咲良
驚いて目を覚ますところだ。普通の夢であれば酷い寝汗と共に意識を戻したはず。
しかし、咲良はまだ夢の中。高鳴る鼓動を抑えきれずにいるだけで、目覚めてはいない。今も彼女の視界にあるのは小さなモニターだけだ。
「どうなってんの? これって夢よね!?」
焦ってはいても、夢は続いていく。意志に反して話は進んでしまう。
やがて閉じ込められていたカプセル内の光が消え、夢は暗闇に包まれてしまった。
「このまま実験に付き合わされてしまうの!?」
長い髪の女はもう言葉を発していない。準備が完了したという無謀な実験に挑もうとしているかのようだ。
声を張り上げたく思う咲良だが、眠れる彼女は起こり得る事態を見守るしかできなかった。
『意識レベル低下。リンク可能です……』
もう一人の女の声。どうやら通信はアクティブのままらしい。
何か自分が実験に晒されている気がしていた。極度の不安に襲われ、咲良は動揺している……。
『咲良! 咲良……!』
戸惑う咲良だが、呼び声に気付いた。
それは不安を掻き消す声。直ぐにそれが誰であるのか分かった。
『咲良! 咲良っ!』
何度名を呼ばれただろう。咲良は安らいでいた。彼の声は抵抗なく身体へ浸透したかと思うと、スーっと背筋の向こうに吹き抜けていく。まるで心の澱を洗い流す清流のようだ。やはり自分の相手はこの人しかいないとさえ思う。
自然と目蓋が開く。呼び掛けに応じる形で咲良は意識を戻していた……。
「あっ……?」
「咲良! 気が付いたか!」
見慣れた顔がそこにあった。
心配そうに見つめる貴志を見ることで、咲良は自身が倒れた事実を思い出している。
「貴志……。ごめんなさい……」
「ああいや、俺こそすまん。酷くうなされていたから、起こしてしまった……」
互いが謝る理由は接点を持たぬものだったが、二人共がその気持ちを汲み取っている。
貴志は何から話すべきかを思案していた。本来なら計画書が却下された話だけであったのだが、働かせすぎた現実だって謝るべきことだ。
「咲良、倒れるほど頑張ってもらって申し訳ないが、プランは変更となった。また最初からやり直しだ。でも君はしばらく休んでもらって構わないから……」
咲良は頷くだけ。頑張って形にしたものが否定されてしまってはショックを隠しきれない。全員が問題ないとしたプラン。却下されてしまうなんて考えていなかった。
「残念……。まあでも頑張ろう。貴志ならできるよ……」
まだ意識がはっきりしないだろうに、咲良は貴志を気遣う。かといって彼女の思考は返答に使われた言葉よりも、夢の内容に囚われている。
話すべきかどうか。咲良は決めかねていた。
今回の夢も明晰夢だと思える。しかし、この度は登場人物がいない。内容もブレインなる者と戦う感じではなかったし、それどころか一言だってブレインは登場しないのだ。
ただの悪夢かもしれない。だが、夢の最後に登場した人物の名前は現実とリンクしている。彼女にとっての恋人の名前こそが夢の判定を鈍らせていた。
「ねぇ、笑わないで聞いてくれる?」
そんな前置きをして、咲良は語り始める。どうせなら話をして、すっきりしたい。せっかくの休息がその役目を果たせるように。
「また夢を見たのよ……」
貴志の返答を待つことなく咲良は口にする。意味の分からぬ夢の内容。一人ですら登場人物がいなかった奇妙な夢の話を。
「あたしはカプセル的なものに閉じ込められていた。いえ、ひょっとするとあたしはそこにいなかったのかもしれない……」
話途中で咲良は考えを改めていた。
自分が囚われの身と考えるよりも、誰かにあの夢を視聴させられた可能性があること。パーソナルチップを介して頭に投影されたとすれば、あの妙な視点も納得がいく。
「とにかく、あたしはまたも明晰夢を見た。何かの記録。未来だとすれば絶対に受け入れられないものを……」
貴志は口を挟まずに聞いていた。
明晰夢の話はただの夢で片付けていた貴志であるから、今もなお内容にこだわる咲良の気持ちが分からない。前回以降、貴志は一度も明晰夢を見ていないのだ。ニュースを見てもバルティックシー・ウォーなる話題などなかったし、バルト海沿岸部は平穏そのものであったのだから。
「何かの実験を開始するところだったわ。チームは前回から変わっていないと思う。声が同じだったから……」
