32.露れる
「あなたはエリオットが公爵になった方がいいのですか?」
「当たり前です」
座りなおしたローゼが尋ねると、マリエラは強く肯定した。
「役目の話はご存知なんでしょう?」
先ほどナターシャと話をしていた際、マリエラは役目という言葉を聞いたときに特別な反応は示さなかったはずだ。そして予想通り、ローゼの問いかけにマリエラはうなずいた。
「それなら、あの人が公爵になった後にすることも知っているんですよね?」
「知っています。しかしそれが何だというのです」
強く言い切った彼女の言葉に唖然とするローゼを見て、マリエラは嘲笑を浮かべた。
「北方を治める公爵閣下、シャルトス家の当主におなりあそばす。……このことがどれだけ栄誉なものなのか、お前には分からないのね」
「ええ、分かりません」
下着も洗われたくないしね、と思いながらローゼが言うと、マリエラは小馬鹿にした調子で首を巡らせる。
ローゼから視線を外し、扇で口元を覆った。
「そうね、お前のような者には一生分からないでしょう。でなければ、公爵閣下の地位に就かれることを妨害しようとするはずがないわ」
ほう、と息を吐きながらマリエラは続ける。
「只人として長らえるより、短くとも公爵閣下としてあられる方が、はるかに素晴らしいことだというのに」
うっとりと言うマリエラにとっては、地位のない人生など無意味で無価値なものなのだろう。事実、彼女からは、人の上に立ち、人を使うことに慣れた者特有の雰囲気を感じる。おそらく力ある家の娘として、何不自由なく生きてきたに違いない。
しかしローゼは村で育った。彼女の言う只人の人生しか知らないし、公爵がどんなに素晴らしいものかも分からない。ゆえに、高みにのぼらなくて良いから、彼にはもっと長く生きて欲しいとしか思えなかった。
「あなたのような価値観もあるのでしょうね。でも、あたしには分かりません」
ローゼが言い返せば、マリエラは馬鹿にしたように笑う。
「そんなことも分からないから、お前はエリオット様の横に並び立つのにふさわしくないというのよ」
「別にあたしは公爵夫人になりたいわけじゃありません。あの人の悲惨な最期をなんとかしたいだけです」
「それが余計だと言っているのに、どうして分からないの?」
マリエラはローゼを睨みつけた。
「エリオット様の最期と言われるものに関しては、あくまで可能性でしかありません。エリオット様がうまく統治なされば、民衆が気持ちを変えることだってあるはずです」
「それはまあ、ないとは言い切れません。でも、1年しかないんですよ?」
フロランに会って木を見せてもらったとき、レオンは「何もせず放置するなら1年で枯れる。精霊たちの力を使っても5年がいいとこ、10年はとても考えられない」と言っていた。
つまり、術士たちに手を貸す気がないのであれば、木は1年しかもたない。
たった1年の統治で何を変えられるというのだろう。むしろ民は怒りを募らせるばかりではないだろうか。
そう思ってローゼは問いかけたのだが、答えるマリエラは訝しげだ。
「1年? お前は何を言っているの? うまくすれば20年もつはずでしょう」
「20年? でも10年ですら考えられないって……そうよね、レオン?」
【10年もつはずがないだろう】
「やっぱり10年は無理ですって」
ローゼの言葉を聞いてマリエラは不快な様子で眉をひそめた。
「術士たち、なによりフロラン様の仰ることが嘘だとでも? そもそもお前は誰から1年という話を聞いたの」
ローゼは左手の聖剣を掲げる。
「あたしの剣にいる精霊です」
マリエラへと答えながら、ローゼには思い当たることがあった。
確か大精霊の木の前で「小さい精霊たちは頑張れば20年はもつと言っていた」とフロランから聞いた覚えがある。きっと役目を知る人の中では『木の寿命は残り20年』という話になっているのだろう。
「剣の精霊は主になれるほどの力がありますから、フロランたちが今まで話を聞いた精霊より、ずっと正確なことが分かるんです。その剣の精霊が、10年は無理と言い切っています」
念のために付け加えてみると、北方の人物なだけあってマリエラはローゼの言葉の意味を即座に理解したらしい。青い瞳が大きく見開かれた。
「この話はフロランも知っていますから、あたしの言葉が信じられないというのなら彼に聞いてみてください」
そこまで言って、ローゼはふと気になってマリエラに尋ねる。
「……それでもあなたは、エリオットは公爵になった方がいいと思いますか? 1年しか公爵になれないのだとしても?」
顔色を失ったマリエラはそれでもローゼに視線を向けると、きっぱり言い切った。
「当たり前です」
「そうですか」
彼女の、地位が至上だという考えもなかなかのものだ、と内心で舌を巻きながら、ローゼは立ち上がる。
今度こそ部屋へ帰ろうとしたのだが
