第二部
それは、人間だった。数人いる。大人も、子供も、男も、女も、様々だった。それらが、全員で、じっとこちらを見ているのだ。あそこから走ってくるには、かなり時間がかかるだろう。その間に、バスに乗って、逃げるのは容易である。その計算もあって、俺は更に彼らを観察してみた。
全員が襤褸をまとって、髪も伸び放題だった。一様に黒い顔をして、つまり汚れ切った体で、しかも、一様に瘦せ切っている。中には、殆ど裸に近い格好の者もいて、上半身裸のその人物からは、浮き出たあばらが、汚れにまみれて白く黒く、まだらに、暗い林の木陰の中で、ぼんやりと光を放っているのが確認できた。
まず間違いなく、感染者ではあるのだろう。しかし、このような人里離れたところに居るという理由が分からない。集団はそこそこ大きくて、この場所で、感染者を増やしたようには見えなかった。元々、居た集団が、ここに迷い込んでしまったものだろうか。
しばらくじっとしていたが、先頭の男が、地面にかがみこんだように見えると、全員が一斉にかがみこんだ。俺は、警戒を高める一方で、さらに画面の解像度を上げた。下草の隙間から、何かが見える。俺の警報は、危険度を示すものよりも、理解不能なものに遭遇した時に鳴り響くものに、切り替わっていた。彼らは、そのまま遠ざかって、姿を消してしまったのだ。
そして、彼らは、四つん這いで、地面を、獣のように這って歩いていた。
人間は腕と比べて、脚の方が長い。そのため、こういった姿勢は、移動がしにくいはずなのだが、器用に脚を折り曲げて、背中を地面と平行に保ち、いや、むしろ若干尻下がりで、こうすることで、首の角度を楽に保って、自然に移動をしていた。
その姿は、以前観た映画の登場人物に似ている。あれは確か、昔書かれたファンタジー小説の映画化で、指輪をめぐる話だった。因みに、映画は倍速で観る。これは潜入捜査で、人並みの世間的知識というものを得るためである。流行り物を知らなくて、話が弾まないというのも、困るだろう?
しかし、実際に、そのような動きをする人間には、お目にかかったことがない。そのことも、俺の理解不能警報をさらに響かせるに至った。彼らはまるで、パルクールの選手のように、その身体を自由自在に扱って、木々の間をすり抜けていったのだ。
俺は自分のメモリーに検索をかけて、トルコのユネルタン症候群の家族の話を見つけた。このような知識は、仕事上必要ないと考えていた。だから、多くの情報を取り込んでいたわけではない。単なる、興味本位の見出しとして、収集していたに過ぎなかった。また後で見返すつもりもなかったから、これはじきに消去されるファイルであった。インターネットに接続できなくなってからこの方、新規情報の入ってくる速度が、ぐっと落ちてしまって、消去の感覚が長くなっていたため、保存されていたに過ぎない。
しかし、そこに添付している写真では、手足は真っすぐで、腰の位置の方が肩よりも高く、背中は頭に向かって下がってゆく。これでは、頭に血が下がってしまうだろう。しかも不自然な首の角度は、長時間維持するのに、かなりの疲労を伴うだろうと推測された。このような姿勢が常に維持出来るとは、思えないが、トルコに居たこの家族はこのような体制で、常時、歩き回っていたという。手足の筋肉は発達していたとあるが、首に関しての記述は無かった。しかしながら、二足歩行は出来なかったようだ。この研究に関しては、疑いを持つ人は多い。でっち上げだとか、単に狂人であるとか、そういった意見である。
この症候群を研究しているユネルタンによれば、その症状は、過去へ回帰する遺伝子が活性化されたのが原因だという。この意見に対しては、賛同する学者のコメントはないし、そういった人がいるという情報も見られなかった。
一方で、オオカミに育てられた少女という言う物語がある。これは、俺の人物に関する記憶の中にあった。
その話は、近さんと俺がまだ警察に居た頃に、話してくれた物語だった。「善意の嘘って言うのがあるんだよ。安藤、わかるか?」
近さんはそう切り出した。俺がまだ、配属されて間もないころで、不安に感じた近さんが、俺を試そうとしたのだ。
「わかりますよ。今日の近さんは、なんだかとても知的ですね」
俺は実例を一発かました。しかし、近さんの反応は、ある意味予想内だったともいえる。
「えっ!そ、そうか。まあ、わかっているなら良いんだよ」
と、照れながら話してくれたのが次の内容だ。
近さんがまだ小さな時分に、話題になった話らしい。話自体はもっと昔の事なのだが、テレビ局にネタがなくて、その古い話を引っ張り出して、番組を作ったとみえる。それでも、近さんとその周囲の友人たちにとっては、十分に刺激的だったようだ。
20世紀の前期のインドで、二人の少女が保護された。二人の少女たちは、アマラ、カマラと名付けられ、孤児院を運営するキリスト教の伝道師によって、育てられ、紹介されたが、その二人は四つん這いで歩き、言葉を話すことが出来ず、生肉を食べ、皿から犬のように牛乳を飲んだという。
伝道師によると、この二人はオオカミに育てられたという事で、それが原因でこうなったのだという。
「当時は本気にしたんだけどね。それが全く嘘なんだよ」
近さんは少し残念そうに言う。
「孤児院の経営のために、お金が必要でさ。宣伝する意味合いだったんだよな。でも、孤児院の経営なんてものはさ、善意だろ?・・大概はさ。これこそ、嘘も方便ってやつさ。キリストさんがそれを言ったかどうかは、別としてな」
近さんもこの仕事上、様々なものを見すぎていた。それでも、そうした行為にまつわる善意というものを信じたいのだ。一貫して、すべてが詐欺で、目当ては己の欲望を満たすためだけという、そうした事例が日常茶飯事の我々にとっては、他人に対する信頼というものを、保持する努力が必要だった。それでも、近さんのように、その努力を、元からの人柄で補って、楽にしているような、そんな刑事は多かったのだ。
失う側に落ちてしまう人もいる。落ちてしまったことを自覚している人も、そうではない人もいた。俺の記憶の中で、ファイルが捲られてゆく。
こうして、過去の記憶を順番にまさぐり続けることを、人間は感傷と呼ぶのだろう。俺は、自分の電子頭脳の働きに応じて、表情を変えるようになっている。その時は、感傷的な表情をしていたに違いない。
「ねえ?」
遠慮がちに、用を足し、戻ってきた男の子が、俺に声をかける。
「なんだ?」
「ナラダッタってなんだろう?」
俺は検索をかけるが出てこなかった。それほど重要ではないか、固有名詞の一つなのかもしれない。人名か、なにか?