前回と同じ声がしたという理由で、咲良は二つの夢を重ねているのかもしれない。或いはまだ意識が朦朧としているのではないかと思える。仮に二つの夢が繋がっていたとして、現実感は皆無だ。見知らぬ者が好き勝手に行動しているだけ。
「あたしだって、最初は気にするような夢だと思わなかったけど……」
貴志の雰囲気に気付いたのか、咲良はそんな風に付け加えた。
無意識の想像である可能性は否定できない。しかし、咲良にある嫌な予感は思い出すたびに大きくなる。
「何処かへ侵入しようとしていたのよ。たぶんハッキングに近い行為ね……。何かのデータにダイブする機材。きっとそれに違いない……」
自問自答しながら記憶を辿っていた咲良。もはや伝えようとしているのか、独り言なのか判断できない。
一方で貴志はただ静かに聞いていた。落ち着くまで彼女の話を聞いてあげようと思う。だから彼は意見もせず、聞き役に徹している。
「詳しくは分からないけど、彼らは戦ってた。失敗が決定付けられたような状況に追い込まれていたけれど、すべきことをこなし、皆が団結してたの……」
その組織が何と戦っているのかも分からず、登場人物の顔はおろか名前すら判明しない夢。仮にそれが予知夢であるのなら、もっと具体的な内容があって然るべきだ。
貴志は彼女の話に頷きながらも、そんな風に考えていた。しかし、それらの思考は無駄に終わる。続けられた咲良の台詞が推論を否定してしまったから。
「桐島貴志を救うために団結していた――――」
唖然とするのは貴志だ。予期せぬ話にもほどがある。それまでにあった朧気な夢の内容は皮肉にも自身の名によって鮮明さを帯びていた。
「夢の……話だよな……?」
確かに夢を見たと聞いた。だから不思議ではない。咲良の彼氏という者が夢に出てきたとしても。
けれど、貴志は不安になっていた。彼自身も経験がある明晰夢。時が経ち喉元を過ぎた今は忘れかけていたけれど、咲良の話に記憶を掘り返さずにはいられなかった。
「夢の話よ……。でも貴志なら分かるんじゃない?」
見透かしたように言われてしまう。だが、その通りでもあった。
あの明晰夢は自分が映っていなくとも、現実に近い感覚を与える。細部まで再現された景色や設定の細かさ。睡眠状態にある脳があれだけの話を作りだせるとは考えられなかった。
「本当に俺が出てきたのか?」
再び確認する貴志。咲良の話を信じるか否か。その一点をどうするかにより、事態は正反対の方向へと向かっていくだろう。
「夢の最後……。貴志は人類にとって重大な何かを知っているみたい。だから、捕まった貴志を助け出そうとしていたんじゃないかな……」
咲良が嘘を話す理由はなかった。十中八九彼女は見たはずだ。囚われの貴志を救おうとし、巨悪に立ち向かう勇敢な組織について。
「他に知っている人は見なかったか?」
「いないわ……。前回から引き続いて、出てくる人はほぼ顔が見えなかった……」
「どうしてだ? 彼らはチームで動いていたんだろ? 一人の顔も見えないっておかしくないか?」
その辺りが普通の夢っぽく感じてしまうところだ。ぼやけた顔の登場人物は夢にありがちであった。名前すら設定されていない脇役が夢を形作っているのだ。
「最初の夢は部屋が暗くて、大きなモニターの逆光になっていたからね。今日の夢だってカプセルみたいな中だったし、会話だけで顔は見ていないの……」
ややトーンダウンする咲良。自分でも夢との境目が分からなくなっているのかもしれない。何が夢でどれが現実であるのかを思い出せずにいる。
「だけど貴志なら知っているはずよ! 貴志は名前を呼ばれていたんだもの!」
咲良はまたも貴志の名前を出す。もはや夢と現実を結びつけられるのは彼の名前しかないようである。
「いやでも、俺の名を呼んだからって……」
「本当なんだって! 貴志は知っているはず!」
明晰夢について割と動揺していた貴志だが、追加的な情報がないことを知って落ち着きを取り戻していた。もう彼の中では不安を映し出した夢だと定義されつつある。
ところが、貴志は再び鼓動を早めていた。咲良が言い放った最後の問いに心当たりがあったからだ……。
「白衣を着た長い髪の女を知ってるんじゃないの!?――――」
