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凡人の○○

凡人の疑問

作者: 凡人EX

少し熱く語るだけ。

 思いやり。調べてみれば、他人の身の上や心情に心を配る事。同情とも言うそうな。


 早速ツッコませて欲しい。書いてある通りに受け取るならばコレ、



『思いやった相手がどう思おうとお構い無し』



 と考える事が出来るだろう、と。


 私凡人EXは、別に普段「相手を思いやれ〜」とか言う話を聞くことは無いし、恐らくアナタもそうだろう。そんなモノ当たり前だと言う前提で話が進んでいるのだ。そりゃいちいち言う必要なんてあるわけが無い。


 私が聞くにしても、性格の悪い知り合いが先生に時々言われる程度である。彼女の傍若無人っぷりはぶっちゃけ擁護できないレベルなので、私はそれを外野から眺めているだけである。


 “当たり前”という概念からしてツッコミどころ満載なのだが、今回の論点はそこでは無いので、またの機会に書くものとして置いておく。


 では今回私は何を言いたいのか。語弊がありすぎて誤解を招きまくる言い方をするならば、


『人の善意は信じるな』


 だろうか。


 我ながら人間不信全開な物言いだ。私は確かにあまり他人を頼りたくない、プライドの高いクズではあるが、別段人間不信とかそういう訳では無い。疑心暗鬼気味なだけである。そういう事にしておいて欲しい。



 テーマを噛み砕く前に、今更ではあるが注意をしておきたい。


 この小説は、見識の浅い一高校生が、前回以上に突飛かつ不快感を煽る様な物言いと発想で、上から目線でクソ生意気な事を書いたものだ。


 しかも書きたいことを書き殴っている様な物なので、整合性が取れていない可能性も勿論ある。前回の小説にも書いたが、私は酷く忘れっぽいので、確認しながら頑張って書いてはいるが、どうしても文脈がおかしかったり、狂ってしまっているかもしれない。


 もし嫌ならば、ここでこの画面を閉じて欲しい。苦痛から逃げるのも勿論ありなのだから。


 それを承知の上で見てくれる、もしくは、それでも面白そうだと思って見てくれるならば、感想を是非頂きたい。


 私の意見に賛同するも反対するも、貴方の自由だ。自分はこう思うと言う事を是非とも私に教えてほしい。感想への返信は極力やっていくつもりだ。



 さて、注意も済んだところで、早速テーマについて説明していこうと思う。


 ありがた迷惑と言う言葉をご存知かと思われる。説明として私の例を出すと、「朝、母がご飯を大量によそってくれた。しかし、私は朝ごはんの時にあまりご飯を食べない」と言った具合か。状況を鑑みると、親切でやってくれた事も迷惑になりかねない、と言った意味だ。


(朝ごはんにあまり多くご飯を食べると、長い距離を自転車で移動するためかえって苦しいのだ。あと凄く眠くなる)


 私が着目したいのはそこ。コレは本当に善意でやっているのか?と言う点である。(私の母の場合は流石に善意100%だろうが)


 人に助けを求めた結果、余計な事をされ、更に大きな被害を被ったり、事態が悪化したり。この時、相手は本当に自分を“思いやって”やってくれた事なのだろうか?


 事情を知らない内に助け舟を出されても、それは泥舟でしかないだろう。沈んでしまって何も助かっておらず、寧ろ溺れて死にかけるという被害を被るわけだ。


 ただ、それだけならコチラの説明不足であったりとか、相手の事を買い被りすぎたとか、そういう風に考えて置いておくこともできる。問題は懇切丁寧に説明した上で助けを求めた結果、火事が街を焼き尽くした、何て事になった場合である。


 その場合、誰が悪いのだろうか?やらかした相手が悪いのか?発端が悪いのか?……それとも、そもそも誰かに助けを求めた自分が悪いのか?答えは、状況を把握出来れば判断出来るのだろうか?


 おいおい凡人、話が逸れてんじゃね?と思われた貴方、確かに脱線してはいたが、必要な脱線なのだ、許していただきたい。


 先程の話の最後に、誰が悪いのかわからないかも、と言う結論に至った。そう、悪者が誰かあやふやになってしまっている。助けを求められた人間はそうなる事を見越して、助けを求めた人間を困らせようとしているかもしれないのだ。


 100%善意かもしれない。本当に助けようとしたのが裏目に出てしまったのかもしれない。相手もそう言うかもしれない。


 少なくとも、相手の言うことは信じてはいけない。人の気持ちを完全に理解する事など出来やしない。ましてや、言葉で表現されるものなど、嘘が混じっている事の方が多いのだ。誰が何を言おうと、私はそう主張する。


(余談だが、私の体験談にも幾つか嘘が混じっている。が、許可を取っていない以上、体験談の登場人物を暈すのは当たり前だと思う。とはいえ、こればかりは信じてもらうしかないが、こうして書いている私の意見は全て本心から思っている事だ)


