志しかなかった。


「貴志のやつを懲らしめてあげないとなぁ……」


 グビグビとビールを飲み干しながら咲良。かなり酔っ払っていたけれど、そこは国家プロジェクトに参加する才女である。


「以前に撮ったデートの写真を見せてみよう。きっと慌てて思い出すはず……」


 それはただの写真ではなかった。恋人同士の割と際どい写真。ショック療法ともいうべき手段に咲良は打って出る。他の研究員に見せると言えば、立ち所に記憶を取り戻すだろうと確信を持って……。


「ふふ……。少しだけ楽しくなってきた……」


 咲良は悪女的な笑みを浮かべながら、パーソナルチップを介してライブラリーに接続。撮りためた画像データを閲覧していく。


 ところが、彼女の笑みは失われてしまう。大切な思い出を振り返りながら、武器となる写真を探していただけなのに。


「なによ……これ……?」


 ライブラリーにある全てのデータが閲覧できなかった。かといって認証に失敗したわけではないようである。


「バックアップからの復旧もできないなんて異常だわ……。これはあたしだけの問題ってわけじゃなさそうね……」


 咲良はサーバーの不具合を疑う。全てのデータが破損するなど考えられないし、バックアップからの復元すら不可能だなんて異常事態にもほどがある。


「これは作戦の練り直しが必要かも……。明日までに復旧するのかしら?」


 脳裏に浮かぶウインドウには無残にも破損したファイル名の羅列のみ。必ずや貴志を跪かせようと考えていたのに、閲覧もできない壊れたデータでは何の役にも立ちそうにない。


「しかし、撮りだめしすぎね。復旧したらライブラリーを整理しなきゃ……」


 概ねファイル名は撮影日にしていた。名所などを記す場合は日付のあと。咲良のライブラリーは全てが日付によって管理されていたので、スッキリとしているだけでなく、とても分かりやすかった。


「バーで酔い潰れた日の写真なら、きっと貴志も思い出すはずなのに……」


 ファイル名を眺めては溜め息を漏らす。

 もしも復旧できなかったとしたら大問題だ。バックアップは業者が提供するサーバーにしかない。個人的な物理メディアへのバックアップはしていなかったから、全てが破損してしまえば思い出は文字通り心の中だけとなる。


「最悪の一日ね……」


 咲良はふと時計に意識を向けた。


 深酒の上に夜更かしでは幾ら若くとも、明日の仕事に支障を来すだろう。特に明日からは通常業務に加えて、引き継ぎがある。既に二日酔いは仕方ないとして、寝不足だけは回避しなければならない。


【西暦2300年 7月 22日 0時32分】


 日付を見ただけなのに、なぜか酷く頭が痛む。飲みすぎたといってもワインやブランデーではない。大酒飲みの咲良にとって六本の缶ビールが及ぼす影響は翌日の軽い頭痛のみ。ビールを飲みながら酔い潰れるなんて考えられなかった。