記憶に新しい話だ。それは本日の出来事に他ならなかった。
だが、この世に長い髪の女性は沢山いるだろう。また白衣を着たという条件を付け加えても、あり得なくはない。
「そんな女性は一人じゃないだろう……?」
「腰まで伸びた黒髪のストレート! あそこまで伸ばしている人は少ないはずよ!」
「いやそれでも……」
まるで浮気を問い詰められているような気分だった。彼氏であると公言された貴志であるが、実際のところは手を繋いだことすらないというのに。
痴話喧嘩の様相は加速する。咲良はムッと口を尖らせ、ならばと証拠を突きつけた。
「じゃあイヤリングは!? 星が幾つも煌めく星座のようなイヤリングをしてる女! あたしには珍しいデザインだと思えるけど!?」
追加的な情報は衝撃的だった。貴志は何も意見できない。まさかとは考えていたけれど、本当に彼女のことかもしれないと思えている。
彼氏にもらったという六連星のイヤリング。つい先ほど打ちのめされたばかりの現実が、貴志の今を追い詰めていた。
「お前はそのイヤリングを見たのか……?」
怖々と聞く。割と大きなイヤリングだった。六つの輝きを模したイヤリングは普段使いには派手すぎる。決して白衣に合わせるアクセサリーではなかった。だからこそ、貴志はイヤリングについて聞いたのだ。彼女との会話を弾ませるために……。
「見たわ! あれってパーティー用なんじゃないの!? 平然と仕事に、しかも人類のために頑張ろうって人がするイヤリングじゃないと思う! あの人ってバカなの!?」
ぐうの音も出ない。彼女ならばあり得る。彼氏からもらった嬉しさに負けて、フォーマル用イヤリングを普段使いしていたなんてこと。
周囲の視線を気にしないところも貴志の記憶と重なった。彼女は街中を白衣のまま歩いていたのだ。女性研究者ならば外出時は白衣を脱ぐのが基本であるというのに。
「バカは言い過ぎだ……。あの人は少し残念なところがあるだけだ……」
咲良が話しているのは恐らく彼女だ。夢に出てきたという長い髪の女性。風変わりなその特長は貴志が知る限り、彼女しかいない。
「ほら、知ってるじゃない! どういう関係なの!?」
病み上がりだというのに、グイグイと攻めてくる咲良。浮気を問い質そうと睨むようにしている。
「そんな関係じゃないって! 今日初めて会ったんだから……」
取り繕っている自分に嫌悪感を覚えてしまう。本当に何の関係もなかったし、怒り心頭の咲良とは付き合ってさえいないのだから。
「本当? 何か貴志のこと、特別な関係っぽく話してたよ?」
痴話喧嘩の収束はならない。咲良には疑問が残っている。確かな感情を彼女は夢に見ていたのだ。
「いや、彼氏がいるって言ってたし! マジで勘弁してくれよ? 間違いなく素敵な人だったけど、彼氏がいる人をどうこうできるような精神を俺は宿していない!」
何を口にしても言い訳にしか聞こえない。一体どうして申し開きをしているのかと、貴志は頭を抱えた。
精一杯の釈明に咲良がようやく笑みを見せる。目覚めてから初めての笑顔。困りきった様子の貴志に彼女の苛立ちは解消されたようだ。
「じゃあ、信じてあげるよ。あたしは貴志一筋だから!」
「お、おう……」
サクラを名乗る長い髪の彼女もよく分からなかったけれど、理解に悩むのはこの咲良も同じだ。
もう長い間、記憶について問われていない。失った記憶を取り戻すようにと急かされなかった。貴志の記憶が失われたことについて、彼女は悲しく感じていただろうに。
「俺は偶然や奇跡って非科学的なものは信じないタイプだ。しかし、今回ばかりは気になってしまう……」
苦笑いを浮かべながら、貴志はそんなことを口にする。
全ては本日経験したことだ。偶然やら奇跡やらが存在するという話は……。
「どういうこと?」
奇跡を目撃していない咲良は眉根を寄せている。今までの会話に偶然や奇跡があるとすれば、夢に出てきた長い髪の女のみ。彼女が貴志と知り合いだったことだ。
「本部で腐された俺は公園で悩んでいたんだ。皆にどう説明しようかって……。そうしたら咲良の夢に出てきた彼女が現れて、俺を勇気づけてくれた……」
論理的に説明できない事象である。体験したことは全てが今日あった出来事であり、意識を失っていた咲良が知るはずのないことだ。