「なんだそりゃ?知らないな」
男の子は期待を裏切られて、がっかりした顔だった。
「わかんない。ふと思っただけさ」
言いながらバスに乗り込む男の子を、後ろから乗り込んで、ドアを閉める。
俺は再び運転席に座り込んで、バスを発車した。注意はしているが、無暗に飛ばしたりはしない。そこそこのペースで目的地に向かう。
しばらく走ると、山の上に出る。ここは回りが何もなかった。ここで、ヘリコプターに襲われていたら、ヤバかったなあと思う。頂上付近を少し走って、下りに差し掛かると、再び木々が覆いかぶさってきた。遥か前方に街並みが見える。そこを過ぎれば、目的地だった。
陸地は半島になっており、目的地の側にも海は回りこんでいる。塩の採取が容易だったので、ロケーションとしては抜群と言えた。近くを川が流れており、そこから農業用に水路が引き込んである。だから、水を取り込むことも都合が良かった。
水が有れば、米が作れる。人々がいまさらのように驚嘆したのが、稲という植物の特異性であった。農家を営む人々にとっては、当たり前の事が、多くの人には、初見であり、見よう見まねで畑を作り出した人々が、最初にぶつかる壁が、連作の失敗だった。
多くの植物は、麦などがそうだが、続けて同じ土地では、作れないのだ。一気に土中の栄養素が無くなってしまって、二年目の作物は見るも無残な姿になってしまう。これが麦に限らず、たいていの作物で起こってしまうのだが、主食である米だけは、特別で、これは何年も同じ土地で作っても、この障害が起こらないのだ。
それは水田というものの特異性だった。同じ植物を続けて栽培すると、土中の栄養素は極端に偏ってしまう。この偏りは、水田に流れ込む水が運び込む栄養素によって、解消されてしまうのだ。
これと並んで、その妙に感心したのが、大豆だった。大豆は気候に合っているのか、これもまた比較的容易に栽培が可能だった。しかもこれから作る味噌が大いに役立った。栄養価的にも、米で不足する栄養素を補ってくれたし、野菜や肉などを常温で保存する場合にも役に立った。しかもこれが重要だが、米に合う。敢えて、ペースト状にせず、調味料というよりは、昔の位置づけである食品としての扱いも人気が有った。焼いて、そのまま飯に添えたり、塗って焼いた握り飯は単純にそのうまさから人気が有った。
頻繁に交わされた会話が、こうだ。
「雨にも負けず、ってあるだろう。あれで書き手はさ、一日に味噌と玄米四合と少しの野菜を食べる、なんて書いてあるけどさ、一日に四合はさすがに多いなあって思ってたんだよ。それがさ、四合だったら、足りないんだよなあ。それくらい、味噌で食べる飯はうまいのさ。いくらでも食えるよ」
「肉体労働の後の、味噌と飯。これは最高だね。第一、満腹になっても、胃にもたれないのがいい」
「麦味噌と、キュウリが有れば、他は要らないね。しかも、毎日食べても、飽きないのが良いね」
醸造設備を必要とする醤油と違って、味噌というのは比較的簡単に出来るのも良かった。その容易さから、実際に味噌の歴史は古く、しかも全国各地、何処にでもその生産拠点は有る。醤油がひろがるのは、江戸時代。酒蔵の広がりを待たなければならなかった。栄養学の専門家に言わせると、この大豆から作るみそと、米の組み合わせ、そして野菜というのが、栄養的にはほとんど完全な組み合わせだという事らしい。
歴史というのは、実に示唆に富んでいる。その国の風土や、気候にあった暮らし向きというものは、いつの時代も変わらないのだ。絶対多数に広がってゆく共通の習慣というものは、やはり明確な利点を備えているのだった。
ところで、気になっていたのは、さっき見た感染者だった。いや、陰性者かもしれないが、その可能性は低いだろう。俺は録画してあった、先ほどの画面を再生してみた。目がやはり通常の人間のものではない。彼らは、明らかに、こちらに気が付いていた。だが、そこに感情の起伏は現れていない。
だが、今までとパターンが違う。既存の感染者は痴呆症の体で、そこに知性は感じられない。しかし、今見た人々はなんというか、悟りを開いたような、穏やかな表情だった。もちろん知性的なのだ。しかし、その目から発する知性と、四つん這いで歩くという移動方法が矛盾している。
「ナラダッタってなんだっけ?」
後部で声がした。母親の声だ。男の子が母親に訊いたに違いない。
「お母さんも?」
これは父親だった。いや、この文脈は少しおかしい。
「実は僕も、その言葉が浮かんできたんだよ。何かの映画で見た登場人物なのかと、思って。そういう事ってあるだろう。だから、わからないけれど、無視していたんだよ」
今度は父親だった。
「私も・・・、なんですよ・・・」
これは女性だ。この女性は、人見知りするらしく、ほとんど話をしない。その母親である初老の婦人もそうだった。
「明子も?わたしもそうなんですよ。たしか・・・、漫画の登場人物じゃなかったですかね?」
最後に、初老の婦人が口にした。女性は明子というらしい。色が白くて、少しぽっちゃりしている。母親は背が高い方だが、娘の方は背が低かった。
「皆が皆そろって、同じ言葉を思い浮かべるなんてことあるのですかね?気持ち悪い偶然だなあ」
父親が笑いながら言う。本当に、気持ち悪がっている様には、聞こえない。この偶然を楽しむ気持ちの方が強いのだ。いや、これは偶然ではない。何らかの働きかけによるものだ。
俺は、周囲の見晴らしのいい場所に、バスを止めた。ここなら接近されても、すぐに発見できて、バスを発車できる。もちろん対人レーダーは機能したままだ。
後部席の全員の注意がこちらに向いた。
「その登場人物はどんな人でしたか?」
俺は明子の母親に尋ねた。そこで俺は過ちを犯していることに気が付いた。
「いきなり、すみません。俺は安藤です。あなたは?」
ここまで必死だった。名前を聞いている余裕もなかったのだ。
彼女は微笑みながら、
「安藤さんの事はよく知っています。私は工藤佐紀と言います」
そうなのだ。俺の事を知らない人はいないだろう。誰にとっても、知人のようであるというのは、相手にこの上ない安心感を与える。
「あれは昔読んだ、漫画でした。主人公は・・お釈迦さまで・・。お釈迦様の伝記漫画です。ナラダッタという人は、確か、何かいけないことをして・・・、詳しくは覚えていないのですが、四つん這いで生きるようにされたのだったと思います」
工藤佐紀は、思い出しながら、ゆっくりと語った。
「四つん這いだったのですか?」
俺は嫌な予感がした。感染者が、互いに言葉によらず、意思の疎通をしあっている様だというのは、以前から言われていたことだ。しかし、その能力を、仮に持っていたとして、陰性者に使ったというのは、聞いたことがなかった。
いや、果たして、それを使ったかどうかは分からない。分からないが、俺は偶然を信じない。決めつけはしないが、つまり、偏見を持つことはないが、行動の指針として、無駄のない動きをするために、俺の電子頭脳は仮説を立てることが出来た。
「それが何か?」
父親が心配そうに聞いてくる。そりゃそうだろう。今、バスを止めるというのは、何か重大なことが有ったと考えても不思議はない。誰も、生理的欲求がないとなれば、なおさらだ。
俺は見たままを話した。四つん這いで移動する感染者の群れというのも、衝撃的だが、彼らが、テレパシーを送ってきたらしいという事が、より衝撃的だったようだ。
「でも、・・・」と、今度は若い方の母親が言った。
「テレパシーと言われてみればそうだけど、単に、何かの言葉が浮かんでくるだけで・・。普段と変わりなかったわ」
