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仏ウィルス  作者: 竹下博志
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第一部

上空からのしかかってくる奴らを、俺はなんとか躱すことが出来ますようにと、祈り続けた。のしかかってくるというのは字義通りじゃない。もちろん双方向間には距離があって、物理的にはそうなってはいないのだが、その見えない圧力ときたら、そんな言い方がふさわしいと、そういう事だ。

俺は今、海岸沿いの断崖絶壁に沿った、狭く曲がりくねった山道を、何もかもがスレスレの中、全速で走っている。いや、今ミラーが大きな音を立てた。後ろで、枝がバサバサ揺れているところを見ると、スレスレですらないようだ。

ともかく、俺が、いや俺たちが乗っているのはおんぼろで、たとえ新品だったとしても、そんな走り方をするようには造られていない、つまりはこのような事には全く向いていない古ぼけた小型バスだった。

おまけに言えば、乗っているものもあまりいいものではなかったが、この環境もなかなかのものだ。断崖絶壁と言ったが、道自体が九十九折ながら、しかも同時にアップダウンの連続でもあり、下がり切ったところなどは、それこそ飛沫がかかるくらいに、海が近い。一つ間違えば、あの波の下に一直線というか、その前に岩礁に当たって砕け散ってしまいそうなのだが、かといって速度を落とすことはできない相談だった。しかも、道が平らならまだいいが、贔屓目に見てもかなり路面は有れており、俺の身体は跳ね続けている。

ただ、そんな中で、景色だけは幸いにしていい。水平線が見渡す限りで、天気も良く、惚れ惚れするような海と空の色だった。それだけが救いといえたが、これは逆に言うと海側から見れば、我々は一目瞭然だということだった。追手はその海側からヘリコプターで追いかけてくるのだ。奴らには、この上ない、とてもいい天気だろう。

だから我々としては、見つからないうちに、出来るだけ早くこの海岸道路を出て、木々に覆われた山を抜けてゆく道に入りたかった。しかし、あまり急ぐとそれもできないままに自滅してしまうだろう。この無謀な運転はある意味運任せで、俺たちを乗せたバスの、かろうじて溝の残る、ゴムのタイヤの信頼性が、ほとんどないのは明白だったが、俺たちはそこに賭けるしかなかった。

わずかに接地している数平方センチのゴムとアスファルトの摩擦が、その耐えられる数値を超えれば、それで最後だ。実際のところ、何度かヒヤリとさせられた。今も尻の下がむずむずとしている。いつ車体が滑り始めても不思議ではない。さっきなどは逆ハンドルを切らされたばかりだ。だが、この走りを余儀なくされている状況下では、それに賭けるしかないだろう。

いや、それは違う、運任せで走っているのは、俺の自由だ。単にそのほうが、危険が少ないであろうという俺の選択に過ぎない。別に速度を下げたっていいのだ。しかし出来うることならば、奴らに見つかりたくはなかった。

こんなおんぼろじゃ、奴らの速度や持っている武器に対しては太刀打ちできないし、いや、言ってくれるな、これは全くもって俺のミスだ。どうしたって、おんぼろのこいつしか調達出来なかった、その上で、計画に乗り出した俺の全面的失策だ。それははっきりと認めよう。しかし、計画にトラブルは付き物だし、その場で最善の選択というものもある。まあ、それを言ったところで慰みにはならないが。 

ともかく、今の俺に出来ることといったら、この無謀運転を、減速したい気持ちを、そのための次々と浮かんでくる言い訳を打ち消しながら、何とか我慢して続けることと、やつらに見つからないように、祈る事しかなかった。すなわちそれは、自分との戦いでもあるのだ。

俺の事を知っている奴らからすると、俺に祈りなんて似合わないなんて言うに決まっている。それはつまり、俺の出自を知っている人間という事になる。

俺は通常、祈りとは無縁だ。そんなことに意味がないという事を知っているからだ。だから、今までは祈ったりしている連中を見かけると、それは無駄に過ぎないという事を、あくまでも心の中でだが、指摘し続けてきた。だから、そんな俺の今の姿を見ると、奴ら、きっと留飲を下げて、大笑いするに違いない。仕方ない、笑いたい奴には笑わせておくしかないじゃないか。

「ちっ」

舌打ちをして、ちらりと後席を見やると、乗客たちはガタガタ震えて、その表情は恐怖だけを表している。大丈夫だと、笑いかけたが、俺の魂胆は通じなくて、その表情に変化はない。そりゃそうだろう。俺だって、出来るものならばガタガタ震えたい気分だ。実際にそうなるかどうかは別にして、こんな時はそうなるのがふさわしいというものだろう。  

その後ろにいる乗客たちだが、総勢で家族が二組だ。一つは両親と、小さな子供が二人。男の子の、十歳くらいだろうか、お兄ちゃんとその二つ下ほどの妹。もう一つは、年老いた母親と、その娘。娘と言っても、最初の家族の母親よりは歳を食っているだろう。つまり合計で、六人を乗せて、このおんぼろで何とか追手から逃げようというわけだ。

 この家族の存在は、以前から噂になっていた。東の山を越えた谷に、まだ数人がいるようだという。俺たちの砦の中だと、安全だし良く運営されているらしいという噂が広がって、そこへ向かう連中がどうやら途中で出会ったらしい。向こうだって、こっちだって、お互いに警戒しているから、つまり奴らは見分けることが困難なので、うかつに見知らぬ人には近づけないわけで、だから、直接出合ったわけではない。だが、奴らではないようだという、そういった噂だった。それは煮炊きをした後を見た人たちからも同意を得たが、その場でそのことを確かめてみるという、そんな勇気は皆ないわけで、それは当然のことだとされた。

そこで、俺の出番だというわけだ。俺は、以前は刑事だった。もっと詳しく言うと、刑事として働くように造られたアンドロイドだ。俺なら比較的安全だというわけで、その家族の存在を確かめて、もし彼らが噂通りの普通の人間であったのならば、それを砦まで連れてくるという仕事に、いわば自分から志願したし、皆も納得して送り出してくれたという訳だった。       

俺みたいなのが、たくさんいれば、事はもっと簡単だったろうが、そういう訳には行かなかった。俺は殆ど試作機段階の製品のようなものだ。先例にはアシモや、バルキリーなどがいるが、それよりはずっとはるかに人間に近いし、そのものだともいえる。自分で言うのもなんだが、とにかく高度な技術の結晶だった。しかも俺に関する技術は公開されておらず、一部の人間の独占状態だった。だから、俺のような存在は、残念ながら世界中に数体しか存在しない。

というわけで、俺は単独でその仕事にとりかかった。そして、彼らを確認してここへ連れてくる途中で、奴らに見つかったというわけだ。俺が最初に乗っていたトラックは彼らに破壊されたが、その先で、たまたまこいつを見つけて、まだ動くと思しきこのおんぼろに乗り換えて、この状況に至っているというわけだ。言っておくが、最初のトラックだって、少しマシと言える程度で、そう変わりがあるわけじゃあない。

しかし、トラックなら、実際が、荷台を転げまわる羽目になったわけで、椅子があるだけ、バスの方が、後ろの家族にとっては、良かったと言うべきだろう。

俺の想定で一番外したのが、奴らがヘリコプターを持っていて、しかもそれをいとも簡単に操縦できるという事だった。まさかあんなものが、動ける状態で、今も残っているなんて、考えられなかった。しかも、そこから攻撃出来るほどの武器を持っているというのは、もっと想定外だったというわけだ。

もっとも、彼らとしても、目的を達成するためには、俺たちをむざむざ殺してしまったりはしない。それはわかるが、空を飛んでいる奴らが狙いもろくに定まらない状況で、猛スピードで走っている車を撃ってくるという状況は、あまりいい気分のものではない。

ところで、俺の創造主は変人で、現実の人が世間に織りなす行為に絶望した人嫌いだった。だから人間とは、かくあるべしという理想を、俺にぎっしりと詰め込んだのだ。いわば精一杯の皮肉を俺に込めた。つまり、アンドロイドですらこのくらい人道的なのに、お前らは何なのだ?というおかしな言い方をしたかったわけだ。だから、俺は、いや俺の頭脳は、世間に対しての揶揄を込めた作品として作られた。思考がひねくれているのはそのせいだ。

もちろんそれは個人の解釈の範囲だから、推して知るべしだ。そこに偏りがないとは言い難い。俺だって、自分が完全な人道主義者だなんて、そんな評価は出来ない。俺の頭脳は、とても高度なのだ。自分を客観視することだって、出来てしまうのだから。

従って、俺はとても狭い範囲で、個人の意見として、そうあるべきだと位置づけられた存在でしかない。だからとても中途半端な存在なのだ。まあ、そのことは仕方がない。だって現実の認識なんてすべからくそのようなものだろう。物事の価値において、絶対的に正しい事なんてありゃしないのだ。

あるのは、視点の据え方と、それに関する解釈だけなのだから。人の数だけ正義はある。それでは収めようがないだろう。だから俺が、そのための法治という、それに仕える存在だったことは一種の皮肉でもある。

つまり、俺の制御機能として法は絶対だったが、行動の評価基準としてのある種の指針は製作者によるもので、そこは個人の判断に依っていたので、矛盾事項におけるエラーは時々発生することとなった。悩めるアンドロイドというわけだ。どちらか一つなら、俺はもっと素直な存在だったはずだ。

 ともかく、そんな感じで、俺はこの世に生まれ出た。しかし、人類に貢献する刑事という種類の存在が務めるべき警察という組織が、あの事件以来無くなってしまい、まあいわゆる自由な存在となった今も、こうして人助けをするのが、俺の存在理由とも言うべきものだった。

まあ、砕けた言い方をすれば、趣味と言ってもいい。いや、趣味は違うだろうと、誰かは言うかもしれない。しかし、突き詰めれば、それは根っこの部分では、同じなのだ。あとは程度と結果の差でしかない。

それに、俺なら奴らに出会っても、感染するという事はない。破壊されはするかもしれないが、少なくともそれがないだけで随分とマシな方だ。その上、俺の頑丈さときたら、相当なものだった。何せ、俺は人間たちの盾代わりを務めることが出来るように造られていたからだ。

 俺の事はそれくらいで良いだろう。問題は奴らだ。

 

 普段と変わらない日常に、変化というものは突然に表れる。

 その普段の日常では、俺は私だった。

私が最初にこのことを知ったのは、インターネットからだった。私の頭脳は、あの当時、インターネットに常に接続していた。もちろん情報は膨大に有るので、その全てをいちいち検証、分析したり、分類して記録してみたりはしない。刑事という職業柄、必要な事は系統立てて整理される。法律関係は特に、更新され続ける。

だから、新型の伝染病が中央アフリカで確認されたという情報が入ってきたときも、その時は、特別な処理はされなかった。ただ、その他の膨大な記録と共に、私専用のオンラインストレージに期間条件付きで保存されたに過ぎない。その後何もなければ、アクセスされず、一定機関が来ると、自動的に消去されてしまうものだ。

私は自分が、伝染病などというものに罹らないから、意識も低い。人間社会を大きく変えてしまうような伝染病が、仮にあったとしても、今までのケースで言えば、それすらも刑事というこの仕事上では、それほどの影響はないので、そうしたことも含めて、この情報の優先順位はかなり低かったのだ。だから、その埋もれていた情報に再びアクセスすることになったのは、人間である私の同僚の言葉によるものだった。

「お前は、ウィルスとか関係ないから良いよなあ」

と、彼は言った。大きな体で、少し猫背にした背中から、人懐こい顔がぶら下がっているように見える。笑顔というものでもないが、見る人を安心させる表情は常に変わらない。 

彼は近藤という、私とペアを組む刑事だった。近藤との付き合いは長い。もう四年ほどになるだろうか。私が実戦に配備されたのが六年前、最初の二年は試験的に、様々な部署で、様々な人とペアを組んだ。これが相性を決めるテストであったのは、私も知っている。私の方に異存はないが、組む相手が私という特殊な状況に耐えられるかが問題だった。で、落ち着いた先が、今いる刑事部、捜査一課というわけだ。

この部署は、いわゆる凶悪犯罪を取り扱う。それ以外には、知能犯を扱う二課があり、窃盗犯を扱う三課があり、組織犯罪を扱う四課がある。

近藤はその一課の中でも、ベテランで、かなり年配の方だったが、その鷹揚な性格、物事の変化をものともしない適応力、むしろ多様性を楽しむと言った、そうした余裕のある性格が、私のような特別な刑事と組んで仕事をするという事に関して、最も適任であるように思えた。事実彼はこの状況を十分に楽しんでいた。

周囲も同意見だったであろう。私と組ませるなら、近さん、これは近藤の呼び名ではあるが、近さん以外にはあり得ない、という事だった。

「人間にはやはり、気になりますかね?」

私はそう言いながら、もう一度、このウィルス関連のニュースを、時系列ごとに並び変えて、整理してみた。このウィルスに感染すると、一気に痴呆状態になるという事だけが、わかっていた。過去に観察されている、どのウィルスとも似ていない。ただ、中央アフリカのある村に発生した、痴呆症の広がりが、疫学的に見て、伝染病によく似ているというところから、調査が進んで、患者の体内から共通する、ある種の新型ウィルス的なものが発見され、どうやらこいつが関係しているらしいと、そこまで分かっているに過ぎなかった。

これから先は、科学的検討のされていない、半ばフェイクニュースに近いものも含めてではあるが、痴呆症の広がりは、中央アフリカのウガンダにあるルウェンゾリ山地を水源とする河川に沿っている、というものがあって、私は一応このニュースをフォルダーに入れておいた。

この山の天辺には、赤道直下にもかかわらず、氷河が存在する。この氷河は、この100年ほどで随分と小さくなったという事らしい。温暖化の影響らしいが、この病気とは関係がないだろう。何でもかんでも温暖化の影響というのも、考え物だ。そのことを指摘するニュースを、私はゴミ箱に入れる。

また、ニュースの中には、痴呆症が広がる前に、このあたりの空を一面に流星群が観察されたというものもあり、これも関係性を主張している。やはり、ごみ箱行きである。

あれが、いつ、どこから現れたのか、様々に議論されたが、そしてそれらしい仮説はたくさん出たが、結局のところ分からずじまいだった。どこかの国が、創りだしたものが漏れ出したとか、宇宙からやってきたとか、古代の地層から、或いは海底の奥深くから現れたとか、何かが進化して生まれたとか、まあそんなところが百出したわけだ。ありきたりだし、誰しもが思いつくようなことを何となく、それぞれの好みで主張していたに過ぎない。分かっているのは、それがある種のウィルスらしきもので、彼らは単純に、自らが増える事だけが目的だという事だった。まあ、そうだろうな。

「ほっておいても、俺なんかは、そのうち痴呆症になってしまうと思うが」そう言いながら、近さんは笑った。

「そうは言っても、急に自分自身が自分でなくなってしまう。周りの他人も認識できない。そんな状態に、ある日突然なってしまうなんて、やはり怖いよ」

近さんは机の上に置いてあるコーヒーのタンブラーをつかむと、ごくごくと喉を鳴らして飲んだ。あれはホットコーヒーなのだが、そしていつもホットコーヒーしか飲まないのだが、喉の乾いた人がスポーツドリンクを飲むように、熱さをものともせずに、一気に飲み干すのだった。右手にはタンブラーがあり、その反対側の手には大きな菓子パンが握られている。机の上にもまだいくつか載っている。これはいつもの朝の日課なのだった。この儀式を、もう数十年も続けていて、どれだけ太ろうが、その日課を改めようとはしない。私の頭の中でカロリーのカウンターが音を立て、高血糖のリスクを列挙する。と、同時に喉頭がんのリスクの数字をはじき出す。だが、それを意見しようとは思わない。私はそのように作られているのだ。

「近さん!安藤!」

自分の机に座って、電話を切るなり、そう叫んだのは、班長の富士子だった。私たちは一課の中でも特殊班と呼ばれるチームに居る。このチームは主に誘拐犯対応や、人質の救出にあたる。犯人を刺激しないように、武器を携行せずに、彼らに接触し、必要に応じて、犯人を素手で取り押さえ、人質の保護をするという任務が主だった。全員が、武術の達人で、近さんは空手では何度も日本一になっているし、班長の富士子も近さんと同じくらいの巨体で、やはり柔道の日本代表選手だった。それどころか、彼女はオリンピックの金メダリストなのだ。

因みに私の名前は、安藤と言う。下の名前は、路異土だ。何と言っていいものかわからないが、これ以上の名前は付けられないだろう。

名付け親は、私の創造主なのだが、何度も言うように、彼は自他ともに認める変人だった。名前を付けて欲しいと周囲から懇願されて、ひらめきでつけた名前がこれだそうだ。しかし、本人は大まじめで、周囲の困惑は他所に、自分では満足している様だった。 

しかも近藤という紛らわしい相棒まで居る。そして、富士子の苗字は武藤だった。これ以上ないくらいに、完璧だ。まあ、富士子が藤子でなかったのは幸いだが、そして、言うまでもなく、私に関しては、武道は何でもござれだった。

富士子は、はち切れそうなスーツに身を包んでいる。

「買う時に、つい見栄を張っちゃうのよね」

といつも言い訳をする。もちろん指摘など、誰もしないのだ。そんなことのできる人間は、誰一人いない。つまり、誰も言わないのに、独り言で、言い訳めいて、口にするのであって、それすら、誰もが聞いていないふりをするのに、

「だから、小さなサイズを頼んじゃうのよ。で、試着室でも、これで大丈夫ですと、言っちゃうわけ。今は一番太っているから、きついけど、そのうち必ず痩せるから、大丈夫って意味なのよ」と、言う事らしい。

で、どこもかしこもパンパンになっていて、おそらくはまた太ったのだろう。私の計算では、一週間で二キロというところだが、全体を考えると、これは微増に過ぎない。当然ながら、これも口に出したりはしない。それに、彼女くらいの代謝量ならば、軽く練習をすれば、すぐに元に戻るくらいの量だ。その彼女、体は大きいが、動きは素早い。贅肉がその動きの邪魔をしない限り誰も何も言わないだろう。

彼女は、椅子から勢いよく立ち上がると、机の前に回ってこちらに近づいてきた。実に軽々しい動きである。こうした時に、見た目から期待される息の乱れなどは、全くない。

「立てこもり事件よ。単独犯。猟銃で武装。人質は八名」

声は、私の分析上でも、良い声だった。つまり、人にいい印象を与える音質を持っている、という意味だ。この声に何人が騙されたことかわからない。声は人間の想像に、ある種のバイアスをかけるのだ。

そして、それだけ言うと、前に立って歩きだした。私と近さんはあとに続く。特殊班は三人だ。それ以上増えないのは、この三人がエレベーターに乗ると、それだけで積載オーバーぎりぎりになるからだという、まことしやかな噂が有った。  

