17.巡り合わせ 2
ローゼはレオンの言葉を意外に思ったが、それは銀狼も同じだったようだ。
『儂を助けると言ったか?』
【そうだ。お前のことを助けてやる】
銀狼は面白そうに言う。
『儂をどう助ける? 完全に魔物になった暁には、お前が一思いにとどめを刺してくれるか?』
【つまらん冗談はやめろ】
レオンは、銀狼にかがむよう言う。狼が腹ばいになると、今度はローゼに言った。
【ローゼ、狼の周囲をまわってくれ。俺が瘴気の多い場所を探す】
「レオンだけじゃ動けないもんね」
【うるさい】
レオンに言われたとおり銀狼の周囲を巡ると、今度は一部の辺りを重点的に調べるよう言われる。そうやって何度か場所を変えて同じことを続け、ようやくレオンは右前足の付け根辺りを指示した。
【ここがこいつの中にある瘴気の源だ。これを浄化すれば狼は元に戻れる】
レオンの指示に従って聖剣の切っ先を当てたローゼは半信半疑で呟く。
「……本当?」
【お前は俺のことをなんだと思ってるんだ】
レオンの視界を借りたままのローゼは、こちらをうかがうようにたくさんの精霊たちが見ていることに気が付いた。きっと心配なのに違いない。何しろ銀狼はこの森の主なのだ。
【今ならまだ精霊に戻れると思うが、手遅れだった場合は消滅する。そのときは、まあ……すまん】
『かまわん。どうせいずれは魔物となる。今のうちに活用できそうなものは活用しておく』
銀狼がそう言うと、レオンは懐かしそうに笑った。
【昔、そんなことを言ったな。いいさ、俺を活用しろ。――ローゼ、やれ】
レオンに言われてローゼは聖剣で銀狼を刺し貫く。
聖剣はさほどの抵抗もなく沈み、狼が咆哮を上げた。近くの木に繋いでいたセラータが驚いて嘶く。
いつも瘴穴を消す時のように聖剣から光が広がる。そのまま銀狼の体に広がって行った光は、やがて黒い色が溶けて消えるのを確認したかのように消滅する。
しかし光は消えても、目の前には輝く存在がいる。
それはさらさらと銀色の毛を揺らす大きな狼だった。
銀狼は立ち上がると、先ほどよりも大きな、地を揺らすような咆哮を上げる。びりびりと空気が揺れ、ローゼはセラータを落ち着かせるため飛びつく羽目になった。
やがて周囲とセラータが静かになり、ほっとしたローゼが銀狼を振り返ると、たくさんの精霊たちが狼の周りにいるのが見える。
「良かったね」
【そうだな】
精霊たちが喜んでいるように見えたのでローゼは心からそう言い、レオンもほっとしたように答える。
美しい光景だと思いながら、精霊が喜んでいる姿を幸せな気持ちで見ていると、レオンが小さく呟いた。
【……足らないな】
「え?」
【狼でも、大精霊の木を維持するには力が足らない……】
ローゼは目を見開いた。
【まあでも、こいつが残ったことは良かった】
本当にその通りだったのでローゼはうなずく。こんな美しい精霊が魔物にならず残ったことは、純粋に嬉しい。
木に関しては残念だが、銀狼はこの地で長く生きている。何か維持するための手掛かりをくれるかもしれない。
小さな精霊たちと戯れていた銀狼はやがて首を巡らせ、ローゼたち……おそらくは聖剣のことを見て、にやりと笑ったような気がした。
銀狼の喉が上下する。
次の瞬間、銀色をした狼の輝く毛はさらに長く伸び、体躯が一回りは大きく変貌を遂げる。
セラータの大きさなどとうに超えた銀狼は、ローゼの近くへ来ると膝を折った。
『感謝するぞ、我が友よ!』
ローゼは驚愕のあまり息をするのを忘れるかと思う。
同時に、レオンが叫んだ。
【口の中に枝を残しっぱなしだったのか!】
大神殿にある神木は、根付いた場所で周囲の力を強化させる。神木の枝は銀狼の中で根付いたということか。
事実、彼の力は大幅に増したようだ。
『生まれてから1000年に満たない儂が、2000年は生きておるような気分よ。なんという力か』
うっとりと言って顔を上げた銀狼は、周囲に寄って来た精霊たちが戯れるに任せている。
【こんなに変わるものなのか……驚いた……】
本当に、心底驚いたようにレオンは呆然とした声で呟く。
その時ふと気が付いて、ローゼは、レオンに小さな声で尋ねた。
「そういえばあたし、銀狼の言葉が分かるけど?」
【……狼くらいの力を持つ精霊なら、お前程度でも声は聞こえるし、触ることもできるだろうな。もちろん俺が見せてやらなくても見える】
「へえ……もしかして銀狼は、普通の人にも見えるの?」
【見えない。……お前だって一応は、俺の加護を受けてるんだぞ。元々の精霊に関する素養がないから、小さいやつらは見えないだけだ】
そういうものかねぇ、と思いながらローゼは首をかしげる。
「ねえ。もしかしてレオンは、あたしに見せるだけじゃなくて、聞かせることもできるんじゃないの?」
【まあ、できるな】
「やっぱり? じゃあ聞かせてよ、あたしも精霊の声を聞いてみたい!」
ローゼが目を輝かせると、レオンは笑みを含んだ声で言う。
【断る。俺にも少しは優越感を抱かせろ】
ケチ、とローゼが不服そうに言うと、レオンは自慢げに笑った。
* * *
この日の夜はそのまま野宿することにしたので、銀狼に開けた場所へと案内してもらった。
