7.北の森
ローゼは自室へとフェリシアを通すと椅子をすすめ、自分は寝台に腰かける。
部屋へ来るまでの間、弟ふたりが声にならない叫びをあげつつ後ろから眺めていたが、彼らは完全に無視することに決めた。おそらく妹が何とかしてくれるだろう。
「で、あなたはどういう人?」
ローゼが尋ねると、椅子にちょこんと腰かけたフェリシアは微笑みながら答えた。
「わたくしは、王都から参りました神殿騎士見習いですわ。でも大神官様の一団とは関係ございませんの」
どういうことだろうと思うが、とりあえず先を促す。
「ローゼ様とは年が近いですから、お家へ伺っても怪しまれないのではないかという話になりまして、伝言をお預かりして参りましたわ」
「アーヴィンから?」
「伝言は確かにアーヴィン様からのものですが、わたくし自身はアーヴィン様と直接の面識はございません」
「……どういうこと?」
奇妙に思ったローゼが出した声は、かなりの不信感を含んでいた。
「わたくしに伝言を頼んだのはアーヴィン様と親しい、ジェラルド・リウスという方です」
聞いたことのない名前に首をかしげるローゼだが、そもそもアーヴィンの交友関係に詳しいわけではない。特に神殿関連となれば知らなくて当り前だろう。
「ジェラルド様がアーヴィン様にお会いした際、こっそりと伝言を託されたのだと伺っていますわ。……アーヴィン様にも見張りが付いているそうですから」
「ああ、やっぱりそうなんだ」
「ええ。大神官様はローゼ様とアーヴィン様を……というより、ローゼ様と神殿関係者を会わせたくないとお考えのようですわね」
ローゼは今回の大神官一団に知り合いはいない。神殿関係者と会わせたくないなら、アーヴィンさえ見張っていればそれだけで用が済む。
そして同時に、やはり大神官はローゼを聖剣の主にしたくないのだと確信した。
あのくそ親父、と思いながらローゼはフェリシアに尋ねる。
「それで、アーヴィンからの伝言って何?」
「『もしローゼが私に何か聞きたいことがあるのならこの後会おう』とのことです」
「この後? 会えるの? だってアーヴィンにも見張りがいるんでしょ?」
「なんとか抜け出すと聞いておりますわ。……いかがなさいます?」
「会うわ」
そもそも情報が少なすぎて困っていたのだから、会って話をしてくれるというのなら願ってもない。
言い切ったローゼに、フェリシアがうなずく。
「分かりました。では行かれる際、ローゼ様は変装してくださいませね。きっと尾行がいますから」
「尾行? あたしに?」
「はい。大神官様はローゼ様の動向も把握したいのですもの。神殿関係者と会わないよう見張っておりますわ。でもご安心くださいませ。わたくしが途中まで一緒に参ります。ごまかしてみせますわ」
フェリシアの笑顔からは純粋に好意しか感じないが、ローゼは一応確認してみる。
「あなただって神殿の関係者でしょう?」
「ええ。でも先ほども申し上げました通り、わたくしは今回の一団と関係ございませんもの」
罠の可能性も考えたが、疑っていても仕方ない。ローゼはフェリシアを信用することにした。
一方で、ローゼの気持ちが固まったことを感じたらしいフェリシアは、小さな布の包みを取り出す。
「こちらをお預かりしてまいりましたわ。神官の身分証ですの。アーヴィン様とお会いになる際、お持ちくださいとのことですわ」
布を開くと、中には手のひらくらいの木の札があった。不思議なことに、木の札は金色みを帯びている。札には何かの紋様の焼き印が押されており、裏も何かの焼き印と、アーヴィンの名前が記してあった。
木の札を矯めつ眇めつしながらローゼは尋ねる。
「ところで、いつ、どこで会うの?」
「このままわたくしと一緒に来てくださいませ。お会いする場所は森の小屋と聞いてますわ」
「森の小屋……」
グラス村には北と南に森がある。どちらにも何か所か小屋があった。
しかしローゼは、北の森には嫌な、というより恥ずかしい思い出がある。おまけに小屋となると、絶対に足を向けたくない場所が一か所あった。
「……どこの森のどの小屋か聞いてる?」
木の札を横に置き、不穏な空気を漂わせながらローゼが尋ねると、フェリシアは小首をかしげる。