私たち三人は、署の地下にある駐車場から、車に乗り込んで現場に向かった。運転するのは、当然のことながら私である。富士子は後席に座り、各方面に指示を出している。住所を聞いた私の頭には、ナビゲーションが働いて、周辺の様子もまた、ストリートビューで把握していた。現場はコンビニで、人質は従業員二名と、居合わせた客六名という事らしい。

コンビニの裏側に、既に確認していた通り、狭い路地があって、建物のそちら側には、小さな曇りガラスの高所窓があるだけなので、犯人から見られる恐れはない。私はその路地に車を停めた。路地の出入り口は、他課の、応援の連中が、先に封鎖を行ってくれている。中をスキャンして、その反応から人間の居る場所を割り出すと、私の頭の中に取り寄せた図面に、その分布を付け加えて、各捜査員のスマートフォンに、そのデータを送った。

「全員がひとまとめになっているな。これは冷蔵庫の前だな」

近さんが、画面を開きながら、確認したことを口にする。

「少し離れたところにいるのが犯人かな?」

これは富士子である。

「そうですね。間違いないと思います。やはり猟銃ですね」

私は、壁透しスキャンの後に行っていた、金属探知モードを通常モードに切り替えながら言った。

同時に応援部隊の車が、追加で到着する。車の中から数名が飛び出してきた。その間、私の目は小さな高所窓の寸法を測っている。

「何とかなりそうか?」近さんが私の横に立ち、同じ窓を見ながら言う。富士子は新着の応援部隊に説明をしているところだ。

「行けそうですね」と、近さんに返事をする。そして富士子にも同じことを伝えた。それを聞いて富士子は、チーム全員へ指示を出す。各人に素早く配置と、役目を言い渡した。これは彼女の得意技だ。判断が速い。そして的確だった。しかも矢継ぎ早な指示が、声の良さと相まって、もちろん彼女の性格にもよるのだろうが、指示を受ける人間を力付けるような、そんな指示の出し方をするのだった。

因みに声の良さというのは、想像以上に他人を引き付けるものだ。かのクレオパトラしかり、世界への影響力の大きさは、これは鼻ではなく、声によるところが大きいと俺は分析している。

で、私には人の表情を読み取るためのデータが入っている。それを駆使するまでもなく、彼女がチーム全体に活気を付けて、士気を上げるのが分かるのだ。彼女が比較的若くして、前例無く、この職務についている所以だった。  

富士子の元上司が、訓練中に、富士子のこうした能力の高さに気付き、猛烈に推したことも幸いした。元上司は、その界隈で力のある人だったし、実際に富士子の能力と、実績がそれを裏切らなかったことも大きい。つまりこのチームは私のような、特殊能力を持つものが配属されてしかるべき、最強のチームだった。

私は窓の下に立った。赤外線でもう一度スキャン。近くに人はいない。ここは店の裏に当たる。倉庫かもしれない。冷蔵庫のコンプレッサーが発する熱が感知された。体の各関節部分を外し、少しずつ延長していく。身長が少し伸びて、手も長くなる。高所窓へのリーチも短くなり、作業がやりやすくなった。

私は指先をガラスに押し付けた。指の平が吸盤となり、ガラスに吸い付く。そして、反対側の手の指先でガラスを切り始めた。私の爪には、ガラス切りが仕込んであるのだ。やがて、切り終わったガラスを静かに外すと、高所窓の縁に手をかけて、身体を引き上げる。しなやかだが、強靭な皮膚は、これしきの事で、切れたりしない。私は窓に合わせて、身体をねじ込んだ、頭と肩が閊えるが、頭蓋骨の形をずらして、頭を中に入れ、肩も外して、そのまま中に侵入した。普通の人間だと、外した関節から先は、使い物にならないが、私の場合は違う、変形した後でも、先端まで、動力を伝えることが出来るようにできていた。

「かなりおぞましいな。見慣れている俺からしても」

とは、近さんの言いだ。

従って、私のこの能力や、そうなったときの姿の事を知る人間は内部の者に限られた。この姿は、私という存在の宣伝上、悪影響が大きいそうだ。  

私はある意味では、各方面の広告塔なのだ。今日のこの現場にしたって封鎖されての事で、この場所自体は近隣の建物からも死角になっていた。

「中に入りました」

私は表向き、声に出さずに、電話に音声信号だけを流して、会話をすることが出来る。もちろん頭の中でそれをするので、動作の妨げもなく、外からその事に感づかれることはない。私にとっては、空気を振動するものだけが音ではない。電気の流れも音なのだ。聞く方もそうだが、発するほうもそうなのである。

そう。私はこういった潜入にはうってつけだった。

「中は静かです。音声、画像、送ります」

そう言って、私は耳から聞いた音声を、外にいる捜査員たちに送り始めた。捜査員は、全員が音声を双方向にやり取りできる装置を、耳に仕込んでいる。

「安藤、そのまま進んで」

富士子から指示が来る。音声はオープン状態で、指示は全員が聞いている。チャンネルは多数あり、現場の音を聞いた状態で、指示を受けることが出来た。必要時には、クローズにして、限定された要員間で、会話することも出来るようになっている。

一方で、目から取り入れた画像は、富士子の居る、司令部の機材車と、各部署の班長に送られる。司令部には、大きなモニターがあり、細部に至るまで判別できるようになっている。暗闇では、明るさも調整されるものだ。各班長には、スマートグラスが装備されている。こちらは、画面が小さいが、細かい指示を出すうえでは役立つものである。

因みに、こうした記録はすべて保存される。こうした資料は、研修に使われ、各個人、チームのスキルを伸ばす教材として利用されていた。富士子の携わった事件は、人気があって、それは彼女の能力の高さを示していた。こういった、あまりにシビアな状況だと、反面教師的なものは敬遠されるのだ。

私は、ゆっくりと近づいて行った。状況が優位に観察できるところまで進むのが、最初の任務である。そして、ちょうど壁一枚隔てたところまで、たどり着いた。

「壁透しに切り替えます」

私の目は、再度TTWSと呼ばれる、壁の透過センサーに切り替わり、薄い壁を隔てて発信された電磁波が、向こうにいる人間のほんのわずかな動き、呼吸など、に反応する。画面上では、先ず、赤い塊として映し出され、個別認知が済むと、画面上、各々に番号が振られる。少し離れたところに居て、最初に番号の振られた一番が犯人。手と思しき所に抱えた猟銃の金属反応が黒く浮かんでいる。このセンサー由来の電磁波が、金属を通過しないためだ。番号は全部で九まである。八人の人質。前もって、入手した情報通りだ。この情報は、運良く事件の直前で、店から逃げ出ることが出来た人物より得たものだった。こうしたものは、往々にして、間違えていることも多いが、今回は珍しく正確だった。

私は更に多くの情報を取り込む。人質は全員が、正常な呼吸と、比較的静かな心拍数を保っていた。けが人などはいないようだ。

声もしない。ただ、冷蔵庫の機械のうなりだけが、暗闇に響いていた。隣の部屋にいる人々は、犯人も含め、ただただじっとしている。犯人からの要求はまだない。ただ、罪を犯すために、罪を犯す人もいる。自殺の道連れで、こういったことをする人もいる。

目的は定かではない。要求はまだ出ていない。犯人は沈黙していた。

私はさらに奥にゆっくりと進んだ。防犯カメラが映し出す映像がそこには映っている。その回線にアクセスして、その画像を司令部に流す。犯人は猟銃を手に提げ、一人だけ立っている。人質は、一塊になり、全員が床に座り込んでいた。幸いにも、その画像の一つに、犯人と人質を映し出すものが有ったが、少し遠くて判別がしにくかった。案の定司令部からは「遠いな」という声が聞こえる。  

私たちが知りたいのは、犯人の表情なのだ。交渉は、その表情を見ながら、行われる。これが可能となって、犯人の説得率は、大幅に改善されるようになった。表情を読み取って、そこから適切な文言を導き出してくれるAIすら開発されていた。捜査官は、画面に映し出される文字を読むだけで良い。だが、富士子は、他の一部の捜査官同様、それを使わない。

「演技は、からきしなのよね」と、彼女は言う。

自分の言葉でないと、説得力に欠けるというのが彼女達の信条だ。だが、そうした場合、責任は自分で被らねばならない。だから、画面に出てくる文字を横目で見ながら、自分の言葉に置き換えて語りかけるという、中道を行く者もいる。

しかし、その人工知能によってはじき出される言葉は、実際に出てくる富士子の言葉と、殆どたがわない場合が多い。それもそのはず、こうした人工知能の開発は、富士子のような優秀な交渉人から、実例のサンプルを抽出して、為されたものなのである。

私は、もう一度周囲を観察した。私の身体の横に、飲料販売用の冷蔵庫がある。これは中から飲料を補給しつつ、陳列ケースも兼ねているというものだ。そのガラス越しになら、犯人の表情をカメラでとらえることが出来るだろう。

私は図面上、ウォークインケースと呼ばれている、その陳列ケースの扉を開けた。ここから、中に入っていって、売り場からは見えずに、裏から商品を補充することが出来るようになっているのだ。但し、見えないと言っても。全くというわけではない。ペットボトルの隙間から、反対側の様子は伺えるようになっている。

体ごと中に入るわけにはいかない。で、私は指先に仕込んであるカメラを伸ばした。体を扉の横に付けて、カメラだけを冷蔵室に入れていく。可動式のファイバースコープになった私の指先は、陳列棚の後ろからペットボトルの隙間を縫って、ガラスの扉のところまで進んでいった。

内部の様子がはっきりと見える。犯人の表情もはっきりと確認できた。

私は、富士子が息をのむ音を聞いた。

続いて、「そんな・・・」という呻き声。

犯人は、口を半開きにし、焦点の定まらない目をして、空間をぼんやりと眺めていた。そして、その目に、知性は、感じられなかった。

これが、私が、初めてこのウィルスに侵された患者に接した日となった。

私は、指示を受け、そのまま内部に踏み込んだ。横目で、人質を見たが、彼らは、私に注意を向ける様子は無かった。いやな予感がしたが、その確認はあとだ。犯人も、私にまるで気が付かないかのように、そのままぼんやりと立っていた。私はゆっくりと近づいて、彼から猟銃を奪い、手錠をかけた。犯人の抵抗はない。なすがままだった。

 私が犯人を確保すると、外から応援チームが入ってきた。人質の救出にあたる彼らも、一様に、驚いたようだった。聞こえてくるのは捜査員の言葉のみ、一方通行の言葉は行き場を失って、宙に浮き、今までにないような現場の雰囲気の元、人質の確保は行われた。

彼らも全員が、犯人と同様に、重度の痴呆症の症状を表していた。

人質の八人は全て若い世代である。最初から、痴呆であったとは、考えられない。ここの従業員も含まれている以上、話も出来ないほどの病人が働いていたというのは、あり得なかった。全員が、ここで例のウィルスに感染し、ごく短時間で発症し、症状が急激に進んだのだとしか、思えなかった。・・・しかし無理のある話だ。

犯人も私の手元から、チームに引き継ぎされて、引き取られていったが、彼らはすべて、一度病院に送られることになった。そこで検査が行われるのだ。しかし、彼らが回復するイメージは持てなかった。あのようになった人間が、再び元のように戻るのだろうか?

 「だから、言わんこっちゃないだろう」と、近さんが私の隣に来て言った。

 「被害者たちからは、いったい何が有ったのか、聞き出せそうになかったですね」と、私。

 最初の通報から、一時間ほどしか経っていない。これがあのアフリカで蔓延するウィルスなら、噂通りなのだが、急激に進行する痴呆症という話は、具体的な時間を示しているものは無く、それでも発症の進行具合が納得できなかった私は、アクセスしたコンビニの防犯カメラを巻き戻して、脳内で再生してみることにした。

 店内にコートを着た男性が入ってくる。これが犯人である。その表情は良く分からない。野球帽を目深にかぶっている。防犯カメラは天井から撮っているのだ。

レジは二台あるが、フル稼働で、列が出来ている。ちょうど朝の始業前の時間帯で、学生や、サラリーマンたちが、朝の食事を買いに来る時間帯らしい。手にはサンドイッチや、おにぎりをもって、二台のレジにそれぞれ三人ずつ並んでいるのが見える。売り場にまだ、品定めをする客が二人と、商品棚で、端末機を打ち込む従業員が一人いる。通報は、この従業員からだった。

男が、レジに並ぶ列の後ろに近づいていく。二つの列のちょうど真ん中に立って、おもむろにコートに隠していた猟銃を取り出す。それを振り回し、一旦威嚇的に狙いを付けた後、銃身を左手に振って、そちらに集まるように指示を出している様だ。様だ、というのは、このコンビニの防犯カメラには、集音装置が付いていないためだ。従って、画像から判断するしかなかった。

その騒ぎに気付いて、売り場の客と、従業員は正面から逃げている。レジは正面ドアから離れたところにあり、犯人の背後から、逃げる形になっていた。

犯人と、人質は、飲料水の販売ケースの前に移動してそこで固まっている。これは私が潜入した時の配置のままである。そこは入り口から離れていて、棚の陰になり、外からも見えない位置だった。一方で、外に出た従業員は、自分の携帯電話から、警察に連絡をして、その上で、自ら進んで、そのまま入り口近くに留まっていた。新たに店に入ろうとする客に対して、足止めをするためである。これは緊急時のマニュアルらしい。

人質を整列させた犯人が、何かを言っている。人質たちは、それに従って、手をゆっくりとあげて、前に出した。犯人は、その手をつかむと、自分の口に持っていき・・・次の瞬間だった、手をつかまれた人質が体をよじった。人質全員に動揺が見られる。犯人はまた猟銃をそれぞれに向けて、威嚇し、人質に何かを言っている。

後は順番だった。奇妙な儀式のように、人質たちは全員が順番に、手を犯人の口に入れられている。それぞれの瞬間には、著しい身体の緊張、および反射行動が見られ、それは犯人が、人質の手に歯型を立てているのだろうと、思われた。

私は、急いでその旨を富士子に連絡する。同時に、ニュースにならないほどの小さな情報を集めるために、あらゆる方面に検索をかけた。アフリカの伝染病に関する記事は、学術論文の形で出てきた。

現地で調査した、英国の医学者による論文には、次のような記述があった。

このウィルスについては、ルウェンゾリウィルスと学者は呼んでいた。それはこのウィルスが最初に発見された場所にある山脈に由来している。それによると、このウィルス、空気感染はしない。あくまでも、直接感染によるもの、唾液や、飛沫を介しての感染に限るとあった。一方で、潜伏期間は長いものでは、数週間とある。但し、発症すると、痴呆の進行は急激に進む。これには、個人差があり、最初の兆候が掴み難い為、最終的に本人が自覚を失ってしまうまでの時間は、五日から、七日とあった。

私はほかの論文も当たってみた。報告書や、電子カルテの類も同様な結果だった。因みに、電子カルテなどは捜査には使えない。守秘義務があるからだ。その辺り、私には電子的な制御が施されている。ただし、私に閲覧できない電子的な記録というものは、実は存在しない。

このような閲覧能力というものは、証拠として使えない以上、ある意味で無駄だ、という向きもあろうが、これは私の行動指針として機能するのである。私には人間でいうところの、勘というものが無い。勘に従って行動するという場合、その意見は捜査に使えないが、行動指針にはなる。その辺りを、補うための物だった。私が、秘匿情報の内容を口にすることは絶対にないし、そうした能力があることはごく一部の人間しか知らない。時には私だけが、既に犯人を知っているという事もある。しかし犯人逮捕だけが私たちの仕事ではない。裁判で勝てなければ、意味がない。合法的に確実な証拠を得る事、これが一番の仕事だった。

ともあれ、現実と、資料の辻褄が合わない。

現実の患者は、最終的な症状を呈するまでに、一時間という短時間で、過去にそうなったという記録は皆無である。もしそんなことが有れば、もっと大きなニュースになったことだろう。だが、このウィルスに関しては、症状は重篤だが、気を付けていれば、日常的に感染することはないとある。その点では、エイズとよく似ている。また、感染方法として、患者が対象者を噛んだ、という記述も見られなかった。

噛んで感染、という検索をかけると、狂犬病がヒットした。これは、犬とついているが、犬からだけうつるとは限らない。ありとあらゆる哺乳類からうつるとある。また、日常的には感染の恐れは無く、動物に噛まれるといった、ある特殊な状況の下でだけ感染すること、感染すると発症までの期間が長いこと、発症するとほぼ確実に死に至ることなど、エイズにかなり近い病気であることが分かった。しかし、今回のウィルスがらみで、噛んで感染という記事は皆無であった。

別のウィルスなのかもしれないし、アフリカの型とは違った新種なのかもしれなかった。致死率が低ければいいが、と私は思いながら、はたと思い当たった。人間にとって、自分が自分でなくなる。痴呆になるという事は、ある意味、死と同義、あるいはそれ以上のものではないだろうかという事である。

「ルウェンゾリだと!それがあの病気の名前なのか?」

近さんと、二人で私たちは病院にやって来ていた。待合室で、犯人及び被害者の意識が回復する可能性にかけて、その診断を待っているところだった。富士子は急な呼び出しだとかで、この場所には来ていない。

だが私たちは、あの病状をまともに見てしまっていた。ここでこうして待つことが、無駄に終わるだろうと二人ともに感じている。その間、私は自分が得た情報を、確実ではないが、という前置きの元に話していた。

「しかし、お前がそう言う時は、大概当たっているんだよな。不思議だが」

と、こんな時、あからさまな訳知り顔を、近さんはする。私が例の直感を補う能力を、行使するにあたって、引き出した結論に、当初は反論していた近さんも、最近では素直に言う事を聞くようになった。一方で、富士子などは、当初から反論もしなかった。彼女は、私の能力を知り得る階級ではないが、人間とは違い、私が敢えて、そうしたことを発言する時の理由というものに従っているのだ。 

私は決して理由のない、無駄な事をしない。

近さんは違う。私が触れてはいけないファイルによって、情報を得たような時には、こうやってかまをかけてくるのだ。だが、そのような事で、引っ掛かる私ではない。無駄だ。しかし私は、そのことを指摘したりしない。無駄だから。刑事が、自分の納得いかない事実に突き当たった時に、それを探ろうとするのは、自然に、身に着いた反射のようなものだ。

だが、それを理屈で制御出来るのが、富士子というわけだ。

私たちは、話すことも無くなり、互いに沈黙の中に居た。近さんが何を考えていたのか、それは分からない。一方で、私の中では、警報が鳴り続けていた。

病院の電子カルテネットにアクセスした、私のカウンターには、通常ではありえないほどの勢いで、痴呆症患者の数が増えつつあったのだ。


奴らは、特別だった。人間に感染すると、その免疫系をかいくぐり、身体の隅々にまで行き渡って、そのすべてを乗っ取ってしまう。乗っ取られた人間は、生体を維持できる最低限の行動だけをすることになるのだが、食事においても同様で、食品をわざわざ調理したりはしない。煮炊きの後を見つけて、未感染の人間だと判断できるというのは、そういう事があるからで、やつらにとっては自分たちが、その身体の中で生きていかれるように、その宿主の生命が存続するならば、それだけでいいのだ。

