14.望んだもの
少しずつ呼吸ができるようになり、ローゼはようやく身を起こす。
ほっとしたようなレオンの声に返事をしながら正面を見ると、フロランは相変わらず膝を組んだままローゼのことを見ていた。
彼は何事もなかったかのような態度を取っているので、ローゼも何事もなかったかのように口を開く。
「……まだ、お話は続けていただけるのですか」
「そうだね。君が望むなら、もう少し続けてあげようか?」
フロランの言葉にうなずいたローゼは、大きく息を吐いて呼吸を整える。
先ほどまでの話をもう一度考えた。
50年前に大精霊が消滅する兆候が顕れ、公爵は木を存続させる方法を探し、見つけられなかったので諦めた。
これはいい。
では、ウォルス教を信仰する人物を北方神殿へ入れないようにした真の理由は何なのか。
そして彼は、どうして『役目』を引き受けたのか。
――そのまま逃げてしまえば、良かったのに。
疑問点だけを口にすると、フロランは小さく笑う。
「まずは神殿の話か。そうだねぇ、大精霊の消滅する兆候が知れてしまったら、神殿が裏から手を伸ばしたあげく北方を支配するかもしれない。爵位を継いだばかりの祖父はそう思ったのさ」
だから大精霊の寿命が尽きることを神殿側に知られないまま、なんとか木を存続させる方法を見つけたかったのだと、フロランは続けた。
一方で彼の言葉を聞いたローゼは首をかしげる。
神殿にも直轄領はあると本で読んだ。
そうでなければ各方面にかかる莫大な費用を、術や薬の代金、寄付だけでまかなえるはずがない。
だが、神殿だけが敵視されるのは妙な話だ。
「……今までアストラン国の最大勢力を誇っていた公爵家の土地は、きっと他の貴族や王家も欲しがりますよね。どうして神殿だけなんですか」
ローゼが発した問いに対し、フロランはまず苦笑をもって答える。
「その辺はいろいろとね。例えば、昔ここが国から公爵領になった最大の理由は神殿が暗躍していたから、とかさ」
彼の話にローゼは目を丸くした。――初耳だ。
「北方が排他的って言われるのは、その辺も絡んでるんだ。今は関係ないからこの話は置いておくけど、つまり公爵家は、いち早く動きそうな神殿を警戒してたんだよねぇ」
なるほど、と思う一方で国から公爵領になった話はローゼも気になる。
しかし今は後回しだ。
「神殿に関しては分かりました。では、エリオットが役目を引き受けた理由は?」
この問いに、フロランは初めて逡巡する様子を見せた。
ほんの一瞬だが口を結んで視線を落とした後に、ローゼの赤い瞳へ視線を戻す。
「兄が条件を出したからさ」
「……条件?」
「母親と妹を助けてくれるなら役目を受けるとね。――これ以上は知らない」
ローゼは怪訝に思って尋ねる。
「エリオットの妹なら、あなたの妹でもあるんじゃないですか?」
「まあ、そうだね。とにかく私もこれ以上は話せないよ」
ローゼは追及しようとして口を開きかけ、思い返してつぐむ。
フロランの態度には不自然なものを感じるが、話せないと言っているのだから尋ねない方が良いだろう。まだ話を打ち切られるわけにはいかないのだ。
……それにしても。
――自身が余所の血を引いているせいで後継者から外されたエリオットは、公爵家に対して逆恨みをする。
――爵位を得たいがために神官となって現れ、公爵にしなければ木に災いをもたらしてやるぞと脅し、望み通り公爵の位を手に入れた。
――しかし神官が公爵となったことにより、木には災いが起きる。大精霊は消滅してしまったのだ。仕方なく彼は一連の流れを公表することにした。
これが表向きの筋書になるのか、とローゼは顔をしかめる。
そして筋書を受け入れる条件として彼は、母と妹を助けてもらうことを望んだ。
母や妹は公爵から殺されそうになったのだろうか。昔のエリオットがそうだったように。
助けられたはずの母や妹はどうしているのだろう。
エリオットやフロランの父クロードは20年近く前に死んだと聞く。原因として余所から来た女性が絡んでいるらしいが、エリオットの母とは別なのだろうか。
