第101話 帰還6(第1部完)
お待たせしました、第101話です。
この話で第1部、完 です。
長いです。
では、どうぞ。
俺が意識を取り戻した日から3日経ち、俺はすっかり元気になった。
恥ずかしい話だがラウラ母さんとリューズの2人と話した日までは、熱病に罹っていた間に失われた栄養と水分を体が完全に吸収していたのか一度も排泄をしなかった。
次の日に久々の排泄欲求を感じ代官屋敷の外のトイレに行くためにベッドを出ようとしたら、その時俺の看病に付いてくれていたラウラ母さんに止められ、おまるで排泄するように言われていたのだ。
見ないようにしてくれているとは言え、部屋の中でおまるに排泄するというのはこの半年間外のトイレに行く生活に慣れてしまった俺には抵抗があり気恥ずかしかった。おまるの処理をピアやフェリ達にやってもらうのも……駄目だな、普通の性癖の俺には耐えられなかった。
だから元気になったな、と実感できたのは代官屋敷の外のトイレでスキッと排泄し、水魔法洗浄と風魔法乾燥を使った時だった。やっぱり自分だけで排泄できるというのは人にとって健康に自立している、と自覚させてくれる大事な行為だ。
代官屋敷の広間でハンスやダイクと顔を合わせた時も感極まった。
何て話しかけようかと思って戸惑ってしまったが、ハンスとダイクが先に俺の姿を見ると、片膝を付き礼を取った。
「殿下、病の快癒、お慶び申し上げます」とハンスが堅苦しく俺に祝意を伝える。
「待ってよ、ハンス。そういう堅苦しいのはここでは止してよ。今の私はデンカー商会の息子のジョアンなんだから」俺は慌ててそう答え、傍らにいるラウラ母さんにも確認を取る。
「そうでしょう、ラウラ母さん? 王宮内ならともかく、ここではここでの今まで通りの関係性でいないと、村人たちに不審に思われてしまいます」
「そうね。いいのよ、ハンス、ダイク。私だってここではデンカー商会のジョアンの母、ラウラとしての立場なんだから、正式な礼儀は不要よ。でも、王都に戻ったらしっかり弁えてね」
「ハッ、有難きお言葉」
駄目だな、まだ固い。
「ハンス、ハンスの秘蔵の蒸留酒のおかげもあって私は良くなったよ。こっそりフリッツから度数の高い蒸留酒を手に入れてくれていたハンスのお手柄だね。ハンスの酒コレクションが思わぬ形で役に立って良かったよ。ラウラ母さんの護衛の騎士も何人か来てるみたいだから、今晩辺り残った蒸留酒で祝杯あげてもいいんじゃない? たまにはダイクも一緒にさ」
「……はい、お堅いコイツと一緒に今晩は祝杯を上げさせてもらいます。たまには付き合えよダイク」
「お前、リューズに渡した蒸留酒って北方のロデリア帝国産のクソ度数高い奴じゃねえか! あんなもん呑むのに最後まで付き合える命知らずはフリッツくらいなもんだ! 全くお前の肝臓は一体どうなってやがるんだかわからんよ。まあ適当なところまでは殿下の快気祝いだ、付き合ってやるよ」
うん、ようやく元のペースに戻ってくれたな。
こうでないと二人の前に戻って来た気がしない。
「そうそう、二人のそんな掛け合いが私にとってのここでの日常だからね。やっと命永らえることができたって実感が湧いて来たよ。その調子で頼むね」
「ドノバン先生、ちょっといいかしら」
ラウラ母さんがドノバン先生に声をかける。
リューズの両親と会談する際の通訳の話をこれからするためだろう。
「ラウラ母さん、ドノバン先生と話すのでしたら私も一緒に話を聞いてもよろしいでしょうか?」
「ジョアンが良ければいいわよ。まだ挨拶していない人に会わなくていいの?」
「ピアとリューズにフェリは厨房でしょう? 久々にメカブ茶の味が恋しいので厨房で入れてもらいます。その時にみんなに簡単にあいさつしておきます。話をしながら喉を潤せるように人数分メカブ茶を持って行きますので、少しだけ部屋で待ってていただけますか?」
「わかったわ。じゃあジョアンの部屋で待ってるわね。ドノバン先生、では一緒にお願い。ジョアンの普段の様子をもっと聞いておきたいわ」
そう言うとラウラ母さんはアルマを伴ってドノバン先生と俺の部屋に行った。
厨房に行くと、果たしてピアとリューズがパンを焼いており、フェリがそれをたどたどしく手伝っていた。
「リューズ、ピア、フェリ、私の看病を一生懸命やってくれてありがとう。おまるの中身の廃棄とか面倒なことまでやってもらってごめんね」
「いえ、殿下、快癒されたようで嬉しく思います」
「え、ピア、意外と冷静だね」
「殿下は覚えていらっしゃらないかも知れませんが、殿下が意識を取り戻したのを最初に確認したのは私ですから。あの夜に喜びは嚙み締めました」
「ピアさん、あの夜は泣きっ放しだったからね。それでもボクが疲れてるんじゃないかって気を使ってくれるの流石だけど」
「私はリューズさんと違って殿下の病を直接治せる訳ではありませんからね」
「でもボクが教えた吸収しやすい飲み物作ってくれたり、体の清拭やシーツの交換とかもやってくれたり、手術の時にドノバン先生と一緒に助手もしてくれたし、ボクが頑張れたのもピアさんのおかげだよ」
「そんなにピアが色々やってくれたんだね」
「いえ、私のやるべきことをやったまでです。侍女のアルマ様にも普段なさらない洗濯などもしていただいてましたから私が手を抜くわけにも参りません。それに来たばかりのフェリちゃんも色々と手伝ってくれていましたから」
「そうか。フェリも来たばかりで慣れていないのに色々手伝ってくれてありがとう」
「……だって、私も出来る事やらないと……ピアさんにも良くして貰ってるし……皆ジョアンが治って欲しくて頑張ってたから……」
「フェリ、ピアもここに来て半年で料理を覚えたんだよ。今じゃ私たちの誰よりも料理が上手くなったけどね。フェリも徐々に慣れて色々覚えていけばすぐに何でも出来るようになるよ」
「うん……ジョアンも色々教えてね」
フェリはワイバーンに集落を全滅させられてから一人で隠れて生きていたし、山猫人間以外の人族とも会ったことも過ごしたことも無かったので、ここの生活になじむのが大変じゃないかと思っていたが、リューズとピアのおかげで馴染みつつあるようだ。
ピアは本当にフライス村に来てから、王宮の頃以上に頼れるようになっている。
一通り3人に感謝の挨拶をして、メカブ茶をピアに淹れてもらう。
テーブルの上にはパン種は残っておらず、焼きあがったパンが並べられており、最後に窯に入れたパンが焼き上がるのを待っている状況のようで、フェリとリューズは洗い物をしていたので余裕はあるようだ。
「ピア、これから私の部屋でラウラ母さんとドノバン先生が話をするんだけど、私はピアも一緒に聞いておいて欲しいと思うんだ。だからメカブ茶を一緒に人数分運んで欲しいんだけど」
「殿下、それは私が魔法を使えるようになったことに関しての話ですか?」
「いや、話す内容は別のこと。でもピアが魔法を使えるようになったことと、あとドノバン先生とピアが将来一緒になることも、ラウラ母さんの耳に入れておいた方がいいかと思ってね」
ドノバン先生とピアの結婚についてはもう俺とリューズからラウラ母さんには伝えているが、やはり本人たちから直接伝えるべきだと思う。王宮に戻ってからメイドを統括するイザベル母さんにも伝えないといけないことだが、その際にラウラ母さんに口利きしてもらった方がいいだろう。
それに、俺とリューズが転生者ということもピアに知っておいてもらった方が、ドノバン先生の気持ちの負担と、今後の動きやすさの点でもいいと思う。
「わかりました。私たちがお付き合いしたことを王妃殿下にお話しするのも、ドノバン先生だけにお任せすると口が滑って王妃殿下のお耳に入れるにふさわしくないことまで話してしまうかも知れませんしね」
二人が付き合うきっかけになった、ドノバン先生が口を滑らせたことを思い出しているのかも知れない。
これはドノバン先生、結婚して年齢を重ねたとしてもずーっと言われるな。
一応5人分のメカブ茶を用意してもらい俺の部屋に行くと、ラウラ母さんとドノバン先生が会話をしており、侍女のアルマが傍らに侍っている。
「お待たせしましたラウラ母さん。メカブ茶、いかがですか」
「いただくわね。ドノバン先生には色々と話を聞いていたからドノバン先生も口を湿らせた方がいいでしょう。アルマ、アルマも座って飲んでね」
「奥様、私は」
「アルマ、ここでは私は商家の奥方よ。アルマも他の方の前では上手く演じてくれているのに、私の前だと王宮での態度になるのは止してね。呼び方を変えるだけでは駄目よ、こういうことは。だからアルマも一緒に飲んで頂戴」
「……わかりました、ラウラ奥様」
ピアが運んで来たメカブ茶のカップをラウラ母さんはテーブルに置くと、アルマをそこに座らせた。
「カップは5人分あるわね。もしかしたらピアにも一緒に聞いて貰おうってことかしら、ジョアン?」
「はい、ピアはここでの生活をするにあたって家事などを殆ど担ってくれていましたし、リューズやフェリとも上手くやってくれています。知っておいて貰った方が私とドノバン先生の気も楽になりますので」
「そう。ピア、ドノバン先生に聞いたわ。おめでとう。あなた達の結婚の時には親代わりとして祝福させて欲しいわ」
「いえ、ラウラ様、そんな恐れ多い」
ピアは慌てている。ピアのこんな様子も俺は初めて見るので新鮮だ。
そんなピアの様子はラウラ母さんにとっても微笑ましいのだろう。
「孤児だったあなたを王宮で引き取って働いてもらっていたのだから、それくらいはさせて欲しいわ。畏れ多いというのなら、デンカー商会の奥方ラウラとしてでもいいわよ?」
と悪戯っぽく笑う。
ラウラ母さんのこんな一面も俺は初めて見る。けっこう少女っぽい部分があるんだなあ。
「私の気持ちはそうだけれど、アレイエムに戻ってからイザベル様にも正式にお伝えしなければね。その上でどうするか決めましょう。ピアとドノバン先生の意向もあるでしょうからね。
それで、これからする話、ジョアンがピアにも聞いて欲しいということだからピアも同席して貰いたいのだけれど、一つだけピアに確認しておきたいの」
「……何でしょうか、ラウラ奥様」
「これから話す話は、ここにいる5人とリューズさん、それとリューズさんのご両親だけの秘密にしておきたいの。みだりに漏れるとジョアンとリューズさんの命に関わることになるかも知れない内容なのよ。
ピア、あなたは2年前にあてがいの件をジョアンに対してうっかり口を滑らせるということがあったわね。2年前の件はもう終わったことだし許してもいるわ。
でも、今から話す件に関しては例えあなたにとってどれだけ近しい人であっても2年前のようにうっかり漏らして欲しくないの。