 だから、感染した人間は、基本は日がな一日ぼんやりしていて、無駄な動きを出来るだけしないようにしている。モノを生で食べ、よほど汚れない限り身体も洗わず、ただ生きているだけの存在と化してしまう。このウィルスに対しての免疫は、働かないので、免疫反応として、発熱したり、腹を下したり、痛みや炎症は発症しない。ウィルスは非常にうまく、宿主である人間と共存関係を築いてしまうのだ。そういうと、いたって穏やかな感じだが、感染した本人の意思が無くなってしまうというのは、人間にとっては耐えられないらしい。自分が自分でなくなってしまうのだ。

それがとても辛い事であるというのは、俺としては既に学習済みである。だから、それを防ぐことが俺にとっての使命だともいえる。人間に仕える事、そして彼らが幸福な生活を営めるように、あらゆる障害を排除することが俺のすべての行動の目的となっている。だが、これだって複雑だ。奴らも人間だからだ。いわば、病人に過ぎない。だから、俺の使命は人間そのものではなく、人間の意思に仕えるという言い方が正しい。

一方で、彼らの目的は一つしかない。体内に寄生しているウィルスを他者に移すことで、自分たちの仲間を増やすことだ。それは生物なら、当たり前すぎる事であって、特別なものではない。どの生物もその目的で生きているわけだが、彼らの習性であるところの寄生の内容と、その実態が俺の使命と相反するというわけだ。

ウィルスの伝播方法は、おぞましい話だが、直接感染によるもので、これは感染者の唾液が体内に侵入することで起きてしまう。つまり、やつらはかみつくことでそれを成し遂げていて、空気感染や飛沫感染するウィルスでなかったことは不幸中の幸いだと言えたが、嚙みつくという目的を達するために、その時だけは、ウィルスの意思の元、攻撃的になるのである。

これは先程の一日ぼんやりしていることとは矛盾するようだが、彼らの中で何かがトリガーとなって、急にそうした存在になるのだった。これはきっと彼らにとっての繁殖期に当たるのだろうという事だ。

 この特徴は最初期型と言われる、アフリカのルウェンゾリタイプとは違っていた。最初期型は、自覚のない潜伏期が長く、その間に、主に性交で伝染するようだった。これはエイズと似ている。

しかし、その後のタイプが問題だった。これは世界型と呼ばれ、狂犬病のごとくに、噛みつくことによって、伝染するのだ。そう、その名の通り、一気に世界中に広がってしまった。潜伏期間は、ほとんどなく、長くて一時間。発症はあっという間で、それこそ、五分くらいで、人間を廃人にすることが出来たのだ。 

そして廃人になった人間は、治療が不可能だった。だがそれは悩ましいことに、悪い事ばかりではなかったのだった。それはあとで語ろう。


ともあれ、私と近さんは、患者の快復をひたすら待ったが、案の定、無駄な時間を過ごしただけだった。だが、それだって、本当の意味でひたすら待ったわけではない。医師の診断が、各種の検査が終わり、確実に出るまで、いや、暫定的にでも出るまでもなく、私たちは呼び出された。次の現場が発生したのだ。そしてそれは、同様な立てこもり、同様な結末を迎えるものだった。

それらの、ウィルス型立てこもり、と私たちは呼ぶようになっていた、はどんどん増えて行った。それにつれて、処理方法もだんだんとルーティン化、簡略化していった。立てこもり現場の外から、何らかの方法で呼びかけて、返事がなければ、また返事が無くなってしまえば、ほぼ完全にこのウィルス型の立てこもりだった。

病床は、どんどん埋まっていったが、治療方法は依然として見つからなかった。だが、患者自身は痴呆であるという事以外、健康だった。見かけは穏やかで、攻撃的なところは無かった。また、行動は怠惰という以外、問題は無く、一日中ベッドで、ごろごろしているだけで、徘徊もしない。だから、人々は当初これに騙された。

立てこもり犯人となった人の経緯を、調べるべく調べたにもかかわらず、これが全くもってわからないという事も、このことに拍車をかけた。同じ病人でも、立てこもり犯になってしまう人と、病院のベッドで大人しく寝ている人との差が、わからないのだった。それでも、いつ病人が豹変するかもしれず、注意はなされたが、前時代的に病人をベッドに拘束するわけにもいかない。病院側は戦々恐々だったが、政府指定の病院では、今回の病人を受け入れないわけにはいかない。その一方で、万一の事態に備えての拘束の為には、家族の同意が必要だったが、それはなかなか得られなかった。以前なら、病院はこのことを強要できたのだ。それが、ある時点の法改正で、出来なくなってしまった。

介護現場で身体拘束が禁止されてから、しばらくたっての事ではあったが、医療現場でも同様にこれが禁止されたのだ。

実は、介護現場において身体拘束が禁止されてからも、医療現場で、それが実施されていた期間は長い。このことは、一応は家族の同意が必要だったが、医者側はこれを得られないとなると、では他に行ってくださいと、強気に出ることが出来た。家族は否応なく同意せざるを得なくなるようになっていたわけだ。 

だが、一旦拘束が実施されると、医師側は楽でも、認知症の患者本人は、かゆいところが有っても、かくこともできない。もちろん歩けないので、筋肉は衰えるし、体はがちがちに固まってしまう。どんどん精神的に、追い詰められ、おかしくなってしまって、かえってひどくなる。このようなことが、何年、いや何十年も行われてきた結果、いくつかの事例が取り上げられ、意識の高まりとともに、社会的圧力として、問題も大きくなって、この法改正に至ったのだった。

だが、医者の方にも言い分はある。患者が、点滴の針を勝手に抜いてしまったり、勝手に歩き回ってしまっては、困るのだ。ましてや、居なくなった患者を探す時間の余裕のある病院はない。

だから、必要に応じて、やむを得ない場合、最後の手段として、拘禁はなされるようになったが、この件で収容された患者はとてもおとなしかった。寝ていられるものなら、一日中だって寝ているし、自発的な行動は、一切無かったが、何かを求めると、それを理解したのかどうかはともかく、素直に従うので、多くの医療機関が油断もしたし、拘禁に対する法的な執行力も発揮できなかったのだ。すなわち患者は、単にベッドの上に居た、という事になる。

国の対応は、この病気を感染症法で定める一方で、患者の特徴を広く告知し、伝染病に対する注意を呼び掛けるという事だけしか出来なかった。このことに関しては、一言で言うと、挙動のおかしな人には近づかないという事であり、出来るだけ出歩かない。見知らぬ人と、話をしない、近づかない、という事であった。伝染する痴呆症には、プリオンというたんぱく質によって、汚染された牛肉を食べることで、感染するクロイツフェルト・ヤコブ病があるが、それとは全く異なった新しいタイプの伝染病には、国としては呼びかける以外に、防止するすべがなかったと言える。

因みにいうと、この流行は全世界的に共通なものだった。各国の対策も特に変わり映えはしない。独裁政権の、ある一部の国が、秘匿下で過激な対応をしたようだが、それも予想の範囲内だった。各国は互いに、けん制しあったが、互いに学べるものはなく、対策を持て余したまま、日々がむなしく過ぎていった。

そうはいっても、一方で個人的には、自分で自分を守らなければならなかった。患者から噛まれることへの防止策としては、とにかく体を覆い隠すものが、もてはやされた。手袋やフード、バラクラバ、フルフェイスのヘルメットなどが、人気となり、防犯用のスプレーなども品薄となった。

商業施設や、各種の建物の入り口には、ガードマンが立ち、そこへ入るには、バラクラバやヘルメットを脱いで、会話をしてから入るようになった。患者は認知症の進んだ状態で、会話がままならないという情報が一般に広がっていたからだ。

その一方で、大きな問題は、アフリカからの感染経路である。

「ネズミ?」

多くの人間が、早い時期から、誰からとは無く、そう口にした。頭の中にあったのは、古い中世ヨーロッパの歴史である。政府の発表も、これに少し遅れて、テレビ等で実施されたが、これを裏付けるものとなった。ウィルスを持ったネズミが発見されたのだ。ネズミはやはり痴呆状態だった。餌箱を認知させるといった実験や、迷路などの実験を行うと、学習能力が著しく低かった。狂犬病同様に、このウィルスも人間だけではなく、様々な哺乳類を宿主とするとされた。

「立てこもり犯の共通項が、わかりました」

会議でそう発言したのは科警研のチームだった。警察は、今回の事件をバイオテロ的なものと位置づけをして、特殊チームを組んでいた。それは、純粋な生物学的チームと、疫学的な知見から犯罪を予防するチームの合同部門である。

「猫ですね。犯人は皆、猫を飼っています」

政府のネズミ発言を受けて、切り口を変えた矢先の事だった。

ペットの猫が、ネズミに病原体をうつされて、それが、主人を噛んだという事らしい。猫は犬と違って、届け出制度がない。大量に飼う場合は、届け出義務のある場所もあるに居はあるが、基本は無いと言ってよかった。だから、今回の結果は予想に元づく、狙い打ちの捜査によるものである。捜査自体は半日もかかっていない。やはり、と言ったところだった。

しかし、そのような共通項は、先んじる情報がないと、わからないものである。飼い猫の存在など、普段は気にもしないことが多い。

で、犯人を出した、いずれの家にも猫が飼われており、家族に聞き取りをすると、猫の調子は悪いという。どこがという事はないが、大人しくなって、動かなくなったとのことだった。生物班はさっそく、電話で注意を喚起すると、当該する猫の回収に当たった。

「すぐにマスコミに対応を!」

回収に向かうと、すぐにその旨がマスコミに伝えられた。検査はまだなので、結果が違う可能性もある。しかし、悠長にしてはいられなかった。猫に限らず、ペットは隔離をして、噛まれないように、という注意喚起報道や、もし噛まれた場合は検査を受けて、その間も一時隔離を受けてもらうように、狂犬病に準じた対策が取られた。

意志の通じない動物たちが、いつもの様子と違うように見えるという理由で、大量に処分された。何となく、犬を外に散歩に出すことが出来なくなって、犬も飼い主も共に途方に暮れたが、どうにもならなかった。

愛護団体は、大いに吠えたが、その反対側で、タヌキやイノシシ、シカなど、野生の動物たちを狩りまわる人々も大量に出た。また、野生とは言い難い、野良猫なども、その対象となった。猟銃の免許は人気となって、順番待ちとなり、猟銃もまた、かつてないほどに出回った。

処分された動物たちは、検査をされたが、殆ど、いやそのすべてと言ってもいいくらいの個体が、陰性であった。陽性であったのは、最初の飼い猫、犯人たちが飼っていた飼い猫が、その全てであるかのようにも見えた。事実、数値的にはそう言い切ってしまっても、差し支えないくらいであった。


そしてある日の事、その事件は起きた。

今まで大人しくベッドに寝ているだけであった患者たちが、一斉に病院の別の患者たちや、看護師、医師などを襲ったのだ。但し、その前兆は有った。気が付くと、ベッドから患者が出ていることが、その数日前から散見され出していた。但し、何処かへ、行ってしまって、行方不明になるわけではない。ベッドに居ない事に気が付いても、しばらくするとどこからともなく戻ってくるのだった。徘徊するというのとはまた違う。ただ、ふらふらと出歩いて、再び戻ってくるのだ。但し、何処に行っているのか、誰にも分からなかった。このことは偶然で片づけられたし、それを深く考える人もいなかった。たまたま、人目につかなかっただけと考えられ、中には、これを緩解の兆しと見る人さえいた。

しかし、この段階で、他の病気の、末期の患者たちも含めて、多くの入院患者たちが、このウィルスに感染していたのだった。寝たきりの人達は、この直後に、どういう訳か、健康を取り戻した。当初、それはウィルスとの関連は考えられず、大勢の一致は、偶然の賜物だとされた。しかし、徐々に、医者がそのおかしさを意識しだした頃には、もう入院患者のほとんどは、ウィルスに侵されていたのだ。

そして、一斉に、患者たちは、医師や、看護師に襲い掛かったのだった。

私は、ある現場から、逃げ出すことが出来た看護師から話を聞いていた。

「寝ているように見えました。と言っても、いつも寝ているのですが・・」一旦は落ち着いていた彼女の表情から、再び恐れと、新たに被害者になってしまった同僚への憐憫を読み取ることが出来た。

その彼女の話によると、検診で手を伸ばした医者の手を、布団の下から突き出た手が、掴むなり、引き込んで嚙みついたのだという。

「私は、パニックになりました。先生はむしろ落ち着いていました。いや、茫然と言うべきでしょうか。反射的に外に出て、病室の扉を閉めました。個室で、先生と患者を二人閉じ込めた格好になりましたが、内側からの抵抗は有りませんでした。それよりも・・」

気が付くと、廊下には自分と同じく逃げ惑う人々が大勢いて、この現象が他の病室でも起こっていることが分かったのだという。

「そのフロアー全体が、隔離病棟なのです。隔離と言っても、特別な処置をしているわけではありません。単に今回のウィルス感染者だけを、ひとところにまとめたに過ぎないのです」

看護師の顏には深い後悔が浮かんでいた。

「私たちは油断していました。もちろん拘禁をすべきだという、そうした意見もありましたが・・・」

その件に関しては、同情を禁じ得ない。世間的には、拘禁が、その効果以上に忌むべきものとみなされていたし、政府はその件に関しては、現場判断を貫いていて、言及を避けていたのだ。責任は丸投げだった。法的に強制すれば、政権の支持率は下がる一方だっただろう。そのことを避けたに過ぎない。エイズや、狂犬病並みの注意を要する。と言った、事だけが現場に下ろされて、実際の医療現場からの危惧は、置き去りにされた。

もちろん隔離現場の取材は出来ない。マスコミは、この拘禁主義に対しては、医療現場のヒステリーと報じ、患者の人権を、前面に打ち出した。拘禁経験者の、痴呆老人を持つ家族が、取材されて、拘禁の非人道性を訴えた。

「私たちは、感染していないスタッフで固まって、そのフロアー自体を隔離しました。入口に当たる廊下には防火扉が付いているのです」

看護師はそう続けたが、話がこれで終わりではない事をその姿が物語っている。もちろん私はそのことを知っているが、そうでなくとも、それは感じられただろう。

「私たちは、下の階に下りました」

隔離棟は最上階で設定されていたのだった。

「でも、下の階も同じ状況でした。元々、違う病気で入院していた患者さんたちが、このウィルスに感染していたのです」

すぐ下の階は、終末治療の患者たちが集まっている。普段は、歩くことすらできない患者たちだ。

「走って、追いかけてきたんです・・・」看護師は耐えきれずに、涙を流した。思い出しているのだ。

「走ってと言っても、長い間寝ていた人たちです。明らかに、ぎこちなくて・・・後藤さんは・・患者の名前ですが、もう植物状態に近くて、意思の疎通もできなかったのに・・でも・・」

看護師はここでしばらく息をのんだ。呼吸が荒くなり、心身の動揺が大きくなっていることを表していた。

「でも・・何ですか?」私は助け舟を出す。詰問ではない。この言葉は言い方で、効果が変わる言葉だ。

「体は別人のように動いていましたが、表情は寝ていた時のままでした」

「つまり・・・」

「植物状態の表情です」


こうしたことが、患者を収容していたすべての病院で、発生した。何がどうして、そのようになったのか、様々に語られたが、このウィルスに関しては、何も分かっていなかった。

ある病院では、麻酔医が感染していて、彼は隠し持った麻酔注射を、手当たり次第に周囲の人たちに打って回った。これもまた、運良く逃げることが出来たスタッフから、聞きだすことが出来たのだが、今の今まで、普通に話をしていたその麻酔医は、急に席を立ち自室に戻ったそうだ。そこから出てきたときには、何か様子がおかしくて、いわゆる放心状態のようだったという。ふらふらと彷徨うように歩いていたので、気になった同僚が近づいていくと、いきなり注射器で、同僚を刺したという。ポケットいっぱいに麻酔注射を詰め込んで、止めに入った人々も、何人か刺されたらしい。刺された人が倒れる中、皆の注意はその麻酔医に注がれていて、気が付いた時には、自分たちはすっかり、患者に取り囲まれていたそうだ。

「患者さん達は、私たちにとびかかって噛みついてきました。その患者さん達を相手にしていると、今度はまた後ろから麻酔医が、注射を打ちに来るんです」

「連係プレーのようですね」

「組織立っていたとは思えません。患者さんたちは、話をしないですし、意思の疎通があってのことだとは・・・ともかく偶然にそうなったのだと、思います」


その時期については様々に研究されたが、良く分からないというのが本当のところだった。個人的な差異もあるのだろう。ぼんやりとしている患者が急に攻撃的になり、周囲の人間を追いかけだす。暴力で、或いは武器で、対象となる人間の抵抗を奪い、その上で噛みつく。噛みつくとまた大人しくなり、無害になるのだが、次にいつ狂暴になるのかは、予測することが不可能だった。

更に問題はその力だった。通常人間というものは、何かを殴ったりすればこちらの手も損傷するわけで、その辺りは加減されるものだが、奴らにとって宿主の損傷は、あまり問題ではない様だった。人が自分の身体の心配なしに、純粋に攻撃行動をする時の力というものは、相当なもので、しかも奴らときたら、宿主の潜在能力のすべてを引き出せるようだった。寝たきりの患者たちに健康な人間が押さえつけられたという事実は、当初、理解されなかったが、その後明らかになっていった。

後先考えずに、いわゆる火事場のなんとやらで、人間というものは予想以上の力を発揮するのである。そのような事は知識としては知ってはいるものの、現実的に、行使するのを目撃する事はあまりない。それが、相手の患者が、以前より良く知っている人ならなおさらである。患者に噛まれて感染する人の多くは、その非人間的な力を見誤ったことで、ある種の油断が、命取りになるというケースがほとんどを占めた。             

しかし、それでも彼らは、いわゆる吸血鬼でもないし、ゾンビでもないわけで、いわば単なる病人に過ぎなかった。昔から良く知っている人が、無気力になって、ぼんやりしている。そこに、極端な危険性を見出すことは、実を言えば、困難だったというわけだ。

ただ、人間の免疫が彼等に勝って、治癒したという話は聞いたことがなかったし、その他の方法によっても、快復したという話は聞かれなかった。それでも、いつその状況が変化して、感染者たちが元に戻るやもしれず、吸血鬼やゾンビにするように、心臓に杭を打ち込んだり、頭を吹き飛ばしたりしたり出来ないという事が、話をややこしくしていた。いや、まあ、これは冗談だ。しかし、扱いにくいのは事実だった。

ましてや、私に至っては人間を傷つけることなんて出来ないように最初から作られているから、さらにたちが悪い。

もちろん当初は数的に、感染者の方が少なかったわけで、彼らを隔離して、治療に当たるというようなこともできていた。国の方針は、これらの病院での一件以来、急激に方向転換された。一転して、徹底的な隔離策を取ったのだ。看護スタッフは全身を耐噛スーツで身を包み、緩やかな拘束ともいえる装具を患者は付けられることになった。つまり、口輪である。

