22.棘
ローゼは城へ向かう間、リュシーに王都や村のことを話していた。
中でも彼女が聞きたがったのは、エリオットがどのように過ごしていたかということだ。リュシーは彼が、神官としてどこかの村へ行っていたことくらいは知っているらしい。
そこでローゼが村に居た頃の彼の様子を話して聞かせると、リュシーはとても喜んでもっとほかの話はないかと尋ねてくる。
問われるままいくつか話をしているうち、なんとなく会話が不穏な流れになってきたのに気付く。しかし、ローゼがまずいと思ったときにはすでに遅かった。
「それで、ローゼはエリオットのことをどう思ってるの?」
リュシーは瞳をキラキラと輝かせながら、聞いてほしくなかった問いを投げてくる。グラス村の乙女の会で友人たちの目がよくこんな感じになってた……と思いながらローゼが内心でため息をついたとき、笑顔だったリュシーは急に顔をこわばらせた。息をのみ、小さくローゼの名を呼ぶ。
「すぐ頭を下げて。私が代わりに話すから、何も言わないでね」
緊迫したリュシーの声に、ローゼはとにかくその場で頭を下げる。
横目で窺えば、騎士や侍女たちも同じように頭を下げていた。
何があったのだろうかと不安に思っているうちに、前方から女性の笑いさざめく声が聞こえてくる。
彼女たちの声はどんどん近づき、やがてすぐそばで足を止める。
頭を下げているローゼにも、華やかなドレスの裾が目に入った。
「ごきげんよう、お母様、おば様、そして皆様方」
リュシーの声を聞いてローゼはどきりとする。
お母様、ということはリュシーとフロランの母……町の噂でも聞いた、エリオットの義母である正妃様という人物がここにいるのだ。
「おや、そこにいるのは出来損ないのリュシーね」
最初に聞こえたのは、険のある女性の声だ。
リュシーの姿はほんの少ししか目に入らないが、彼女の態度には何も変化がないように思える。
――出来損ないなどという言葉を言われ慣れているのだろうか。
黙って頭を下げていると、次におっとりとした声が聞こえた。
「お姉様、いつまでもそのような言い様をなさってはリュシーが可哀想」
彼女の声に、お姉様と呼ばれた女性は声を和らげて言う。
「お前は優しい子ね、ナターシャ」
ナターシャと呼ばれた声の主は嬉しげな笑みをもらした後、あら、と小さく声を上げた。
「そこにいるのは見慣れない子ね。リュシーの新しい護衛騎士なのかしら?」
自分のことを言われていると分かり、ローゼの鼓動は早くなった。
しかしリュシーには何も話すなと言われている。黙ったままで頭を下げ続けていると、代わってリュシーの声がした。
「先日城へ来たばかりの見習いです。まだ試用中なので、私付きになるかどうかは分かりません」
「そう。でもなぜ帽子を取らないの、無礼者」
『お姉様』の声にしまったと思うが、今更取るわけにもいかない。そもそも帽子の下には布もあるのだ。帽子を取れば今度は布を取れと言われるだろう。
どうしようかと思っていると、再度リュシーが答える。
「この者は少し前にひどい怪我をしております。見苦しいので、城内では被り物を取らないようにと私が指示いたしました」
「ふん、どうだか」
つかつかと近寄る足音がしたかと思った次の瞬間、視界が広がった。
ローゼの顎を扇で上げているのは、リュシーやフロランと同じ淡い金の髪をした女性だ。
本来なら美しいのかもしれない顔立ちだが、彼女の目は吊り上がり、眉間にはくっきりとシワが刻まれている。なんとなくこの女性は、いつも不機嫌な表情でいるのではないかと思わせた。
「乱暴なことはいけませんわ、お姉様。……ね?」
その手をそっと抑えるのは、声からするにナターシャだ。声色と同じく、おっとりとした彼女からはどこか無邪気な雰囲気がただよっていた。
ナターシャが30代後半くらい、お姉様と呼ばれた女性が50歳くらいに見えるので、ふたりはずいぶん年齢差があるのかもしれない。それでも年齢差はともかく似ている顔立ちが、彼女たちを確かに姉妹なのだと思わせた。
(もしかして、ナターシャは若く見える人なのかな。で、『お姉様』はリュシー様たちのお母さんの……正妃って人よね、多分。この人は老けて見える顔だったりして)
そんな余計なことを考えているうちに、ナターシャは正妃であろう女性に声をかける。
「ほら、お姉様。この子の頬には大きな傷があるわ。きっと帽子の下にも、ひどい傷はあるのよ」
笑みを浮かべながらナターシャは言う。
しばらく傷を見ていた正妃はローゼの顎から扇を外すと、黙って頬をぴしゃりと叩いた。
傷は食人鬼から受けた瘴気まじりの傷だ。血は止まっているが治っているわけではないので、さすがに扇で叩かれればビリリとした痛みが走った。思わずうめきそうになるが、なんとかこらえる。
【おい、こら! そこの女! 俺の娘に何しやがる! お前なんかなぁ!】
マントで隠れているので見えてはいないだろうが、音で大体の事情を察したレオンは腹を立てたらしい。どうせ聞こえていないのだろうとばかりに、大変下品な言葉を並べ立てて喚き始める。
実際この場にいる誰にも声は届いていないようだが、自分には聞こえているのだからやめて欲しいものだとローゼはうんざりした。
「……ふん。まあいい」
特に変わらないローゼの様子を見ていた正妃は、つまらなそうに言いおいてふいと踵を返す。彼女が立ち去ると代わりにナターシャが近寄ってきて、そっとローゼの右頬に手を伸ばし、正妃にぶたれた場所を指でなぞった。
「痛かったでしょう?」
その瞬間、ローゼの背にぞわりと悪寒が走った。
「ねぇ、あなたはこの城に留まるのかしら? もしそうなら、私とも仲良くしてくれると嬉しいわ」
ナターシャの声にも表情にも、害意はどこにもない。むしろ優しげな笑みを浮かべているというのに、それでもローゼの悪寒は止まらない。
総毛立つ思いでされるがままになっていると、やがてナターシャを呼ぶ正妃の声がする。
最後にもう一度傷に触れると、ナターシャは正妃の元へと戻り、護衛の女性騎士たちとともに立ち去って行った。
彼女たちの姿が十分に小さくなったことを確認すると、小さく息を吐いたリュシーはローゼへと向き直る。青ざめた顔で笑うが、それはどう見ても無理に作った笑みだった。
「ごめんなさい、母やおばたちに会ってしまうなんて迂闊だったわ。……フロランに怒られてしまうわね」
迂闊だったのはローゼも同じだ。久々に優しくしてもらい、美しい庭園の散策をして気が緩んでしまったのかもしれない。
ここは北方、しかもローゼにしてみれば最大の敵ともいえるシャルトス家当主の城だ。今、公爵本人はいないのだとしても、どこに誰の目が光っているか分からないというのに。
「先に私の部屋へ行きましょう。そこでフロランと会って話をしてから、ローゼの部屋へ案内するわね。その後はもう部屋から出ない方がいいわ」
リュシーの声や表情からローゼを心配する思いが伝わってくる。彼女の意を汲み、ローゼは了承の返事をした。