「そりゃ、恵子。誰も、テレパシーなんてものを経験したことがないんだから、それは分からないよ。本当はテレパシーなんて、今までだって、ふと思いついたことが、誰かの念じたことであったのかもしれないよ」
父親が若い母親に、諭すように言う。言いなれているのだ。そこに遠慮が無いのが、よく見るパターンである。夫は、自分が優位にあると感じていて、役割が成立しているのだ。因みに、若い母親は恵子というらしい。
「夕ご飯はカレーがいいなあって思いながら帰ると、カレーだったみたいな感じかな?」
全員が笑う。子供までがつられて笑った。恵子はどうやら、その表情を見るに、本気だったみたいだ。少し天然の気があるのだろう。俺は、一緒に苦笑しながら、つまり、分析に対する、ありがちな反応を示しながら、本題に戻す。
「その古代インドの人物というのは、ナラダッタという人は、他にどういう事をした人なのですか?その漫画以外で、語られる文献は有りますか?」
この俺の質問に、工藤佐紀は不審そうな顔をした。
「いいえ、ナラダッタは架空の人物です。その漫画家の創作なのです。実在はしていません。だから、この漫画でしか、見たことは有りません」
「と、言う事は・・・。より狭い範囲の、より個人的な記憶から、という事になりますね」
俺は慎重に言葉を継いだ。
「感染者は、運動能力、ヘリコプターを運転したり、銃を扱ったたりというような、身体的な事は引き続いてできるのです。でも、頭脳に関する部分、発症前の個人的記憶などは、失ってしまうのが普通なのです。それが、今回は大きく異なっていて、以前、個人的に読んだ漫画の登場人物の記憶を残し持っている。その記憶に従って行動し、それをテレパシーで、いや、何らかの方法で、皆さんに伝えてきたという事になります」
そして、彼らが通常の感染者たちとどこか違っていて、その行動をすべからくウィルスに支配されていないことに思考をめぐらせた。
「そして、そのことは、ウィルスによる、病状行動に、発症前の記憶が影響しているという事になりますね」
俺は、発言をそこで留めておいた。あのナラダッタの一行は、人里離れた場所に、固まっていたのだ。敢えて、あそこに居たのかどうかは分からない。しかし、そうだとすると、話は変わってくる。感染者は、感染者を増やすために、常に陰性者の傍にいる。それが、彼らの基本的な、いや、言ってみれば、唯一の、生きる目的だった。それを、外した例を、俺は経験したことがない。
四つん這いで移動する彼らが、わざわざ全員で、立ち上がってこちらを観察していたのは、見つかることが目的だったに違いない。自分たちの姿を、遠方から晒しておいて、俺が彼等を見たと確認すると、目的を果たしたとばかりに、去っていった。そしてテレパシー。何かを伝えたかったのか。
「このナラダッタという人物の、生き方はどうでしたか?」
「・・人里離れて、自然の中で、動物のように暮らしていたと思います」
工藤佐紀は思い出そうとしている。全員が、理由もわからないまでも、この不思議な出来事に思いをはせていた。俺は待った。
「そう、たしか・・生き物を不当に殺したので、罰をうけたのです。だから、その後は生き物を殺さない生活をしていました」
「聖人の苦行僧のような生活ぶりといったところですか?」
「そうですね・・・」
「他人とかかわらないようにして、生きているのか・・集団でいるのは少なくとも、同じ思いのものなのか・・」
ウィルスにも多様性はあるだろう。実際に後期型と前期型は、別のもののようだ。だから、人間にだって、生涯を独身で通して、子孫を残さずに、過ごす人たちがいるように、そんな奴らが居たって不思議はないのかもしれない。しかし、ウィルスはより単純だった。従って、本能によって、より強烈に、その行動を支配されている。そこに複雑な選択肢はないと言っていい。多様性と言ったところで、生物の根源的欲求は共通のものだからだ。程度はあるとしても、だ。
単純な構成。単純な習性。
小さな多様性は有っても、大きな差異はないはずだった。いや、物理的に生じにくいのだ。複雑な組織では、それだけ変化の度合いも複雑化する。だから、そのような単純なものにおいて、存在の目的を外れてしまうような大きな変化は、その種そのものを、自滅に誘うほどの変化をもたらすに違いなかった。
自滅を望む集団なのか?自らの身体に、ウィルスを閉じ込めたまま、宿主の身体が滅んでしまえば、そこで連鎖は終わる。
「そのような存在が居たという事を、砦の人たちが知っておく必要はありますね。だからと言って、対処方法は変わりません。近づかない事。正体がわかったわけではないですからね」
全員に、異議はなさそうだった。出来る事なら、感染者とは関わりたくないのだ。
後部では砦の様子を色々と話し始めた。彼らの関心は、その一点にあるようだ。彼らはナラダッタ達、こう言って良いかはわからないが、を見てはいない。
俺はあらゆる可能性を検討してみた。ウィルス側の変異ではなく、人間側の対応かも知れなかった。少なくとも、ナラダッタという人物と、生き方の提示は、人間側に元々あったものだからだ。
ウィルスに全てが乗っ取られてしまったかのようだが、ヒトからの反撃の形なのかもしれない。ありていに言うなら、抵抗力のようなものだ。
人類にとっての、ある意味で、希望なのかもしれなかった。ウィルスの拡散に対する本能を、抑え込む何かがあるのかもしれなかった。
急に引き返したヘリコプターも、思い返された。感染者にとっても、ナラダッタとの接触が、危険だったのではあるまいか?
俺は決めた。彼ら、ナラダッタの集団に関わってみよう。何かが分かるかもしれない。
俺たちは、その後、何事に出会う事もなく、山を下り、廃墟の小さな街並みを過ぎ、郊外の元刑務所である、いわゆる俺たちが砦と呼ぶコミュニティへと入っていった。
新しい家族たちは、温かい歓迎を受けた。女性たちにとっては、風呂に入れるのが、この上なくうれしかったと見えて、すぐにそちらの方へ連れ立って向かった。
風呂は川から引き込んだ水を使い、廃物を燃やす火で沸かしてある。通常は順番が決められており、隔日で交代に入ることになっていたが、特別に先にどうぞという事になった。これは新しい人がやってくるときの伝統のようなものだ。外からやってくる人たちは、何日も体を洗えていないことが多かったので、これはお互いにとっても、良いことだった。
男性二人は、嫌がる男の子を、父親が引っ張っていって風呂へと向かった。どうやら、男の子は、風呂よりも先に、久しぶりに会うことになる、同世代の男の子たちと、先ず、第一に遊びたかったようだ。
ちなみに俺には、臭覚というものは無い。だが、空気の成分分析は出来る。それによって、ガス漏れや、ガソリンの充満した、いわゆる危険な環境に対しては、自動的に警報が鳴る。
しかし、ヒトの発する体臭などというものは、自分から分析にかけないと、気が付かないのだ。仮に気が付いたとしても、それが臭く感じるようにはできていない。ただ、臭いと感じるだろうという分析の元では、表情がそれに伴って変化する様にはできている。それすらも、コントロール可能なのだから、臭いからと言って、臭い体臭の元である個人に、引け目を感じさせることはあり得ない。
と、言っても、俺の空気分析は、警察犬をしのぐほどだったから、捜査の役に立つのだ。警察犬と違うのは、空気の分析情報を可視化できることだった。その情報を大勢で共有して、より精密に捜索を行うことが出来る。いわば、数人が空気情報の示された端末をもって捜索するのだから、それだけの数の警察犬がいるに等しい。