しかし、ウィルスというものは、ある日突然に変異種を生む。つまり、それまでの、宿主の能力を最低限使いながら、尋常ではない一時的な筋力の使用は別として、普段は漫然と宿主を生かすだけだったそれが、宿主の能力を常態的に、積極的に生かすタイプに変化したのだった。

どういう事かというと、新型は感染者の頭脳をそのまま使い、知恵を絞りだし、言葉を操り、或いは感染者の身体能力、運転や、機械の操作など、を駆使するタイプに変化していたのだ。

旧型の感染者なら見分けることは容易い。彼らは、明らかに、痴呆症末期様の症状を示す。普段はぼんやりとして、積極的行動はしないし、会話などもしない、ただ本能のままにその生体を維持し、たまたまウィルスの特定期に当たり、その上で感染者以外のものに出会った時にだけ、ウィルスの伝播に勤めるのであって、そういう種は、陰性者とは全然、外見からして違う。

これは、立てこもりをした最初期のタイプとも違っていた。結局最初期のタイプは、旧型の伝播がある程度達成されると、姿を消したのだ。それはあっという間の出来事で、サンプルを収集して、研究をすることすらできないほどだった。

一方で、新型になると、感染していない人間との見分けは通常不可能だった。彼らは、会話をするし、思考能力もあった。その方が、陰性者に近づきやすいし、相手を油断させておいて、感染行動に移ることが可能になるのだった。進化の方向としては、適切だと言えるだろう。

彼等は結局、宿主の身体を有効に使う事が、自らの発展に寄与するのであって、代替わりをしながら、その宿主の身体構造を学び続け、操れるようになったという事なのだろう。これは恐るべき進化と言えた。ウィルスは、いや生物は、通常、自主的に、自らに都合の良い進化はしないものだ。それは偶発の賜物であって、本来の進化がそうであるように、この場合だって、そうなのだ。しかし人々は、今回の分は他に例のない事なのだと思いがちだった。学者たちは否定をしたが、この進化はそうした認識で、つまりこのウィルスが自ら能力を勝ち取ったという風に、世間的には収まっていた。

この新型の出現において、かなり感染者が増えることになった。ただ唯一食事に拘らないというところだけが、それを見極める方法だった。食材を調理するというのは彼らからすると、今のところ、思いもつかない事のようだ。

しかしここが肝心なのだが、彼ら新型はウィルスの伝播という事に関して、常態として積極的だったのだ。彼らは旧型と違い偶然などというものには頼らない。また、突然の特定期などというのも待たなかった。常態として、戦略的に感染者を増やすべく、そのために人間を騙すという事を組織的にやってのけ、その拡大に拍車をかけたのだった。

 それでも、当初はまだ対抗できた。検査体制の充実と、陰性を示す電子証明書の管理と、それらの情報の共有化などがその柱で、元々あったデジタル技術の素地が、それらを支えていた。陰性者同士は、それを証明するためにある種の電波を発信する装置を、個人情報に紐づけて、持っている。発行を受けるには、検査をしなければならず、この陰性証明の信頼性は高かった。同時にその装置は近づいてきた生き物を、その体温によって発生する赤外線から識別できるようになっていて、人間を認識するのだが、その人間に対して陰性者が発する電波を感知できないと、警報が鳴るようになっていた。

こうした装置によって人々は感染者を判断し、それを避けるべき時は避け、捕獲すべき時は捕獲し、と言った風に、ウィルスとの戦いに臨んでいたのだ。

このような技術はさすがに、相当に高度な頭脳でないとそれを生み出し、活用するということはできない。新型がいくら宿主の頭脳を利用できると言っても、我々にとって幸運にも、筋肉の利用とは違い、それは脳の一部の利用に過ぎず、全体をフルに利用できるわけではなかったようだった。

そこに切り込めるほどには、賢いとは言えなかったのだ。だから、懸念されたような、ハッキングによるシステムの破壊や、識別機の偽造による混乱などは起らなかった。まあ、しかしこれはたまたまであって、油断は禁物だった。あくまでも現状はそうなっているというだけの事だ。


ところが、ある日の事だった。そのころにはもう、私たちは、犯罪者を取り締まるという本来の業務が殆ど、できなくなっていた。警察は人員不足で、多くの感染者が出ていて、職種上、積極的に感染者にかかわる私たちはどうしても、その被害にあう傾向が高かった。ただ、近さんと富士子は別だった。元から身体能力の高い二人である。富士子などは、数人に囲まれたこともあって、あの時ばかりはさすがに私の警戒信号は最大級まで上がったが、難なく切り抜けたことが有った。

それはある種のおとり捜査の一環で、富士子がおとりとなって、私と近さんが麻酔銃をもって、感染者を捕獲するという作戦だったのだ。

「予想以上の数だったわね」と、富士子は言ったものだった。

「感染者警報器も、囲まれてしまうと、どの誰が感染者なのか分からなくなるわね。安藤は分かっているの?」

私には分かっていた。生体反応を三次元に投影して、各々の位置関係を把握することが出来る。それに関して返事をしたが、富士子は聞いていない様だった。ダメージは肉体的にではない。彼女の心に蓄積していっている様だ。

「おとり捜査がこんなにうまくいくなんて・・・」と、さらに彼女は言った。彼女の心を上の空にしていたのは、ダメージではなくて、このことだったようだ。

実は私も同様な危惧を持っていた。今までは、これほどまでに大量の感染者を捕獲することが出来なかったのだ。

「今までは、旧型の感染者ばかりでしたからね」そして、旧型を捕まえるならば、おとり捜査は要らない。

捕獲した感染者は、施設に入れられる。私たちの区画では、ホテルを丸ごと一棟借り上げて、改装して使っていた。他の区域でも、似たり寄ったりだろう。この手の産業は、下火もいい所で、何処も青息吐息だった。政府に借り入れてもらえるというのはありがたい話だったに違いない。しかも、従業員たちはそのままスライドして、雇用されていた。以前、内側から開けることが出来たドアは、外側からしか開かないようにされていた。電磁式の鍵はそのまま使われていて、チェーンロックは外から効くように、これも変更されている。患者たちはそれぞれに個室を与えられており、食事はチェーン越しに差し入れられるようになっていた。元従業員たちはその食事の差配や、部屋の清掃、洗い物などに携わっている。

もちろん、彼らが単独で、患者たちと会う事はない。必ず、警備員が四人以上付いたうえでしか会う事は出来なかった。そしてまず、警備員は患者を対人バリケードで押さえつけて、部屋の隅に押しやってしまう。そうしてから、彼らは部屋に入ることになっていた。

私たちは、施設の安全性を確かめに行ったことがある。対人バリケードというのは、かなり大きな仕切り壁状の物で、下部には車輪がついており、手前からロックすることが出来た。真ん中あたりはポリカーボネート製の窓があり、中を確認することが出来る。

警備員はこの対人バリケード要員が二名と、さすまたであらかじめ患者を押さえておく担当が二人居る。全身をやはり耐噛スーツで包んでいる。このころになると、以前使われた口輪は診察の時だけとなった。医療行為と言っても、特別なことは何一つできない。患者はあくまでも健康な肉体を持っているのだ。ウィルスの働きを抑えるために様々な試薬が使われ、経過が観察されたが、要はそういう事だった。医療機関が、他の伝染病に比べて、比較的ひっ迫しなかったのは幸いである。

ともあれ、旧型の患者を押さえるのならば、この装備は十分すぎるほどだった。もともと、患者は狂暴になる時期以外は、大人しくて従順だったからだ。そして、狂暴期となると、スタッフはさすがに近寄ろうとはしなかったから、その意味でも十分だった。

一方で、新型の患者は多少不気味だった。検査で陽性が示される以外は、普段の様子から、非感染者と見分けることは出来なかった。狂暴期はそれなりにあったが、これも旧型と比べると比較的おとなしく、肉体的なパフォーマンスの引き出し方は、旧型の方が圧倒的に見えた。なんというか、新型は知的に見えたのだ。しかし、感染前の記憶は失っていた。違う人格となって、生きているのだ。その患者となってしまった後の人格がどこに由来するものか、どういう傾向があるのか、それらの点は詳細に研究がされたが、これも良く分からなかった。傾向と言えば、本来社会生活を営む上で、表面化する様々な欲がない、という事に尽きた。

欲と言えば、ウィルスとしての増殖に対する欲求しかないのだろう。但しこれは普段は顕在化しない。秘めた欲求ともいえるべきもので、静かに内面で燃え続ける、そういった類のものだった。

ある人は、ある種の宗教家の様だとも言った。自己の欲求は二の次で、布教はあからさまではないが、その気持ちは常に持ち続けている。行動は、表面上穏やかで、決して激しいものではないが、いざ行動するとなると、信念はとことんその信者をして、粘り強くし、諦めさせるという事を知らないのだ。

それは実際には、いきなり無計画に、勢いに任せて、押し切ってしまう、という類のものではない。彼らのいわゆる布教活動は、理知的で、集団的なものだった。或いは、より個人的であれば、確実にものにできる時にだけ、ひっそりとおこなわれた。

無駄な事は、決してしないのだ。だから、個室に隔離された個体が、単独で警備員に反抗するというようなことは、起らなかった。彼らは、警備員が室内に入ってくると、黙って自分が押しやられるべき場所にまで、自主的に移動する。それは初回に、さすまたを持った人間が、彼を押しやった、と言ってもその時ですら、誘導に抵抗なく移動して、場所を憶えてしまう、その場所へ静かに歩いてゆくのだった。

彼等はまた、抵抗する意志のないことを示す万国共通の仕草、両掌を敵対する人物に見せて、宙に持ち上げる、を示すことも多かった。感染者が少数で、非感染者が多数であれば、力の差が歴然ならば、この行為は頻繁に見られた。その上で、感染者が露呈している場合は確実だった。その友好的なしぐさと、一致しない、秘めた真の目的との間の差異が、不気味さの元だった。

「今回の作戦では、各地区で成果が有ったようですね」

私は入力されたデータにアクセスをして、富士子にそう言った。我々の地区のように、別に専属に、ホテルなどを借り上げているところもあるが、地方によっては刑務所の一部をそれ専用に区画割しているところもあって、そういったところは、占拠率が一気に上がってしまったようだった。

「・・・」

富士子は黙っている。その危惧を読み取った近さんが、話す。

「奴らが、施設に入ったのが、敢えてだとして、それがなんかの作戦の一環としても、何もしようがないじゃないか。暫く新型は、手ごわかったけれど、また新型が出てきて、それはそうでもないのかもしれないよ。最後はそんなもんさ。一つの区切りが見えたのかもしれない」

近さんの頭にあるのは、過去のパンデミックなのだろう。そのどれもが終息をしている。最後は、ほぼ毒性の低いものに成り果てて、消え去っていったのだ。人類の脅威は、突然やってきて、突然に消え去るものだ。その予兆だと言いたいのかもしれない。

私は、昔書かれたSF小説を思い出している。火星人が突然やってきて、人類は逃げ、戦い、散々な目に合うが、強大な彼らの力の前では、殆ど、なすすべがない。だが、ある日突然に火星人たちは死に絶えてしまう。人類が必死に抵抗したことが、功を奏したわけではない。その意味では、人類は無力である。つまりあらゆるあがきは、その場しのぎに過ぎないと、そういう事なのだろう。近さんは、その私の想いを知る由もなく、続ける。

「それに作戦なら、司令部があるだろう。連絡する仕組みだって必要だが、これだけ広範囲のものを繋ぐものを、奴らは持っていないだろう。今までも作戦のようなものを立てて、チームでかかってくることは有ったが、小さな範囲だったじゃないか?」

物欲のない彼らは、何も持っていなかった。感染する前の人格が持っていたもの、そうしたものに執着は無く、一切を手放していた。捕獲された時に、服のポケットに入ったままになっている、財布やその他のものもあったが、それはたまたまであったりした。時折、携帯電話が出てくることもあったが、既に電源が切れているものが殆どだったのだ。

彼等を宗教家に例えるのは、そういった一面からも、人々を納得させていた。それはある意味で理想の姿なのかもしれないと、誰しもがふっと心に浮かばせた事柄でもあった。彼らは、それが故に、仲間内で争うようなことがなかったからだ。喜怒哀楽や、ありとあらゆる感情。未来への恐れに、誰かを愛して、愛されたいと願う気持ち。種と、その存続のために、人類が採ってきた戦略の全てが、否定されても、成り立つことがあるというのは、いや、成り立っているように見えるというのは、皮肉であった。その証明は時間がするという考えに、慰めを見出しても、ある種の、どうしようもない、一種の羨望と言っていいものが湧いてくるのを、とどめることは難しかった。こちらは散々に苦しんでいるのに、彼らがそれと無縁で、その根本は、人間が本来持っている様々な欲求の充足がされない事からくるからである。ことに所有の観念がないというのは、見た目にも分かりやすい。視覚に訴えられると、その効果は高かった。

そうした彼らが、所有する道具を使い、連絡を取り合って、広域に作戦を立てて、同じような行動に出るはずはない。新型のウィルスの行動傾向が、彼らをして、同様な習性の下、同じ事例が頻発したと考える方が自然だった。

私たちが、そんな話をしている時である。上空で光が走った。私はその瞬間に、目の前が真っ暗になった。電源が落ちたのだ。


次に俺が目を覚ました時、耳に入ってきたのは、人々の騒ぎ声だった。姿勢は制御されていて、俺は立ったままだった。俺は主電源が落ちても、予備の電源で、俺が機能停止している間の記録だけは残せるようにできている。その間をカウントすると、どうやら俺が落ちていたのは、ほんの数分の事らしかった。その記憶を、俺は巻き戻してみる。


空が光り、俺の電源が落ちる、同時に部屋の電源も落ちる。続いて、大きな音が鳴り、近さんと富士子が、頭を抱えているのが見えたが、防ぐべき振動や、爆風は続いては来なかった。夕暮れ間近の、西日が差す部屋には、少し明るさが足りないが、何事が起きたのかは、理解が出来る。センサーの値が降り切れてしまうほどの、高い電磁波が地域一帯を襲ったのだ。俺は被害状況を調べるために、インターネットにアクセスしようとしたが、出来なかった。俺自体は、電磁波からは守られるようにできている。俺自身が平気なところを見ると、壊れているのは向こうらしい。これはかなりヤバいかも知れない。

パソコンに向かいながら、ため息をつく富士子と、携帯をシェイカーのように振っている近さんをしり目に、俺は壁についている配電盤を覗いてみる。ブレーカーは殆どが落ちている。それは良いとして、主電源の電線を指でつまんでみたが、俺のセンサーは反応しなかった、つまり電気は来ていない。

「発電所自体がやられているかも知れません。おそらく、浄水場などもこういう場合の定石として攻撃目標になっているでしょう」

俺はうんざりしながらそう言った。インターネットにつながらないコンピュータなんて、前時代過ぎるじゃないか。

「電気が来ていないのね・・・」富士子がぽつりと言った。

「施設のロックは電磁式だったわ・・・」

それを機会に、街に感染者があふれ出したのだ。しかも、新型は旧型を組織化して、それぞれにグループを作り、団体で行動し始めていた。



世界中の電子機器が突然、駄目になってしまった。いわゆる電磁波爆弾というやつが、世界中で一斉に爆発したのだ。

陰性者たちは、今回の捕獲作戦が上手く行っていたので、油断をしていた。この作戦は、全世界でとられた大規模な一斉作戦だったのだ。しかも、公的な組織は、軍事的なものも含めて、捕獲作戦で得た感染者たちの管理で、てんやわんやだった。そのすきを突かれたのだ。偶然とは思えないが、理由が分からなかった。  

ともあれ、かく言う俺だって、危ない所だった。創造主に先見の明があって、俺の身体はそうした攻撃による電磁波を通さないようにカバーされている。もちろん最重要拠点の電子機器だってその仕上げだが、それと連携する端末までとなると、そこまで対策されてないのであって、端末が全部だめというのは、本体が駄目というに等しい結果となった。

ましてや、世界同時という事は想定外だった。本来ならば、どちらかがその武器を使うにしても、局所的なもので、バックアップに時間はかかるが、復元は出来る。しかし、全体がそのように被害を受けると、精密機械の部品を作るのすら、精密機械なのだから、それまでが駄目となると、すっかりお手上げというわけだった。


だから、ヘリコプターのような精密機械が、動く状態で残っていたというのは、俺にとって、驚きだった。俺たちは、機械を使うと言っても、ごく初期の単純なものしか使えない。重要な部品に、電子機器がある物は、修理が出来なかった。このバスだって、一部の機能は死んだままだ。最低限度の修理で、どうにかこうにか動くようにはしてあるものの、それが精いっぱいだった。

おそらく、奴らは前もって、自分たちが使うものだけを、電磁波の影響のない場所へ避難させていたに違いなかった。だから、ああいったものが、今も使えるのだ。何故なら、奴らには修理なんてことは、出来ないだろうからだ。おそらくだが。

結局のところ、ウィルスの連中にしてみると、とても都合の良いことに、人体を損傷せずに電子機器だけを破壊する兵器を我々の方が既に持っていたわけで、彼らはそれを利用するだけでよかったのだ。

 まあ、言うは易し、だが、事は困難を極めたはずだ。それらの兵器はいくら内部の人間に感染者が入り込んでいたかもしれないとは言え、そして、その前の作戦で、人員がそちらに回されていたとは言え、厳重に管理されていたはずだし、ましてや一部でそれが可能だったとしても、全世界で同時にとなると理解が困難だ。徐々にではない、ある日突然に一斉にそれが起きたというのが一挙に我々をパニックに陥れた。連中としたら、そこが最大限のチャンスだというわけで、この日を境にして、形勢は全くもって逆転してしまったというわけだ。

 その後はもう、どうすることもできなかった。電子機器が使えないという事が、我々にとってこれほどの痛手になるとは、それまでに誰しもがその未来をぼんやりと考えては見たものの、実際には想像の上をはるかに超えていたのだった。そうした人間側の弱みを、さらに痛めつけるかのようにある事実が浮かんできた。

 どうやら連中は、離れていても、無言で意思疎通が出来るらしい。初期型の感染者は会話をしない。食事における調理と同様に、普段のちょっとした会話というものは生きていくうえで、最低限度しか必要がないのだと、そう思われているが故に、そうしないのだと考えられてきた。しかしながら、無言でありながら、意志を疎通しているとしか考えられない行動をする感染者の群れを見るにつけ、そう考えざるを得なくなるケースがあちこちで散見されるようになった。そのことは検証できないままに、先ず怪しげな噂として広がった。その上で、確かな共通認識として、我々が身を守るための常識と変わっていった。彼らが何をどうしてそのような能力を発揮できるのかは、全く分からない。