約束してくれる?」
「……そこまで重大な秘密なのであれば、私のような一メイドが聞くべきではない、と思われますが」
そう言って尻ごみするピアに、俺は口を開く。
「ピアはここでみんなのまとめ役になっている。それだけピアはしっかりした女性だと私は思ってるんだ。だからピアには知っておいて貰いたいって私は思ってる。多分ドノバン先生もそう考えるって思うよ。夫婦の間で秘密があるのは心苦しいだろうから」
ドノバン先生も「ピアさんが一緒に聞いてくれるなら、私は助かります。ピアさんが秘密を漏らすことはない、と私は信じています」と言ってくれた。
「わかりました。私も殿下とリューズさんの命に係わるような秘密は漏らすようなことは致しません。例え孤児院の頃から姉妹同然に育ったカーヤに対してもです」
「ありがとう、ピア。あなたはジョアンに信頼されているし、実直なドノバン先生の心を掴んだのだから私も信頼するわ。
アルマ、あなたも私がハースの家にいた頃からの付き合いだし、あなたの人柄は信頼している。だから私がこれから話す件で色々動く時に手伝ってもらいたいの。お願いね」
侍女のアルマが黙ってうなずくのを確認したラウラ母さんは、一拍置くと端的に秘密を皆に伝えた。
「私の子供ジョアンと、エルフのリューズさんは転生者なの。前世で同じ時代、同じ地域で生活し、同じことが原因で死んでこの世界に生まれ変わり、前世の記憶を持っているのよ」
俺とリューズが転生者だと聞かされたドノバン先生とピアとアルマは、黙っている。驚いた様子はそれ程うかがえない。
「それはやっぱり、殿下の治療の際にわかったことなのでしょうか」とドノバン先生が落ち着いて尋ねる。
「ええ、リューズさんから手術を提案された時にリューズさんから告白されたわ。ジョアンのお腹を切り開くなんて、普通なら野蛮な行為でしかないもの。私は当然断ろうと思ったけど、リューズさんが自分とジョアンは転生者だと告白して、前世での治療方法だからと言ってね。
私はジョアンの様子で思い当たるところがあったから、リューズさんの提案に賭けてみようって決心したのよ」
「やはりそうでしたか。手術という方法もそうですが、リューズさんが手術に当たって要求する器具や消毒と言う概念も聞くにつれ、エルフの間に伝わる療法とは何か一線を画しているのではないかと思っておりました。エルフの里で彼らの生活を見聞きしている範囲だと、彼らは人間のような病気にはそれほどかからず、怪我の治療も治癒魔法で行っておりましたから」
さすがドノバン先生、鋭い考察だ。エルダーエルフの集落でワイバーンの素材加工を手伝っている時も、素材の加工法だけを知ろうとしていたのではなく、生活の様子なども観察していたんだ。
「ラウラ母さんの言う通り、私とリューズはアレイエムとは違う世界で生まれ育った前世の記憶を持っています。違う世界の日本という国の同じ地域で生まれ育ちました。前世で産まれた年は全然違ってますけどね。
だから同じ日本語と言う言語が話せるんです。私とリューズが初めて会った時に意思疎通できたのも同じ日本語で話せたからです。一生に一度しか使えないエルフの魔法、なんて言って誤魔化してすみませんでした」
そして俺は前世のことを話した。
俺とリューズの享年、隕石の落下に巻き込まれて命を落としたこと、ラウラ母さんにも話した医学や衛生についてのことなどだ。
全て聞き終わったドノバン先生は、「殿下が聡明な理由が腑に落ちましたよ。前世で50歳を超えた年齢だったのであれば周囲への気遣いや調整が年齢以上にできることも頷けます」と言い、ピアも「殿下が型破りな理由がわかってすっきりしました。でも精神が大人でも4歳で大人の冗談を平気で言われるのは如何なものかと」と冷静に感想を言った。
話している中で、どちらかというとリューズが転生者だという事の方が二人は驚いたようだ。
俺のことは何か薄々感じていて、俺の話を聞いて腑に落ちた、という様子だった。
「確かに、殿下とリューズさんに前世の進んだ知識があると知れ渡ってしまうと、殿下を狙って前世の知識を利用しようという者が出ないとも限りません。また、進んだ医療知識などはオーエ教改革派には受け入れられると思いますが、本道派の中でも原理主義の者に知られるようだと邪法で世を惑わす者として付け狙われる可能性も出てくるかも知れません。
私は牧師です。殿下とリューズさんの秘密を決して洩らさないと神に誓いましょう。ピアさんも私の伴侶となっていただく方です。ピアさんが秘密を漏らすことはないと言い切れますが、万が一の場合は私が責めを負います」
「ドノバン先生、私も神に誓えます。ドノバン先生に責めを負わせることなど致しません」
そう言うとドノバン先生とピアは俺とリューズの秘密を守ることをラウラ母さんの前で神に対して誓った。
オーエ教の神が広く信じられ根付いているこの世界で神に対して誓ったということは、俺とリューズが転生者である、と言う秘密を決して洩らすことはないだろう。まして厳格な牧師であるドノバン先生であれば。
それに俺は神への誓いがなくともドノバン先生とピアが秘密を漏らすことはない、と信頼している。やはり俺にとっては半年間フライス村で一緒に寝食を共にし、人となりを深く知ったということが二人に対する信頼の大きな拠り所になっているのだ。
「ドノバン先生、ピア、これからもジョアンとリューズさんのことをよろしくお願いするわね。多分二人は前世の便利なことを再現したいと考えるようになると思うの。その時に二人だけでは難しかったり、不審に思われたりしてしまう恐れがある。私も当然力になるし、私が動くのをアルマに手伝ってもらうようにするけれど、ドノバン先生とピアには二人の傍で助力し相談に乗って貰いたいのよ」
「はい、ラウラ妃殿下。非才の身なれど精一杯尽力させていただきます」
「私は2年前の失敗でどんな責めを負わされても仕方ないと思っていました。王家の方々はそんな私を許して下さるどころか、そのまま私をジョアン殿下付で使い続けて下さった上、ドノバン先生との結婚まで許していただくなど、大きな御恩を頂いております。この御恩はこの身で一生返していく覚悟はできております。ジョアン殿下の助けになることであれば如何様な事でもお申し付けいただきたく存じます」
ドノバン先生とピアは、そう返答してくれた。
俺にとってもリューズにとっても、転生前の知識の話ができる相手がいて協力してもらえるのであればこんなに有難いことはない。
「ピア、固いわよ。でも二人とも受け入れてくれて嬉しいわ。
王宮に戻ってもジョアンとリューズさんが転生者だということは両陛下にもしばらく伏せておくわ。申し訳ないけどアデリナ様とジャルランにも。
王宮内にも色々と派閥めいたものがある。今のところ表面化するほどの諍いがある訳ではないけれど、ジョアンが転生者ということが公になったら領地持ちの貴族も巻き込んでどのような動きになるかわからないわ。
私はアデリナ様が作り上げた今の王家の形にひびが入ることはしたくないの。だから両陛下たちにジョアンの秘密を伝えるのは折を見てになるわ。
それまで、この秘密は胸に秘めておいてね」
ラウラ母さんはこの場にいる者を見渡しながらそう伝える。それを伝える時のラウラ母さんは俺に対する母の顔とは違った、王妃としての威厳を覗かせる表情だった。
「それで私は王宮に戻ったら、ジョアンとリューズさんが今回話してくれた公衆衛生を広く推し進める部署を作りたいと思っているの。
ジョアンとリューズさんが教えてくれた健康についての話や病気の予防や治療がアレイエムにとって大事な事だからというのも当然あるけれど、ジョアンとリューズさんが前世の知識に基づいて何か便利な物などを作りたい時に、その部署で必要なことということにすれば目立つことは少なくなると思うからね。
ドノバン先生とピアはその時にジョアンとリューズさんの助力をお願いするわ。
実際にその部署を組織し、人を集め、予算も取り、これまで医療を担っていた教会との折衝をして……王宮でもやることは多い。当然両陛下にも相談しながら進めていくし、アレイエム全体をカバーする組織にするには何年もかかるでしょう。アルマは私のそうした王宮での動きの補佐をお願いしたい。アルマ、頼めるかしら」
「奥様の御心のままに」
「そう、あなたには苦労をかけてばかりね。いつかあなたの忠心にしっかり報いたいと思っているわ」
俺はラウラ母さんの侍女のアルマとの接点が殆ど無かったけれど、ラウラ母さんとアルマの間には俺とドノバン先生とピアの間にあるようなしっかりした絆があるのだろう。
「アルマ、私からもお願いするよ。ラウラ母さんを今後も支えてあげて欲しい」
「はい、坊ちゃん。私も坊ちゃんに醜態を晒して心配をおかけしないように心掛けますよ」
アルマはにっこりと微笑んで答えた。醜態っていうのは昨年のエイクロイドへの船旅での船酔いのことだろうな。アルマは免れたが、股間と首筋に冷水をぶっかけられるのは勘弁して欲しいのだろう。
「ではドノバン先生、リューズさんのご両親に会うときに、私の通訳をお願いするわね。リューズさんはまだご両親に転生者という事を伝えていないみたいなの。私はジョアンが転生者だということがわかって良かったと思っているし、多分リューズさんのご両親もリューズさんが転生者だとわかっても親子の愛情がブレることはないと思うのだけど、リューズさん自身は伝えることをためらっているみたいだから、私も口添えをしたいと思っているのよ」
「はい、奥様。責任重大ですが精一杯務めさせていただきます」
「ピアにも一緒に来てもらった方がリューズさんにとっては心強いかも知れないわね。ピア、来てくれる?」
「……いえ、私は今まで一度も暗き暗き森には入らず代官屋敷の留守番をしてきましたから、急に私が同行するのはどうかと思います。昼間の代官屋敷も村人たちの出入りがありますし、マッシュ=バーデン男爵の吏僚ハーマン氏も今は滞在しておりますから不審に思われるかも知れません。
リューズさんとは夜、フェリちゃんが眠った後で話してみます。リューズさんが勇気を出せるように」
「フェリが目を覚まして二人の話を聞かれたりすることはない?」
隠れ里で長年暮らしていて初めて人間社会に来たフェリに転生云々の話を聞かれても、フェリは理解出来ず問題ないのではないかとは思うが、一応聞いてみる。
「フェリちゃんは食後に一緒に入浴して全身くまなく洗って布団に入れば朝までぐっすり眠っていますよ。多分身の危険を感じずに安心して眠るという事がしばらくなかったからだと思いますが。