「確か、北の森の、一番東側にある――」
「そこは駄目」
顔が赤らむのを感じながら、ローゼは言い切る。
「絶対行かない」
「でも伝言では確かにそう――」
ローゼは座っていた寝台にうつ伏せになって、枕を抱えた。
「行かないったら、行かないい!!」
枕を抱えた状態のままくぐもった声で叫び、寝台をばふばふと叩く。
背後からフェリシアの不思議そうな声が聞こえた。
「では、行かなくてよろしいんですの? お会いできるのはきっとこの一回きりですわ。……一度抜けだしてしまえば監視の目は厳しくなりますもの」
「ううううううう」
枕に顔をうずめながらローゼは苦悩した。
指定された場所には恥ずかしい思い出がある。できれば一生近寄りたくなかった。
しかし行かなければ行かないで、情報が手に入らずに困ることとなる
激しい葛藤の末、ローゼはのろのろと頭を起こした。
「……行く」
フェリシアはにっこりと微笑んだ。
「はい。では準備ができるまでお待ちしていますわね」
* * *
変装と言われてもどうしたら良いか分からなかったので、とりあえず背格好が似ている下の弟、テオの服を借りることにした。
一応は声かけてみるが、どうやら家の中にはいないようだったので、勝手に入って服を漁る。
(イレーネが気を利かせて追い出したのね)
ローゼの部屋を覗こうとする2人を見て、理由をつけて家から追い出す妹の姿が目に浮かぶようだった。
一番年下なのに一番できる妹をあとで褒めてあげよう、と思いつつ、服を持ち出したローゼは部屋に戻って着替えた。髪はまとめて帽子をかぶる。
今まで着ていた服をしまいながら、微笑んだまま座っているフェリシアの服を見た。
「そんな薄い服で寒くないの?」
「少し肌寒いですけれど、大丈夫ですわ。鍛えてますもの」
そう言って胸の前でこぶしを握るが、鍛えていたら寒くないというわけでもないだろう。
「良かったらこれ着る?」
ローゼが上着を差し出すと、フェリシアは大きな瞳を瞬かせた。
「……よろしいんですの?」
「いいよ。ちょっと大きいかもしれないけど」
ローゼの言葉を聞いたフェリシアは嬉しそうな笑顔を見せ、大切そうに上着を受け取った。
「そういえば歳、いくつ?」
「16ですわ」
彼女とはどうやら1歳しか違わなかったらしい。
小柄なフェリシアに貸した上着は予想通り少し大きかったが、着ている本人は心の底から喜んでいるようだった。
「わたくし、どなたかのお召し物をお借りするの初めてです」
立ち上がったフェリシアは、腕を伸ばしたり体を見下ろしたり、さまざまな角度から自分を見ている。
変わった子だな、と思いながらローゼは尋ねた。
「それにしても、どうしてそんな薄い服だけなの?」
「王都ではこのくらいの服で十分なんですの。ですから上着は持って来なかったのですけれど……こちらは北寄りの地域ですのね。気温が低くて驚きましたわ」
道中の寒さは神殿騎士の装束であるマントでなんとかなったらしいが、確かに『友達の家へ遊びに来た女の子』を装うのに神殿騎士の装束を着るわけにはいかないだろう。
(それにしても王都はこんな服で十分なんだ。アストラン国も結構広いのね)
グラス村でフェリシアのような薄手の格好ができるようになるのは、最低でも来月になるだろう。
さらに南に行けば、もっと薄手の服でも平気なのかもしれないと思いながら、ローゼは初めて、他の地域を少し身近に感じた。
* * *
家に遊びに来た彼女と一緒に出掛ける少年、という雰囲気を装ってローゼは家を出る。
せっかくだからそれらしく手を繋ごうかと言うと、フェリシアはどこか楽しそうにうなずいた。
しばらく他愛もない話をしながら歩いていると、身を寄せてきたフェリシアがローゼの耳に手を当てて囁く。
「ひとり、尾行が来てますわ」
思わずローゼはフェリシアを見るが、彼女は変わらずにこにことしている。
「目的地は近いんですの?」
「まだ少しあるけど、そこまで遠くないよ」
そう言うと、フェリシアはローゼの手を取る。
「わかりました。ではここでお別れですわね。今いる尾行は、わたくしにお任せくださいませ」
「うん、ありがとう」
「その身分証はとても大事なものですの。ちゃんと届けてくださいませね?」