もちろん敢えて端末を持たずに捜索に参加する捜査員もいる。これは、情報による集団の行動バイアスを無くすためだった。
とは言っても、殆どが俺の情報によって捜索物の発見に至るのだから、この行動バイアス理論も怪しいものだ。まあ、俺の能力が優れているがゆえに、
却って過信を制する意見が有ったのも確かだ。
それでも俺は自分の課だけではなく、あちこちに引っ張り出された。人間には休日があるが、俺にはメンテナンス日がたまにやってくるだけで、基本的に休みの日というものが無いから、差支えはない。それどころか、二十四時間体制で、いつでも出動できたから、相当貢献したというわけだ。
だから、俺の実績はめざましかったし、その事が、この砦の中でも、俺に対する一種の尊重として、人々に根付いている。その俺が、ナラダッタについて皆の前で語った時も、その意見はすんなりと受け入れられたのだった。
このような重大事項は、必ず全員が集まったうえで行われる。ここの刑務所としての収容人数は、元々二千人ほどだった。今はその半分の千人ほどが、砦として使っている。千人が一度に集まるというのは、なかなか大変な事だった。館内の放送施設は、使えなくなっていた。だから、集合の必要がある時には、口頭にて伝えられる。連絡網は既に作ってあった。
電気自体は、元から設置されていた太陽光パネルを何とか修理して使えるようにはなっている。しかしこれは一旦蓄電池に蓄えられて、医務室にだけ送られるようになっていた。もちろん医務室と言ったところで、以前のような医療機器があるわけではない。そのほとんどが、照明と、消毒用に湯を沸かすという事に使われる。流石に、ここでは、廃物を燃やして湯を沸かすわけにはいかなかったからだ。
医療機器は、その大部分が、使えなくなっていた。人工呼吸器などの生命維持装置はもちろんの事、人工透析装置など、命に直結するものは、モニターとコンソールが駄目になっていた。装置自体は修理して稼働させることが出来たが、多くはコンソールからの指令がないと駆動すらしなかった。初期の機器、つまり60年代にはこれらのものは無かったのだから、理屈としてはモニターがなくとも、どうにかなりそうなものだったが、実際にはどうにもならなかった。背に腹は代えられない、という事で、自ら実験台になった患者もいたらしいが、上手くいかなかったらしい。
医療技術自体が、コンピュータ頼みになっていて、そうした機器を、マニュアルで扱うことが出来なくなっていたのだった。
透析患者は30万人を超えていたが、その全てが、選択を迫られた。この時点で、最初に病院が襲われた時に、終末治療の患者たちが、ウィルス感染によって、かえって健康を取り戻した、この言い方は不自然だが、という事は皆の知るところとなっていた。
つまり、透析の必要のある患者たちは、ウィルス感染によって、その必要がなくなるかもしれないという事である。実際に既存の感染者の中にはそうした人もいたのが、この判断に背中を押す要因となった。
多くの透析患者が、自らウィルスに感染することを望んだ。
このような悲しい別れは、各地で見られた。このことが、陰性者をして、感染者の世話をする事に、より献身的にさせていた、第一の理由である。
ともあれ、口頭にて連絡し合い、集まった千人の集団を前にして、俺は話をした。当初静かに聞いていた集団は、話が終わると同時に、口々に語り出して収拾がつかなくなった。俺とリーダーは、それをしばらくほおっておいて、頃合いを見て、静かにするように依頼した。
その上で、リーダーが話をする。俺はリーダーの発する声を拾って、全員が聞こえるように音を大きくしてやった。普段は大声で話をしないと、いくら音響に優れた講堂であっても、なかなか聞こえにくいものなのだ。
「そうだね・・・。先ず知らなくてはならないね・・」
それもあってか、あえて静かに語ったリーダーは、隠してはいたが、それでも珍しく興奮していた。彼の気持ちは分からなくはない。これが希望に繋がるとして、そうではなかった時の落胆を皆に味あわせたくはないのだ。
「俺が彼らに会ってきますよ。そして、出来るだけ情報を収集してきます。ナラダッタ達が、もし仮に、我々の考えている通りの存在だったなら、おそらく感染者たちはそれを阻止しようとするでしょう。それはこの上なく危険なはずです。今までは生かしておくのが、常套手段だったが、こんどは違うでしょう。だから俺が行くのが一番いいと思います」
俺は当初から考えていた計画を口にした。一抹の懸念がないわけではないが、これが最上の計画だと思われた。他にどうしようもない。このことは、全員が一致と見えて、微かなざわめきと、安堵の息が同時に聴衆から聞こえた。
「私もいっしょに行こう」
と、そのさざ波に一石を投じたのはリーダーだった。俺はこのことを怖れていたのだ。聴衆はまた騒ぎ出した。
俺一人が行くことの問題は、ナラダッタ達がテレパシーを送ってきたことなのだ。俺はそれを感知できなかった。一抹の懸念とはこのことであり、それに気が付いている人物が同行を望むであろうという事は、予想された範囲で、リーダーがその候補に名乗りを上げるというのは、最もありがちな予測だったのだ。
「あんたが居なくちゃこの砦はダメだよ!」
と言って、立ち上がったのは、いつもリーダーの補佐をしている人物だった。この意見には、俺も全面的に賛成である。つまり、これが俺の怖れていたことだ。この砦にこの人物は必要だ。彼のカリスマは千人という大所帯をまとめてゆく力が有った。
カリスマとは、良い得て妙な言葉だ。しかしそうとしか言いようがない。能力とはまた違う。人間の持つ意志の強さというか、思いが人に通じて、それが人を動かす力になるのだった。それは一種得がたい魅力であった。
「だから、あんたはここに居て、俺が代わりに行くよ」
と、補佐は言い切った。彼もまた元囚人の一人だった。二人は協力してやってきた。リーダーのカリスマは、補佐にも強力に作用していた。補佐はあくまでも補佐として、出しゃばらず、陰になって尽力してきたのだ。
だから、彼はリーダーのやり方を心得ているはずだ。しかし、それで万事うまくいくのかという事に関しては、俺にしても疑問が残る。だから、この意見は、魅力的だった。リーダーはリーダーとして、あくまでもここに残り、補佐が出てくれるのが一番いい。
「駄目だ」
にっこり笑って、リーダーは言った。これはわがままを許して欲しいという笑みだ。言葉とは裏腹だが、効果は絶大だった。
「それに、俺が、帰ってこないような言い方は、しないでくれよ。無事に帰ってくるように、祈っていてくれ」
この言葉は、あやではない。言葉通りだった。二人は、以前ここにあった教会で、洗礼を受けていた。キリスト者なのだ。
俺には宗教は良く分からない。それはビタミンのようなものだと、そう考えている。ビタミンはそれ自体を摂取したところで、より元気になるようなものではない。ただ、不足すると不調になる。つまり、好調にするものではなくて、平常を保つものなのだ。
宗教が不足すると、不調になると言っているわけではない。それは、平常を保つのに役立つと、そう言いたいわけだ。
人間が、元気になるのは、睡眠や、休養、気分転換や、人間関係、自己に対する認識などが、大きな要因なのだ。宗教で元気になるわけではないが、不調になるのを防いでくれるというのは、大きい。不調でなければ、睡眠や、休養、気分転換や、人間関係、自己認識もよりうまくいきやすい。