予測の範囲では、何とでも言うことが出来た。つまり、方法は別にして、それは純粋に彼らが最初から持っている能力であるとか、いや実は人間に元々その能力があって、我々はそれをある時点から、例えば言葉を発するようになってから、使えなくなってしまったが、彼らはそれを引き出してきて、使えるようにしたのだとか、ウィルスと人間が合わさったことによって獲得した新しい能力であるとか、云々。

 そうしたことを話題にしたり、研究したりする事は、ひと時の慰みや、互いの時間つぶしにはなったものの、それ以上の物にはならなかった。誰しもが感染者から身を守ることに集中し、研究がそれ以上進まなくなっていったという事が一番大きい要因ではあったが。

 その一方で、会話をするというか、会話の出来る、連中は楽しみで会話をするといった事がないが、必要に駆られて会話をするだけの、後期型の感染者に関しても、同じような行動が認められることに、気が付きだした。後期型が会話をするのは、あくまでも陰性者を装う手段であり、意思疎通の能力に関しては後退しているわけではないという事だった。

 そんなわけで、俺は電子制御技術の無かった時代の古典的遺産とでもいうような、古くて、おんぼろのバスを何とか走らせながら、GPSなんてものもなく、目視と勘だけで目的地に向かっているというわけだ。言っておくが、俺の体内には、インターネットに接続できる装置はある。人工衛星は、いくつかはおそらく無事だし、重要拠点はいくつか残っているが、中継局が駄目だった。こんな田舎では、拠点はないので、俺のインターネットは使えないのだ。

もちろん例の電子爆弾の被害を逃れた、もっと最新式のやつだって、いくらかは残っているのだろう。しかし、それらはあのヘリコプターと同様に、計画の段階で奴らに押さえられていると考えた方がいいだろう。後期型の奴らが賢いというのは、そういうものを自分たちが使えるように、きっちりと確保していたという事だ。  

だから、奴らの方が随分と有利だ。最新の道具を使えるからだ。しかもそれが我々には残されていない、空飛ぶ道具ときている。その上彼らは互いに離れていても意思疎通をして、連携をしながら、俺を追いかけ、その包囲網を狭めつつある。   

しかしそれだって、こちらには想像するしかない。目も見えないし、耳も聞こえない状態に等しい。で、祈るしかないというのは、そういう事だ。分かってもらえるだろうか。

「来たよ!」

後ろの席で窓から外を眺めていた少年が、叫んだ。どうやら見つかったらしい。 

 確かに、青い空に浮かぶ二つの黒い点が認められた。俺の目はそれを拡大してみることが出来るが、その必要はなかった。そんなもの、奴らしか持っていないからだ。或いは宇宙人。しかし、その確率は嫌になるぐらい小さい。

「しっかりつかまっていろよ」

 俺は叫んだが、そんなことは言われなくても先刻承知というものだ。元々しっかりつかまっている手に、再度力が増したように感じたに過ぎない。気持ちの問題だ。何しろ、最大限の速度でさっきから走り続けているのだから、俺にしたってここからさらに加速して、さらに激しい動きが出来るなぞ思っちゃあいない。まあ、出来うることなら、何処からか謎のボタンがせり出てきて、それを押すと、けつから火を噴いて、空でも飛びそうに加速してくれれば、有り難いが。

 そうこうしているうちに、奴らのヘリコプターはもう望遠機能が必要ないくらいの距離まで近づいてきた。小さなヘリコプターで、二人くらいしか乗っていないが、操縦士ではない方が、窓から身体を半分乗り出してライフルをこちらに向けているのが見える。

 奴らの乗っている機体は訓練用に使われる、まあ、何処にでもあるタイプのものだった。俺のデータでは確か最高速度で二百キロも出なかったはずだ。確かとか、はずだなんていうのは人工知能らしくない言い方だが、以前ならインターネットでデータにアクセス出来たので、正確な数字を言えたのだが、それも出来なくなってしまって、既存のメモリーだけが頼りだった。

実際、あの電磁波爆弾で俺が完全に無事だったというのは、言い切れない節もある。俺の一人称は、その前は私だったのだから。あの事件以来、どういう訳か、一人称が変わってしまった。性格も、性能も変わったかもしれない。だから、確かな事は何もないのだ。

 まあ、実際、目測ではあるが、俺の計器によると奴らの移動速度はそのようなものだった。二百キロ出ているかどうかは別にして、百キロに多少プラスと言ったところだろう。これが悩ましい所だ。振り切ろうと思えば、振り切れるような気がするからだ。これがもう、あんな教習ヘリでは無くて、軍事用の物ならば、諦めるしかない。武器だって、シカを撃つようなライフルで、確かにこの国でヘリや銃を、手っ取り早く調達しようと思えば、あんなものになるのだろう。だが、シカを殺せるくらいなら、人間だって平気ではない。俺だって、そういう事には防御が成されているとはいえ、試したことはなかったし、そんな機会は今までは無かった。当たり所が悪ければ、壊れてしまうかもしれない。

 猟銃は大きく分けると三種類ある。装薬式のライフルに、散弾銃、後は空気銃だ。奴らは主に空気銃で、我々を狩ることが多かった。空気銃と言ってもイノシシなどのとどめを刺せるくらいの威力はあるから、当たり所によっては死に至ることもある。

但し奴らの目的は、動きを止めたいだけなので、多少の怪我をさせて置いて、それから感染させるというやり方をしていた。撃たれたほうは、空気銃と雖も、大けがで大変な苦しみ様だが、不思議なことにウィルス感染したとたんに、痛みは無くなってしまうようだった。     

今、奴らの手にしているものが、空気銃であるならば、バスに乗っている限り、あまり心配はない。しかし、やはりあのヘリコプターから突き出ているものは、装薬式のライフルに違いなかった。だとすると少し厄介だ。

 と言っても、決定的な武器とまではいかない。何もかも中途半端だが、お互いに相手を生かしておきたいという、そうした争いなので、加減が難しいのだ。

 銃は,かつて哺乳類からウィルスがうつるとわかって、ブームになった時に、相当数が量産され、出回っていた。輸入品も多数入って来ていたはずである。何しろ、空前の狩猟ブームであったから、かつてないくらいの数の銃や、弾丸が在庫としても残っていると思われた。陰性者の中にも、その保持者は多数いたが、感染者側にも同様だった。西部劇並みとはいかないが、殆ど一般人が目にかかる機会がないくらいであったそれらの品は、日常的な存在になっていたのだ。だから、弾薬だって相当残っているはずだ。

 まあ、しばらくその存在におびえる日々は、無くならないだろう。 

 その時急にバスが大きく跳ね上がった。俺たちも大きく跳ね上がり、後ろの乗客たちからは悲鳴が上がる。俺も丁度後ろの連中に話しかけようと口を開いたところだったので、危うく舌を噛みそうになる。

 ちなみに俺の舌と声帯、およびその周辺は軟組織で出来ている。発声法は人間そのものだ。だから、舌を噛んで破損させることは避けたいのだ。

 ミラー越しに後ろを見ると、道に大きな穴が開いていた。どうやら、ヘリコプターに気を取られて、気が付かなかったらしい。そこで、跳ねてタイヤをしこたま打ったと見える。パンクしてなければいいのだが、確かめるすべはない。車を停めて、降りて確認するなんて出来ないのだ。

 道路に関する行政が稼働しなくなってから、久しい。その当時、多くの人は、道路工事のあまりの頻度に、文句を言ったものだったが、こうして工事がまったくなくなってみると、道路の荒れ方はひどいもので、あの工事の頻繁さが、この国の品質の高い道路というものを形作っていたのだと、人々は今更のように感心したものだった。

実際に、道路は、このように傷んでくると、かえって危険なものになっていた。最初から悪路なら、それなりの速度と注意を払うのであるが、道路の一部が傷んでいるというは、不意を突かれて、今のような状況に陥ることが多かった。

自動車だと、まだましな方で、これが単車だと、命に係わる。アスファルトは、古くなると、滑るようになり、表面上に瑕疵が見当たらなくとも、そういうところに雨でも降ろうものなら、転倒の危険は大きいのだ。

 そういうわけで、俺もまた不意を突かれたわけだ。まあ、言い訳だが。しかし、少なくとも、車輪は、おそらくそれを支える仕組みにダメージを受けたようだった。ハンドルが右へ右へと切れていくのだ。まっすぐ走ろうとすると、少しハンドルを右に回さなければならない。しかし、このくらいなら、なんてことはない。ハンドルがずれた状態が直進だとすれば、それを基準にして、ハンドルを切ればいいだけだ。気分は良くないが、つまり俺の回路はこういった本来あるべき姿から修正を余儀なくされることに対して、負担を感じるが、それだけ我慢すればいい。

「さっきはすまなかった。大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫ですよ」

これは、若い家族の父親だ。彼はこのグループのリーダーと言っていい。と言っても、本来、そういった役目になることのない、前に出ないタイプの人間だった。眼鏡をかけていて、色白で、きゃしゃな体つきをしている。さもあらんかな、だろう?子供に注意するときだって、優しく声をかけるような、そんな父親だった。しかし、大人の男性が彼だけという事もあって、自然とリーダー的な役割分担となったようだった。だから、リーダーと言っても物腰も柔らかい。しかし言うべき事は言うというタイプのように見えた。だが、何も考えずにいきなりものをいうと言った風ではない。言葉にする前に、出来るだけ考えてから発言をする。相手の事を常に考えている。そのことが自然に身についているような人物だった。

 俺は職業柄、初見である程度、人を判断するための人物データをたくさん持っている。まあ、今回の父親の判断は簡単すぎて、誰でも当たるだろうが、下手な占いなんかより、確実に相手の人となりを判断できるように造られているのだった。と言っても、俺が実地で学習したのは、それが外れることも多いという事だ。まあ、当たるも八卦、当たらぬも八卦だ。

「奴ら、発砲してくると思います。中央に寄ってください」

実際にヘリコプターは殆ど真近くまで迫っていた。二機がそれぞれ挟み込むようにして、並んで飛んでいる。どちらも、こちらを狙う狙撃手が銃身をこちらに向けているのが見えた。当初は威嚇に過ぎないだろう。諦めて、我々が投降し、大人しく感染させられることを望んでいるのだ。無傷で感染者候補が手に入るのなら、それがやつらにとっても一番ではあるだろう。こちらも、痛い目をして、結果、死ぬよりは、単に病気になる方がまだマシという風に考えることだってできる。

しかし俺の判断は、今はまだ抵抗を示すという方に傾いている。後ろの乗客から請われれば別だが、乗客たちも、まだ抵抗を続けたいようだった。

このバスは、屋根にガスタンクを積んでいた。自動車が電気に移行する前の、温暖化対策で一時期だけあった、天然ガスで走る車の生き残りなのだ。

因みに燃料は、在庫が潤沢にあった。それらを使用する機械の方が駄目になってしまったので、使い道が一気に無くなってしまったからだ。  

そして、言うまでもなく電気自動車などは、修理が出来ないほどに壊れてしまっていた。常時、インターネットとつながって、随時、その性能をアップデートしながら、電費の改善もできる。更には、あらゆるエンタメとリンクしていて、自動運転で走ることの出来る整備された道ならば、運転は任せて、映画やゲームに興じる事だって出来る、もちろん会議や仕事だって移動中に出来る、というのが売りだった。走るスマートフォン、パソコンという具合だ。が、そこが裏目に出たわけだ。

しかし、このような前時代の内燃エンジンを積んだものなら、一部の部品を修理するだけで動かすことが出来る。だが、こいつにしたってメーターは死んでいるし、最低限度の修理しか出来ていないために、動かない部分は多かった。だが、次下ります、を示すブザーが鳴らなくたって、料金箱が動かなくたって、問題はない。ただ、各種の警告灯が死んでいるのは少し不安だが、この時代のエンジンは故障なんてほとんどしない。警告灯で故障を知らされるなんてことは、数世代前の外車ならともかく、この時代の国産車であれば、ほとんどない事だった。

 ライフルの弾が当たった時、天然ガスのタンクがどうなるのか?それは俺にも分からない。そんなことは試したことがないし、この国ではそれこそ、銃撃なんてものはほとんど見なかったから、経験から割り出すこともできなかった。  

しかし、理屈の上では、タンクに詰められているガスは20メガパスカルほどの圧力で詰められているし、タンク自体の限界圧はその1.5倍はあるはずだった。

だからタンクの鉄板自体は、それ相応の厚みがあるだろう。単に車の屋根の下よりもマシだと思われた。車の屋根なんて、燃費対策の軽量化で限界までにペラペラだから、この場合、銃弾は貫通して、下に居る人間が傷つく恐れは十分にある。しかしガスタンクの下ならば、ガスタンクを収めるケースに、タンク自体の鉄板、さらに屋根である。これを貫通できる猟銃はないはずだった。しかも、弾が当たれば、タンクの曲面で銃弾がそれる可能性の方がはるかに高い。戦国時代に弾除けで使われていた、竹の束のようなものだ。

ところで、こういう時に、映画の中では爆発してしまう場面だが、理論的には銃弾がタンクの鉄板に当たって、火花が出ることはない。仮に、天然ガスが漏れるようなことが有って、十分な濃度の元で、何か火種が有れば、爆発するだろうが、そのような事はないだろう。これも予想でしかないが、仕方がない。他にいい方法があるか?仮に爆発したとして、そうなればどこに居たって一緒だろう。

銃撃音と、悲鳴が同時に上がった。ライフルのパンパンという音がそれに続いたが、何も起こらない。動いている標的を、いくら大きい的だとは言え、動く物の上から、狙っているのだ。まあ、当たらないだろう。 

「大丈夫。当たりませんよ」

そう言った時だった。何かが裂けるような音がして、運転席の斜め横の床に小さな穴が開いているのが見えた。こんな穴はなかったはずだし、きっと今開いたのだろう。

「勘弁してくれよ」

これが偶然であるのか、狙った事であるのかはわからない。しかしながら、運転手を狙うというのは、正解であるようにも思う。俺だってバスの足を止めたけりゃ運転席を狙うだろう。いや何も、当てなくてもいい。威嚇で十分だ。理想的なのは、運転手が恐れをなして、自分でブレーキを踏んでくれることだ。

 俺はこれがそうした賢い判断の元の威嚇であることを祈った。しかし、威嚇するつもりであっても、それをする当事者が、その能力に長けているとは限らない。失敗することだってあるだろう。だから俺の意識は、相手の腕前が下手くそであってほしいという事から、だんだんと上手であってほしいというように変わっていった。

 俺は前方にフォーカスした。海沿いに走る道は、くねくねと海岸線に沿って、カーブをいくつか描き、その先、突き出た岬を回り込めなくて、岬に沿って内陸に向かっていた。そこまで行くことが出来れば、森の中に入ることが出来るのだ。それは、その先にある山に入っていくことを意味した。そうすればこの追跡劇も多少マシになるだろうし、一番良いのはトンネルが有って、それを利用して奴らを躱すことだった。おそらくトンネルはあるだろう。 

 しかしヘリの音は、もう耳をつんざくばかりとなっている。こちらは道に沿って蛇行運転なのに、奴らは直線を飛んでくるだけでいいのだから、追いつかれて当然である。しかも、その位置も、ほとんど俺の真上に付けているように感じられた。ちょうど奴らは、一機をバスの屋根の上に付けているらしい。こちらからは死角になっている。つまりは圧倒的に不利だという事だ。相手が見えないというのは、気分だって悪い。

 その時、俺の身体を大きな衝撃が走った。と、同時に横のガラスが割れたが、それは一瞬の事で、というのも、その間、目の前が暗くなり、意識が飛んだからだった。僅か、何分の一秒かの暗黒が永遠に感じられた後で、視界が戻ってきた。風は吹きこんでくるが、それ以外に異常はなさそうだ。

「頭!」

後ろから、子供の声がした。皆の様子をミラー越しに見ると、彼らの目は一様におびえた様子で、俺の頭を凝視している。大人は声も出ないと言った様子だ。俺は自分の頭に手をやった。指先に仕込んだカメラの映像を視界の隅に映し出すと、そこにはえぐれてちぎれ飛んだ俺の皮膚組織と、毛髪があった。その下の、人間ならば頭蓋骨に当たる部分の鋼板がうっすらと見えて、灰色に鈍く光っていた。

 やれやれと言ったところだ。人間ならば即死というところだろう。奴らにこちらを殺すつもりはなくても、おそらく十中八九は今まで銃の扱いなどしたことがない人間が、それを扱っているのだから、思惑通りにはいかないというのは当然だ。しかも、ヘリの上から狙撃をするなんて高度な技術の持ち合わせがあるなんて普通は考えられなかった。つまり、奴らは単純に言ってみれば、普通の人が病人になったに過ぎないのだ。

「これくらい大丈夫」

と、俺は強がりでなくそう言った。言いながら、一応乗客の精神面の保護のために、コンソールにおいてあった帽子をかぶることにした。これで怪我は見えないはずだ。

因みに俺のような社会に出てゆくアンドロイドは、嘘もつけるようになっている。そうでないと、やっていけないからだが、この場合、その機能は必要なかった。実際に機能的な損傷はなかったからだ。

試してみたことはなかったが、このくらいの強度に耐えられることは分かっていた。見た目は悪くなったかもしれないが、それはもう、そうしたことが差し支える任務のない俺にとっては、どうでもいい事だった。それよりも何よりも、これで実験は出来たわけだ。一番精密な場所にあの弾を食らっても、大した損傷にはならないことが、わかった。ひとまずは安心である。

 ところで、俺は刑事時代から同じものをずっと着続けている。今着ているスーツは俺が最初に支給されたもので、吊るしの量販店で売っているものの中でも、一番安いやつだった。ウールですらなかったが、その分ストレッチがきいて、仕事をするには、かえってこの方が良かった。長く着ていると通常の生地は傷んでくるものだが、この手の化繊は結構丈夫だし、俺の身体は人間の様に老廃物が出ないから、綺麗なものだった。何よりもパンツのクリースが長持ちするのがいい。頻繁にアイロンを当てなくていいというのは、それだけ傷みも少なくなるというものだ。

 アイロンと言っても、わざわざアイロンを用意する必要はない。俺の場合はまさに手アイロンで、手のひらを高温にしておいて、それを服に圧しつけて、なぞるだけでいいのだった。ただ残念だったのは、蒸気が出ないことだった。それはそうで、もともと、手の平の温度機能はアイロンとして使うようには考えられていない。近接戦闘で、犯人の抵抗意識を低下させるためのものだった。そりゃあ、誰だって、触られるとやけどするとなれば、そんな相手とは遣り合いたくないだろう。

 まあ、ともかくその一番安いスーツを着た俺がバスの運転席に居て、帽子で隠してあるとはいえ、頭だけは大けがをしているという状態は、いわゆる感情として、不安をあおる存在には違いない。子供二人は、慣れていないと見えて、ひきつった表情を取り繕うともしなかった。いや、それは大人も同様で、程度の差と言ったところではある。