「長い髪の彼女は本当に咲良と似ていたんだ。そっくりだったよ。髪の長さが同じであれば見分けがつかないくらい……」
ここで新たな情報が飛び出す。咲良は長い髪の女について、後ろ姿しか見ていない。どんな顔をしていたかなんて知るはずもなかった。
「それで別れ際に聞いたんだよ。お名前を聞いてもいいですかって……」
下心を感じる質問に、咲良は薄いジト目を貴志に向けた。しかし、その視線は長く維持されない。知り得た事実がまさに奇跡を表していたからだ。
「彼女の名は咲良――――」
漢字まで同じだという。平仮名や一文字の桜ではなく、長い髪をした女の名は咲良と書くらしい。
「本当に? あの長い髪の女が、あたしと同じ名前なの?」
頷く貴志に咲良は顔を振る。容姿まで似ていると言うのだから、奇跡と呼ぶに相応しい。加えて見分けがつかないほど似ているとなれば、自分も会ってみたいと考えてしまう。
「性格は少し違うかな。彼女はいわゆる天然系。年上だろうけど、しっかりしている咲良とは違うよ……」
咲良は恋敵と考えていたのに、急に身近な人のように思えていた。年上との話は貴志の主観に違いないけれど、化粧や雰囲気が自分とは違うのだろうと察する。
「咲良ってお姉ちゃんはいないよな?」
「いないって! 一人っ子だし!」
貴志の質問には即座に否定の言葉を返す。
仮に姉がいたとして、同じ名前が付けられるなどあり得ない。天然なのは貴志の方じゃないのかねと、咲良は心の内に呟いていた。
「とにかく彼女のことは気にするな。彼氏という人が羨ましくも感じるけれど、俺とは縁のない人だ……」
本当に引っかかる言い方だ。嘘がつけないのは結構だが、濁しておれば話は終わっていただろうに。咲良は突っ込まずにはいられなかった。
「へぇ……。そんなに長い髪の咲良が良かったんだ……?」
口を尖らせては再び突き刺さるような視線で睨む。自分に似ているとは言っても、それは咲良本人ではない。髪も長くなかったし、やはり気分は悪かった。
「きっと咲良も似合うって! 化粧こそ違うけど、本当によく似てるんだから! 咲良も伸ばしてみろよ!?」
ふーんと咲良。取り繕う貴志の話に思わず髪先へ指を通した。
肩にかかるかかからないか。鬱陶しく感じるから、今までの人生でこれ以上に伸ばした経験はない。けれど、貴志が望むのであればその限りではなかった。見返したい気持ちと、少しばかりの対抗心が咲良に芽生えている。
「それに彼女とは連絡先も交換していないし、残念だけどもう会うことはないよ!」
気になる発言を残していたものの、連絡先を知らないというのは朗報である。咲良は小さく頷いて、この話に終止符を打った。
「じゃあ、許してあげる。天然に見せかけた腹黒い女の可能性もあるんだから、気をつけてよね?」
去り際に豪快な尻餅を見せた女性が天然じゃないとは考えられない。しかしながら、貴志は頭を下げて同意していた。
この世界は嘘にまみれている。正しそうに見えたとして、間違っていたりなんてざらだ。全ての情報は得る側の自己責任であり、拾うも捨てるも本人が判断すべきことである。
長い髪の咲良が悪人かと問われたら、それは違うと思う。けれど、本質を隠している可能性は十分に考えられることだ。たとえ興味を覚えたとしても、一歩引いた対応が適切だろうと貴志は自戒した。
「数日は入院だろう? 咲良はゆっくり静養してくれ。俺は新たなプランを練り直す。今度こそは本部長をギャフンと言わせてやるから……」
「そうしてちょうだい……。あたしだって不満だわ。あのセキュリティシステムを否定するなんて、ブレインを危険に晒すつもりとしか思えないし」
奇妙な夢における不安を既に二人は忘れていた。ちょっとした脱線によって、笑い話となっている。
本質を見抜くと考え改めたばかりの貴志。しかし、彼は見逃してしまう。
知りようのない女性が咲良の夢に現れたこと。加えてその夢がどんな内容であったのかを忘れてしまっている。現実とリンクしていく夢の世界が何を物語っていたのかを二人は気付けなかった……。
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