まあ、宗教自体は、心の持ちようだから、気分転換に近いだろう。気分転換との差は、刺激の差だ。宗教の方が、効き目が穏やかである。
「私のバイクを使ってください」
と、言って立ちあがったのは、例のバイクサークルの小柄な女性だった。
彼女のバイクは、モトクロスタイプで、林道など、森の中を走るのにうってつけだった。
「良いのか?」
と、口々に言ったのは、同じサークルのメンバー達だった。俺たちは、バイクもろとも帰って来られなくなるかもしれないのだ。そうなると、再びバイクを手に入れるのは、無理だろう。この気持ちは良く分かった、しかしとても有り難い提案だった。
「だって、帰ってくるんでしょ?」
と、再び小柄な女性が口にした。サークルのメンバーたちは、何かを口でもぐもぐ言っている。それを一気に打ち消すように、
「使ってください」
と、女性は小柄な体に似合わない、良く通る声で言い切った。
それは宣言である。
「二台いるじゃん。私のも使ってよ」
小柄な女性の隣に座っていた、細身の女性が手を挙げ、座ったままで、発言した。この女性は、小柄な女性のパートナーである。二人は恋人同士で、同じようにバイクに乗って、共に道なき道を進むのが、趣味だった。
「そう言ってくれると思ってた」
と、小柄な女性は満面の笑みで、恋人を見つめた。
「必ず、帰ってきますよ」
俺は、約束した。
出発に当たって、特に変わったことはない。
「安藤は、心配してないけど、リーダーはどうなの?」
細身の女性が、心配そうに言う。バイクに乗れるのか?という事だ。
リーダーは照れ笑いしながら、黙ってバイクにまたがると、スロットルを開けて、その場で豪快なアクセルターンを決めた。全員が、あぜんとして、互いに顔を見やった。
「これくらいで、どうかな?」
と、リーダーは照れ笑いのままだ。
細身の女性は、大きく目を見開いたまま、笑顔で親指を立てる。全員が、どっと笑った。口々に、称賛の言葉を、リーダーに投げかける。
リーダーは分かっているのだ。狭い林道で、前方から敵に阻まれた時に、このようなアクセルターンが出来ないと、話にならない。この手のバイクが、比較的軽量に作られているとはいえ、200キロ近い重量のものを、このように軽々と扱うには、相当な技術が必要だった。
高速で不整路を走ったり、コーナーをハイスピードで駆け抜けるのとは、また違う技量なのだ。こういう事は、何度か練習を重ねていないと、出来るものではない。こうした特殊な事情を鑑みたうえでの、判断だったのだと、俺は今更ながらに、このリーダーの持つカリスマ性が、何処から来ているのか、理解できた。
補佐は、あれからも何度となく諦めずに交代を申し出ていたが、この瞬間に悟ったようだった。
「参ったなあ、最初からこのつもりだったんですね。理由を言ってくれないんだから。でも、バイクの申し出があるだろうということも、わかってたんでしょ?」
この言葉に対して、リーダーはいつもの照れ笑いで返す。
「まあね」
そうなのだ。林の中での捜索、それを思えば、自動車は大きすぎる。この砦には、偶々バイクがあるのだから、それを使わない手はない。また、人間が同行する必要があり、それには自分がうってつけだと、そこまで考えていたに違いなかった。
「申し出がなかったら、どうしてました?」俺は尋ねた。
「そんなことはないさ」
リーダーはバイクの持ち主の二人に目配せをする。
「さあ、そんなことより、早く走り出したくてうずうずしてるんだから、出発しよう」
リーダーはそう言うと、いたわる様に、軽くスロットルを数回開いて、優しくクラッチを繋ぎ、発進する。このような操作は、ここだけのものかもしれないが、これは大事なバイクを提供してくれた女性たちに対する礼儀だ。俺もそれに倣う。
ともあれ、こうして、俺とリーダーはともに出発した。砦は郊外にある。海沿いの、防風林を兼ねた森を抜け、見渡す限りの豊かな農地を通り、市街地に入る。
市街地に入ると、いたるところに感染者が確認された。路上で、座り込んで呆けているものが殆どである。この場所は食糧の供給所に近いのだ。
食料の供給所は、市街地を少し外れたところにある農協の倉庫を利用していた。ここは農地と市街地を結ぶ場所に有って、どちらからも都合の良い場所だった。倉庫自体が、元々、農産物を一時貯め置くのに使われていたから、風通しが良く、食料が傷みにくかった。
その近くにいる連中は、殆どが旧型の感染者である。症状としては、痴呆状態がずっと続き、他者への感染は、ある特定の時期にならないと、その行動を起こさない。
二台のバイクのうち、感染者にとって魅力があるのは、一台だけ。リーダーの方だが、奴らは見向きもしない。どうやら、今はその時期ではないらしい。だが、油断は大敵だった。
姿は見せないが、市街地の住居の中には、新型が多数いるはずだった。この新型は通常の人間と見分けがつかない。旧型ならば、特定期以外は呆けているし、特定期は攻撃的になるので、これはもう一目瞭然だ。外に出て、道路に座っている連中は、こちらから近付かない限り、安全と言えた。
しかし、新型は違う、特定期のない連中は、普通にたたずんでいるように見えて、その実、作戦を練っている。集団で、狩りをし、組織的に追い込んで、目的を達成しようとするのだ。
だから、建物の中から、こちらをじっとうかがっているに違いなかった。
俺たちの目的も、あの得体のしれない能力で、気が付いていると見た方が、良いだろう。それは、実際に俺の目の前で、多数の人間に思念を送ってきたという、あのナラダッタの事例が決定づけていた。
もう、これは噂ではなく、そのように思われるといった事でもなく、事実だ。奴らは、思念を送ることもできるし、それを読み取る事だって出来るのだ。
このような能力は、従来の人間社会では、存在すること自体があり得ない。言外の、いわゆる思惑というものは、互いに知らないほうが良いと言ったことの方が多い。それを皆が皆、知ってしまったら、社会は成り立たないだろう。
それは、俺の造りとして、嘘をつく能力を授けられたことが、何よりも証明している。
そのような現実に対して、事実、それをして、奴らの中で、その存在を可能ならしめているのは、奴らが、単純に増殖するということ以外は、無欲であるからなのだろう。
このことは、俺にとって、ある種の昆虫を思わせるものだった。集団で行動する彼らは、あくまでも集団の一員として行動して、死んでゆく。生き物ではあるが、ある種機械のようでもある。そこに個々の意志などは無い。したがって悪意と呼ばれるものも、当然、ない。
あるのは強烈な本能だけだった。
その奴らは、窓の中から、俺たちを監視している。俺はバイクを走らせながら、窓のうちに潜んでいる奴らの体温を検知していた。その数は異常なほど多かった。やはり、こちらの目的を察知して、集まってきたものに違いない。
俺はアクセルを開けて、リーダーの前に出る。どこに罠があるかわからない。それを感知しながら、先導をするためだ。リーダーは、そのことを察知して少し車間を取る。俺が急に道を変えたとしても、追従できるようにするのだ。
そして、その時期はいきなり訪れた。前方にピアノ線が張ってあったのだ。通常の人間ならば、気が付かないだろう。俺の特殊な感知装置があって、はじめて発見できるような仕掛けだった。
俺は、横道に入っていく。リーダーもそれに続いた。
細い横道である。すぐそばに、旧型が段ボールにくるまって潜んでいるのが見える。しかし、特定期に入り、狂暴化して、唸り声をあげている者はいなかった。皆、大人しく、段ボールの中にいる。
