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異変

 翌日は朝から騒々しい。貴志の栄転に皆が騒ぎ立てていたからだ。


 研究室に入るや否に肩を叩かれる貴志。予想通りではあったものの、彼らの反応は想像を超えている。


「貴志、面倒なことになったけど頑張ろうね!」


 戸惑うばかりの貴志に聞き慣れぬ声がかけられた。

 同い年くらいの女の子。初めて見る顔だ。軽く肩にかかる程度のミディアムヘアであったが、綺麗に髪を後ろで結わえている。


 貴志の後任に選ばれたのかもしれない。初対面であることから、恐らくはそんなところであろう。


「俺のことを知っているようだけど、君の名前は?」


 引き継ぎをする必要性から無視はできない。いきなり呼び捨てにする彼女が割と信じられなかったけれど、貴志は大人な対応を見せていた。


「えっ!? 貴志ってそんな冗談をいうの!? あたしのことを忘れるはずがないでしょ!?」


 驚く彼女の反応に、貴志もまた驚いていた。

 酔った勢いで口説いたのだろうか。貴志は朧気な記憶を掘り下げながら、過去の行動を悔やむ。


「ごめん……。どこで会ったっけな?」


 かなり真剣に悩んでいた貴志だが、彼の反応に研究室はどっと沸く。中には拍手をして笑う者までいた。だが、決して冗談を口にしたわけではない。貴志には笑われる意味が分からなかったし、笑わせるつもりもなかったのだ。


「科学馬鹿の桐島が冗談をいうとは思わなかったぞ! ならば説明してやろう。彼女はずっと第一DL研究室で勤務していた高山咲良たかやまさくら君だ! 院生でありながら第一DL室に配置されたエリート。お前と同い年であり、同じプロジェクトメンバーに選ばれし我が研究室の精鋭だぞ!」


 貴志の疑問に答えたのは副室長である御殿場幹男ごてんばみきおだった。割と真面目な疑問であったのに、彼は冗談として受け取っているようだ。


「始めまして、貴志君! あたしは良く咲くと書いて咲良ですよ!」


「咲良君、それならばヨサクじゃないか?」

「ヨサクじゃない! サクラですから!!」


 咲良と御殿場の絡みにまたも笑い声が木霊する研究室。完全に置いてけぼりをくらった貴志は現実を少しも理解できずにいた。


 送別のジョークであると考えたかったが、そんな雰囲気は微塵も感じない。全員が貴志の話を冗談のように扱っているし、咲良という彼女もまた本気にしていない様子だ。


「俺……おかしくなったのか……?」


 貴志は頭を抱えた。何度も頭を振って見せては、昨日のことを考えている。咲良という女性はまるで記憶にない。貴志の記憶は明らかに皆と異なっていた。


 悩める貴志の様子にようやく同僚たちも気付いたのか、小首を傾げながらも貴志に近付いていく。


「お前、本気で忘れたのか? 咲良君は昨日も一緒に仕事をしてたじゃないか?」


 御殿場が心配そうに声をかけた。

 咲良とは違い御殿場のことは覚えている。貴志より五つ年上であり、第一DL室の副室長に他ならない。


「俺は昨日、所長に呼び出されて辞令を受けた……」

「ああ、そうだったな。そのときは俺も室長もいなかったけれど……」


 記憶の掘り起こしを手伝うような御殿場。貴志は少し落ち着いて、昨日あった出来事を振り返っている。


「俺は所長に怒られると思ったんだ。プログラムにミスがあったとかで……」

「所長は細かしいからな。それでお前はどうしたんだ?」


 一つ一つ丁寧に。混乱していては事実を見失う。記憶が混濁した時には気持ちを落ち着かせて、少しずつ事実確認を行えばいい。


「所長室まで里乃に着いてきてもらった……」


 ここまでは確かな記憶だった。昨日の午後は里乃と二人きり。里乃に連行されるようにして貴志は所長室まで行ったのだ。


 ところが、御殿場は眉根を寄せていた。貴志の話は端的であって悩む必要のない内容しか含んでいないというのに。


「おい桐島、里乃って誰だよ……?」


 貴志は息を呑んだ。大きく目を見開いて、無意識に顔を振ってしまう。


 里乃と貴志は幼馴染みであり、同期でもある。御殿場は貴志たちが第一DL室に入る以前より働いていたはず。従って貴志と里乃が働き始めた頃より知っていたのに、彼は里乃を知らないと語る。


「いや里乃ですよ!? 俺の幼馴染みである腐れ縁の松浦里乃じゃないですか!?」


 力説するも全員が小首を傾げていた。

 どうにも理解できない。異なる世界線に飛ばされたような気さえする。二年にも亘って仕事をしてきた彼女を忘れるなんて、ここにいる全員が昨日とは別人じゃないかと疑ってしまう。


「桐島、お前は混乱しすぎだ。急な異動で整理がつかないんだろう……」

「そんなはずはない! 俺は昨日も一昨日も里乃と一緒だった!」


 最早、誰も貴志が冗談を口にしているとは思わなかった。全員が貴志の精神状態を危惧している。


「現実を見つめ直せ。お前は辞令をもらい第一DL室を巣立っていく。それは栄転だ。決して咎められることじゃない。寧ろ胸を張って良いことなんだから……」


 諭される理由が貴志には分からない。真実を述べているだけ。貴志は記憶の通りに話しているだけなのだ。


「良いか? 研究者はお前のような状況に陥りやすい。責任感が強いほど現実から目をそむけてしまう傾向がある。思い詰めるばかりが研究じゃない。リーダーとはいっても、お前が全ての責任を負う必要はないんだ……」


 もう反論は口をつかなかった。抗おうとしたところで、現実は何も変わらないのだ。もしかすると本当に自分がおかしくなっているのではないかと考えてしまう。


 貴志が頷くのを確認し、御殿場は事実を伝えていく。


「お前の幼馴染みは咲良君だ。昨日は二人揃って所長室へと行ったはず。また咲良君はお前の同期であり、お前の彼女でもある。この度、お前たちは揃って栄転していく……」


 頭痛を覚えるほどの現実だった。それは記憶とまるで一致していない。

 咲良とは誰だ。付き合っているらしいのに、貴志は彼女を知らない。なのに全員が咲良を知っているという。


「君が……俺と所長室に行ったって本当か……?」

「え、ええ……。所長に呼ばれたから、貴志を連れて一緒に行ったけど……」


 もう否定しようがなかった。

 長い息を吐きつつも、貴志は考えを改めている。予期せぬ異動に自分が混乱していたのだと。里乃なる者は存在せず、ただ責任から逃れようとする思考が生み出した人であると。


 結果として、貴志は早退することになった。全員が気を利かせてくれた結果だ。来て早々の退所となっていたけれど、引き継ぎの予定は明日からなので問題はない。


 溜め息を零しながら、貴志が研究室を後にしていく……。

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