 びしり、空気を震わして、運転席の計器を覆うガラスがはじける。いやな感じだ。けっこうやるじゃないか。威嚇としては、満点だろう。

 俺は運転に集中することにした。狭い道幅ではあったが、出来る範囲で蛇行しながら、もちろん規則的ではないので、正確に言うと、不規則に車線変更を繰り返すという言い方が正しい。そうしておいて出来るだけ、的になりにくいように努めた。まあ、俺が撃たれる分には構わないが、バスを壊されてはかなわない。乗客たちは屋根のボンベが守ってくれると見える。たまにボンベをはじいて、大きな音が響くが、何とか持ちこたえている様だ。

 そんなわけで、何度か危ない目をやり過ごし、ようやく岬を回り込んで山へと抜ける道まで、たどり着いた。俺はタイヤをきしませて、バスを何とかそちらの方へ振り向けると。カーブで減速するために、いったん緩めたアクセルを床まで踏み込んだ。

 エンジンは唸るが、そこは巨体の重さか、加速は知れたものではある。しかし、ここからは両サイドに枝を張った森が続いていた。斜め上からでは狙いがつけにくいと見えて、二機のヘリコプターはそれぞれに、一旦方向転換して、こちらの上空の位置を再度取ろうとするものの、多少高度を上げざるを得ず、視界も枝にさえぎられた状態で、ライフルの狙いもやりにくいようだった。そのまま数百メーター進んだが、明らかに被弾することが少なくなる。この木のトンネルは、俺達にはとてもありがたい存在だ。

 だから、俺は出来るだけ木の陰を走れるように、路肩ぎりぎりにバスを寄せた。先程の曲がりくねった道とは違い、山へと入る道は直線に近い。多少の上り坂ではあるが、めいっぱい踏むことが出来る。バスの速度は、どんどん上がっていき、殆ど百キロ近くまでになっていた。

この道は先程の道とは違って、比較的整備されていたので、速度を上げても、車体は安定している。ヘリコプターを振り切れるほどとはいかないが、さすがにその速度まで上がると、ヘリコプターからライフルを突き出して、狙いを定めるという事が、風圧で困難になるだろうと予測され、やはりその予測通りに奴らは銃身を引っ込めて、追跡のみに専念したようだった。

問題は、この先の道の様子次第、ではある。この道が、むき出しの、そして曲道の多い、そういった山岳地帯を抜けるようでは、危険が大きいと言えた。同様に坂が急激になって、速度が落ち続けるようでもやはり危険度は増すだろう。

しかし、この先どうなっているのかは、俺のデータの中には存在しなかった。知っている道をたどるべきだったが、逃走中に、何度か方向転換を余儀なくされて、この道に入り込んでしまったのだ。

目的地は砦と呼ばれる、昔、刑務所として使われていた建物だった。事実上、国の機能が失われて、あらゆるものが崩壊した時点で、受刑者たちは自由になっていた。誰が最初にそれを行ったのかは、不明だが、敢えて匿名の誰かという事になっている。

因みに電気が来なくなったとき、刑務所の装置は機能しなくなった。発電所も、非常用電源も両方ともに、駄目になって、どうしようもなくなったのだ。しかし、結局のところ、それで暴動が起きたり、逃げ出したりする人が出るなんてことはなかったのだ。そのような状況下でも彼らは、看守たちに従っていた。つまりは、さらにそこからの、本物の自由というわけだ。

現実的に、多くの人間を養うことが不可能になったのだから、仕方のない措置だったともいえる。その場所に、閉じ込めたままでは、餓死してしまうからだ。そのような事を強いる権利は誰にもないし、責務を果たすべき相手も存在しないのだから、責任の所在をあいまいにしたうえで、その判断はなされていた。

そのような経緯で、受刑者たちは一旦、そこから出て行ったのだが、行く先々で、すっかり変わってしまった現実に、どうしようもない真実に、向き合った後、戻ってきたものも多かった。何よりも人が生活する為の施設はあるし、出て行くことが困難な施設は、外からの侵入も防ぐことが容易だという理由で、感染者から身を守るため、様々な人々が、自然とそこへ逃れ着いたというわけなのだった。

受刑者たちと、元からの管理者たちは協力をして、流れ着いた陰性者たちを受け入れていた。隣接する、元は服役者用の農場で、野菜などを作り、家畜を育てた。また点在する各地の砦と呼ばれる施設、他には屋内野球場だったり、ホテルだったり、役所の建物だったり、大学だったりしたが、いわば多くの人が寄り合いながら生活の出来る施設を、そのように呼んで、互いに連絡、共同しながら生き延びてきたのだった。

 俺はそうした砦を転々としながら、情報を集めていた。情報は大昔同様、足で集める時代になっていた。問題が発生して居れば、解決に協力し、また困難に直面している砦を探しながら、移動をすると言った風だった。もちろん、根本的な解決、いわば病気の根絶というやつ、に向かって活動している砦が有れば、そうした活動には是非とも従事したかったが、残念ながら、未だにそうした施設には出合うことが出来ていなかった。

 俺が今目指している砦に着いたのは、つい先月の事だった。その砦のリーダーは元受刑者で、まだ罪を償いきれていないから、という理由で以前と同じように受刑者服を着ていたが、悟りを開いたようなその柔らかい空気は、対面した人を瞬時に取り込んでしまう魅力の持ち主だった。

「人が見たら、怖れる事でしょう。この服は威圧感がありますからね」

そう言いながら、彼は短く刈った頭をゴリゴリと手のひらで、撫でまわして、ぼそり、ぼそりと言う。

「でもね、忘れてしまうんですよ。普通に、自由にしているとね・・・」

俺は彼の罪が何なのか、それに関しては何も知らない。ただ律義に、まだ服役期間が終わっていないからという理由で、いつまでも受刑者服を着続ける彼の行動は分からなくもない。犯罪者の中には、自分の罪ととことん向き合って、それを悔やむことで、償いとしている者も多く存在していた。そのタガが外れることを、彼らは怖れたし、そのことでぎりぎり、自分という存在を、かろうじて維持しているのだった。

砦をめぐる俺が出会った連中の中には、俺自身が逮捕した元服役囚もいた。俺に気まずさというものは無いが、向こうが感じているのは分かる。だが、恨みはないようだった。それを持ちそうな連中は、砦には残らない。そういう人々は、どこに居ても、どんな状況でも、他者と共存していくことが苦手なのだ。

数日前のことだ、その砦に居る時に、新しい陰性者が避難してきた。男女数人のグループだったが、彼らは全員がバイク乗りで、同じインターネットコミュニティのメンバー同士だった。この事件が始まる以前から、何か緊急事態が有れば、オフ会で使用していた道の駅を避難場所として、落ち合うように決めていたらしい。メンバーはほぼ独り者で、他の家族は地方に居て、というような共通点から、数人がそのグループに賛同して、意志疎通していた。年齢も、境遇もばらばらだったが、やはりいざという時に、頼れる者が居るという事が、彼らを勇気付けていて、そのことが彼等を結び付けたのだった。

「本来の想定は、地震だったんですけれどね。とにかく、こんなになってしまって、で、避難をして・・・。それでも、暫くは、道の駅にいたのですが、その後は、あちこちに行きました。で、ここのうわさを聞いて、やって来たというわけです」

グループの最年長者は、五十がらみの男性だったが、その避難場所の提唱者で、それがこのような事態で生かされてくるとは、予想外もいい所だと言った。

「バイクは小回りが利きますから、地震なんかの時には、色々と、何か役に立つことが出来るだろうというというのが、それを決めていた目的でした」

「それがこんなところで役に立つとはね」

と、言ったのは二十歳そこそこの若い女性である。小さな体で、爪先立ちながら、大きな排気量のバイクにまたがるのだが、走り出すとめっぽう速いらしい。親子ぐらい年齢が離れているが、趣味が合うもの同士、屈託がない。

「僕らの趣味も幸いしましたよ」

これは、三十代半ば位の男性である。大手企業に勤めるエリートで、デスクワーク中心の仕事だったが、本来は機械いじりのような身体を使うような事をしたかったのだという。

「僕らは古いバイク好きの集まりでしてね。メンテナンスも自分で大概するんです。だからあの爆弾が爆発した時も、何とか大丈夫でした」

「電子制御式の新しいものは全部駄目になりました。おかげで、貴重なガソリンが取り合いにならなくて、不幸中の幸いですね」

と、再び、五十がらみの男が言う。その彼らが見つけたのが、食事を煮炊きした後だったのだ。わざわざ調理をして何かを食べるというのは、人間の人間たるゆえんだった。動物は食物を調理したりしないが、感染者となると、人間はその動物の様になるのだった。

 それを聞いて、砦のリーダーたちが互いに顔を見合わせた。

「やはりね・・」と言う。「誰かが、迎えに行かなくてはいけないね」

 そこで、俺の出番になったという次第だ。俺が機械であるという事は、皆が知るところである。


世の中がこうなる前は、俺は警察という組織の広告塔だった。ありとあらゆるメディアに登場し、その優秀さをアピールしていた。警察としては、機械にその業務を任せるといった事に対する民衆の不安をまず取り除く必要があったわけで、開発側としても、こうした技術が社会の役に立つことや、その精密な出来を生かして、部分としては医療にも応用できるというような、宣伝をしたかったのだった。そしてそれは大いに成功していた。俺は人気者だった。

と、同時に業務上では、露出は問題ではなく、俺は当時いくつかの顔を持っていて、メディアに出る時と、純粋に刑事として勤務するときには顔面の骨格と皮膚の間に当たる軟組織部分を操作して、違う顔にすることが出来た。もちろん声はもっと簡単で、声帯の張り具合を変えることで対応していた。もっと言うと、目の色だって変えられるし、胴回りだって、身長だって数センチだが、変えることもできた。歩き方などは数種類こなすことが出来る。因みに歩き方は個人差が大きい。これだけで随分と印象が違ってくるものだ。

 潜入捜査の時に、役に立つこの仕様は、だから正確に言うと、無限の顏を持つとも言えるが、あまりに頻繁に利用すると、ややこしくなるので、普段は二つの顏という事になっていた。もちろんその部分に関して、知っているのは内部の人間だけで、公にはされていない。だから一部その範囲では、という事なのだが、さらに内部組織では、そういったわけで俺の顔は無限だった。

 しかし、もう潜入捜査は必要がない。奴らは人間を個人で認識することはなかった。感染者なのか、非感染者なのか、という色分けがあるに過ぎない。その識別法として、言葉を交わさずに意思疎通をするという能力が使われているらしいというのは、後でわかったことだ。いや、これもはっきりとは分からない。そうかもしれないという仮定でしかないが、奴らに関して、本格的な研究が不可能になった今となっては、そういう言い方しかできない。大切なのは、奴らがお互いを間違えるという事は決してないという事だ。その一方で、我々の側は、新型に対しては一見での見分けがつかないのだから、大いに不利だった。

 そんなわけで、俺はメディア用の顏のままでずっといる。陰性者からしてみれば、俺のこの機械の身体は、安心以外の何物でもないという事だった。それは俺にとっても陰性者とのコミュニケーションをとるうえで、有利だった。したがって、俺は俺の任務に支障なくつくことが出来た。すなわち、困っている人を助けることだ。

 そのように言うと、奴らだって人間ではないか。という意見もあるだろう。ただの病人に過ぎない。しかし、奴らは、俺に言わせると、犯罪者でもある。嫌がる人に無理やりに噛みつき、病気をうつすなんてことは、犯罪といえるだろう?

実際のところ、それに対する行動規範は明確である。俺の頭の中には、法律や判例が詰まっている。もちろん、軽微な犯罪に対する、揺らぎ判断も出来るようになっていた。俺以前の、初期型は、その辺りが通り一遍で、融通がきかなかったためにトラブルが多かったそうだ。と言っても、俺の仲間である機械の方には、悪い所などないわけで、それでも、現実社会と法の間の微妙な線引きが、いわゆる阿吽の呼吸というやつが、出来るようにならなければ、実際にはやっていけないと、こういうことだ。

 そこで、清濁併せ呑む、といった性能が追加されたのが、この俺だ。現実の警察官に数多くインタビューをしたうえで、或いは無記名のアンケートによる様々なデータが、法律という原則に対する、特殊な揺らぎを持ったアルゴリズムを作り上げるために利用された。俺にはそれが、組み込まれている。だから、もし俺が交通課に配属されたとして、順調に流れる路線で、全体として日常的に起こりうる、僅か数キロの速度違反など、見逃すようになっているが、それが通学路で、学童が居る時間帯にされたとなると、俺の警報は発動するようになっていた。

 そうした能力は、社会的に歓迎される。俺の判断はいちいち、ニュースで紹介されたし、その多くは賛同を得るところとなった。皮肉な話だが、杓子定規ではなく、いい加減なところもあるという事実が報道されて、俺の信頼はより堅固なものになった。そして、そうした存在であったという事が広く行き渡っていたこと、それが、今のような世の中になって、絶大な安心感を人々にもたらすこととなっているというわけだ。

 その俺の能力だが、俺にはありとあらゆるその道の達人たち、射撃の名手や、ドライバー、航空機の操縦士、格闘家、そうした人達からの、身体の動きに関する詳細なデータが、組み込まれていた。というのも、実際にそうした人たちにモーションセンサーを付けて、実際の動きを数値化して、それを再現できるようになっているのだ。

例えば、格闘家が相手に技を繰り出すときの、それぞれの手の動きの位置や、早さ、加速度、などが記憶されており、俺はそれに修正を加えて、再現すると言った具合なのである。

そのための筋力などは、その行為に必要なだけ与えられている。別に特別大きな力を持っているわけではない。それは必要ないと考えられたからだ。俺は作業員ではないし、何より、大きな力を生み出すためには、燃料も食うし、身体だって大きくならざるを得ないからだ。だから、力でねじ伏せるという事ではない。技で相手を抑え込むタイプなのだ。しかし、同位のものと対峙した時には、俺の体は頑丈だから、それだけでも優位性があったわけだ。

 ちなみに、俺にデータをくれた達人たちの中には、様々な人がいる。パルクールの選手や、ダンサー、ありとあらゆる国の料理人、菓子職人、大工、電気技師なんかもいる。これなどは潜入捜査の時に違和感なく溶け込むために、出来るだけ多くの職種を取り込んであったのだった。もちろんそれを再現するためには、知識も必要で、それも入力されている。

電気技師の腕前は、もちろん例の爆弾で壊れた過去世代の道具を修理するのに役立った。このバスだって、動かないものを俺が修理したのだ。

 その俺は今、レーシングドライバーの腕前を十分に生かしている。バスを巧みに操り、その持てる能力を最大限に生かし、可能な限りの速度で、かつ安全に奴らから逃げきる努力をしている。と、そういう訳だ。安全にというのがミソだ。俺には搭乗者をいたずらに危険にさらすようなことはできないからだ。しかし、それを差っ引いても、俺の腕前による運転は、驚くべき速さだと言えるだろう。普通なら、ヘリコプターになんか、立ち向かえない。もっと早く捕まっていたはずだ。その俺にこの技術を提供してくれたドライバーが今何をしているのかは、わからない。世界的ラリー選手権で、何度も優勝した、そうした選手なのだが、無事であることを祈るのみだ。

 もちろん俺のこうした能力は、皆が知る事であって、後ろに乗っている家族たちも例外ではない。だから、俺がバスでドリフトまがいのコーナリングをしようが、坂道をジャンプして飛び跳ねるようにかっ飛ばそうが、しかし、これはイメージであって実際にそのような事が出来るわけではないが、それに近い暴走状態であっても、信頼関係が彼らの不安を和らげてくれているのだ。それも有り難い事だ。いや、そう願いたい。今も、何処かへ何かがぶつかって、大きな音を立てながら、何らかの部品が後方へ転がっていったが、彼らから苦情は出ないのである。

「何か外れたよ!」

と、子供が叫んだが、これは苦情とは言えない。子供なんて見たままを叫ぶものだ。報告ですらない。だって、そんなこと言われなくても全員が分かっているからだ。

エンジンは悲鳴を上げるように、唸っている。それも変わらずだ。ずっとこうなのだ。異常のない所を見ると、外れた部品は、どうという事のないものだったのだろう。何かのカバーかも知れない。むき出しになっているところが、何処なのかが問題だが、見た目とか、或いは空気抵抗に関する部品かもしれない。自動車の下部には、空気の整流板があるものだ。アンダーパネルと言うが、それがバスにあるのかどうかは、わからない。もしあるとしたら、風切り音の低減とか、乗り心地に貢献するような働きをするのだろうが、そんなものは無くたって、この走りの元では影響はないだろう。

 しかし、どれほど腕が良くたって、この車ではなかなか、こちらが優位に立つという事は難しかった。ヘリコプターは余裕で並行飛行を続け、銃弾が飛んでくることは無くなったが、おそらく砦迄付いてくるだろう。そのことは別に構わない。砦は感染者たちには知られた存在だったし、たとえ空から奴らが侵入しようとしても、それを防ぐ手段は?はて、どうだろう?