その中で、驚いたのか、段ボールから飛び出して来た者が居る。飛び掛かってくるわけではない。小さい体を、丸めるようにして、路地に座り込んだ。見ると子供である。陰性者のように見えるが、そうではない。それに関しては、俺にだって、検知できる機能は搭載されていない。いや、元々、科学的な区別は、ウィルス検査をするまで、わからないのだ。
しかし、あれは、新型の定型だった。陰性者の子供を装い、助けを乞うような仕草をして、近くまで陰性者を引き寄せてきておいて、手を差し伸べると、噛みつくのだ。
何人、それで犠牲になったかわからない。リーダーもそのことは当然わかっている。だが知識としては有っても、見るのは初めてだった。子供の方に意識を取られている。本当に感染者かどうか、確認しているのだ。だから、バイクで引っ掛けたりしないように、少し離れて、速度を落としながら、走り抜ける。
やりきれなさが、その表情に浮かんでいる。
あの子供だって、単に病気というだけで、誰かの子供なのだ。治ってしまえば、元の可愛い、罪のない子供の一人なのである。
そうした人々を、奴ら、という蔑称で呼ぶのは、当初は反対もあった。あくまでも、感染者は感染者と呼ぶべきだと、そういう意見は一時期主流を占めたのだ。しかし、これは我々にとっての符丁であり、この呼び名は色々と、都合が良かったので、定着したのだった。
前方にまたピアノ線が確認できた。俺たちは、再度、横道に入る。
このような連係プレーは、以前だったら、理解できなかったことだ。おそらく街に入ってゆくときに、バイクに乗る二人を確認して、それを誰かが、思念を飛ばし、街の中心地に居る誰かに伝えたのだろう。今ならば、そのからくりははっきりとわかる。町全体が、同じ意思で、動いているのだ。
奴らは、こちらの考えていることもわかるらしい。だから、読み取れない俺の正体は、バレていると見て良かった。だから、このピアノ線は茶番である。どこかに誘導する罠なのだ。今は、しかし、それに付き合うしかないだろう。
以前、訪れたことのある街なら、その時に読みこんだ地図が、俺のメモリーには保存されている。よほどのことがない限り、それが消去されることはない。だから、このような状況下でも、どこに居るのかはわかるのだ。しかし、この街のように、訪れたのが、インターネットが壊滅した後となっては、俺が実際にそこを移動した分しか、地図はない。そして、もうすでに俺の知らない区画に侵入していたので、俺たちは何処に向かわされているのか、分からなくなっていた。もちろん、ナラダッタの森へは、一度行っているので、どこからでも目指すことが出来る。
GPSの衛星は生きていた。ただ、地上にそれを生かせる装置が、俺以外になかったのだ。地図とのリンクは出来ないが、自分の位置は分かる。
だから、その辺りは心配がない。加えて、拠点からの移動距離、方位、などはメモリーされているのだ。だから、現在位置と、拠点の位置を割り出して、そこから、ナラダッタの森への位置を割り出すことはできる。
どこへ向かわされているのか?それが分かれば、俺たちを待ち受けている罠もわかりそうだが、これはもう成り行きに任せるしかなかった。
前方に、両側に住居の立ち並ぶ、比較的細い道が見えてきた。その刹那、俺の警報は、いち早く、そこに到達する前に鳴り響く。
俺は、ブレーキをかけた。後ろにいたリーダーも、同時に車両を急減速し、俺の横に並ぶ。急に止めたので、ギヤが高い位置で入ったままだ。それを空ぶかししながら、低い位置に戻してゆく。
「どうした?」
全ての窓際にびっしりと張り付いた人体反応、そして、金属反応。銃だ。
この路地に追い込んで、両端の住居から、挟み撃ちで、一斉に射撃して、俺たちを止めるつもりなのだ。そして、その数たるや、俺たちを、いやリーダーを殺すことも、やぶさかではない様だ。
そして、俺たちのやろうとしていることが、かなり嫌がられていると見えた。これはある意味、不幸中の幸い。良い傾向だった。奴らの嫌がることは、やらなければならない。
「この先は危険です」
俺の言葉を、疑う人間はいない。リーダーも獄中生活が長く、世間から遠ざかっていた時期もあったが、例外ではない。
「引き返しましょう。別のルートを取ります」
俺は、バイクをターンさせた。リーダーも続いて、ターンさせる。先程披露した技術を、もう、こんなところで、活用する羽目になるとは、少し早い。
俺たちが、バイクをターンさせたとたんに、後方の住宅地から、次々と奴らが出てきた。バックミラーに猟銃を構える奴らの姿がちらりと見えて、銃声に、銃弾の通過音が、それに続いた。俺はアクセルをめいっぱい開く。
リーダーは防弾仕様の、硬貨を縫い付けたジャケットに、同様のズボンをはいていた。バイクも少なからず、可能な限り、装甲が施されている。しかし、弾に当たらないに越したことはない。タイヤなど、撃ち抜かれた時には、どうしようもないからだ。
俺はとにかく、目についた最初の路地に回り込んだ。やや、オーバースピードで突っ込んだので、車体が外側に強烈に引っ張られたが、内側の足でバランスを取りながら、コーナーを抜けてゆく。コーナーの旋回中に、路面が荒れていて、タイヤが跳ね、さらに車体がふらついたが、どうという事はない。この技術を与えてくれたのは、ある有名な、バイクのスタントマンだった。彼は、別名空中を、バイクで駆け抜ける男なのだ。そしてこの、内側の足を使って曲がってゆくコーナリングの形は、彼の代名詞ともいえる技だった。
バックミラーを覗くと、リーダーが見事なハングオンで、コーナーを立ち上がってくるのが見えた。全身が、しなやかで力みのない、流れるようなフォームである。アクセルターンにしろ、ハングオンにしろ、普通の公道ライダーが、いくら経験が豊富だと言っても、漫然と走っていて、おいそれと身に着けることの出来るテクニックではない。目的意識をもって、敢えて、練習しなければ、モノにできない技術だ。
俺がミラーを見ているのに気が付いて、リーダーはシールドの奥で、ニヤリと笑っている。多分いつもの照れ笑いなのだろうが、今回は、それにいつものとは、少し違った感情が混じりこんでいた。
彼は、この状況においても、バイクを操ることが、楽しくて仕方がないのだ。
俺は、安心した。能力をセーブする必要性を、感じなくて済むからだ。リーダーには、俺と同等のスキルがある様に思われた。
ちなみに、俺が思うとか、思われた、とか言う場合は、厳密に言うと、分析した、とか、計算した、とかそういう言い方の方が正しい。しかし、人間社会で、より自然に、溶け込んでいくために、その言葉使いは、修正されている。分析した、とか、計算した、とか言う言葉は、人間が、そのものとして使用する場合に応じて、自然に使われるのみだ。
ともあれ、俺はバイクのスピードを上げた。移動速度を上げることが、奴らをかく乱するのに、少しは役に立つかもしれない。
しかし、俺の聴覚は、二人のエンジン音のほかに、違うエンジン音を捉えていた。周波数をより分けて、分析にかける。どうやら、奴らも、バイクを持っているらしい。それも、五台ほどあり、音の変化から計算すると、並々ならぬ速度で、こちらに向かっているのが、確認できた。
まだ、リーダーの耳には聞こえていないかも知れないが、あの速度からすると、聞こえてくるのは時間の問題だろう。
「奴らもバイクで近づいてきますね」俺はヘルメットの中で、そう呟いた。
「うわ、これは凄いな」と、リーダーが驚いて、大声で返す。