思いが巡って何を尋ねれば良いのか分からなくなり、ローゼは黙り込む。
その様子を見たか、代わってレオンが静かな声でフロランへと尋ねた。
【なぜお前はここまで正直に話を聞かせる?】
フロランは視線をローゼから机の上にある聖剣へと移した。
「言ったよね? 私は公爵位が欲しい。それも、木を失わない状態での公爵位が」
フロランは表情を引き締めると、組んだ足を戻して背筋を伸ばす。
「しかし、公爵家がいくら探しても木を失わずにいる方法が見つからなかった。――そこへ現れたのがエリオットを公爵にしたくない君たちだ」
ついで、緑の瞳はまっすぐローゼへ向けられる。
「どうやって兄を公爵につけずに済ませる? 攫って? まさかねぇ?」
彼は揶揄するように言って笑う。
「――ということは、何かしらの手段、もしくは考えを持ってるんだと踏んだわけだよ。それなら私も少しだけ協力してもいいかと思ってさ」
【少しだけか。全面的に協力する気はないのか?】
「君たちの手段は確実なものかい? 私だって祖父は怖いんだよ。下手に動いて目を付けられては困る。とりあえず情報だけならあげてもいいけど、それ以上というのは現状だと難しいなぁ」
「……公爵が怖いんですか」
フロランの様子からは怖いものなどないように見える。何しろ彼は大精霊の息子でもあるのだ。
しかしローゼの問いに答えるフロランは、わずかではあるが端正な顔をゆがめた。
「怖いよ。今こうしてることだって、祖父に知れたらどうなるか分からない。今回私が出てこられたのは、祖父が今はイリオスの城にいないからなんだ」
言ってフロランは周囲の護衛たちを見る。
「そしてここにいるのは、私の側近たち。つまり、私が公爵になった方が嬉しい連中ってこと。だからこうして話ができているけど、これが他の奴らだったら、私はとてもいい子にしているよ」
レオンは何も言わない。ローゼも何を言って良いか分からず、黙ってフロランの緑の瞳を見つめていた。
同じようにローゼの瞳を見ながら、本来の跡継ぎだった人物は口の端を上げて笑う。
「エリオットがいない間に大精霊が消滅してしまって、公爵家がどんなに慌てたか知らないだろう? 役目を放り出して好き勝手していた人物のためにかけられる命なんて、私は持ち合わせていないよ」
つまりフロランは、ここにいるのはあくまでも己のためだと言いたいらしい。
ローゼはうつむく。
今の自分はひどい顔をしているはずだ。そんな表情をフロランに見られたくはなかった。
エリオットが連れ戻されたことに関する話をレオンとともに結論づけた後、ローゼは何度も『彼』の心を推し測ったのだが、もちろん答えは出ない。
しかし、ローゼが知る長い髪の姿は、役目を果たすための押し付けられた生き方だ。穏やかな笑みの下の彼が実は、その生き方を憎んでいたのならどうしようという思いはあった。
彼の心は公爵家にあるのだろうか。
北の地を離れていた間の生き方は、彼にとって思い出したくないことだろうか。
本当は、ローゼのことなど見たくもないだろうか。
会っても拒否されるのではないかと思ったときには身がすくんだが、それでも彼自身の口から気持ちを聞くまでは、やはり諦めきれなかった。
――もしも、偽りの暮らしを続けるうちに、少しでもこの生活を続けたいと思うようになってくれていたのなら。今なお、わずかでも以前の暮らしに戻りたい気持ちがあると言ってもらえるのなら。
考えて、ローゼは首を振る。
――いや、そうでなくても。
木が残るのならば、彼は最後の公爵とならずに済むはずなのだ。
顔を上げたローゼは、フロランの瞳を見据えた。
「木を見せてください」
レオンが言っていた「考えがあるから木を見せてもらおう」という言葉を信じることにする。
楽しげな表情のままローゼの様子を見ていたらしいフロランは、うなずいて立ち上がった。
「いいよ。ついておいで」
フロランが動き出すと同時に、周囲にいた騎士たちも動き出す。
ローゼも机の上にあった聖剣を手に取り、椅子から立ち上がった。