私やリューズさんが坊ちゃんの看病で夜に起き出しても眠っていたので問題ないと思いますが、部屋では話さずに場所を変えて話すようにいたします」
「なら大丈夫かな。フェリのためにもくれぐれも気を付けてね」
「はい。生まれた時から親を知らない私からすると、リューズさんの悩みは羨ましいくらいのものです。立場も境遇も私とリューズさんは違いますが、私の話でリューズさんが少しでも何か感じてくれるように話したいと思います」
「ピアに任せておけば大丈夫そうだね。決してリューズを責めるような話し方はしないと思うし。
そう言えばピア、魔法はいつから使えるようになったの? ラウラ母さんの話だと平民でも貴族の愛妾になった人なんかは魔法を使えるようになることがあるって話なんだけど」
「ずっと殿下に付いていたのでドノバン先生と殿下が王宮庭園で魔法の練習をされている時にそれとなく魔法の使い方は見聞きして知ってはいました。その頃に私にも使えるのかと戯れに試してみたことがありますが、全く使うことが出来ませんでした。
ここフライス村に来てからいつもドノバン先生が厨房の火を着けてくれていたのですが、私もそれを見て火が着くのをイメージしていました。10日ほど前にいつも通りドノバン先生が薪をセットした時にいつものようにイメージしたところ、ドノバン先生が薪を置き終わらないうちに火が着いたのです。ドノバン先生には申し訳ないことをしてしまいました」
「いや、火傷したりはしませんでしたからピアさんが気にする必要はないんですけどね。でも急だったので驚きました。ピアさんの話だと、私が魔法で着火するタイミングでいつも火が着くイメージをしていたそうなんです。ですからいつから、というのは正確にはわからないのです。ピアさんが魔法を使えるのがハッキリしたのが10日前ということです。
その後何度か薪に着火してもらってピアさんが使っている魔法で火が着いたということを確認した後、他の魔法も試してもらいましたが、水魔法と風魔法は問題なく使えるようです。土魔法は苦手なようですが」
「殿下が湯たんぽを土魔法で作ったのを見ていましたけど、私にとっては土魔法だけはイメージしづらいのです」
「そうか。魔法は人によって得意不得意があるってことだから仕方ないけど。ピアは自分が魔法を使えるようになったきっかけって何か思い当たることあるの?」
「私は何も思い当たることはありません。貴族の愛妾になった人が使えるようになるということですが、ドノバン先生と気持ちを確認し合った後に急に使えるようになったという訳でもありませんから」
「愛妾になったら平民でも魔法が使えるようになる……下世話だけど、ピアとドノバン先生は体を重ね合ったりはしてない?」
俺がそう聞くと、ピアとドノバン先生は顔を真っ赤にして、叫んだ。
「いくら何でも結婚前にそんなことはしていません!」
「婚前に体を重ねるなど、神の教えを伝える牧師が出来る訳がありません!」
まあ、女性に対して奥手なドノバン先生がそんなことする筈はないと思っていたけど、念のために聞いてみたのだが。この二人の反応だと、貴族と肉体関係を結ぶことが平民が魔法を使えるきっかけになる、という訳ではないだろう。
「ジョアン、いくらあなたの精神が大人だとしても、6歳のあなたは軽々しくそういうことを言わないの。王族のあなたの迂闊な言動で仕えてくれている者の運命が変わることもあるのだから。ピアがあてがいの件をあなたに口を滑らせたのも、あなたが大人びた冗談を口にしたからでしょう? 今後は注意しなさい」
ラウラ母さんが優しい口調で、でもきっぱりと俺に注意する。
確かに2年前の俺の軽口でピアの運命を捻じ曲げるところだった。ラウラ母さんやイザベル母さんのおかげでそんなことにはならなかったけれど、今後はそう上手く取り計らってもらえるとは限らない。
「ごめんなさい、ラウラ母さん。ドノバン先生、ピア、済まなかった」
「ふふ。ジョアンにはたまに厳しく言わないとすぐ忘れてしまうからね。ドノバン先生とピアもジョアンが失礼なことを言ってしまったわね。ごめんなさい。二人が結婚するまでは清くあってほしいと思うわ。
貴族の愛妾になった平民が魔法を使えるようになる、というのは本当だけれど、修道院に入った平民のうちでも修道院内でそれなりの地位に就いたものは魔法を使えることがあるらしいから、流石に修道院内で男女のことに及ぶというのは無いだろうし、それが要因ではないと思うわ」
「ラウラ母さん、それをもっと早く教えて下さい。そうしたらドノバン先生とピアにあんなことを聞かなかったのに」
「ジョアンがそんなことを言い出すなんて思わなかったもの。大体魔法については王族や貴族は普段から使う機会が殆ど無いものだから、誰も気にしてこなかったわ。水魔法洗浄と風魔法乾燥を使わなかったら貴族は殆ど魔法を使う機会がないもの」
この世界では本当に魔法は取るに足りないものと貴族には認識されているのだ。
以前も思った、魔法を使える人と魔法が使えないけど使えると便利な人との間のミスマッチ。これを解消できるならなあ。
まあでも、これについてもゆっくりと研究しないといけないだろう。
さっきのラウラ母さんの、公衆衛生を広く進める部署、前世だったら労働問題はないけれど厚生労働省だろう。俺とリューズが動きやすいようにと言ってくれたが、そこで魔法の原理についても研究できるようにしていければいいだろう。
「では皆、王都に戻る前にリューズさんのご両親にご挨拶に行く時はよろしくお願いするわね。ジョアンとリューズさんの秘密、くれぐれも守ってね」
ラウラ母さんのその言葉に一同うなずいて、この話は終了になった。
5日後の10月最終週、俺とラウラ母さんはリューズたちと共にエルフの集落に来ている。
俺の熱病と手術の後遺症はすっかり治っていて、この5日間エリック兄弟や村の子供たちとの夕方からの勉強会も再開し過ごしていた。
雪狼たちに乗ってエルフの集落まで来たのは俺とラウラ母さん、リューズとドノバン先生、ハンスとダイクの6人の少人数だ。ピアとアルマとフェリは代官屋敷に残っている。
ラウラ母さんはフライス村への道中、護衛騎士4名と10名の兵士に警護されて来ていたが、代官屋敷の一室に宿泊していたラウラ母さんの護衛騎士4名は皆ダイクとは同じ第一騎士団で面識はあったようで、俺の病が回復してから夜に旧交を温めていた。ハンスの酒に付き合わされひどい目にあった騎士もいたようだ。警護の騎士たちは雪狼には乗り慣れていないため、今日はヒヨコ岩周辺で待機してもらっている。
警護の兵士たちは代官屋敷ではなく教会に分宿していた。教会は新たにフライス村に移住してきた者たちの住居を作るためにシュリルから来た大工たちと既に移住してきた7名ほどの移住者がおり、警護の兵士たちは彼らと一緒に住居の建設をフライス村に到着した日から手伝っている。俺達がエルフの集落に向かう今日も住居建設を手伝っている筈だ。
森の中の護衛はハンスとダイクが務めることになった。
雪狼の背に乗って移動すると、雪狼が然程早く走らなくてもそれ程時間はかからない。
マリスさんとニースさんへの贈り物のコタツを背負わされた雪狼たちのペースに合わせているので早歩き程度の速さだ。
ラウラ母さんもスカート姿だと雪狼に乗れないので、今日はズボンを履いている。
初めて乗る雪狼だが、ラウラ母さんは意外に楽しんで乗っていた。
今はリューズの家の建物の中に俺とラウラ母さんと通訳のドノバン先生、そしてリューズとリューズの両親のマリスさんとニースさんだけだ。
ハンスとダイクにはコタツなどの贈答品を運んで貰った後、しばらくエルフの集落内で、ワイバーンの鱗の加工などを見学してもらうように伝え、エルダーエルフに案内してもらっている。
すでに形式的な挨拶は済ませている。
ラウラ母さんが俺とリューズが転生者ということをマリスさんとニースさんに話し、ドノバン先生がラウラ母さんの言葉を訳して伝えると、マリスさんとニースさんはまるで以前から知っていたかのように笑顔を崩さずに聞いていた。
「マリスさんもニースさんも、思ったよりも驚きませんね?」
ドノバン先生の方が拍子抜けしたように二人に尋ねる。
マリスさんとニースさんの様子を緊張して見ていたリューズも、二人の平然とした反応にかえって驚き、「お父さん、お母さん、驚かないの? 自分の子供が他の世界の存在の意識を持ってるんだよ!」と大きな声で問いただした。リューズはリューズなりに、ピアと話して色々と思うところはあったのだろう。覚悟を決めていたようだが、穏やかな二人の様子に肩透かしを食らったように感じたようだった。
「リューズ、貴方を産んだのは私よ? 前世の記憶? それがあったらリューズは私の子では無くなってしまうと言うの?」
とニースさんが平然と言った。
「リューズも知っていると思うけど、エルダーエルフはなかなか子供ができないの。リューズは私とマリスが長い間待ち望んだ結果、やっと授かった子供なのよ」
続けてマリスさんが「それに転生者という存在がこの世界に現れることは、実は私たちエルダーエルフには伝えられていたんだ」と耳を疑うようなことを言った。
「マリスさん、それってどういうことですか!」
「長老がトリッシュなの?」
俺とリューズは反射的に聞き返した。
「リューズが今言ったトリッシュ、というのがジョアン殿下とリューズをこの世界に導いた今代の導き手なのかな?」
「そうだよ、お父さん。トリッシュって言ってた」
「そうです、トリッシュです。この世界である程度の地位にある生物の魂って言ってました」
確かにエルダーエルフの長老ならある程度の地位にある魂、この世界を代表してもいいと思える。しかしあんな軽い性格が長老ってのもちょっとな……
「残念ながら今のエルダーエルフの長老はトリッシュではないよ。多分二人の導き手は他の種族だろう。
ただ、先代のエルダーエルフの長老、 レーヴェ様は他の世界の迷える魂の導き手として何度か魂をこの世界に導いたと伝えられている。だから私たちは転生者という存在がこの世界に現れることを知っていたんだ。
他の世界から導かれた魂=転生者は、前世の記憶を持ち、何らかの他とは違った力を持っている、ということも聞いているよ。
リューズの様子を見ていると、弓や魔法の習得が早いし、エルダーエルフにしては好奇心旺盛だった。それにリューズは自分では気付いていなかったかも知れないけれど、時々不思議な言葉で独り言を言っていることがあった。
ジョアン殿下とリューズが初めて森の中で出会った時に、私たちが監視をしていたのは前に話したね?