リーダーには、普段は俺の耳たぶとして引っ付いている、分離式のイヤホンを渡してある。彼はそれを耳に押し込んでいるのだ。ぱっと見には、外れた耳たぶの一部でしかないのだが、丸めて、耳に押し込むと、固定することが出来る。それを、通信装置として使うのだ。リーダーはそれを渡され、説明されたものの、半信半疑だったと見える。
それにしても、全くもって、俺の電磁波対策には、頭が下がる思いだ。隅々まで、完全に施されていたのだから。
電磁波対策は、電磁気爆弾の使用が現実のものになる以前に、大規模太陽フレアの危機が叫ばれて、多少進んだ時期もあった。だいたい百年周期で起こる、この太陽活動は、太陽の表面で起きる、大規模な爆発によって引き起こされる。その時に太陽風として、様々な粒子が地球に降り注ぐのだ。それは、電子機器の無かった時代には、問題にはならなかった。
しかし、電子機器がありとあらゆるところに入り込むようになると、その影響は懸念され、対策が施されたのだ。しかし、実際の損害として、その対策コストに見合わないほどの、例えば、雑音であるとか、軽度の通信障害などが殆どであったため、民間のレベルでは、みるみる下火になってしまったのだった。
その油断にも拘らず、組織によっては、完全に対策を続けた部門もある。人工衛星のいくつかは、それが施されていて、生きて動いている。場所によっては、俺だって直接アクセスは出来るが、データ自体使えるものは、あまりなかった。人工衛星が、単独で出来ることと言ったら、位置情報や、気象に関する事、それくらいだったし、元々それは地上とのリンクと、最終の受け手と、衛星の三つ巴で効果を発揮するものだったから、地上基地が駄目とあっては、あまり恩恵は無かったのだった。その事は、衛星を耐電磁波で補強した部門も想定外だっただろう。
ともあれ、そうした対策は、中途半端なものが多かった。部分としては、良くても、全体が攻撃に合うと、どうしようもなかったのだ。
そういう意味では、俺の完全さは、称賛に値する。だから、こんな耳たぶまで、今でも十分に使用可能なのだ。
「バイクがまだあったのか?」と、リーダーが叫んだ。
「奴らは、自分たちで計画を把握していましたから、確保していたのでしょう。古いのを部分的に修理したのは、見たことがないですから。おそらく、新しいやつを電磁波の来ない場所に確保してあったのでしょう。ところで、叫ばなくても大丈夫ですよ」
「そ、そうか」とまた叫んで、「本当かな」と小声でつぶやく。
「本当です」と、俺。
その時、バックミラーに光が反射した。バイクのヘッドライトだ。その色から見ると、LEDライトのようだ。間違いなく新型のバイクだった。おそらくあちらのバイクの方が、早いだろう。俺たちのバイクは古いと言っても、2ストロークエンジンで、パワーは最新のタイプよりもあるはずだったが、いかんせん補強部材が重すぎる。それに加えて、俺の重量というのも、いくら軽量化されているとは言っても、人間並みとはいかない。
「お前の中には、鮫島が居るんだってな」と、その時リーダーが言った。
鮫島というのは、バイクで、空中を駆け抜ける男の事だった。
「ご存じですか?」俺は聞き返す。
「まあな。ライバルともいえないが、俺はライバル視していたよ。あいつはどう思っていたのかわからないが、少なくとも俺にとってはそうだった。まあ、悔しいかな、俺に出来て、あいつに出来ない事は無かったけれどね」
「これでいろいろなことが、すっきりしましたよ」
バックミラーに移る影が大きくなってくる。爆音が響く。リッターバイクのフルカウル。レーサーレプリカだが、殆どレーシングマシンのようなバイクである。速いわけだ。
その時、リーダーが加速して、俺を追い抜いた。どうやら、ついて来いという事らしい。行く先には、小さな山があり、頂上には神社があるようだ。そこへ上がっていく石段が見えてきた。
鳥居の向こうに、長い、急な石段がある。リーダーは鳥居を駆け抜けると、石段をバイクで上がり始めた。俺も、後に続く。
レーサータイプのバイクは、数台がブレーキをかけ、入り口で留まり、数台が俺たちに続いてバイクで駆け上がろうと試みたが、すべて転倒していた。接地を失ったタイヤが空回りして、エンジンが悲鳴のように響き渡った。
俺たちは、神社の境内にたどり着いて、その様子を上から見下ろしていた。転倒した奴らは手足がおかしな方向に曲がっている者もいたが、無言で立ち上がると、こちらを見上げた。だが、流石に追いかけてはこない。新型は、賢いのだ。もう、追いつけないと、わかっている。因みに、旧型なら、無駄に追いかけてきただろう。
神社のある山の頂上からは、街の全景が見渡せた。ちょうど、盆地のようになっているのだ。そして、山の尾根沿いの先に、目指すナラダッタの森のある山が見えた。
「尾根沿いに行きましょう」と、俺はリーダーに声をかける。
そのまま二台は、再び出発した。木々の中に入っていく。
道は獣道と言ってもいいくらいのものだ。下生えの隙間に、わずかに地面がのぞいているに過ぎない。それすら、存在しないようなところもある。木々の間を縫って、通常の人なら、とても通れないようなところを、二台は、通っていく。俺は、先行して、地面の具合をトレースしながら、不意な窪みや、谷に落ち込まないようにする。下生えの草や、倒木の下に隠れている地面を感知するのだ。
「俺はな、安藤。スタントマンでな。鮫島と同じに、バイク乗りだったんだよ」リーダーが問わず語りに切り出した。
「こんな風に、二人して走ったことは無かったが、そうするのが夢と言えば、夢だったよ。もう叶わないと、諦めていたけど。ありがとうな・・」
彼は、薬物依存と傷害で、服役していたのだった。仕事中の怪我がもとで、痛み止めに頼らざるを得なくなって、そこから薬物中毒となり、それを注意した映像関係者に暴行を働いて、走れなくなったスタントが居るという事は、鮫島から聞いていた。それがリーダーだったのは、今まで知らなかった。
「あいつはバカでさ。俺は一緒に走りたかったのに」
俺はその話を聞いたときの音声を再現した。
「・・・」
リーダーは黙っていた。荒い息と、鼻をすすりあげる音だけが、俺の耳に響いていた。
鮫島が言った“あいつ”だって、誰の事だか、言ってみればわからないわけで、リーダーの境遇に近い別の誰かが存在したのかもしれない。しかし、それを敢えて尋ねようとはしなかった。
だから、彼が同じ思いであったことに対して、感傷的になったのではないのかもしれない。ただ単純に、過去の声を聞いて、失った時間を悔やんでいたと、そういう事なのかもしれなかった。
ずるずる滑る、苔むした山道を、俺たちは黙々と、進んでいった。
俺たちは、あの子供が用を足すために、バスを停めた道路の近くにいた。バイクを少し奥に停めて、徒歩でぎりぎり道の端まで出てきたが、まだ森の中に姿を潜めている。路上には、誰もいなかった。
もし、奴らが、本当に、俺たちがナラダッタ達と会う事を阻止したいのだったら、この場所は重要拠点として、考えられていてもおかしくなかった。
「だから、罠を張っていると考えた方が良いよな」
俺の見解に、リーダーも賛同した。だから、二人して、警戒しながら、周囲を観察した。しかし、誰もいない。俺のセンサーにも、生き物は小動物以外引っ掛からなかった。
「誰もいませんね」
俺はセンサーを総動員した後で、そう言った。
「目指す相手もいないという事ならば、奴らは彼等に張り付いているのかもしれないな」
そう言ったリーダーが、そばに停めたバイクに戻ろうとした時だった。急に、動きを止めて、その場で立ちどまった。続いて、辺りを見回し、誰かを探している。俺が近づいて正面に行くと、指を立てて、待ってくれという合図をする。何かに集中したいので、そっとしておいてくれという意味合いだ。