野営の準備を終えたローゼがのんびりしていると、ローゼの左手首にある飾りに鼻を近づけた銀狼は言う。
『友よ。これは放置して良いのか? 精霊の力が籠っておるではないか』
【それは娘の想い人から贈られた物だ。俺はとやかく言わない】
レオンがさらりと何かを言った気がするが、ローゼは知らないふりをした。
『そうか。……ふむ。これは面白い』
顔を上げた狼は興味深げな目つきで問いかける。
『……この力は儂の知る精霊のものとは違うようだな』
「あたしの故郷にも精霊がいるんです……多分。あたしには見えないから分からないんですけど。おそらくはその精霊たちの力だと思います」
しゃらしゃらと腕飾りを揺らしながら、ローゼは切なく笑う。
その様子を黙って見ていたらしいレオンは、ためらいながら銀狼に話しかけた。
【なあ、狼。お前は、この地にある木を知っているか。銀色の花が咲く木だ】
『もちろん知っておる。古の大精霊の木、人の場所の守りだろう? 儂がまだ小さい精霊だったころ、たまに遊びに行っていたぞ』
そのままレオンはしばらく沈黙する。ローゼも黙って聞いていた。
【……その木に宿っていた大精霊が世を去った話も知っているか】
『この地の精霊で知らぬものはおらんよ。何千年生きておられたか分からぬくらい古い精霊だったのだ。皆、嘆いておったわ』
銀狼は悲しそうにうなだれた。
そうか、と呟いたレオンは再度問いかける。
【大精霊なき今、この地で一番力をもつ精霊は誰だ】
『儂だな』
【やはりお前か……】
レオンは逡巡していたが、ようやく話を切り出す。
【……なあ、狼。俺は大精霊の木を残したい。だが、俺では力が足らないんだ。今のお前なら元の木を支配下に置いたうえで、各地の子どもの木の維持もできると思う。……この役、お前に頼めないだろうか】
『儂に古の大精霊の跡を継げと言うのか』
狼の声には畏怖と畏敬の念が籠っていた。
銀狼にそれだけの想いを抱かせるのだから、古の大精霊というのは本当に偉大な存在だったのだろう。
『……昔馴染みの頼みでもあるし、救ってくれた礼もある。やってやろうと言いたいところだが、儂はこの森の主だ。木の側に行くことができん』
主となった精霊は守護する地域から動けない。銀狼は銀の森の主なのだから、銀の森から離れることはできなかった。
もちろん銀狼の事情はレオンも考えていたのだろう。
【ここに子どもの木を植えられないか。そこから力を注ぐというのはどうだろう】
『無理だ。古の大精霊はもういない。力の源が消失している以上、木はこれ以上増やすことができない』
【そうか……】
今度はレオンが考え込むように沈黙する。ローゼは肩を落とした。
古の大精霊がいなくなってしまった今、一番強い精霊は銀狼だ。しかし銀狼はこの場所から動けない。
ならば、次は誰なのだろう。
【狼、お前の次に強い力を持つ精霊はどこにいる?】
レオンも同じことを思ったのだろう。狼に問いかけるが、その答えは残念なものだった。
『この地には小さい精霊たちしかおらんよ。そもそも主と呼ばれる存在も儂だけだ。……そうだな。あえて言うなら儂の次はお前だ、聖剣』
そうか、と言うレオンの声は小さかった。ローゼも銀狼の言葉を聞いて落胆する。
レオンでは力が足らないと、先日確認したばかりだ。
ここに銀狼がいる。彼は木の維持を引き受けても良いと言ってくれている。銀狼を都市イリオスまで連れて行く手段さえあれば……。
そこまで考えてローゼはふと思いつく。連れて――呼ぶ?
「ねえ、神降ろしは使えないかな」
【なに?】
「神降ろしで銀狼をあそこに呼んで、元の木に力を籠めてもらうのは難しい?」
それを聞いた狼が不思議そうに尋ねる。
『神降ろしというのはなんだ?』
「ええと、人の身に人ではないものを降ろすこと、です」
グラス村でエルゼを降ろした翌日、ローゼはアーヴィンから神降ろしの話を聞いた。その時彼は、精霊を降ろした例もあると言っていたはずだ。
ふむ、と銀狼は呟く。
『儂を呼ぶだけなら可能であろうが、それ以上は無理だな。人の身では、木を支配するときに流し入れる力の大きさに耐えきれぬよ』
「そうですか……」
ローゼがため息をついたとき、レオンが言う。
【……いや、いけるかもしれん】
「レオン?」
【ローゼが下ろすのは銀狼自身だ。銀狼の力の部分は俺が引き受けてやる】
『ほう? そんなことができるのか?』
銀狼はが興味深げに尋ねる。
【多分できるだろう。俺とローゼは結び付けられている。俺はローゼのものだし、ローゼは俺のものだ。そして俺の精霊の力は、元々お前のものだろう?】
『ふむ』
銀狼は聖剣を見下ろした。
『しかしお前がな。果たして儂の力の大きさに耐えられるのか、聖剣よ?』
【それを俺に言うんだな、狼。ひどい侮辱だ】
内容は完全に悪態だが、銀狼もレオンも楽しそうだ。
『よし、その話に乗ってやろう。しかし、くれぐれも注意をするのだぞ、友よ』
【俺の娘のことだ、誰よりも俺が細心の注意をはらうに決まっているだろう。お前は力のすべてを吸い取られないよう、せいぜい神にでも祈っておけ】
2体の精霊は楽しげに笑った。