ジョアン殿下とリューズが私たちの知らない言葉で会話できていて、なおかつジョアン殿下以外の人族が二人の会話がわかっていない様子だったのを見て、もしかしたらジョアン殿下とリューズは転生者なのかも知れない、とは思っていたんだよ」
……なるほど、そういうことだったのか。
ラウラ母さんのように、我が子のことだけに薄々は分かっていたから、今伝えられてもマリスさんもニースさんも驚かなかったんだな。
「お父さん、お母さん、ごめんなさい……私のことを見守ってくれていて、そこまで察してくれていたのに……なかなか正直に打ち明けられなくてごめんなさい」とリューズはうなだれてしまったが、ニースさんがそんなリューズを抱き寄せて、頭をそっと撫でる。
ニースさんに慰められるリューズを優しく見ながらマリスさんが言葉をかける。
「いいんだよ、リューズ。さっきニースも言ってたけど、前世の記憶があろうとなかろうとリューズは私たちの愛しい娘なんだから。私とニースが夫婦になって、40年待ってようやく産まれて来てくれたんだ。心から感謝しているよ。これからも私たちに沢山甘えておくれ」
「うん……ありがとうお父さん、お母さん」
リューズはそう言うと、頭を撫でていたニースさんに抱き着いていた腕にギュッと力を込めた。
俺やラウラ母さんやピアに言われたくらいで自分の感じている感覚を変えられるものでもないだろうが、リューズはリューズなりに自分の前世と折り合いをつけてこの世界で生きていくつもりなのだろう。ニースさんを抱きしめるリューズの腕の力の強さは、ニースさんをこの世界での母親だということを自分の腕に刻もうとするかのようだった。
俺とリューズが転生者だということはマリスさんとニースさんにすんなりと受け入れてもらえた。リューズの前世の両親の記憶による認識のずれは、子供らしく甘えることで埋まって行ってくれるだろう。
しかし、リューズがマリスさんとニースさんに甘える時間を取るとなると、リューズが俺達と一緒に王都に行くというのは止めておいた方がいいだろうか。
今までの会話をドノバン先生に通訳してもらって聞いていたラウラ母さんが「実は今回私たちと一緒にリューズさんを王都にお招きしようと思っていたのですが、止めておきましょう。リューズさんはまだお二人と一緒に過ごされる必要があると思いますから」と話し出した。
ドノバン先生がそれを通訳する。
ラウラ母さんは続けて
「ジョアンも一度王都に戻ります。ですが来年の春、またこちらに戻れるように手配いたします。せっかくジョアンに出来た友達のリューズさんと離れ離れにしてしまうのは忍びないですから。
そして、リューズさんにはジョアンを助けていただいた御恩があります。リューズさんのご希望はこの世界の学問を広く学びたいということだと聞いております。ですからリューズさんへのせめてもの御恩返しとして、この暗き暗き森からそれ程離れずに学問に触れられる場所を作りたいと思っております」
と話した。
マリスさんはリューズとニースさんを見て、「その申し出は私たちとリューズにとって有難い申し出です。本当によろしいのでしょうか」と答える。
「はい。エルフの皆様には貴重な『生命の木』の新芽も分けていただきましたし、リューズさんには前世の知識でジョアンを助けていただきました。私とジョアン、ひいてはアレイエム王国にとって皆さまは恩人です。
私は一応これでもアレイエム王国の第二王妃です。
私は今回、リューズさんがジョアンの治療をしてくれた際に触れたリューズさんの知識を、アレイエム王国の民衆のためにも広めたい、そう思いました。
リューズさんから伺った公衆衛生を広げる組織を作りたいと考えております。
リューズさんの医学についての知識は現時点でこの世界に並ぶものはないでしょう。リューズさんにもっとこの世界の学問を知っていただき、深めて磨き上げるお手伝いをさせていたくことは、私の考える公衆衛生にとっても将来的には益がある、そう思っています。
ですからフライス村に、学問書を置き実験もある程度できる場所を作ろうと思います。
マリス様とニース様にとっても、リューズさんが遠く王都に行かれるのは身を切られるように切ない事だと思いますから、なるべく暗き暗き森から離れずに済むように。
将来、リューズさんがご自分でご自分の未来を決められる時までは、ご家族と一緒に過ごす時間は多い方が良いでしょうから」
マリスさんはドノバン先生が訳すラウラ母さんの言葉を聞いて、しかし疑問に思った部分があったようだ。
「ラウラ様、今のあなたの申し出は私たちとリューズにとっては大変有難いことです。ですが、今のあなたの言葉はジョアン殿下の母君としてなのか、それともアレイエム王国の王妃としての言葉なのか。
ジョアン殿下の母君としてならば私たちも有難くお受けいたしますが、アレイエム王妃としての言葉であれば、それは私とニースにとっては自分の娘が人族の王家の利益のために利用されるということになります。それは簡単に容認することはできません。
そもそも私たちエルダーエルフとアレイエム王国との関係はまだはっきり決まっておりません。私の一存では判断付きかねることです。私は単なるこの集落の長でしかありません。私たち暗き暗き森のエルダーエルフ全体に関わることであれば、我々の長老の判断となってきます」
ラウラ母さんは少し目を閉じ思案した後、謝罪から入った。
「リューズさんがもたらしてくれた新しい知識があまりに素晴らしかったので、つい先走ってお二人に誤解されるような言い方をしてしまいました。申し訳ありません。
暗き暗き森のエルフの皆様からすれば、何度も暗き暗き森に野心を持って踏み込んで来た人族に対していい感情は抱いておられないでしょうし、野蛮な人族に可愛い娘が利用されるという心配をされるのも当然のことです。
エイクロイドが暗き暗き森周辺を治めていた時代は確かに人族は暗き暗き森を征服しようと何十万という軍を送りエルフの皆様の領域に踏み込みました。エルフの皆様にとっては迷惑でしかなかったことでしょう。
しかしこの地にアレイエム王国が成立して以来、アレイエム国王自身の意思でもって暗き暗き森を我が物にしようと攻め込んだことは一度もありません。不幸にも国内の貴族家が野心を持って森に踏み入り、エルフの皆様にご迷惑をおかけしたことはありましたが、その貴族家に関しては既に我が王家によって取り潰されております。
暗き暗き森のエルフの皆様はジョアンの話を聞く限り自然と共に生きておられ、国家というような集団意識を形成されていないそうですね。ですからアレイエム王国として暗き暗き森のエルフの皆様とどのように付き合っていくべきなのか、私にはまだよくわかりません。
貿易交渉のように互いの産物の取引から付き合いを始めるとしても、現状では私たちアレイエム王国の側だけにエルフの皆様から多くの益をもたらしていただけるだけで、暗き暗き森のエルフの皆様にとって益になるものを私たちが提供できるのか、それすら私は知らないのです。一方的に恩恵を受けるだけでは対等とは言えませんし、そうした関係はいずれ破綻するでしょう。
ですから、アレイエム王国王妃としての私の考えは、いずれ正式にお互いの立場について取り決めを交わし、対等な関係を築きたいと希望します。ただ、現状はまだ私たちはお互いのことをあまりにも知らなすぎる。
ですから、お互いのことを知るための交流の糸は繋いでおくべきである、と考えます」
「なるほど。王妃殿下は私たちと将来的な共存を望まれる、ということですな。確かに私たちエルダーエルフと人族との間にこれまで交流は全くありませんでした。リューズがジョアン殿下と出会ってからようやく僅かに始まった段階です。この糸は切らない方が良い、それに関しては私も同意します」
「先程のリューズさんが学問書を読むための場所については、ジョアンの母としての私のお返しです。
リューズさんもフライス村で人間の知己ができましたし、私とジョアンは常にフライス村に居られる訳ではありませんから、いつまでも代官屋敷に逗留するわけにもいかないでしょうし、村でのリューズさんの居場所として考えていただけると宜しいかと思います。
ジョアンもフライス村が気に入ったらしいので、フライス村に来た時にリューズさんと色々と前世の知識とこの世界の知識をすり合わせをしてくれることは期待しています。その過程で色々と必要な物も出てくるでしょう。そうした便宜を図るために先程私の言った公衆衛生を広げる組織の建物、ということにして誰か責任者をおけば多くの学術書があっても不審に思われませんし、少し突飛なものを発注したりしても研究の為ということにしておけば、リューズさんとジョアンが前世の知識を持っているということも他に漏れない、ということです」
「では、エルダーエルフとアレイエム王国との間の話ではなく、リューズの人族の村での居場所として学問書と住居、付随してリューズとジョアン殿下が色々と研究できる場所をジョアン殿下の母君としてのラウラ様が与えて下さるということでよろしいのですね。そのために先程の公衆衛生の組織の一部署という名目を付ける、と。
例えば、私がそこでリューズと一緒に暮らしても良いと認識しても良いのですね?」
「はい。それは一向に構いません」
「暗き暗き森に住まうエルフについては、人族の間でも恐れられています。リューズが暗き暗き森のエルダーエルフということを知っているのは数える程しかいません。ですから人族の言葉を話せるエルダーエルフなら、その場所でエルダーエルフだと知られずに過ごすことはできると思います。マリスさんが人族の言葉を覚えれば大丈夫ですよ」と俺は口を挟んだ。
「いや、それは例えばの話です。私もこの集落の長としての責任がありますから。でも、リューズの身を守るために人族の言葉を覚えた者を警護に付けたりすることも可能ということでしたら安心できます。
そしてその建物を交流にも使う、というお考えなのですか?」
「いえ、マリスさん、交流についてはたまにこうして贈り物をして、通訳してもらってでも話が出来ればそれでいいのです。お互いの価値観を知ることが大事なのですから。その建物を交流のために使うかどうかは些末なこと。私としてはこうして集落を訪れさせていただいた方が嬉しいです。
マリスさんには、暗き暗き森のエルフの長老にその現状を伝えていただく役割を担っていただきたいと私は希望します。
今回お贈りしたコタツ、お気に召していただけましたか?」
今回持参したコタツは3組。エルダーエルフの住居内は地面に敷物を敷いているだけなので、王宮で使っているようなコタツを乗せる台は持ってきていない。日本で言うコタツの部分と掛け布団だけだ。地面を掘ってそこに木炭などを置いて貰えば使える。
「火を焚き毛皮の毛布にくるまって眠ることに私たちは何の不満もありませんが、こうして人族の考案した暖房器具というものを見るにつれ、貴方方の生活を快適にするための工夫というものには感心しますし、実用品なのにまるで工芸品のような装飾を施すというのも私たちの感性とは違いますね。
ただ非常に手の込んだ美しい仕上がりだとは思います」
「そうですか。仕上がりを褒めていただいたこと、その布団を縫製した前王妃、アデリナ=ニールセンもきっと喜びます。美しく仕上げることは私たちにとっては精一杯の相手に対する誠意ですから、受け取っていただけたのは嬉しいことです」
「失礼な物言いになってしまい申し訳ありません。私たちの価値観は人族の方からすると理解しがたいものなのでしょう。ですが、相手の誠意を無下にするほど自分たちの価値観が優位と考えている訳ではありません。有難く使わせていただきます。長老の元にも一組、送らせていただきます」
「わかっています。今後もこうして少しづつ、互いのことを理解しあえるように、その糸だけは繋がせていただきたいと願っています」
ラウラ母さんとマリスさんの話がひと段落したようだ。
俺が回復した時、リューズが『生命の木』の新芽のことを言うのに何となく口ごもっていたことを思い出して、俺はマリスさんに尋ねた。
「ところでマリスさん、ニースさん、この度は貴重な『生命の木』の新芽をリューズに託してくださってありがとうございました。おかげで私の命はこの世界に留まることができました。
でも『生命の木』の新芽を人族である私に使っても良かったのでしょうか? 何かリューズに罰を科す、なんてことはありませんよね?」
「……今まで『生命の木』に関する物は一度も森の外に持ち出されたことはありませんし、エルダーエルフ以外に新芽を使ったこともありません。西の森のワイバーンの巣があった場所までリューズが来てジョアン殿下に『生命の木』の新芽を使わせて欲しい、と言い出した時も当然最初は断りました。
でも、取り乱して泣きじゃくるリューズを見ていたニースがとんでもないことを言い出したので許さざるを得なかったのですよ」
「ニースさんはワイバーンの巣には行ってなかったんじゃないですか?」
「鱗などを運ぶために交代で取りに行ってたんですよ。殿下たちが退治したワイバーンの素材加工の方は殆ど作業がひと段落付いていましたから」
「お母さん、ごめんね、私、本当に自分勝手で……」
「何を言ってるのよ、リューズ。愛しい娘のために出来ることをしようって思っただけ。ジョアンさんも転生者で、リューズは助けたかったんでしょう? なら、その願いを叶えたいって思っただけよ。リューズが私の元に産まれてくれて、元気に育ってくれて……他の者からすればまだ早いって思うかもしれないけれど、私は思い残すことは無かったのよ」
ニースさんの言うことは確かに不穏だ。この世から去るかのような物言い……って!
