プロローグ
SFです。
その男は、手すりに寄りかかって広場を見下ろしていた。
白髪を短かく刈り上げ、額には皺、痩せこけた頰。どう若く見積もっても初老の男だ。たとえハーフパンツにアロハシャツ、黒のサングラスという若々しい服装をしていたとしても。
ただ、そんな服装でも目立つ事は無い。
コーク宇宙ステーション。コークDAとも呼ばれるここは交通の休憩地点であり、多くの人種、種族で溢れている。人型という時点で股間と胸さえ隠していれば目立つ事は無い。
おかげで、その男に近付くのは簡単だった。これまでの苦労が何だったのかと思うほどに。
「動くな」
ジャケット越しに銃を突きつける。
人気の多い区画だ。本来なら足に一発ぶち込んでから話したいところだが、騒ぎになってもめんどくさいのでこういう対応である。
「ロマロ・アンカー。同行願おう」
「ははっ。……あぁ、見事だ。素晴らしいね、君は」
銃を突きつけられているにも関わらず、ロマロは笑顔で振り向いた。
「ユイ君、だったかな? 君だけだよ私にちゃんと着いてこれるのは」
「随分と余裕だけど、逃げ道は無いわよ?」
「……おや。この私が本体だと?」
「銃口で触れた時点で生身ってのは確認済みよ」
そうは言いつつも念の為、メガネのスイッチを入れた。
スキャンが開始され、生体である事の確認が取れる。脳と後頭部に機械が見えるが、インプラント手術はさほど珍しい改造でもない。
「ふむ、確か前回は遠隔人形だったか。まぁ、そんな事はどうでもいい」
「そうね。これでやっとあたしは大金持ちで、あんたは刑期千年越え。前回の事なんて些事よ、些事」
前回追い詰めた時は偽物な上に大変な目に遭ったが、それも今となっては楽しい思い出だ。
大物賞金首を捕縛出来た。得られる賞金を考えれば、どんな苦い過去でも思い出になる。
だがロマロは首を振ると、再び広場を見下ろした。
「君は、反物質を知っているかね?」
「当たり前じゃ無い。誰でも知ってるわよ」
現代では最も一般的なエネルギーだ。反物質力発電所はそれなりの惑星になら一つはあるほどにメジャーで、生成と同時に対消滅すると言う特性から安全かつクリーンなエネルギーとされている。
まぁ生成炉の建造に大金がかかる上に、一般の技術では広大な敷地も必要になる。小型化も難しく、極一部の最新鋭大型戦艦に積まれている程度だ。
「ははっ。……あぁ、そうだね。だが、君たちの言うそれは反粒子。私が言っているのは、本当の意味での反物質だ」
「はぁ。……つまり、なに? あんたが今まで繰り返してきた爆破事件は、全部その反物質の失敗だったとでも?」
ロマロの罪状を上げればきりが無いが、基本的には爆破絡みばかりだ。
ただ、爆破の規模自体は大物賞金首としては控えめ。その件数の多さ、犠牲者に富豪がそれなりにいたと言うのが賞金額高騰の理由だ。
「失敗ではないよ」
「どーでもいいわよ。どうでここで終わりなんだし」
「終わり? まさか」
くっくっと喉を鳴らして笑いながら、ロマロが振り向く。
「今日が、始まりだよ」
妙に楽しそうだが、あたしとしては関係ない。
「あたしが賞金を受け取った後ならどこで爆破してくれてもかまわないわよ」
「ははっ。そう寂しい事は言わず、聞いてくれ。私の経歴ぐらいは調べ上げてあるんだろう?」
「……生物工学から物理学、他にも色々でしょ」
このロマロ、大物賞金首にありがちではあるが兎に角高学歴なのだ。
研究期間が長かったと思われるのがその二つと言うだけで、医師免許も持っているし心理学でも論文を出していたりする。ただ、優秀なのは確かなのだが異端だったり反社会的だったりで認められてはいないが。
「そう、その通り。そして君にも分かりやすいように説明するなら、生物工学でこの身体、物理学で反物質というわけだね」
「……この、身体?」
「そう。だからまぁ、捕まえても無駄だと思ってくれればいい。重要なのは、反物質に関してだからね」
ニコニコ笑顔のじじいを前に、身体が冷えてゆくのが分かった。
偽物。それも、クローンの。
技術的に不可能なはずだが、クローンを遠隔操作しているのだとすれば。遠隔人形では無く生身をわざわざ使ったのは……あたしみたいな賞金稼ぎをおびき寄せる為。
「中々に大変だったよ。正規の手段では金が集まらなくてね。色々とやったわけだが……傑作だったのは≪ALTF≫だね。初めて圧縮に成功して、丸ごと消し飛んだからねぇ。いやぁ、年甲斐も無くはしゃいでしまったよ」