俺は待った。リーダーの顔色が驚きから、いつもの表情に戻るまで、僅か数秒の事だ。人間なら、長い時間に感じられるとか、いうやつだが、俺には数秒は数秒で、変わりはない。
「これが、テレパシーというやつか?」と、言ってから「気持ちが悪いものだな」と続ける。
「関わるな、だってさ」もう、すっかり、普段の表情に戻っている。感情の少ない、それでいて、変に安心感のある話しぶりだった。言葉少なだが、持たせる意味合いは深い。すべてわかっているという口調である。その納得ぶりが、妙に思えて、俺は尋ねる。
「他には何といってきたのですか?」
「夢というのは、長く感じるが、実は短時間の出来事だというやつ。そういうのあるだろ」リーダーはそう切り出した。
「はい」
この言い回しは、実は古い言い方だ。あまり最近は聞かれない言い方でもある。本当は、夢というのは、そう短時間ではないという説も出てきたからだ。しかし、長らく世間から切り離されていたリーダーが、何かを説明するのにこうしたいい方になってしまうのは無理もないと、思われる。まあ、言いたいことは分かる。
「言葉にすれば、相当長くなってしまう情報が、短時間で、塊として一気に流れ込んでくるんだよ。だから・・・どこから話したものか・・」
こうした反応も無理もなく思われた。話を聞いたなら、その順番で話せばいいのだ。しかし、記憶として、放り込まれた塊を解くのは、苦心するものだ。彼は、少し頭を整理する時間を取り、話し出した。
ナラダッタ達は、とある宗教団体の信者たちだったという。元々、行き過ぎた集団社会や、文明に嫌気がさして、実際に、やや原始的で、孤立した生活を営んでいた。それがさらに、のちに宗教と結びついた形となり、その時点で、胡散臭がられて、社会一般からは、好意的には見られていなかった。
孤立をしていた彼らが、何処から、どのようにして感染したのかは、わからない。気が付くと、全員が感染しており、そのことに不思議な自覚が有って、いきなりテレパシーが使えるようになっていた。
そうしたウィルスに関する噂は、その団体内でも交わされていた。外部からの情報が全く遮断されていたわけではないのだ。その上で、危険は及びにくいという自覚が有って、油断していた矢先の事だった。
最初はその事実に愕然として、感染の経路を調べたが分からなかった。が、最初期型の様に、動物由来だったのかもしれない。ただ、その症状は無口になることと、感染したという自覚が確かにある程度で、感染前と区別はつかなかったという。さらに、無口になるのは、単にテレパシーが使えるという事が大きい。
だが、それよりも驚いたのは、噂とは違う症状の現れ方だった。それぞれが、それぞれに、発症しているという自覚が有ったが、それはテレパシーが使える事だったり、怪我や、病気の直りが早くなったり、見栄えが若返ったりすることからであって、噂と違って、自分が自分でなくなってしまうといった事が、無かったからであった。それでないと、感染してから、感染経路などに、興味はわかないであろう。
その上で、心に平穏が訪れたことが、一番の収穫だったという。ここに来る人は、過去に逃げ切れない事柄や、複雑な思いが有って、やむなくそこに逃げ込んだ。或いは、通常の社会生活では、やっていけない不器用な人たちが、非難してきて、コミュニティが出来ていたのだ。
行き過ぎた文明を、階層意識に囚われがちな中での社会的葛藤を、必要以上に大き過ぎる社会にどうしても存在する軋轢を、出来るだけ遮断して、
小さなコミュニティで平等社会を築いていく。その事で、平穏を望んだのであったが、コミュニティが小さくなったところで、大きな社会で起きた問題というものは、無くなってしまうわけではない。
結局どこに行っても、平穏なぞは望むことが出来ないのだと、それぞれがある種、同意の元に、諦観していた。そんな状況だったのだ。
だから、様々な欲望を、人間から奪い取ってしまうこのウィルスは、この最新型に及んで、救いの主となった。ただ、最も予想外だったのは、これを拡散したいという、根源的な欲求もない。自分たちが、他者と違っているという事は、わかっていた。
異形でいるのは、ある理由からやり出して、皆がそれに倣う事になったからだ。ナラダッタというのも、モデルになった漫画の登場人物の名をそのまま誰かが使いだして、さらに、その記憶を共有し、納得して使っているのだった。それは、ある種の苦行ではあるが、同時に、他者の排除を、形で示している。同種のものだけで、孤立した集団を維持することを願っているということ。多様性のある他者たちとは、かかわりを持ちたくないということ。
だから、それだけは唯一の欲求と言えるのかもしれない。結果として、感染者は不思議と、我々、ナラダッタの集団に近づかなかったし、陰性者は我々の姿を見れば、この異形が功を奏して、狙い通り、決して近づいたりはしないのだ。
だから、我々をそっとしておいてほしい。
リーダーは沈思黙考の後、話をまとめると、一気にこのように語った。
「でも何だか腑に落ちないですね」
俺は、納得いかなかった。
「それなら、最初から、姿すら見せなければよかったのに、わざわざ姿を見せて、テレパシーまで送ってきた」
「向こうから、興味を引いておいて、実際に近づいてくると、はねのけるのは何だか、おかしいよな」
リーダーの言うとおりだった。
「集団とはいえ、個人の集まりに過ぎませんから、意思の統一がとれていないのかもしれません」
俺は、ここで見た画面を再生してみた。
「ここに現れたのは、数人に過ぎませんでした・・・」
「どうする?」
リーダーが、既に、決まった返事を聞くだけのために、尋ねるのではなく、合の手を入れる。
「行きましょう。前へ」
「当然だな」
ニヤリと笑う。俺の好きな笑顔だ。犯罪の香りのない笑顔。
俺たちは再びバイクにまたがって、道を超え、ナラダッタ達を見かけた場所まで、やって来た。地面や、そこいらの空気は冷え切っていて、残存する体温の名残はもうすでにない。しかし、不自然に折れた草や、地面に着いた手形、足形、それよりなにより、臭い、を追う事は出来る。
「バイクはここに置いていきましょう」
ナラダッタ達は徒歩なのだから、それほど遠くには移動していないだろう。と、思われた。行動範囲もそれほど広くはないはずだ。四つん這いでは、人間は、苦痛を伴った動きしか出来ないからだ。そのこと自体が、苦行となると、このオリジナルの漫画を見ていた人が、そう感じていたと、話しているのを、俺は聞いていた。
俺が見た範囲では、しかし、彼らにとって、その動きは、意外に、慣れている様だった。だが、実際、人間の構造上、無理があるのも確かだ。
リーダーは少し残念そうに、バイクを降りて、シートを撫でまわしていたが、思い立って、木陰にバイクを移動した。俺もそれに倣う。
「ちゃんと返さなければな」
リーダーが残念そうに言う。バイクに乗れないのが、寂しいのだ。
「そうですね」
俺は、意味深な笑いで返して、折れた草をたどってゆく。思った通り、垢にまみれた彼らの体臭が、残っていた。集団で移動したのだから、無理もない。臭気分析を可視化すると、色付けされた臭気に沿って、植物の損壊が、点在している。矛盾はない。以前のようにこの情報をリーダーと共有できないのが、残念だが、
「間違いないですね。こっちに向かっています」
と、リーダーを先導する。彼は素直に頷いた。
二人は、森の奥に入っていった。