「ニースさん、ニースさんが『生命の木』になる……そういうつもりだったんですか!」
「そうよ。私が『生命の木』になれば、その新芽を娘のリューズがどう使ってもかまわないもの。マリスが反対しようと関係ないわ」
「……勝手な言い分だよ、ニース。残される私の気持ちも考えて欲しいものだ。そんなことをニースにさせたら、私はリューズにどれだけ恨まれるか……ひどいことを思いつくものだ」
「母は時に夫よりも子供を選ぶ……そうね、そういう場面になれば私もそうかも知れないわ」
ラウラ母さんがドノバン先生が伝えるニースさんの言葉を聞いて、ネーレピア共通語で小声で呟く。
その呟きを訳そうとしたドノバン先生をラウラ母さんは止めた。
「ドノバン先生、恥ずかしいから伝えなくていいわよ」
マリスさんも聞きたくないだろう。世のお父さんは寂しいものだ。
「ニースはまだ十分気持ちに張りがある。わざわざ『生命の木』になることなんてないのです。私だってニースが居なくなってしまったら……
それでこの集落まで戻って、集落で守っている『生命の木』に伺ってみたのですよ。
『生命の木』は許してくれました。それでリューズに託したんです」
「そうでしたか……何とお礼を言って良いか……マリスさん、ニースさん、それにリューズ……」
「決して『生命の木』の新芽は生物を生き返らせたり、万病を治したりするものではありません。衰弱して弱った者の活力を最大に回復させる、そういうものです。殿下が回復されたのは、殿下の体が病に打ち勝ったからですよ」
「いえ、何も喉を通らない私を回復させてくれたのはリューズが手術で胃に入れてくれた『生命の木』の新芽ですから。リューズと私が持っている前世の知識にも、そんなものはありませんでした」
「だとしたら、殿下はこの世界に生かされたのですよ。もし恩に感じて下さるならば、これからもリューズ、そして私たちの誠実な友として在り続けて下さい。それで十分です」
「……私ジョアン=ニールセンは、リューズを初めエルダーエルフの皆様の誠実な友として在り続けられるよう努力します。
でも……何でマリスさんはそんなに寛大なんですか。私は何もエルダーエルフの皆さんのお力になれていません。本当にずっと色々と教えていただいたり助けていただくばかりで、そんなに見返りを求めず寛大な態度ばかり示されていると、私のようなちっぽけな存在は、どうしていいのか……」
「エルダーエルフが全て寛大だとは限りませんよ? キュークスのような跳ね返りもおります。
それに私も言われる程寛大でもありません。妻や娘を失うことを恐れる、単なる男なんですよ。妻と娘の安寧を脅かす者に対しては容赦することは出来ないでしょう。今回のことで私は自分を知りましたよ。私にとっては妻と娘の方が『生命の木』よりも大事なんだとね。この集落最年長で『生命の木』になったイスクが許さなかったとしても、私はイスクの新芽を取ったでしょう」
「イスクさんに感謝いたします。寛大なる『生命の木』に」
ラウラ母さんの言葉をドノバン先生が通訳して伝えると、マリスさんとニースさんはにっこりと笑みを浮かべた。
「デンカー坊ちゃん、忘れ物はありませんか?」
ハンスが自分の最後の荷物を代官屋敷から荷馬車に運び、俺に声をかける。
「うん、多分もうないと思う。さっきダイクが教会に行く前に荷馬車に積んでくれたのが最後かな」
「何か忘れ物があったら保管しておくぞ。もし家で必要ならライネル商会のベルシュ支店に手紙を出してくれれば届けるようにするからな」
俺達が乗る荷馬車を手配してくれたフリッツ=ライネルはそう請け合ってくれた。
フリッツは2か月程ハールディーズ公爵家が漁村レルクに作った海産物製造工場の立ち上げにライネル商会の代表として立ち会ってきたが、フライス村への移住者募集については忘れておらず、今回直々に移住希望者を連れてきた。
フリッツは7台の荷馬車でフライス村にやってきた。荷馬車にはここフライス村への移民が15人程乗ってきており、彼らは教会ではなく代官屋敷に住宅ができるまで逗留し生活する。
俺達の一行は彼らと入れ替わりに、これから荷馬車に乗って王都に向かって戻るのだ。
7台の荷馬車のうち5台を俺達は使わせてもらう。
最も王都までずっと荷馬車で行く訳では無い。ハールディーズ公爵領ベルシュのライネル商会の支店にはラウラ母さんの一行が乗って来た王家の馬車が置いてあるので、乗り換えるのだ。
当然ハールディーズ家には伝えてある。今夜はベルシュのハールディーズ家別荘に一泊する。ラウラ母さんはジュディ夫人に会えるのを楽しみにしていた。
「フリッツ、住居の建設に目途が付いたら、炭焼き窯で炭の生産始めてね。試し焼きして使えることはわかってるから。木を切る場所はハーマンさんの指示に従って。それと、王家の畑の奥の氷室にはなるべく雪を貯めといて。移住者のみんなのための食糧は、代官屋敷の倉庫の奥の左端の分ね。これもハーマンさんには言ってあるから」
「ジョアン、心配なのはわかるが私も子供の使いじゃないんだぞ。しっかりやるさ」
フリッツは漁村レルクの海産物工場の方は弟に任せて、この冬一杯はフライス村の「デンカー商会」の責任者として逗留し、炭の生産管理などを行う他、移住者の指導も行ってくれる。移住者は全員身分的には「デンカー商会」の従業員ということになっている。、
「おい、フリッツ。俺の置いてく秘蔵の酒、全部飲むなよな。また春になったら来る予定なんだからよ」
「残しておいてやるものか。今までどれだけオマエにたかられたと思ってる。全部飲み干しても全く足りんぞ」
「オマエ、金持ち商人なのに本当にセコいよなあ。駄目ですよ、フリッツさん。そんなにケチケチして縮こまってちゃあ、身長伸びませんよ? 器も大きくなりませんよ?」
「オマエは本当、口が減らないな、ハンス! ジョアン、春に来る時はハンスの代わりにもっとしっかりした手代を連れて来た方が役立つぞ」
「まあまあ。春になってみないとどうなるかわからないしね」
「ちょっとちょっと坊ちゃん、このハンス、結構役立ったと思いますよ?」
「まあ一度戻って、春のことはまたその時だね。私の希望で全て決まる訳でもないからさ」
前庭の片隅で人と荷物の入れ替わりの様子を見ていた代官マッシュの吏僚ハーマンがそっと近づいてきた。
「今年の作物の出来は例年並みでしたよ。頼むよフリッツ、しっかり売り捌いてくれないとバーデン男爵も困るし私も困る。移住者の住居は先行して来た移住者と、デンカー商会の奥方の警護の人達が手伝ってくれて予想よりも安く上がりそうだけど、現金が入らないと大工ギルドへの支払いが……」
「わかってますよハーマンさん。あんまり心配するとマッシュ=バーデン男爵のように頭頂部が寂しくなってしまいますよ。今年は以前の打ち合わせどおり、うちの利益は無しでやらせてもらいますから安心してください」
「まったく、私は事務仕事が主なのに……早く村長を決めてしまわないと、いつまでも村長の真似事なんて柄じゃありませんよ……」
ハーマンはそう言って腹に手を当てる。この人結構お腹が弱いのだ。
「ハーマンさん、バーデン男爵はいつ頃王都に出発することにしたんですか?」
「明後日の早朝だそうです。ベルシュの辺りで坊ちゃん達に追いついてしまっても困る、ということだそうで……」
「まあ、私は微々たる力しかないですが、母さんにも口添えをお願いしておくので悪い結果にはならないようにしますよ。ノースフォレスト地区5ヶ村の財政を傾かせる訳にはいかないですから」
「坊ちゃん、お願いします……ああ、バーデン男爵、私以外に事務方を出来る人材を王都で見つけてきて下さらないかなあ……」
数字が見える人は苦労が絶えないなあ。わかる。けっこう焦るもの。頑張れ、ハーマンさん。
「まだ品物は売りに出してないのかい?」
誰かがフリッツにそう話しかける。
フリッツは「デンカー商会」として、海産加工品の他、色々な品を売り物として持って来ている。いつも販売は教会か代官屋敷のどちらかで販売するのだが、今は教会が大工ギルドの大工や先行してきた移住者でごった返しているので、今週は代官屋敷で販売する。
だけどまだ荷馬車から下ろした商品を整理していないから販売を始めてはいない。
「せっかく足を運んでいただいたのに申し訳ありません。今日は品物の整理が追い付かないんで、販売は明日の朝から始めさせていただきます」
フリッツがハンスとのやりとりとは打って変わり、丁寧な言葉で対応する。
「そりゃあ残念。今年はデンカーさんの坊ちゃんのお陰でいつもの年より懐が暖かいんでね、メカブ茶と煮干しを買って少しくらいデンカー商会に返さないとって思ったんだけどな」
おやおや、嬉しい事を言ってくれるじゃないの。どなた?