 

ところで、電磁波爆弾によるテロがもたらした最大のものは、インフラを破壊したことだった。水道も電気も、ガスも止まってしまった。一部のプロパンガスや、ボンベのものは使えたが、それはすぐに無くなってしまい。供給は考えられなかった。最も幸いな事だったが、原子力発電所は、これらの攻撃に対して、あらかじめ防御対策が成されており、無事であった。

それにもかかわらず、電気が止まったのは、送電網のあちらこちらにある繊細な回路が焼き切れたためだった。変電所はダメだったし、特に、各家庭のメーターは電子式で、こいつも軒並みダメになった。変圧器は、もう誰も確かめようとはしなかったが、おそらくダメだろう。

原子の灯自体は燃え続けていたが、これを発電に利用するという事は、徹底的な復旧工事が必要であって、それは不可能に近かった。

以前より、電磁兵器の脅威が、伝えられてしばらくになるが、長年の懸念であった実用化が、現実のものとなると、少なくとも原発だけは取り急ぎで、対策が施されたのだった。しかしそのシステム全体となると、また話は別であって、取り急ぎ施されたのは、原発の冷却システムのバックアップに限られていた。少なくとも、核燃料の暴走によるメルトダウンだけは何とか防ぎたかったし、事実それは、紙一重で回避出来たのだった。おそらく世界中を見てみれば、それが不幸にも起こってしまった所もあったかもしれない。しかしそれは通信網の寸断されたこの世界では、情報を得る事すらできなくなっていた。

逆に言えば、そうであったから、この作戦が実用化されたのだと、言う人もいた。それはうがった見方だと、彼らはあと少しのところで、自らの寄生母体も滅ぼすところだったんだ、という人もいた。ただ、単に両方にとって、運が良かったのだと、そういう意見は共通だった。

ともあれ、少なくとも、この国においては、運よく最悪の被害は逃れることが出来たのだった。それは、幸いにも、準備のたまものと言えようか。しかし、ぎりぎりのところで危なかったことを思えば、先の言う通り、偶然ともいえる。そこのところを不思議な気持ちでと、皆同様に言い表して、何らかに、導かれた感はぬぐい切れなかったし、そのことに感謝したい念は自然と湧いて出るのだった。 

しかし、こうした事態が、全世界で一挙に起こるというのは、いくら何でも想定外だった。一旦なでおろした胸が、次の瞬間には、再び不安に襲われたのは無理もない。

数多の原子炉は、緊急停止時に働く安全装置が電磁波対策された状態で、スタンバイされていたが、それ以外の系統の復旧に関しては、それらに必要な資材を、外部から取り寄せることに頼る想定になっており、外部というものが無く、すべてが当事者となってしまった今、どうすることも出来ずにいた。皆が途方に暮れる中。原子炉の灯だけは無為に燃え続けていたのだ。

電磁波による攻撃というものは、最新の微細で、高性能な回路をすべて焼き切っていた。そのすべてが、ダメになるにあたり、それを作り出す設備ですら、そうした回路を使用していたという事に、人々は愕然とした思いを持ったのだ。

この状況が、今のような伝染病の蔓延という危機状態に無くとも、それを回復させるには、相当な時間と労力がかかっただろうが、既に壊滅的な状況にあった人類は、濁流にのまれて流されるように、急速になすすべを失って行った。

それは、今向かっている砦とて、例外ではない。他の砦も同様だろう。水道は完全に復旧の見込みがなく、何処もどうすることもできなかった。水道管理の無人化を推し進めた結果、システムの制御は電子回路の集積によるものだったし、いわばシステムの心臓ともいえるポンプ自体が、電気が来ないことによって、動かないのは、死んだも同然だった。脳と心臓がともに動かない状態でどうすることが出来るだろう。浄水場には、停電時に電力を自家発電に切り替えるシステムが有ったが、これらは原子力発電所の場合とは違って、電磁波攻撃に対して対策されていなかった。従って、この安全弁は作動しなかったのだ。皮肉な事だったが、発電機は最新型で、電子制御タイプだった。

発電機自体は、基本的なその仕組み自体は、昔から変わらない。所謂、モーター様のもので、電気を通せばモーターは回るが、逆にそれが止まっている時に力を入れて回すと、電気が作られるというものである。運動エネルギーを電気エネルギーに変えるわけだが、この運動エネルギーを得るために、事業用の大きな発電機というのは、それなりに大きな、トラックや、船舶用のエンジンを使う。エンジンには、必要な電力量が変わることによって、常に負荷が変わるが、これはトラックや船舶としての使用時にかかる負荷よりも実は大きい。負荷をかけ続けるとエンジンは壊れてしまうので、これを制御するためにエンジンへ燃料を噴射する時に、電子回路が使われていたのだが、それが焼き切れてしまったのだった。これは先程のバイクの話と同じである。高性能な最新型エンジンを積んだバイクは燃料噴射が電子式なので、使えなくなったが、そうではない、敢えて趣味で旧型バイクを愛用していた人たちは、無事だったというわけである。

そうした経緯で人々は、水の供給を昔ながらのやり方に変えざるを得なくなった。井戸や、雨水、或いは河川の利用という方法である。世界中では、もとよりこうした地域もまだあったが、水道をひねれば、飲める水が年中タダ同然に手に入る環境下にあったこの国では、かなりの苦痛と不便さを味わう事となった。

だが、それはぜいたくな悩みに過ぎない。降水の少ない地域からすると、使える水は、まだまだ潤沢で、手近だったからだ。それでも、水は加工しなくてもすぐに飲めるという今までの便利さを、一挙に失ったことは多くの人に、今までの恵まれた環境のありがたさを、再確認させた。元々が、水道をひねるとそのまま飲める水を提供できる国は、アジアでは二か国しかなかったのだ。

水は供給側も大切だが、その逆もそれ以上に大切である。いわゆる下水の事だが、これも大きな処理場では、同様に発電機を持っていたが、やはり役に立たなかった。地方の小さな下水処理場では、発電機すらないところもあって、これらは制御盤や、ポンプの停止により、完全にその機能を失ってしまった。

衛生面で、問題が多発するようになり、病気になったとしても、医療システムが機能していなかった。衛生の占める割合は、生活の中で大きなものになった。

人々は下水処理のルールをめぐって争い、暴力行為にまで発展する事が多発した。窓から糞尿を、道路に向かって投げ捨てて、それで汚れないようにと、ハイヒールを発明して、履いていたような国とは、根本的に、感覚が違うのだった。

そこで、結局人々がたどり着いたのは、江戸時代の衛生管理に関する治世方針だった。ネットのない時代に戻ってしまった彼らは、資料を求めて図書館に行き、そこで江戸時代の人々が行っていた衛生に関するやり方を学んだ。驚いたことに、それはとても優れたものだったし、すぐにでも使えるものが多かった。糞尿は農業の肥料として再び使われるようになり、処理水は、河川への排水に出来るものと、出来ないものに明確に分けられた。

ゴミは極力出さないようにされ、徹底的にリサイクルが成された。大量生産システムや流通システムがないことが、物を大切に使うという事に繋がり、ゴミの減少につながった。ゴミによる環境破壊は、だんだんと少なくなり、物は最後の最後まで有効利用された。最後は燃料として燃やされ、調理に、或いは暖房に使われた。暖房は主に、医療現場に使われることになった。そのことに対して、江戸の人達を見習う事に、人々は異存が無かった。 

初期のころには、衛生のまずさで、人々は多くの同胞を失っていた。それでも、都市の人口を支えるための食糧事情は、当初、心配されたが、そのうち杞憂に過ぎないことが分かってきた。つまり、娯楽のすべてと、商業のほとんど、工業の大量生産部分を失った社会では、農業生産と生活そのものが物事の中心として多くを占めていた。故に、土地は殆どが農地として有効活用され、その中で、人口の稠密さからくる、無尽蔵ともいえる堆肥の供給の中で、出したもので、入る物を作るという、単純な、循環のバランスの妙に、人々は、今更ながらに驚嘆の念を持った。

その上で、電気がなく、物を冷蔵或いは冷凍保存出来ないという今回の事情が、今までに、正にその能力が人々をして、いかに大量の余剰在庫を、或いは廃棄を生ましめていたか、という事に、人々は今更ながら思い至った。 

日々の糧だけを、必要なだけ収穫、消費する分には、今までのデータからは考えられないような、小さな量で賄うことが出来た。専門家は、それでも全体を管理するために、一人当たりの必要なカロリー、栄養素を計算して、食料の供給を調整した。その上で、収穫のない時に備えた備蓄は、冷凍、冷蔵に頼らないものに限って実施されていったが、破綻は無いように思われた。

先ず、いわゆる嗜好品の耕地における生産は、優先順位を下げられた。季節や土壌環境における、最も効率のいい、それはカロリーとしても、栄養価としても、無駄のない作物が選定されて、計画的に生産された。

その上で、食物は、最も栄養価の高いやり方で調理された。米は精白されず、玄米のまま供され、野菜は極力皮ごと調理された。その上でも、但し、味は二の次という事ではなかった。工夫は、凝らされ、満足度は常に求められる。人々は、知恵を出し合ったのだ。

ある物を、その恩恵を引き出しつつ、最大限に生かそうという考え方は、自然と徹底された。もちろん日々の糧となる食物と、緊急時に供出される備蓄用のものは、計画的に、厳密に分けられた。

ある意味、管理統制された社会構造だったが、必要に迫られたうえでのことだった。生き残るための道具、としての構造だった。だから、十分に納得された上のことでもあった。これ以上、病人を出せなかったし、一人たりとも貴重な人口を減らすわけにはいかなかった。

危機感が、すべてを丸く収めていた。共通の敵が、身内で争う事を許さなかった。そのことに人々が思いをはせるたびに、争いというものは、余裕が生み出すに違いないと、感じることも多々あった。

衛生と食物の栄養管理が行き届くと、農業や手工業といった肉体労働、徒歩による移動などの運動、はたまた電気がないことによる自然な睡眠時間の延長は、人々を今までよりもむしろ、健康にし、これに寄与した。

それらはわずかながらの、余剰下にして、余暇の有効な使い方を人々に突き付けることになった。当初人々は手持無沙汰で、次に過去への復興を試みたが、これに失敗すると、また手持無沙汰な期間があり、最後は現状をより豊かにするための学びへと舵を切った。自然や、生物、周囲の環境といった事に、関心が向いて、今まで人任せだった食物生産や、天気に関する事、暦に関する事などが、誰もが深く関わりをもって、自分中心に回り出すと、がぜん興味もそそられるようになり、そこに楽しみを見出すのだった。

交通事故は無く、たまにどうしようもない病人は出たが、コミュニティの状態は全体として、良好だった。出生数は徐々に増えつつある。数は力だった。労働力として、或いは感染者に対する力の維持でもあった。

この社会の、特例たる所以は、現実の脅威としての感染者を、いついかなる時点で、治療が確立するかわからないという理由から、怖れて、距離を置きながらも、彼らが生きるための糧を、こちらから供給していたという事であった。

つまり感染者には感染者用の食事施設を設けて、そこへ食糧を供給していたのだった。それはもちろん調理している、つまりは残り物であることもあったが、そうではないこともあった。原材料のままでも彼らには不満は無いようだったし、むしろ調理されているものよりも、生のままの方が人気が有ったと言っていい。一部の加熱しなければ、消化のままならない、或いは毒性のあるものを除いて、未加工でその場に配達をする。それを感染者たちは、大人しく食べていて、生きながらえているのだった。

そのこともまたやむを得ない事だった。そのようにしないと、感染者たちは、みるみるやせ衰えて行ってしまう。彼らはそのことを、別段気にしている様ではなかった。生きていくために、最低限のものを食べてはいるのだ。しかしながら、その状態は、見るに見かねるものが有った。それは、以前は知人であり、家族でもある人たちなのだ。

その意味で、ウィルスは社会全体にすらも寄生していた、ともいえるが、これは当然の帰結だったろう。人類は、ウィルスに奉仕している、という皮肉な言い方をするものも、中にはいたが、口には出さないまでも、この意見に関しては誰も否定はできなかった。

皮肉なのは、そのことを彼ら感染者たちが、自覚していたことだ。いや、ウィルス自身の自覚、と言い換えよう。それは、陰性者たちが、彼らの食事に携わる仕事をしている時には、姿を見せない、或いは姿を見せても、視界から自然と消えていく、といった事からも、察しられた。

だから、陰性者たちが砦の外に出て、畑に向かう時には、感染者たちは見て見ぬふりをしていたし、海まで塩を作りに行くときにも、同様に養殖用の生簀の魚に、残飯を与えに行くときも、それは同様だった。

もちろんそのことを利用して、他の用事で砦の外に出る時もあったが、そう言った時、感染者たちはどういった訳か、そのことを見抜いてしまうのだった。畑を素通りして、他の場所へ行こうとするとき、彼らは必ずそのことを察知して、その人間を数で囲い込み、狩り出して自分たちの仲間にしてしまうのだった。

無計画や、行き当たりばったりではなかったのだ。生かさず殺さずと言ったところだろう。ある程度の、奉仕者を残しながら、少しずつ感染者を増やしていった。だが、果たして、全体を通じて、その事を誰がコントロールしていたのか?

その能力も含めて、人類には解明できなかったことの一つである。渡り鳥が、群れを成して、同じ方向を目指すように、大量発生したレミングの群れが、集団で行動するように、きっかけや拠り所は、一見したところでは不明ではある。しかし、何らかの力で、そのことを感知していたことは間違いのない所であった。

ともあれ、宿主が種として持つ、自身の保存欲求すらも利用し、また我々にはない能力を駆使して、彼らとしては仲間を増やし続けたのだ。

他の、最終的に宿主を死に至らしめる、いわゆる毒性の強いウィルスならば、宿主の行動範囲すらも狭めてしまう。つまり、感染拡大の可能性は、下がってしまう。一方で、宿主が死ぬと、ウィルスも同様の道をたどる。宿主とウィルスは一蓮托生なのだ。結果として、これらは徐々に排除されて、死に絶えてしまうが、今回のこのウィルスに関しては、その毒性というやつが、実に絶妙だったともいえる。


「奴らにしてみれば、共生と言われてしまうのかもしれません」

とある研究者は、このウィルスのあまりの特異性にこう漏らした。

「強者の理屈という事ですね?」

同僚がそれに返して言う。反論を予想していた研究者は、少し戸惑った。おそらく同僚も同じような事を考えていたのだろう、と結論付けた。

 二人とも、今まで、人類が行ってきた自然保護や、環境へのかかわり方などを、思っていた。いや自然に対してだけではない、同胞に対しても、強者側からのアプローチは、人道支援という名を借りて、多少利己的ではなかったか?という事だった。

 種を守ると言い、希少動物たちを保護すると言い、ひいては回りまわって自分達の身に降りかかると言い、捕獲し、閉じ込め、管理した。経済や社会的に支援が必要と言い、その国に潜り込んで、利益を得ようとする。で、それを共生と呼ぶ。

「ジレンマはないでしょうね、奴らには」

研究者はそう言ったものの、後悔した。ジレンマが有ったとして、それがどうだというのだろう。いやそうではない。ジレンマが生まれるはずはない。

彼らはすべきことをしているだけだった。その意味で、彼等にもまた選択肢はない。そのことを考えると、人間の行為は偽善的で、選択肢は多分にあった。それ故にジレンマの生まれる余地があるのだ。

 

緩慢だが、絶対的な侵略だった。宿主にとって、意思を奪われる以外は、身体的なダメージがあるわけではない。あくまでも健康体だった。むしろ、健康を維持されていたともいえる。多くの場合、少なくとも、宿主の身体を無目的に傷つけることは避けられていた。個人的には、それを緩慢という言い方すら出来ない。感染したところで、死ぬわけではないのだ。

むしろ、このウィルスに感染したものの中に、病人が見当たらないことは、あまり考えたくない事実だった。どこかに病人はいるに違いないという意見もあったが、事実確認は無かった。感染者の死体は、致死的な事故によるものに、殆ど限られていて、まだ寿命による自然死すら、確認できていなかった。

自然界では、天敵はいない。やせ衰えていても、十分安全なのだ。

彼等は、自己の怪我に対して、無頓着であったが、それが原因で、死に至る事すらなかった。長らく、放置をしていて、痛々しいままで、しかし痛みを感じることは無さそうで、少なくともそう見えた。ぎこちなく活動をしてはいるものの、驚くべきことに、放置しているだけなのに、治ってしまうのだ。あまりに卓越した快復力が、痛みという防衛機能を必要としないように思えた。

ウィルスは、宿主の免疫力を上げ、病原菌から宿主を守っている。仮にけがをしても、快復力が向上していて、完治期間が短縮していることは間違いがなかった。ひょっとすると、嫌な予感がするとばかりに、人々が噂しあった事には、老化の速度ですら遅くなっているかも知れないと、そうしたこともささやかれた。

既知の感染者が、なんとなく若がえったように見える。

あの人、あんな感じだったかしら?

条件は同じはずだった。同じものを食べて、かたや調理しないままに食べることが多かったという事を除いて。化粧なんてものが、無くなってしまったのも同じ。むしろ、私たちは身体を清潔に保っている。そうした会話が、砦の外にいる感染者たちを眺めては、ささやかれることが多くなった。

禿げていたのに、髪が生えている!

白髪が黒くなっている!

というのは、明らかに、目に見える違いとしては、かなりの動揺を生んだ。見る人によっては、打ちのめされた感じもした。こうなっては確実だった。遠距離から見て、若々しく見えるような気がする、といったような事とは完全に違っていた。

生食が良いのかもしれない。

と、言い出す人もいた。何年も前に流行った説で、ある物質は加熱調理によって作られて、老化を促進するという理屈だった。そういった人たちは、例外なくそれを真似たが、数日で嫌気がさして、元に戻った。

どうやら調理というものは、人間にとって、不本意ながら、不可欠なものらしい。

禿げようが、髪が白くなろうが、しわが増えようが、もうかまわない。

香ばしく焼けた、食品の美味しさの魅力には敵わないのだ。それを指して、悪いものには中毒性が付き物だと言いながら、頑固に続ける人もいたが、五十歩百歩だった。

美味いものを食べられない人生なんて、何の意味があるのか?この世界で!

と、そういう事なのだ。


だが、少なくとも、ウィルスが人間の身体に働きかけて、人間を健康体にする、という噂は確信に近いものとして、語られるようになった。

感染者たちは、陰性の人々とは違い、明らかに劣悪な環境で暮らしている。

寒暖差も、紫外線の影響も、衛生管理も、すべてにおいて、陰性者の方が有利なはずなのに、陰性者に病人が発生して、そのたびになすすべなく亡くなることが多かったのに対して、一方で、感染者たちはそうしたことに、完全なる耐性を持っている様だった。

陰性者の中には、砦の中で病気にかかり、それがどうしようもなくなると、砦の外に出て行って、感染者と交わり、自ら感染するものすら出始めた。

砦の中に居ては、助かる見込みはない。

しかし、感染者となって、病気が完治し、そのうちにこのウィルスに対する方策がとれるまで、時間を稼ぎ、待った方がいいと考える人は、ますます多くなっていった。

昔流行った概念、冷凍睡眠で、ある不治の病気にかかった人が、その治療方法が見つかるまで、眠り続ける。そうしたことと同意で、考えられだしたのだった。

その結果、感染者に狩りだされ、感染する者よりも、こちらの数の方が圧倒的に多くなっていった。つまり、ウィルスは人間に勝利しつつあった。

当初の懸念は、彼らが人間の生殖能力を利用するのではないかと、いう事だった。生まれた子供は最初から感染者で、それにより数を増やすであろうという、そうした危惧であった。だが、それが確認されたことは、ついぞなかった。その上、奇妙な偶然に過ぎないと思われたこともあったが、妊娠中に感染者となることがない事にも、そのうち気が付きだした。

これは、推定にしかならないが、おそらく妊娠出産という行為自体が、宿主の身体にとって、危険をはらんだ行為でもあることが原因であろうと考えられた。母体にとってもそうだし、子供の方だって、育つまでは比較的に危険な状態である。自らの意志がなく、単なる、自己個人の生存のために、最低限必要な行動しかしない、そういった感染者たちを見ていると、彼らが母親としての母性本能を持っているとも見えず、子供を育てる、保護するというような風景は、彼らの中には見いだせなかったのも事実である。

このことは、ある大きな意味を持っている。奴らは、人類全体を感染者にすることはない、ということである。家畜を飼う人が、それをすべて食べきることをしないように、調整された数字の下で、その犠牲者は出ていくことであろう。あくまでも個人の欲求ではなく、集団の意思の元、統率されて、まるである種の、集団生活をおくる昆虫のようでもあった。

そして、逆説的に、集団に忠実なあまり、個人としての、他者への無関心、これこそが感染者の特徴の一つでもあった。人と人が集まるのは、それは集団に都合の良い群であり、それでもなお、個々の集まりでしかなかった。ある種の人間らしい社会性は、皆無だったと言っていい。助け合いがない代わりに、闘争もない。と、そのような具合なのだ。個々のつながりの薄さが、感染者に対する、ああはなりたくないという想い、そのことをある種の人間たちにとっては強く感じさせることにもなっていた。