ロマロは酷く楽しげにそこまで言ったところで表情を消し、虚空を見上げて息を吐いた。
「……年を取るといかんな。すぐに話しが脇に逸れる」
「まさか、あんたに反物質内蔵してる、とかじゃないでしょうね……?」
ジリジリと後退しつつ、ロマロを睨む。
スキャンでは爆発物を検知できなかったが、反物質なんて多分対応してない。
そもそも反物質爆弾なんてのは都市伝説的な兵器だ。詳しく知っているわけでは無いが、生成と同時にとんでもないエネルギーを発生する為、反物質エンジンという形で生成と同時に消費しなければいけない危険物。
そんなモノが持ち運び可能だとは思わないが……ロマロは、まるでそれを可能にしたかのような口ぶりだ。
警戒しつつ睨むと、ロマロは嬉しそうに目を細めた。
「実にいい。この私に着いてこれただけはある」
「……追いかけて欲しいなら、情報を残しとく事ね」
「価値のない者は、ただ私を畏怖すればいい。私の偉業を知るべきは、君のような優秀な人材だけだ」
「お褒めにあずかり光栄ね。……で?」
本能が、今すぐ逃げろと言っている。
けど、賞金稼ぎである以上素直には逃げられない。少なくとも、こいつが本体では無いと言う確証を得ない事には。
「反物質の問題は、持ち運びが不可能だという点だ。生成炉なら持ち運べるが、それではカミカゼ駆逐と何ら変わらん。あのサイズでは、過剰生成したとしてもこの宇宙ステーションを破壊できるかどうか」
「……何がしたいのよ」
「革命だよ」
ロマロは続ける。
「私の手によって、この世界のあり方を変えたいんだ。学者を気取る凡愚共に、私の偉大さを突きつけてやりたいと言うのが当初の目的ではあるがね」
「それで反物質って……その学者がいる惑星の破壊でもしたいわけ?」
「まさか。言っただろう? 革命が目的だと」
楽しげにペラペラと良く喋る。
ただ、話している間は危機感も薄れる。いくらイカレているとはいえ、喋っている間に爆発まではしないだろう。
「私は、反物質の固体化に成功した。便宜上先程は圧縮と言ったが、実際は合成と言うべきか。まぁ兎に角、問題となったのはそれの運用方法だ。固体として生成したおかげで若干の安定感を得たが、それでも百秒が限界だった。絶対真空の状況下、かつケルピンを零にしてさえ反応が起こった以上、未だ観測されていない素粒子が存在するか、反物質を固体化する事でエンタルピーを有する事になったのか。パトロンとなってくれた≪ALTF≫には申し訳ないが、興味深い結果だったと言えるだろう」
何を言ってるか分からず眉間に皺を寄せる。
まぁ、現在の映像はメガネに仕込んだカメラからハンターズギルドに送られている。この映像を見て、『凄いっ! 価値があるっ!』とあたしにお金を払ってくれる奴がいる事を期待しておこう。
「次のパトロンは金欠でな。主な業務が誘拐とヤク畑の時点で察してはいたが、クローンの遠隔操作を試すには良い環境だった。……あぁ、本当に恵まれた環境だった。おかげで反物質の持ち運びに関しても当たりが付いたからね」
「誘拐……ってーと、あんたの犯行が加速した頃か」
賞金首となったのも、星間輸送船のハイジャックが契機だ。
「身代金が取れそうに無いのは好きにして良いと言われてね、試してみたんだよ。色々と。その結果、脳に埋め込むと対消滅までの時間が格段に延びると分かったんだ。理論的に証明は出来ないが、恐らくは化学シナプスが関係しているんだろう。現在はイオン電流と考えられているが、反物質の反応を遅延させる何かしらのエネルギーが存在する。おそらくそれが、脳に意思を発生させるエネルギーと同様のモノだろう」
あたしには意味が分からないし、それ以前に理解する気も無い。
知りたいのは、一つだけだ。
「つまりクローンだと駄目って事?」
「ご明察っ! そう、そこなんだよ。意思がなければ駄目なのかと思い、こうして脳に色々と取り付けて、今は本体の脳とデータリンクを行いこちらの脳も使っている筈なんだ。だというのに、即対消滅だよ? つまり、成長の過程で脳のシグナルが特殊な電流へと変わっていると仮説がたつわけだ」
ロマロの説明なんて理解するつもりは無いが、必要な事だけは聞き取れている。
だからこそ、全身に鳥肌が立った。
ロマロの隣に並び、手すりから乗り出すようにして広場を見る。
見つけられると思っての行動では無い。ただ、もしかしたらと言う思いつきだ。
だが、少し見渡すだけで異質な存在は目に入った。