フリッツの陰から出てその人物を見る。
おおっと、そう言えば名前を聞いていなかったが、元王家の小作人グループの人で、ジャイアントボアの毛皮鞣しや、夕方の勉強会に子供を参加させる口火を切ってくれた人だ。
「すみません。その節は色々有難うございました。農村のことを何も知らなかった私に色々と教えて下さって、すごく助かりましたし勉強になりました。フリッツが暫く村に滞在して商品の販売をしてますので、今後もごひいきにお願いします」
「ギュンターだよ、ギュンター。俺の名前、そう言えば名乗るの忘れてたね。坊ちゃんが帰る日になって名乗るってのも変な話だが……坊ちゃん、色々村のこと気にかけてくれてありがとう。ジャイアントボアの毛皮、かみさんが家族分の上着作れるって喜んでたよ。またこの村に寄ってくれよな。大したことは出来ないけど歓迎するよ」
「ありがとうございます。また春になったら戻って来るつもりですから、その時はまた色々とお話を聞かせて下さい。冬の間はフリッツがまた人手を募集するかも知れませんからその時はよろしくお願いします」
「ああ、そいつは嬉しいねえ。冬はひたすら耐える時期だったけど、何か仕事があるなら本当に助かるよ。ところでダイクさんとリューズちゃんはどうしたの? 姿が見えないけど」
「リューズは訳あって冬の間は実家に戻ってます。ダイクはドノバン先生とピア、新しく来たフェリって子と、それに私の母さんと一緒に教会のルンベック牧師に挨拶に行ってます。もう少ししたら戻るんじゃないかと思いますけど」
「ダイクさんがこの村に来てくれてなかったら、ジャイアントボアの食害がひどかっただろうし、帰る前に御礼を言っておきたかったんだけど、まあ仕方ないか。じゃあ坊ちゃん、麦の種蒔き抜けて来たからこれで失礼するよ。また春になったらよろしく」
そう言ってギュンターさんは王家領の畑の方に去って行った。
ギュンターさんと入れ替わるように、騒々しくこちらに走ってくる小さな人影が3人。
エリック、クルト、ヨゼフの3兄弟だ。
「ししょー、隙ありっ!」
一番活発なクルトが、ハンスに飛び蹴りを仕掛ける。
ハンスはクルトの飛び蹴りをひらりと交わし、手刀で軽くクルトの頭を打つ。
「おいおいクルト、叫びながらじゃ奇襲にならんだろうよ。叫びながら攻撃すんのは突撃だけだ。野生動物相手に威嚇するならまだしも、お前の師匠は野生動物かあ?」
「何だよー、ししょー驚いたっていいだろ。俺だって随分声出るようになったんだからさー」
「まあクルトは筋が良いかも知れんな。でも調子に乗ってると体を傷めるからな。教えた体操、ちゃんと農作業や運動する前にやっとくんだぞ」
「わかってるよー。な、兄ちゃん」
「クルトは元気を仕事で使えよ。まったく調子いいんだからさ。 ところでジョアン、色々とありがとう。ジョアンのおかげで少しづつだけど、自信がついてきたよ」
「いやいや、エリックが頑張ったからだよ。私たちは春に戻って来るつもりだけど、冬の間は勉強会出来なくなっちゃうから申し訳ない」
「いや、そんなの気にしないで。ジョアンたちの好意でやってくれてたことだし、冬の間は自分で少しづつ教わったことを復習してるから。それに冬は夜まで家を空けると、帰った時に寒くて凍えちゃうし、家の中を温め直すのに薪を多く使うことになっちゃうから、丁度いいんだよ」
「兄ちゃん、薪取るのに苦労してるもんね」
「ヨゼフがもう少し大きくなってくれると僕も楽になるんだけどね」
「冬の間の薪の確保、大丈夫なの? エリックはティモやペーターに随分薪のことでは言われてたけど」
「うん、一緒に勉強会をやってるイーヴォって子のお父さんのギュンターさん達が最近手伝ってくれてるんだよ。おかげで何とか一冬越せるくらいの薪は貯められそうだよ」
「なら良かったよ。もし薪が足りなくなったら、デンカー商会の冬の間の責任者のフリッツに言って分けて貰ってね」
「当然お代は頂くぞ。ジョアンの知り合いでも損するような値では出せないからな」
「フリッツ、何とか融通してやってよ」
「ジョアン、商売というものは安く売れば良いというものではないぞ。安く売れば買った者は喜ぶだろうが、それを生産する者にとっては死活問題だ。エリック、きちんと定価で買わないと、結局自分達の首を絞めることになるぞ。
まあ商品を安くすることは出来ないが、時々勉強を聞きに来るくらいなら教えてやってもいい。勉強すればその辺りのことが解るようになるだろうからな」
「フリッツ、兄キャラ全開だね。エリック、冬の間勉強で判らないことがあったらフリッツに教えてもらってね。それでエリックがクルトとヨゼフに教えてあげればいいよ。人に教えるのって自分の勉強にもなるからさ」
「そうだね。冬の間頑張ってみるよ」
俺がそうエリックと話していると、教会へ行っていたラウラ母さん、ドノバン先生、ピア、フェリ、ダイクが戻って来た。
ラウラ母さんはエリックたち3兄弟を見つけると声をかけた。
「いつもジョアンと仲良くしてくれてありがとう。ジョアンに沢山友達が出来たみたいで私も嬉しいわ。また春になったらジョアンはここに戻って来ると思うから、来年も仲良くしてね」
「は、はい。ジョアンには僕達の方がお世話になってるようなもので……また春になってジョアンが戻って来てくれたら嬉しいです」
ラウラ母さんは今日も商家の奥方風のワンピースに髪を隠すスカーフを顎の下で結んでおり、どう見ても王妃という装いではなく親しみやすいと俺には思えるのだが、エリックは妙に緊張して返事した。
「そう、ありがとう。今日はわざわざジョアンを見送りに来てくれたのね」
「うん、本当は母ちゃんも来たいって言ってたけど、教会の賄い作りの仕事だから替わりにお礼言っといてだってー。あ、兄ちゃん、母ちゃんに頼まれた煮干し、買ってかないと怒られるぞー」
クルトはエリックとは違って全然緊張していない。こいつ大物だわ。
「悪いが今日は商いはしないぞ。荷の整理がこれからだからな。買い物は明日にしてくれ」
フリッツがエリックにそう伝えると、クルトはもう買い物に興味はないのか、ラウラ母さんを眺めて話したそうにしている。
「あら、3人のお母さまは教会におられたのね。ご挨拶しておけば良かったかしら」
「奥様、私が挨拶して紹介したマールさんが3人の母親です」
「ああ、あの人が。ピアに料理を教えて下さったのよね。良かった、しっかりご挨拶出来ていて。
あなた達のお母さん、お料理とっても頑張っていたわよ。大工の方とか、新しく村に来た方の分を沢山沢山作っていたわよ」
「うちの母ちゃん、勉強会の時に皆の分のご飯も作ったりするから沢山作るのは得意なんだよー。うちの母ちゃんの料理は美味いぞ! 食べた皆が美味いって言うもん! 見た目の綺麗さはジョアンの母ちゃんに負けるけど、料理は村の誰より上手いんだからなー!」
クルトが胸を張って得意げに言う。
「クルト、ジョアンのお母さんに失礼だろ、少しは落ち着けよ」とエリックがクルトを嗜めるが、クルトは図太く気にしない。
「何だよー、ちゃんとジョアンの母ちゃんも褒めてるじゃん! 綺麗だって」
「褒めてくれてありがとう。また今度来るときは私も何か料理を作ってみるから、食べて味の感想を聞かせてね」
「ジョアンの母ちゃんの料理ってどんなのかな、商人の奥方様の料理って楽しみだー。でも、家の母ちゃんの料理の方が絶対美味いからなー、ジョアンの母ちゃん、覚悟しとけよー」
「はいはい、クルト、母ちゃん自慢はその辺にしとけよ。じゃあ俺達はそろそろ出発するからな。エリックやマールさんを困らせるんじゃないぞ。春に来た時に悪さしたって耳にしたら、おまえだけ特別にしごいてやるからな」
ハンスがクルトの頭をかいぐりかいぐりし、悪さの辺りでは結構力を込めてグリグリやる。
ハンスなりの弟子への愛情表現かも知れない。
「では奥様、こちらの荷馬車へどうぞ」
警護の騎士がラウラ母さんを荷馬車へ導く。
荷馬車の席割は決まっていて、俺、ラウラ母さん、アルマ、ドノバン先生、ハンスが1台、ピアとフェリとダイクが1台、2台に警護騎士2名と兵士が5名づつ、残り1台は俺達の荷物やエルダーエルフから貰ったワイバーンの加工済み鱗などを積んでいる。
馬車の御者はライネル商会で手配した御者たちだ。
フェリが俺達と一緒に王都に戻るのは、ダイクがフェリを案じたからだ。フェリ自身ははフライス村の教会の孤児院に世話になる方向で考えていたようだが、ダイクは獣人への差別意識を持つ村人がけっこういるフライス村で過ごすことは、これまで人との交流がなかった山猫人間のフェリにとっては人嫌いになってしまう原因を作ってしまうのではないかと心配したのだ。
ダイクはフェリを自分の元で従者兼騎士見習いとして育てるつもりのようだ。
「フェリは女ですが身体能力は高く、正式に叙任されるかはともかく騎士に向いていると思うのです」
とフェリ自身の能力を見込んでのことでもある。
王都に戻ったらダイクの家に住み込み、騎士としての座学や技術をダイクに付いて学んでいくことになる。
フェリ自身もダイクには懐いているので、ダイクの申し出に喜んで従った。
そうしてフェリはダイクについて王都に戻ることになったのだが、フェリとダイクとピアが乗る荷馬車の乗車人数が少ないのは、人ではなくワイバーンの檻を2つ積んでいるためだ。
卵で持ち帰ったワイバーンの卵は俺が熱を出して代官屋敷で意識を失っている間に孵化し、巣で見つけた幼体と合わせて2体になっている。ワイバーンの成長は思ったよりも遅く、巣で見つけた方が50cm、後で孵化した方が40cm程で、まだワイバーンの特徴ともいえる鷲のような足も、蝙蝠のような翼も形成されておらず、大き目のトカゲのような姿だ。まだ麻痺毒ブレスや麻痺毒に着火した炎も吐いたりはせず、おとなしいものだ。
ワイバーンの檻は以前リューズが言っていたように2段に分け、上の段がスライムを入れられるようになっており、下の段にワイバーンを入れるようになっている。上の段と下の段を隔てる部分は細かな金網。ワイバーンが暴れたりした場合、上の段のスライムを尖った棒で突いて破りワイバーンをすぐ無力化できるようにしているのだ。ただしスライムも飲まず食わすにする訳にも行かないので、普段はワイバーンが入っている下の段にもスライムを入れ、ワイバーンの糞などを食べさせ、時々上の段のスライムと入れ替えている。ワイバーンの餌はミミズや虫を与えているので下の段に入っているスライムとは共存できる。ワイバーンもスライムは食べようとはしない。本能で食べたら危険ということが解っているのだろう。