身を離したフェリシアは、来た方向へと小走りに戻って行く。
なんとなく走り出したローゼが途中で振り返ってみれば、フェリシアは誰かに体当たりをしていた。あれが尾行してきた人物か、と思いながら走り続け、ローゼは森の中に入る。
しかし途端に足取りが重くなってしまった。
もちろん、物理的に何かあったわけではない。これはローゼの気持ちの問題だ。
他の場所なら何も考えずに行けるのだが、待ち合わせが『北の森の一番東側にある小屋』なのが悪い。
行くことを考えるだけでもつらいのに、実際に行かねばならず、しかも待ち合わせの相手はアーヴィンだという。ローゼにとっては最悪の組み合わせだった。
何とか気を紛らわせつつ先へ進むが、小屋が見えた辺りで真剣に帰ろうと思う。だが、フェリシアに言われた言葉が重しになって帰るに帰れない。
『その身分証はとても大事なものですの。ちゃんと届けてくださいませね?』
これを見越してアーヴィンは身分証を渡してきたのか、とローゼは思わず歯噛みした。
* * *
ローゼが神官であるアーヴィンに会ったのは今から6年前、11歳の時だった。
グラス村には長年にわたって神官を務めていた女性がいたのだが、彼女は大きな怪我して大神殿へ戻ってしまった。
代わりに若い男性神官が村へ来るはずだったが、予定の時刻を過ぎても彼は到着しない。
村へはつい何日か前に「新しい神官は予定通り到着しそうだ」という連絡が入っていたと言うのに。
それでも、多少は遅れることもあるだろうと、村人たちも最初はのんびり構えていた。しかし夜になっても到着せず、朝を迎えた段階でさすがにおかしいのではないかと騒ぎ始める。
数日前には村の付近で魔物が出たばかりだったこともあり、何かあったのでは、という話も持ち上がった。
そんな話を聞きつけた村の子どもたちの中で「自分たちで神官様を見つけよう」と言い出したのは誰だったか。
大人が探しに行く前に、子どもが神官を見つけられたら自慢できるのではないか、という話になったので、ローゼも乗ったのだ。
魔物が出たばかりだったので少し怖かったが、それより面白そうだという気持ちに勝てなかった。
各自が思い思いの場所を探す中、北の森の一番東側にある小屋付近へ行ったローゼが、偶然にも新しい神官、アーヴィンと遭遇する。
――しかし物陰から現れた見知らぬ人物を魔物と勘違いしたローゼは、恐怖で腰を抜かした上、あろうことか漏らしてしまった。
恐慌状態に陥った少女から話を聞きだし、何となく状況を理解したアーヴィンは、腰が抜けてしまったローゼを抱えて小屋に隠すと、汚れた服の代わりにマントを貸してくれた。
さらにローゼの家まで行き、着替えを持って来てくれたのだ。
しかし小屋に着いた時、彼の神官服が汚れていたのをローゼは見てしまう。もちろん汚れの原因は自分だった。
* * *
(うぐぐぐぐぅ……)
その時のことを思い出すと、ローゼは枕に顔を埋めてばふばふと叩きたくなる。
(もらしたところを見られたのよ! しかもそれが原因で他人の服まで汚すなんて!!)
さすがに着替えたようで、その後に神殿で挨拶をしたアーヴィンの神官服は綺麗だったらしい。しかしこれは聞いた話で、ローゼ自身は彼のことを見ていない。
ローゼは恥ずかしい思いをした原因であるアーヴィンを半年ほど避け続けていたからだ。
小屋が視界に入るころには、その恥ずかしい思い出が頭をよぎって何度も立ち止まった。止まるたびに自分を叱咤して先へ進む。そんなことを繰り返しながらもなんとか小屋に到着し、勢いをつけて扉を開いた。
中には誰もいなかった。
(……嘘でしょ)
脱力しそうになるのをこらえて扉を閉めようとしたとき
「来てくれて良かった」
「っ!!」
後ろから声が聞こえたのでローゼは文字通り飛び上がる。
長い褐色の髪を揺らして立っているのはアーヴィンだ。
昨日と同じ、青い神官服を着ている。
「なっ、なんでっ?」
「ちょうど私も来たところなんだよ」
穏やかに言って中へ入るアーヴィンだが、今来たというのはどうも違う気がする。
(これは、どっかであたしの様子を見てたわね……)
聞いても否定するだろうが、ローゼには自分の考えが間違っていないという確信があった。