 結局凡人は何が言いたいのか?読み飛ばした貴方の為に、私の意見を整理すると、こういうことになる。


『善意の中には隠された悪意があるかもしれない』


 私は、一つにコレを頭の隅にでも置いておいて欲しいのだ。



 ……先程“一つに”と書いた。そう、私が『人の善意は信じるな』と言った事には、もう一つ理由がある。


 貴方は募金をした事があるだろうか?コンビニのレジに置いてあるアレでも、街中で呼びかけられているアレでも、何でもいい。


 呼びかける側になった事がある人もいるかもしれない。ボランティアとして、海外等に行った事がある人もいるかもしれない。


 失礼を承知で言いたい。私が思うに、そこには後ろめたい気持ちがあるだろう、と。


 ……いや、石を投げないで欲しい。こんな事を言っておいてなんだが、私は何もボランティア活動なんかが悪いとは思っていない。寧ろ素晴らしい事だと思う。と言うか私も時々募金する。蓄膿症の薬を飲み終えたら、一度献血に行こうとも考えている。その時点で私も恐らく例外ではない。誰かの為にと思っているのだから。


 ただ、ふと思ってしまったのだ。募金もボランティアも、“憐憫”から来る行動なのだろう、と。


 私の気持ちがわかっていただけるだろうか?やっている事は正しい事の筈なのに、何故か違和感を感じてしまうという……私の貧相な語彙では表しきれない感情を。


 それに囚われた私は、その原因をしばらく考えていた。そしてたどり着いたのが先の意見である。


 震災で苦しむ人達。貧困で苦しむ人達。病気で苦しむ人達。勉強出来ずに困っている人達。食べ物に困る人達。


 こう聞いて、可哀想と思うだろうか?いや、思えるだろうと信じている。


 ところで、その可哀想と言う感情。見下している様なニュアンスが含まれていないだろうか?と言うより、含まれていないと言い切れるだろうか?


 私が思い至ったのはそこだ。人間、どうしても自分のモノサシに頼りきってしまう面がある。それ故に、自分よりも苦労の多い環境にいる人間を、どこか下に見る傾向があると思っている。


何度も言うが、私も例外ではない。キッパリと、「私は違う」とは言えないのだ。


 普段の生活でも、学力がどうこうとか、勤め先がどうこうとか、そういう事を聞くだろうが、アレも大袈裟な(そして高校生たる凡人の自分勝手かつ偏見の混じった)言い方をすれば、


「ぷぷぷ、お前その程度の学力しかねぇの?」

「お前、あんな所で働いてんの?ナイワー」


 とも解釈できてしまう事がある。それを善意で(そしてこれまた凡人の勝手な解釈を混じえて)取り繕ってみればあら不思議。


「なるほど中卒……大変だねぇ……」

「あの会社黒いって聞くなぁ……大丈夫か?」


 心配してくれているような台詞に早変わりである。物は言いよう、こんな所でも使えるとは思いもしなかった。


 これで、“可哀想”と言う感情には、多少なりとも見下しが入っていると言う私の意見も理解してくれただろうか。また、“憐憫”を感じさせるという点も理解していただけるだろうか?


 そんな感情を抱いたままボランティアや募金をする。果たしてそれは、完全な善意と言えるだろうか?


 とまあ、貶すような事を言っておいて何だが、この感情は必要な物であると私は思うのだが、その辺の話はまた別の機会に。


 今回のテーマと照らし合わせてまとめると、


『純粋な善意が存在するのかもわからないのに、信じる方がバカバカしい』


 という事になる。これが二つ目の意見だ。



 一番最初、思いやりの話をしていた時。『思いやった相手がどう思おうとお構い無し』と書いた。これについては、一つ目の意見を照らし合わせるとわかるだろう。“思いやり”という体の行動で、相手を陥れる事も可能なのだ。


 思いやりという素晴らしい物が、誰かを傷つける為に、またはそれを隠すために利用されているかもしれない。この本末転倒さは、皮肉に見えないだろうか?


 貴方は、それでも人の善意を信じるだろうか?信じないだろうか?是非とも教えて欲しい。他人と関わる上で、どう他人を見るかを教えて欲しい。


 信じなくては生きていけないと思っている貴方に言いたい。私は存外平気である。上手く取り繕えば、割と苦にはならない。18年程度の人生の中で、これは真実だったと言い切ろう。


 最後に、ボランティア活動に積極的に参加している貴方。今回は貶すような事を言って申し訳なかった。貴方のやっている事は、絶対にに無駄にはならない。


 そして、これは全ての読者の皆様に言いたい。せめて、自分の善意は信じてほしい。それによって迷惑をかけてしまうかもしれない。その時は、スッパリ考えを改めればいいのだから。




 信じすぎるのは、本当にいけない。我が道を行きすぎて、いつの間にか敵だらけ、なんて事になるかもしれないのだから。


 私はその前に、何とか折り合いをつける方法を見出した。おかげで今は悠々と生きていられる。


 しかし、私は貴方の事まではわからない。何かで悩んでいるかもしれないが、私には知る由もないのだ。


 周りを見てほしい。貴方の信じた道の周りは、崖だらけになっていないだろうか?今回は書ききれなかった、所謂善意の押し付けによって、誰かを傷つけてはいないだろうか?


 是非とも私に意見をお寄せ頂きたい。


 貴方は、今までをどう生きてきた?今は?これからは?


 この小説が、立ち止まる指標になる事を私は祈る。

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