ワイバーンとスライムの世話は檻と一緒に荷馬車に乗るダイク、ピア、フェリがする。
ピアはワイバーンも結構平気で世話をしているし、ダイクは言わずもがなだ。フェリは親ワイバーンに同族を全て食われた恨みがあるのではと思っていたが、ワイバーンの巣で卵を石で割ったことで気持ちの整理がついたようだ。多少の蟠りは残っているのかも知れないが、自分に出来ることとして餌のミミズや虫を捕まえて来て世話を行っている。今も道中の餌として籐の蓋つきの籠にミミズや虫を入れて持っている。
荷馬車に載せられたワイバーンの2つの檻は、今は茶色い麻布ですっぽりと覆われていて傍から見れば荷物に見えている。
「殿下、名残惜しいですが、そろそろ参りましょうか」
ダイクが俺を荷馬車までエスコートしようと声をかける。
名残惜しいのもあって、俺は物凄くゆっくりとした歩調で荷馬車に向かって歩きながらダイクに話しかけた。
「ダイクは寂しくならないの? 雪狼たちとも随分長く過ごしたし」
フデも含め、雪狼たちは森の中に戻している。フライス村など人里は決して襲わないようにとダイクがボスとバロンに厳命しているので、村が襲われることはない。
ダイクの遠吠えのような号令の後、少しづつ夏毛から冬毛に生え変わっている姿で雪狼たちは森に戻って行った。今朝早くのことだ。
「あいつらは元々野生ですし、私が居ない間に縄張りを広げて貰いませんと。あいつらの縄張りが広がれば、それだけフライス村も安全になりますから」
「ダイクには本当に助けられたよ。ダイクを選んでくれたリーベルト先生には感謝しないとね」
「いえ、私など大したこともしておりません。ハンスやドノバン先生の様に村人たちとの交流を担っていた訳でもありませんし」
「でも、ダイクが雪狼を手懐けて魔物を追い払ってくれてなかったらどうなってたか判らないよ。ダイクはワイバーンの幼体の世話だってしてくれてるじゃない? 私たちの中で自然の脅威を跳ね除けて手懐ける担当してくれてたんだから、一番苦労掛けたんじゃないかな」
ダイクは立ち止まって、フライス村を取り巻く森を眺めながら数秒黙った。
そして周囲に誰もいないのを確認して口を開く。
「王都では栄えある第1騎士団所属で、王族の警護という重要な職務を担当させていただいている私が、こんなことを言うと他の騎士達には何様だと言われそうなのですが……
私はこのフライス村で過ごした半年間、とても充実していました。
私は本来、こうした自然の中の村を守る仕事が合っている、そう実感しました。
私を殿下の警護に抜擢して下さったリーベルト団長には感謝しかありません。
来年の春、可能であればまた殿下と共にこの村に戻って来たい、そう望んでおります」
森を見つめるダイクの眼差しは、何処か郷愁を感じさせるものだった。
「……そうだね、私も是非来年の春もダイクと一緒にフライス村を訪れたいって思うよ。
そしたらダイクももっと私に砕けて話してくれるだろうしね」
「ラウラ妃殿下や第一騎士団の同僚がいるのに、殿下に砕けた話し方出来る訳ないでしょうが。
また来年の春、楽しみにしといて下さいよ」
そう言葉を交わして、俺とダイクは荷馬車に向かって歩き出した。
フライス村を出発してから1時間程。森の中の荷馬車が辛うじてすれ違える程度の街道を俺達を乗せた5台の荷馬車は進んでいる。
騎士と兵士を乗せた荷馬車が列の先頭と最後尾を進み、俺達の乗った荷馬車は4番目。
藁束を敷きつめた荷馬車はガタガタと揺れ、藁束がクッション替わりになるもののそれ程乗り心地は良くない。
こちらに来た最初の頃は馬車の揺れに気分がすぐ悪くなっていた俺だが、何度も乗ってようやく慣れてきた。
俺の横のラウラ母さんは意外にしゃっきりしている。
エイクロイドへの船旅の時もそうだが、乗り物酔いに強いのかも知れない。
ラウラ母さんの侍女のアルマは船旅の時もそうだったがあまり乗り物には強くはないらしい。
だからアルマの気が紛れ、馬車に酔わないようにラウラ母さんとドノバン先生は色々とアルマに話しかけている。アルマもラウラ母さんの実家ハース侯爵家の寄騎の子爵家の3女で、ラウラ母さんに昔から近侍していたので、昔の思い出話を色々話し、ドノバン先生は聞き役になっている。ドノバン先生は上手く相槌を打ってラウラ母さんとアルマの話を引き出して会話を弾ませていた。
「リューズの嬢ちゃん、見送りに来ませんでしたね」
ハンスが黙って話を聞いていた俺に話しかける。
「そうだね。まあ春になったらまた会えるし、リューズもニースさんやマリスさんとまだゆっくり過ごした方が良いと思う。会うと一緒に来たくなるかも知れないから、これで良かったんだよ」
「結構リューズの嬢ちゃん、好奇心旺盛でしたもんね」
「エルダーエルフって寿命が長いんだから、リューズにはこれからまだいくらでも勉強したり見聞を広げたりする機会はあるよ。でも恥ずかしがらずに親に甘えられるのって小さい頃だけだし。この冬は沢山ニースさんやマリスさんと過ごして親の愛を一杯浴びる程感じた方がいいと思うよ……うん」
ハンスとそんなとりとめもない会話をする。
荷馬車の中は、車輪の音やラウラ母さん達の会話の声でけっこう賑やかだ。
その賑やかさに紛れて、聞こえるか聞こえないかくらいのかなりの高音が聞こえた気がした。
長く聞こえては途切れ、また長く聞こえ……
「ハンス、何か高い音聞こえない?」
「いえ、特には。高い音っていうと車軸が軸受けに擦れる音じゃないですか? 聞こえませんよ」
いや、簡単な構造の荷馬車だから車軸からそんな音がしたら故障手前なんだけど。車軸が擦れる音じゃない。
ハンスに聞こえず俺に辛うじて聞こえる高音、ひょっとして……
エルダーエルフの角笛か?
俺は幌が開いている荷馬車の最後尾に急いで行くと、森を見渡した。
すると俺達の荷馬車が走っている街道脇から30m程離れた森の中を、白っぽい冬毛交じりの雪狼が並走しているのが見えた。
その背にぴったりうつ伏せの姿勢で乗っている、緑の髪のエルダーエルフの少女の姿も。
「リューズ!」
俺は荷馬車から半身を乗り出し、雪狼の背に乗るリューズに手を振った。
俺の声を聞いて荷馬車が最後尾から徐々に停車する。
俺の乗っている荷馬車が停車したので、荷台から飛び降り外に出た。
俺の後ろの荷馬車に乗っていた警護兵も荷馬車から降りて俺の前に立って壁を作り森の不審者から俺を守ろうとするが、雪狼の右足の目印のことととリューズのことを知っている警護騎士たちが「大丈夫、村に居た雪狼と、殿下のご友人だ!」とそれを制した。
俺は森に入ってリューズに駆け寄った。
ハンスとダイクも俺を追ってきた。
雪狼のバロンに乗ったリューズはするっとバロンから降りると日本語で話した。
『あーあ、自分だけ王都に戻っちゃうなんて、ずるいなあ』
リューズが笑顔で俺を揶揄うように言う。
『ごめん、リューズ。俺が病気にならなかったらリューズが『生命の木』のことでマリスさんやニースさんを困らせることも無かったし、一緒に王都に来る話もできたのに』
『そんな真面目に謝られてもなあ。私がジョアンを助けたかっただけだし、助けることが出来たんだから後悔してないよ。
それにお父さんお母さんに転生のこと話す良いきっかけにもなったしさ。何だかんだ言ってもジョアンとジョアンのお母さん、それとピアさんが私を後押ししてくれなかったら勇気が出なかったよ』
『それは俺もだよ。俺が意識を失ってる間にリューズがラウラ母さんに転生者だって伝えてくれたお陰で、俺はラウラ母さんに対する胸のつかえが取れたんだ。やっぱりずっと隠し事をしてこれから何十年も生きてくのって辛いからさ。
まだラウラ母さんと侍女のアルマと、ドノバン先生とピアの4人だけしか知らないことだけど、いつかハンスやダイクにも話せる時が来るといいなって思ってる』
『私もお父さんお母さんに私のことを知って貰えて、すっきりしたよ。まだ私が転生者だって言ってない時にお母さんが『生命の木』になってもいい、って言い出して、私は何でこんないい人たちの元に産まれたのに前世の親のことが忘れられないんだろうって、凄く自分が情けなくってさ……
でも転生のことを知っても変わらずに私を愛してくれるお父さんお母さんと過ごしているとね、そんな私でもいいのかなって思えるんだ。
前世の親にもう1度会いたいって気持ちはあるけど、それも含めて今の私を本当に大事にしてくれて、育てようとしてくれてるから。
何か少し気持ちの整理がついたよ』
『お互い、やっとこの世界で生きてく踏ん切りは着いたって感じだね』
『そうだね。どこに居たって私は私で、私が自分で上手く頑張らないとって思ってたけど、少し他の人に頼ってもいいかなって思えるようになったよ。思えば前世でも自分で決めたことに自分で縛られてた部分もあったし、大人になる、一人前になるっていつも気を張っていたのかも知れない。転生しても自分は変わってないって思ってたけど、気を張った自分が本当の自分なんだって驕りがあったのかも知れない。
せっかくこの世界の優しいお父さんお母さんの元に生まれ変わって、そんな私を許容して愛して貰えてるんだからね。その時の周囲の環境で少しづつ変わる自分を受け入れてくのも大事なのかなって思ったんだ。
だから、これからもよろしくね、ジョアン。春を楽しみにしてるよ』
『こちらこそよろしく、私の主治医の先生。リューズは世界一の名医だから』
『それ、絶対私のこと揶揄ってるでしょ』
『いや、そんなことない、本当に。今回のことでリューズが治療してくれないかったら俺は多分本当に死んでたんだと思う。
まだ誰にも言ってなかったけど、今回熱でうなされてる時に俺の魂だけ前世の、俺が死んで数日後の世界に戻ったんだ。
妻を残して死んだ心残りがあって、妻に想いを伝えたいって俺は切望してた。
でも魂だけだと本当に無力だった。生きて動けて言葉を発することが出来るって、どれだけ凄いことなのか、ようやくわかった気がする』
『ジョアンて前世で結婚してたんだ。子供はいたの?』
『いや、俺と妻の間に子供は出来なかった。だからかな、リューズの両親のマリスさんとニースさんの気持ちが想像つくんだ。
エルダーエルフはなかなか子供が出来づらいって言うけど、それでも長い間子供が出来ないのって、夫婦で普通に暮らしていても普段は意識してないんだけどふとした瞬間に寂しさを感じるんだ。
だからリューズが産まれて来てくれたのは二人にとっては一番幸せを感じる出来事だったんだと思う。リューズのことを二人があれだけ可愛がるのも心配するのも、気持ちはわかるんだよ』
『……』
『今更リューズの両親の気持ちを俺が言う必要もないけどね。