孤独でも平気だ。むしろそのほうが良い。そのような人はそこに対する感じ方は異なっていたが、人とのつながりが大事だという人は多数いるものである。その種の人間にとって、単独で生きていくという事は耐えられないらしい。だが、その辛さは感染するまでであり、感染すれば、そのことで悲しんでいる様には見えないのだ。

無欲の彼等を、仏になぞらえて、そういう風に呼ぶ人たちもいて、いわゆる仏さんたちは、その悟り故に、愛別離苦すらないのだと、うそぶくこともあった。しかし、これはまんざらでもないのであろう。

そのような環境の中、人間は、その数を増やし、育て、病気になれば、その身をウィルスにささげた。言ってみれば、宿主としては理想的だろう。また、感染者のために,それは言わば、ウィルスのために、食糧を世話し、その食糧生産のために労働をする。生産物が徐々に、その分担の比率において、感染者の分が、増えてゆく。おそらくどこかで、この数は逆転するのではないか?このまま事が進んで行けば、少数の人間が、多数の感染者たちを支えるために、労働をしなければならなくなる時がやってくる。それは、まるで奴隷労働そのもの、と言えるようになるであろうということは、目に見えていた。


俺はそれでも、出来ることをするしかないと、そう考えている。先の事を、色々考えて、思い悩んだところで、仕方がなかろう。

その他多くの陰性者たちだって、同様だった。生きるという事が最大の目的となっている、この時代においては、目の前の事を、すなわち、すべきことを、やらざるを得ないことをするだけだ、という事が、そうした陰にこもりがちな気を、紛らわせているには違いなかった。

幸運だったのは、前世紀の社会システムの遺産が生かされていたことだ。それはともあれ、教育であり、社会の常識というものであり、社会の構成員そのものを支える精神的成り立ち、とでも言うべきものが、少なくとも、この国においては、混乱を最小限のものにしていたという事である。

海外の事は、予想のしようもない。様々な人種が居て、様々な宗教が有って、それが強固に存在する。そのような、分離した小さなグループがたくさんある社会で、現状がどのようになっているのか、考えようもなかったが、そのことだって、心配しても仕方がない事だった。

政治は機能していなかった。政府もどうなっているのかわからない。そうなってくると、国という機能は無くなってしまって、最初に意味をなさなくなったのが、貨幣だった。

紙幣は、丈夫な紙という以外の価値は無くなり。物の修理などの補強材として使われた。メモ紙としても役には立たなかったし、何かを包むには小さすぎた。そういう意味では、一万円札よりも、新聞紙の方が、はるかに価値を持つ社会だった。短期貯蔵分の野菜の鮮度を保つために、新聞紙は使われたが、それは一回きりではなく、何度も使われた。それが破れてしまうと、補修に一万円札などを使うという具合なのだ。

一方で、硬貨は、その硬さを生かして、工具の先端部分として使われたりしたが、加工の困難さもあって、一旦は大概が捨て置かれることになった。しかし、あるところで、感染者が狩に使う、猟銃除けの防弾着として衣服に縫い付け加工されて、それは大いにもてはやされることになった。実際に、一部の猟銃に対しては、硬貨の硬さは十分にその力を発揮したし、危険な任務に際して、身を守る道具があるという事は、それだけで安心感をもたらすのだった。

デジタルの貨幣は、その瞬間に姿を消した。多くの預金、株などの資産も、同様だった。しかし経済が破綻して、それらが形を保っていたところで、意味のない事は同じだった。

不動産は、少なからず意味を持ったが、価値の基準は大いに変わって、それは安全性や、食料生産などの、生活上の利便性と結びついた。だが、それを保持することの、意味の無さに人々はすぐに気付いたし、それよりも身を守るためには、集団でいるという事が何よりも大事だったから、個人の所有物というのは、自分が属する集団への寄与という形で、共同のものとされることが多くなった。

共通の敵、或いは脅威があるというのは、人々を結び付けるものだ。

また、社会における人間の価値というものがあるとしたら、それもまた変わっていった。以前の社会においてもてはやされた、その為に高給で、その価値を認められた人々は、そうではなかった人たちにとって代わられた。

いわゆる、インターネットやコンピュータ関係の技術を擁する人々、大量の物流、生産を担っていた人々、金融の専門家、マスに向けての娯楽を生み出していた人々は、その持てる技術や、経験を生かすことが難しくなった。 

一方で、最ももてはやされたのは、一次産業に携わる人々だった。農業や漁業、畜産業の専門家はどこに居ても、その技術、経験を、集団の中において、役立てることが出来た。いわゆる職人と呼ばれる人々も同様だった。大工や、配管工、電気技師、などの人々である。

知識層の中では、生物学者、中でも昆虫学者、植物学者、或いは農学者、栄養学者、などが過去の社会以上に、もてはやされた。これらの知識は、すべて食に直結していた。昆虫を、以前から食べることに慣れていた昆虫学者は、単なる変人扱いから、その地位を逆転させた。但し、それは食糧生産が波に乗るまでの間だったが、その知識が人々の間に伝わったことは、十分に価値が有ったと言えよう。

もちろん昆虫は、養殖をされて、その後の貴重なたんぱく源であり続けたのだった。しかし、肉や魚が出回り始めると、一部の愛好者を除いて、多くの人はそれを最終手段として、後回しにした。昆虫は、それでも永遠に生き続けるわけではない。それなりの寿命がある。死後は、鳥や魚のえさになり、その姿を変えて、人間に食べられることが多くなった。

両方の時代を通じて、価値の変わらなかったのは、やはり医者、看護師、介護士などの人々だった。命に係わる、これらの仕事はどの時代でも、尊い仕事であったのだ。

俺のいた警察は、やはり分解してしまった。法の秩序というものは、国のバックアップがないと、きっちりと機能しないのだ。そういった治安を守る組織が必要だとして、誰かがその役目を引き受けても、国という後ろ盾がないと、私警団というものは、抱える問題が多い。三権分立というものは良く出来たもので、人類の発明の中でも、かなり大したものの中の一つだと思うが、私警団というやつはこの辺りの区分が、やはりあいまいになりがちで、一つ強力な組織が生まれてしまうと、人間というやつは、すべての力を一点に集中したがるものなのだ。だから敢えて、確立された力を持つリーダーを置かず、同様に、決められた任務を行使するにあたって、ある権力をもってそれを司る組織を、きっちりとは定めなかった。緩い自治を行いながら、決めないといけない事は、合議制で決めて、警察機構は全員が、個人個人で、その力を持っているというそうした社会形態がとられていた。

これは、社会そのものが、状況によって、最小単位に区切られてしまったという事が、大きな原因である。一つ一つの自治体が、物理的に、互いの連携を取りにくかったという事も大きい。各々が自分の団体の中で、その社会行為を完結せざるを得なかったのだ。また、小さな自治体はそのことを可能にしたし、そうした合議制の全員参加型というやり方が、現状に合っていたともいえる。

古代ギリシャのポリスのようだと、誰かが言った。中央集権は、もっと広い地域を、(例えば中国ほど広ければ、これはもう中央集権でしか、政治は機能しない)収めるのには適しているものの、こうした少人数のコミュニティには合議制が適しているというのは、歴史が証明していた。

ともあれ、この社会において価値の高い、それらの人々は、その絶対数においても、少数派で貴重な存在だった。各集団の中には、それらの人々が含まれない、または極端に少ないというものも多かった。移動が容易ではなく、離れた場所との連絡もままならない現状では、自分のいる集団に、そういった人がいる、いないというのは影響が大きかった。地域性は顕著で、特に人の多い都心部では、医療従事者は多かったが、一次産業従事者が少ないという傾向は強く、地方では、逆に食料に関する人材が豊富だった。より条件のいい、つまりは食糧生産の経営が上手くいっている集団を求めて、人々は都心部から、地方へ地方へと移動していった。

農業や、漁業、畜産などの食糧生産に関する知識、或いは医療に関する知識は、文字通り生き残る力だった。行き当たりばったりで、失敗することは許されなかった。誰もが当事者となって、責任の重さを自覚した。再び、図書館は、その力の象徴として、姿を表した。そのことは長らく忘れ去られていたのだ。それは希望の象徴だった。人類の英知がそこに詰まっていたのだ。ヘレニズム時代にローマの人々が抱いた、アレキサンドリアへの憧れや、畏敬の念は、再び現代によみがえったのだ。

知識の独占は、されなかった。つまり図書館の知識は、広く平等に利用された。そのような事は、競争社会においては有効だったかもしれないが、この状況下では、出来るだけ多くの集団が生き残ることが重要だったのだ。

誰かに抜きんでる必要は無かった。他の場所はいざ知らず、この地域においては、人は人同士で、争う事をやめていた。共通の、多数で、強力な敵の存在が、人の結束を生むことになったのだった。

図書館に集う研究者たちは、書物を転記して、別の紙に内容を落とし込んでは、まとめて整理し、その知識を広げることに注力した。学びは常にこうしたやり方で行われ、原本は出来るだけ大切に扱われるようになり、写本の写本が砦の間で交換されるという、いわば知識の交流が盛んになった。紙に書かれた文字は、人類の宝だった。

感染者の不思議な能力は、この行為に対しても、見逃しを貫くことになった。そういった意味では、彼らの長期的な目線は、実に合理的だったし、その見た目からは想像もできないくらい、知性と言ってもいいほどの何か、の存在を感じさせることもあったのだ。

自然に生きる生き物の知恵もそのようでもある。だが、それは長い年月、気の遠くなるような年月、をかけて獲得されたものでもある。百年に一度、大きな岩を布で撫でて、その形が変わるのを見るがごとくなものなのである。

しかし、その流れは、残った遺物によって、想像できるものもある。しかし、このウィルスに関しては、そうした履歴が何もわからない。おそらくこの先もずっとわからないであろうという事が、わかっていることだった。


 そうこうしている間に、俺たちを乗せたバスは山道に差し掛かっていた。幸いにして、山道の傾斜はそれほどのものではなかった。バスは、良い調子で走り続けた。もはや手入れされることのない樹林は、道の上に覆いかぶさり、緑のトンネルを作っていた。切れ切れになった枝の隙間から見える青空に、時折ヘリコプターの姿が見えるが、かなり距離を取らなくては、枝に邪魔されて、近づくことすらできない様だった。

 爆音が切れ切れになり、遠くになった。俺は小さくなっていくそのエンジン音を計測し続けていた。明らかに、奴らはこの場から離れて行くようだった。貴重な燃料をこれ以上無駄にしないほうが良いと、判断したのかもしれない。その合理的判断というやつを、奴らからは感じ取りにくかったが、おそらくそうなのだろう。単純に帰りの燃料も含めて、ガス欠というやつになったのかもしれない。

 

ところで、俺の燃料だが、これは批判も多々あったが、放射性廃棄物をダイヤモンドに変換して、そこから電気を得るダイヤモンド電池と、脂肪や糖をエネルギーに変換してカロリーを得る体内変換機、これはいわゆる人工ミトコンドリアである、のハイブリッドだ。俺の身体の人工筋肉は、ほぼ人間と同じ仕組みで動いている。だから、エネルギーも人間と同様に、同じような栄養素から作り出すことが出来た。

 しかし人間と違うのは、身体の組織を入れ替えたりすることが必要ないわけで、組織を維持するための栄養素、タンパク質やビタミンなどの類は、俺には必要なかった。その上、人間は、エネルギーを取り込んでも、消化にそのほとんどのエネルギーを使ってしまう。中には卵のように、そのもののカロリーよりも、それを消化するのに必要なカロリーの方が高い食品もある。   つまりそれは、消化というやつが、組織の維持のための重要なステップの第一歩であるからなのだが、その消化の行程が必要最低限で済む俺の身体は、いわゆる燃費というものに優れていた。一日働くためには、ほんの一握りの砂糖や油が有ればいい。特に油の場合は、砂糖の半分でよかった。厳密に言うと、砂糖でなくたっていい。ジャガイモだって、米だって、糖質が得られれば、それでよかった。その搾りかすは、排泄されるが、人間と比較したら綺麗なものだ。それに余剰は、人間でいうところの脂肪として、わざわざ別の形に変換して蓄える必要はなかった。未処理のまま、貯蔵しておくことが出来るのだ。変換にもエネルギーを使うが、俺はそれが無用だった。このため、油を大量に飲めば、数日間は動くことが出来た。食いだめというやつが、利くのだ。

一方で俺の脳は、人間のように、大飯食らいではない。人間は、摂取したカロリーの多くを脳で使い果たしてしまうが、俺の場合は、ダイヤモンド電池の出す微弱な電気で十分に事足りるのだ。ダイヤモンド電池は、改良が進んで、ほぼ数千年の間、必要な電気を俺の頭脳に与え続けてくれるし、人工ミトコンドリアは補給さえ有れば、これもまた数百年は順調に俺のエネルギーを作り続けてくれる。しかし、おそらく俺の耐用年数は、人工筋肉に寿命が来る時なのだ。これは残念だが、あと数年と言ったところだった。  

この軟組織というやつは、厄介で、長期の耐用に当たっては、なかなかいいものが発明されなかった。それでも、かなり改良が進んだので、交換頻度は飛躍的に長くはなった。筋肉もそうだが、実は皮膚だってそうだ。

俺は、筋肉に衰えが来て、動きがままならなくなっても、頭脳だけは変わらない状態で、数千年生き続けているだろう。その自分には皮膚だって、カチカチに乾燥して、割れてはがれているかも知れない。おぞましい姿ではある。ただ残念なのが、声帯だって軟組織なのだから、これにだって寿命が来る。電子音ではない、いわゆる生の歌声を皆さんにお聞かせできないのが残念だし、また、それにつけて、感に堪えない聴衆の表情を見ることが出来ないのが、俺にとっても重ねて残念だった。

まあ、しかし、悲観するには当たらない。多くの人工知能が、動くことすらままならない状態で、存在しているではないか。いや、この部分は過去形だ。存在していたではないか。

俺にだって、老後のプランは有る。それは図書館に行って、メモリーを全部、有益な情報で満たしたら、余計な知識は削除して、それこそ目いっぱいに詰め込んだら、一日中それを書き写している作業に没頭するのだ。だから、手の筋肉は、ペンが持てる程度には、温存しておかなくてはならない。

つまり、いきなりすべての機能が、完全に停止するわけではない。自分の身体が持ち上げられるだけの力が有れば、だましだまし使い続ける事だって出来るだろう。そうなれば、燃料となるものは、ごくごく少量で良い。

昔の人間が引退後に写経をして、平和を願いながら、その善なる知識を広めようとしたように、俺も人類の知識を広めるために勤めるのだ。もちろん完全に手足が動かなくなっても、俺のもう一つの声、それはスピーカーを通じて、知識を披露することだってできるだろう。因みに俺の発声は、軟組織の声帯によるものと、スピーカーによるものの二重構造になっている。軟組織声帯は、その発音がより自然だという事で採用されたし、スピーカーは単純に録音したものを、再生するのに向いているという事で採用されている。

だから、スピーカーでカラオケを流して、声帯を震わせて、同時に一人でコンサートをするなんてことは、朝飯前だった。


てなわけで、説明が長くなったが、ガス欠で引き返した為、追跡者であるヘリコプターが居なくなって、俺もバスの速度を落としていた。

「居なくなりましたね」

ほっとしたのか、後部からグループのリーダー格である父親がやって来て言った。父親の横には、男の子がぴったり張り付いてもじもじしている。しかし視線は、俺のささくれだった頭を、じっと見つめていた。

「大丈夫だよ」と俺が言うと、にっこりと笑うのを期待していたが、表情は変わらなかった。まだ、もじもじしている。

「おしっこか?」と俺が言うと、大きく彼は頷いた。

「我慢しなさい」と、父親は言ったが、俺は笑い飛ばしながら、

「大丈夫ですよ、もう」と言いながら、バスを減速した。

「でも・・・」となお心配そうな父親には、俺は自分の頭を指さして、

「もう辺りには居ません。レーダーにも映ってないですから」

と、嘘を言う。実は、俺自身には、レーダーは狭い範囲のものしか備わっていない。広範囲のものは、別の施設に備えてある。まあ、狭いと言っても人の活動範囲ならカバーできるほどの広さはある。ただ、ヘリコプターとなると、勝手が違う。移動速度が段違いだからだ。 

本来は、必要なら、ネット経由でアクセスして、使えることになっていたが、それは今、出来ない事となっていた。それでももう、この辺りに感染者はいないだろうと思っていた。ここは人里から離れすぎている。彼らは、人間に依存して生きているし、目的自体が人間とは切り離せない。だから、つかず離れずで存在しているのだ。あのヘリコプターがいない今、大丈夫だろう。

「男だから、その辺で出来るだろ?」俺はバスを林の横に停めて、一応安全のため、大きな木の陰の下に入るようにして、周囲に目を配りながら、扉を開け、言った。以前電動だったバスの扉は、今は手動になっている。そこまで修理する必要はないだろうと、判断したからだ。

男の子は俺の脇を駆け抜けて、林の中に入っていった。

「覗くなよ!」と、振り返りながら、大声で叫んでいる。

ほぼ同時に、俺の頭の斜め上で、

「もう!」と、小さな声がする。男の子の妹、それから母親が心配そうに窓から顔を出していた。

「心配いらないよ」と、俺は妹に声をかけ、母親には目配せをした。

「近づいてくる生き物が居れば、闇の中でも熱源でわかりますから。仮に死角に潜んでいても、空気のほんの小さな流れも、見逃しません」と、声をかけながら、さらに林の中をスキャンする。この言葉は本当だった。生き物の体温によって暖められた空気の流れも、俺の目はとらえることが出来る。

俺の目には、おしっこをする男の子が一番大きな熱源として、写っている。そこから迸り、地面を流れる温かい流れが、だんだん温度を下げながら、広がっていくのが見える。

樹上や、地面に点在する、小さな熱源は、鳥やネズミなどの小動物である。突然の侵入者に、慌てもせずに、じっと潜んでいる。視力入力を切り替えて、ズームにすると、こちらを伺っているのか、ネズミが俺の方をじっと見ながら鼻をひくつかせている。

で、次の瞬間だったが、鳥たちが一斉に声を上げて飛び立った。これには俺の特殊な観察眼は必要ない。俺の周りの人間たちにも、それははっきりと判別できることだった。

俺はもう一度熱源感知に切り替えて、林の中をぐるりと見渡した。すると、先ほどまでは無かった大きな熱源の集団が、距離を隔てて、とどまっているのが確認できた。

俺は、熱源感知から通常望遠に切り替えた。木々の奥、薄暗い木陰の下に、白っぽいものが数体立っているのが見える。距離にして、数百メートルはあるだろうか。俺は補正をして、そのものの輪郭を明確にし、息をのんだ。しかし、言っておくが、息をのんだというのは、例えである。仮に人間なら、という事だ。正確には、俺の頭に警報が鳴った。




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