ふらふらと歩く、色素が抜け落ちたかのような中年男性。茶色い服を着て、黒い靴まで履いているというのに、何故か全ての色が抜け落ちたかのように見える、異質。
「ホワイトマン……」
それは最近になって噂されるようになった怪奇現象だ。
単純に『それを見たら不幸になる』程度の話でしか無いが、急速に広まっている噂。
「……っ」
あたしは驚きを飲み込んで慌てて駆けだした。
「君が来てくれて良かったよ。おかげで私の偉大さを誰もが知るだろう」
「くそ……っ」
鉛玉の一発でもぶち込んでやりたいところだが、取り出す時間も惜しい。
そもそも、発砲して騒ぎになったら逃げ道を阻まれる可能性が高い。どんなにムカついても今は我慢だ。
エレベーターへは向かわず、非常階段へと向かう。
ロマロを追い詰める為に宇宙ステーションの構造を大体頭に叩き込んでおいたのが役に立った。
一時期は惑星間戦争の前線基地だったと言う事もあり、螺旋状の非常階段の中心には滑り棒がある。駆け込んだ勢いで手すりを越え、滑り棒を使って一気に最下層の格納庫へ。
ジャケットの襟に付けたピンバッジを逆時計回りに一メモリ動かし、あたしは口を開いた。
「こちらC0073。緊急発進を申請する」
『こちらコーク宇宙ステーション管制です。C0073、緊急出港ですと追加で料金が』
「好きに引いていいからっ」
『……畏まりました。C0073、入港時と同じドッグに機体を移動します』
「よろしくっ」
伝え終えた時にはもう最下層。
すぐに駆けだしながら、時計回りに一メモリ動かして再び通信を開く。
非常階段にいた奴も含め、すれ違った人が訝しげな視線を向けてくるが、恥ずかしがってる余裕なんて無い。
「アマガサ、エンジン始動っ! 二分後にコックピット開いてっ!」
『命令受諾。エンジン始動、コックピットオープンマデ、カウント118、117』
アマガサAIのカウントを聞きながら、あたしはエアロックへと駆け込んだ。
巨大な宇宙港では仕方の無い仕様だが、巨大な扉は閉まるまでが遅い。観光客にも配慮した開閉速度は、今日に限ってはいつもの倍は遅いように感じられる。
イライラしながらも、壁を形作っているロッカーの一つに歩み寄り、身分証を翳してロック解除。真っ赤なフルフェイスヘルメットとジェットパックを取り出して装着する。
「……あのジジイに騙されてるだけならいいんだけど」
良くは無いが、まだマシだ。こんなにも身の危険を感じるよりは。
左足のつま先が自然と動き、タンタンと床を叩く。
ようやく扉が閉まり、重力が抜けてゆく。
重力がなくなる感覚は好きだ。自由になれた感じがして。
けど、今は駄目。あのジジイの束縛が、あたしの感情を縛り上げている。
全くもって不愉快だ。
扉が開くと同時に、床を蹴って加速。ジェットパックを使いつつ自分の機体へと向かう。
あたしの愛機アマガサは紺色の戦闘機だ。区分としては大型戦闘機に分類され、全長百メートル。形状は六星錐とでも言うべきか。横幅が広めで、航空戦闘機の枠に入るような形にはなっている。
すでにコックピットは開いており、浮き上がっていた携帯食料を引っ掴んで座席に着地する。
「アマガサ、閉めろ。すぐに発進」
ジェットパックを外して座席に着き、襟のピンバッジを操作する。
「管制、C0073、出港する」
『畏まりました。C0073、良い旅を』
「そう願いたいわね」
そう返しつつもすでにエンジンは噴かしている。
肘掛けの先にあるタッチマニューバー押し込んで全速前進と行きたいところだが、まだ予兆はない。罰金と命どっちが大事かと言われれば勿論命だが、それでなくても賞金稼ぎはイメージが悪いのだ。何も起こらなかった場合を考えると、ルール違反はしにくい。
制限速度を僅かに超える程度で進む事数秒。突然、世界が揺れた。
「アマガサ、エンジン全開っ!」
そう指示を出しつつ、あたし自身もタッチマニューバーでアクセルを噴かす。
次の瞬間、世界が一気に加速する。大型戦闘機の利点は、十分なエンジンを積め、かつ機体が比較的軽い事によるこの加速だ。
フルスロットルで五秒ほど。だが十分な距離を稼げたと判断したあたしは、後部カメラを操作してコーク宇宙ステーションを映した。
巨大な巻き貝のような形状をした宇宙ステーション。メジャーな形状であるそれが、ゆっくりと膨らみ、爆ぜる。
その下から現れたのは、まるで太陽のような眩い光。
あたしはその光景をのんびり眺める事も出来ず、機体を揺らした強う衝撃と共に意識を手放していた。