 しばし目頭を押さえる。頭痛の原因は分からなかったけれど、これ以上飲むのを止めて安静にしておけば問題ないはずだ。


「あれ……?」


 頭痛のせいか酔いは醒めていた。逆に頭が冴えだした気さえする。

 ようやく咲良は気付いた。今し方覚えた違和感について……。


「絶対におかしいって!」


 それが事故によるものか、異常事態なのかは分からない。けれど、通常ではあり得ない状況であるのは明らかだ。


「どうしてこんなことに……?」


 開いたままのライブラリーにあるのは日付がファイル名となっている画像データだ。ズラリと並んだ一番上にあるものが、バーで撮ったという画像データであるはず。


【6・23・2305・BAR酒神バッカス】


 本当に悪酔いしたのかと咲良は頭を振る。この現実はどうにも信じられない。明らかにこのファイル名は異常だった。


「これって……五年後じゃないの……?」


 パッと見た瞬間は分からなかったけれど、新着のデータは全てが2305年である。

 ライブラリーを遡って見ても、2304年やら2303年になるだけ。現在は2300年だというのにもかかわらず……。


「ファイル名のせいでデータが壊れたってこと? 一体どんな異常を来せばこんなことになるのよ?」


 それはただのファイル名だった。カメラの設定でファイル名を日付とするようにしていただけ。だからサーバーの日時が狂ったという問題ではない。


「ファイル名を変更すれば戻るかしら……?」


 咲良がファイルを選択したそのとき、彼女は見てしまった。


 ファイル名がおかしくなっていたのではなく、ファイル名は設定通りであったこと。撮影日時をきちんと反映していたことを……。


「ファイル名だけじゃない……。実際の更新日時も2305年になってる……」


 電子機器の時刻は電波時報を受信している。よって全ての機器で統一されており、五年もずれるなんて事態は考えられなかった。


 頭痛に加え吐き気を催してしまう。咲良はどうにも我慢できなくなり、トイレに駆け込む。飲み過ぎた酒と共に全てを吐き出せば不安が消え去るかもしれない。研究者らしからぬ思考に囚われてしまうのは彼女がそれだけ混乱しているからだろう。


 咲良は溜め息をついた。原因はサーバーの不具合が濃厚であったのに、なぜか彼女は自分自身に問題があるのではないかと考えてしまう。


「どうしてかな……? 今が2300年だと思えない。あたしは破損した写真の撮影状況を覚えているんだもの……。バーの時計には確かに2305年の表示があった……」


 夜十時を前にしたバーでの一件。壁に埋め込まれた時計を確かに見ている。


 ネオン風の時計はカレンダーと時刻を華やかに映し出していた。その瞬間に酔っぱらった貴志が抱きついてきたのも記憶を鮮明にする一因である。だからこそ咲良は状況を覚えているし、貴志に向かってカメラのシャッターを押したのだ。


「いやでも、五年後の記憶? 時計を見る限り今は2300年よね……。なぜかしら……。あたしは今が2305年であるように感じている……」


 咲良は混乱していた。部屋にある時計を確認したというのに、違和感を覚えている。最新式のデジタル時計が狂うはずもなく、彼女の写真データよりも信頼できたはずなのに。


「貴志はこれを覚えてない? どうして私だけが覚えてるの? 仮にこの日が本当に未来だったなら、なぜあたしに記憶があるのだろう……」


 画像さえ閲覧可能なら、問題は解決したかもしれない。しかし、ライブラリーにある全てのデータは破損しているのだ。咲良には事実確認のしようがなかった。


「お店を検索してみよう。もっと思い出すかもしれない……」


 ファイル名にしていた【BAR酒神バッカス】。店名さえ分かっていたらならば、全国何処であろうと検索可能だ。県外に出た記憶もないし、尚のこと簡単な作業である。


「あれ……?」


 ところが、県内はおろか日本全国を範囲にしたところで該当する店名は存在しない。実体店舗を持つお店は全てが登録義務を課せられていたにもかかわらず。


 BAR酒神バッカスは初めて行った酒場であったが、美味しい料理や店内の様子、酔い潰れる貴志までを咲良は間違いなく記憶している。


「確か三宮のお店だった……。新規開店の花輪があったから、まだ新しいはず。でも、どうして出てこないの? あれから直ぐに閉店してしまった? それとも…………」


 咲良の思考は深みに嵌まっていく。記憶の店舗がない理由。新規オープンのお店が登録されていないわけを。


 それは非現実的な発想に違いない。あろうことか咲良は破損したファイルの日付が正しいのではないかと考えてしまう。それは現在の西暦から考えると、明らかな未来であったというのに。


「あたし……おかしくなっちゃったのかな……?」


 飲み過ぎたことを後悔する。しらふであればもう少しまともであっただろうと。


「明日もう一度だけ聞いてみよう……。一人で考えても埒が明かない……」


 咲良はもう無駄な抗いを止めた。ベッドに潜り込んで、ただ朝が来るのを待つ。幸いにも良い具合の酔いが彼女を直ぐに眠りへと誘っていた……。

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