「お待ちください」
またしても呼び止められたので、うんざりしながらローゼは振り向く。声をかけてきたのはマリエラの後ろに控えていたベルネスだった。
「1年という数字は絶対ですか? その……なんとか伸ばす方法はないのでしょうか」
「術士たちが手を貸してくれるなら5年くらいまでは何とかなるようです」
「……それでも5年ですか……」
青い顔で呟いたベルネスは主の背へと視線を向けながら、小さい声でローゼに礼を言った。
そのまま少し待ってみるが、これ以上ふたりから声がかかる様子はない。
ようやくローゼが歩き出したとき、背後からベルネスの声が聞こえた。
「……私はもう、マリエラ様のお考えに賛同することはできません」
「お前の賛同など最初から必要としていません。勝手に押しかけて来ただけなのですから、嫌ならさっさと帰りなさい」
ベルネスの声は弱い。
対するマリエラも口調は強かったが、声から覇気は失せていた。
立ち止まって話を聞きたい気持ちはあったが、さすがに無遠慮かと思い、ローゼはそのまま扉へ向かう。近寄ると、ナターシャの侍女が扉を開けてくれた。
「マリエラ様。どうかお考え直しを。たったの1年。長くとも5年しかないのです」
「お黙り、ベルネス」
「いいえ、マリエラ様。言わせてください。もしマリエラ様がエリオット様とご婚約、あるいはご結婚なされてしまえば、民が向けるエリオット様への恨みは、きっとお近くにいらっしゃるマリエラ様にも及びます。私はそのような状況にマリエラ様を――」
「黙りなさいと言っているでしょう、ベルネス!」
扉が閉まる前にローゼはちらりと振り返る。隙間から見える室内には立ち上がって扇を握りしめているマリエラと、うつむくベルネスの姿があった。
* * *
記憶を頼りに小さな部屋へと戻り、ローゼはようやくほっと息をついた。
「あー、怖かった」
【まったくだ。茶の話を聞いたときにはどうしようかと思ったぞ】
「あたしもよ。特別な茶なんて、絶対なんか入ってるに決まってるわ」
聖剣を抱えたまま、寝台に身を投げ出す。
「なんとか乗り切れて良かったー……」
【よく頑張ったな】
レオンに褒められたローゼは、くすぐったい思いを抱えて小さく笑う。
「……結局、なんだったんだろうね」
【さあな。一口に公爵家の内部と言っても色々とあるんだろう】
「そうねえ……あ、そうだ。公爵家の内部といえばさ、ナターシャとマリエラの話、聞いてた?」
【……聞いてたといえば聞いてたが、知らない単語が多かったからな。覚えきれてないぞ?】
「ああもう! レオンも同じだなんて!」
それでもローゼは起き上がって机に向かうと、忘れないうちに自分とレオンの話を合わせて書きだしていく。
1人と1振で頭をひねるうち、あっという間に周囲は暗くなり、廊下に足音が響いてきた。思わず体を硬くしたが、扉の前から聞こえてきたのはリュシーの声だったので、ローゼは緊張を解いて扉を開ける。
「お待たせ、ローゼ。夕食を持ってきたわ……あら、どうしたの? 顔色が良くないみたい」
「ええと……」
食事を持つ侍女と共に来たリュシーに問われ、ローゼは今日の昼、リュシーが去ってからのことを簡単に話す。
「なんてこと……」
どんどん悪くなっていくリュシーの顔色は、話し終えたときには土気色になっていた。ローゼは椅子をすすめたのだが、リュシーは首を振って断る。代わりに心底ほっとした表情でローゼの顔を覗き込んだ。
「……ローゼに何事もなくて本当に良かったわ。母は自分に向けられる恐怖に関しては無頓着だけれど、害意にはとても敏感なの。もし会っている間、ローゼが少しでも――」
「待ってください」
聞き捨てならない単語があった気がして、ローゼは慌ててリュシーの言葉を遮る。
「今、母とおっしゃいました?」
「ええ、言ったわ」
「だって、あたしが会ったのは、ナターシャという方で……」
「ああ」
リュシーは小さく息を吐く。
「ごめんなさい、言ってなかったかしら。ナターシャが私とフロランの母よ。……伯母の名前はリアヌ。ナターシャの姉」
「えっ」
「母は若く見えるから誤解されやすいの。あの人は18で私を産んだから、今は44歳よ。伯母は47歳」
リュシーの話を聞き、ローゼは最初に会った時のことを思い出す。
(そうだ。確か、妹が若く見えるだけかもしれないし、姉は年かさに見えるだけかもしれない、それなら姉妹として年齢も合う、って思った気がする。……それに、リュシー様もフロランもただ「おば」としか言わなかった……)
視界が傾ぎ、ローゼは力なく床に座り込む。
――では。
慌てたリュシーがローゼの目の前にかがんで何かを言うが、反応するのも億劫だった。
『彼』の妹と、もしかしたら父をも殺し、間接的にとはいえ彼の母すら死に追いやった人物。
ナターシャこそが噂に聞いていた『正妃』だったのだ。