それでね、俺の前世の妻は凄くしっかりした女性だったけど、子供が出来なかったことも含めて気弱になることもあったんだ。そんな時には俺って気の利いた言葉とか出ないからさ、抱きしめてあげるくらいしか出来なくて。
生前の俺ってそんなもんだったけど、そんな俺でも先に死んだら残された妻は寂しいだろうと思ってね、妻と一緒に過ごせた時間は俺にとっては凄く幸せだったから、その気持ちは伝えたいって思ったんだ』
『……その気持ち、奥さんには伝えられたの?』
『うん。魂だけの存在って何も出来ないんだ。現世の世界の人からは見えないし聞こえない。魂だけでは存在もできないから空気の塊に宿ったんだけど、ちょっとの風で凄く飛ばされるし、換気扇に吸い出されるしでね、妻の所まで行くのも大変だった。
でも転生特典で貰った力って魂に付与されてるらしくてね、何とか妻の所に行けたら俺の『何となく考えてることを伝える力』のおかげで妻に感謝の気持ちは伝えることができたよ』
『……そう、心残りだったことを果たせて、良かったね。
私にもそういうことが起こるのかな……?』
『どうだろう? 前世の世界で会ったトリッシュは、俺達みたいなイレギュラーな魂の宿った体が生死の境をさまよう状態になったら半ば抜けた魂が本来の流れを無視して未練のあった世界に戻った、って言ってたけど、毎回起こるのかもわからないし。それに魂だけで戻っても、魂だけで存在できる時間って限られてるって言ってたからね。俺達の前世の世界だと死んでから7日間だってさ。
あと、俺が前世に戻ったのとは直接関係ないけど、その時トリッシュが言ってたのは、近しい存在だった魂は魂同士引き合うのか、わりと同じ世界の近しい存在に宿ることが多いって言ってたよ。
気休めみたいなものだけど、マリスさんとニースさんがリューズの前世の両親の魂が宿った存在って可能性も、ちょっとはあるかもね』
『おばあちゃんの魂も……?』
『可能性はあるんじゃないかな? 今回俺に新芽をくれた、『生命の木』になったイスクさんってエルダーエルフがそうかも知れないしね。最も前世の記憶は皆リセットされてるからわからないだろうけど』
『……そうだね、もしかしたら身近な人に前世の知ってる人の魂が宿ってるのかも知れないって考えると、何だか寂しくなくなるもんね。
ありがと、ジョアン。私また前世のことで悩んだら、今の話を思い出すよ』
「殿下、殿下ばっかりリューズと話しててズルいでしょう。
いくらエルダ―エルフの一生に一度の魔法で二人だけで意思疎通できるからって、俺達だってリューズとはもう仲間なんですから!」
傍で俺達をハンスと一緒に見守っていたダイクが、俺達の会話が何となくひと段落したのを見計らってそう抗議してきた。
「ゴメンゴメン、ダイクさん。ジョアンがさ、ボクと離れるのが寂しいってゴネてたんだよ。二人に聞かれるのが恥ずかしいってさ」
「殿下は荷馬車に乗ってる時もリューズちゃんが見送りに来なかったって寂しがってましたからね。意外に年相応の面もあるんですよ」
「ハンス、私は寂しがってなかったよ! 春になればまた会えるんだしさ、そう言ってたじゃないか」
「いやいや、殿下はリューズちゃんのことを話してる時、言葉とは裏腹に遠い目をして寂しがってましたよ。隠しても私にはわかります」
「そうかー、ジョアンは意外に寂しがり屋なんだね、ヨシヨシ」
そう言ってリューズは俺の頭を撫でる。
おいおい、ノリノリだな、リューズ。けっこう真面目な話の後なのに、切り替え早っ。
「バロンはリューズの集落に行ってたのか。バロン、エルダーエルフに迷惑かけるなよ。毛皮にされたくなかったらな」とダイクがバロンに近づきながら言う。
「バロンの群れはボク達の集落近くに落ち着いてるよ。ワイバーンのせいでジャイアントボアとか西の森から逃げて来た魔物が多いから、狩ってくれるのは大歓迎なんだ」
「だったらしばらくは群れに対して威厳を保てそうだね。エルダーエルフの集落へ行くとバロンはいつもゴロゴロしてたから」
俺が覚えてる限りバロンはいつもエルフの集落にいる時はのんびりしていた。
「今日も姿を現したとたんに、うちの前で日向ぼっこしてサボろうとしてたよ。だからボクに捕まってここまで走らされたんだけどね。ダイクさんが居なくなっても楽はさせないよ」
「リューズにせいぜいこき使われな、バロン。春になって鈍ってたら群れのボスの威厳が吹っ飛ぶ程シメてやるからな」
と言ってダイクはバロンの背を撫でてやっている。バロンも気持ちよさそうだ。
「でもリューズちゃん、今日はここまで来て良かったのかい? マリスさん達に許しは貰ってるの?」
「うん、お父さんお母さんにはちゃんと言ってきたから大丈夫。時々フライス村に行くのも止められてないからね。そこまでボクは箱入り娘じゃないよ。
そうそう、皆が帰る前にこれを渡そうと思って来たんだ」
リューズはそう言うと、腰に付けていた革製のポーチから何かを取り出した。
「はい、これ、エルフが使ってる角笛。人族には聞こえないくらい高い音を出すけど、ボク達には聞こえるからね。
春になってまたジョアン達がフライス村に戻って来ても、ジョアンは面倒臭がってボクに伝えに来ないんじゃないかって心配になってね。だから他の人にも渡しておこうと思って。
代官屋敷で一緒に暮らしてた人の人数分はあるから、皆に渡しておいて」
そう言ってリューズはハンスとダイクに数cmの大きさで首から下げられるように紐を通してある角笛を一つづつ渡した。
「ドノバン先生とピアさんにも渡しておいてね。フェリちゃんの分もあるけど、フェリちゃんはエルダーエルフのことを怖がってるからね、どうしようか」
「フェリは俺の元で騎士見習いとして色々学ぶことになると思うから、俺から渡しておくよ。リューズからの贈り物だって聞いたら喜ぶと思う。俺達も耳が良いから俺とフェリの間の連絡に使えるだろうしな。エルダーエルフについての思い込みはなあ……時間をかけてわかってもらうようにするよ」
ダイクがまとめて3つ角笛を受け取り、ドノバン先生の分一つをハンスに渡す。ピアとフェリには荷馬車に戻ったら渡すつもりだろう。
「あれ、私にはくれないのかい」
俺がそう言うと、リューズは自分が首にかけていた角笛を外して俺の首にかけてくれた。
俺の方がリューズよりも身長が低いからあっさりと首にかける。
俺の首にかけてくれた角笛は、何か他の角笛に比べると少し細工が甘く不格好だ。
「ジョアンにはボクが作った角笛ね。まだ他のエルフに比べて上手く作れなかったからキュークスにはバカにされたけど、ジョアンだったらいいかなって。王宮でずっと付ける必要ないし、村に来た時だけ使えばいいんだからいいでしょ」
そう早口で言うリューズは、自分が作った角笛に自信が持てないのか目を逸らして横を向く。
「でも、さっき使ってちゃんと音が出るのは確認済みだから。春に戻って来たら使ってよ」
俺はその角笛を吹いてみた。
キューンというとにかく甲高い音が鳴る。
ダイクは聞こえているようで耳がピクッと動いたが、ハンスには聞こえていないようで不思議そうな顔をしている。
「うん、ありがとう、リューズ。大事にするよ」
「ちょっと癖のある音だから、ジョアンがちゃんと吹いたのかわかるからね。王宮の何処かで無くしたりしないでよ。
学術書も楽しみにしてるから、ジョアンのお母さんにもしっかり念を押しといてね」
リューズはそう言うと、照れ隠しなのかふわっとバロンの背に飛び乗った。
「じゃあ、ボクは帰って母さんの手伝いをしないといけないから。
来年の春、絶対戻って来てね。それじゃ」
そう言うとバロンの首を軽く叩き、森の奥にバロンを走らせ去った。
『ありがとうリューズ、前世を知ってる仲間が出来て、俺は心強かった!
必ず戻って来るから、元気でなー!』
俺は走り去っていくバロンの背に乗ったリューズに、日本語で精一杯の大声を出してそう呼びかける。
リューズはバロンに乗ったまま、こちらを振り返らずに走り去っていく。
でも、右手を挙げて、俺の声が聞こえたことを知らせていた。
あっという間にバロンとリューズの姿は森の木々に隠れ見えなくなった。
「リューズちゃん、あっさりしたもんですね」とハンスが言った。
「まあリューズらしいって言えばリューズらしいな」とダイクが言う。
俺もリューズらしいな、と思った。
春までの一時の別れだし、そこまでべたべたするようなものでもない。
時間の感覚が幼い頃に戻っているから、時間の経過をやたら長く感じてしまうけれども。
前世で生きていた頃は半年なんてあっという間に過ぎていた。
6歳の今は、物凄くこの半年間が長く感じた。
それだけ俺にとっては色々なことが起こって、色々なことを経験し学んだ充実した期間だった。
春までの半年も、今の俺にとっては長く感じることだろう。
でも、フライス村に戻ってくればまた会えるのだから。
一度繋がった絆は互いが誠実ならそう簡単には切れないし、再会すればより強固になる。
だから、そのために必要な別れだから、湿っぽくならなくていいのだ。
「ハンス、ダイク、戻ろうか。ラウラ母さんをあまり待たせちゃ悪いからね」
「そうですね、戻りましょう。でも殿下、アルマさんのためにはここで長く休んでても良かったですよ」
「フェリもミミズ探しの時間にしてたでしょうからね、多少ゆっくりでも良かったんですがね」
「二人は何を言ってんの?」
「角笛を通して間接キスでしょ? 良かったんですか引き留めて直接じゃなくても。あっさり別れて心残りないんですか?」
「ハンス、何を期待してたんだよ! 私は6歳だよ、ろ・く・さ・い! しないよそんなこと」
「ハンス、殿下をそんなに茶化しちゃ悪いぜ。そうゆうのはまた来年の春以降だっての、焦りすぎんなよ」
「仕えてる主を茶化すなんて、護衛騎士の風上にも置けないな! そこになおれ、手打ちにいたす」
「やだなあデンカー坊ちゃん。まだデンカー坊ちゃんでしょ?」
「帰るまではデンカー坊ちゃんでいいじゃないですか」
そう言って笑いながら逃げる二人を、俺も笑いながら追いかけた。
また来年の春にフライス村に皆で戻って、こうして楽しく過ごすことに思い馳せながら。
王子に転生してこりゃあいいやと思っていたらこれはこれで苦労があるようです。
第1部 おしまい
というわけで約半年続けて来たこの話も第一部終了です。
何かあまり活躍を描けず、世界を見せるだけで終わってしまった気がしてます。
第二部は、しばらく充電してから書こうと思います。
他の作品はちょこちょこ書くかも知れません。
長い間1話が長い冗長な話にお付き合いいただきありがとうございました。




