6.神殿騎士見習い
ローゼの家は農業を営んでいる。
本来なら今日は夕方から手伝いをする日だったのだが、見事にすっぽかした。
自宅へ戻ると帰宅が遅くなったことを両親から叱られ、何をしていたのかを聞かれる。
少し考えて「村に王都の大神官が来て、グラス村のものを買いたいと言っている。たまたま居合わせた自分が特産品の説明をしていたが、少しばかり高値でも買ってくれそうな雰囲気だった」と適当な嘘を言っておく。
ローゼの言葉を聞き、両親と祖父母は大喜びをした。
父と祖父は何を売ろうかと興奮しながら相談を始め、母と祖母はちょっとご近所に知らせてくるわ、と言って急いで家を出て行った。どうやらローゼが手伝いをしなかったことは、すっかり頭から抜け落ちたようだ。
思惑通りだとほくそ笑んだローゼが何食わぬ顔で机に座ると、食事に遅れた姉のために取り分けておいた夕食を、妹のイレーネが持ってきてくれる。彼女に礼を言ってローゼは食べ始めた。
両親についたこの嘘は、明日には村中に広まるはずだ。
アレン大神官の一団は大人数なのだから食料は必要だろうし、ある程度は買い取ってくれるだろう。せっかくなので儲けさせてもらえば良い。
ニヤニヤしながら食事をする姉を見た妹の顔には「今の話、絶対嘘でしょ」と書いてあったが、ローゼは気づかないふりをした。
(それより、聖剣のことよね……あたし、どうしよう)
寝台の中でも考え続けていたローゼだが、明け方にうとうとした時に不思議な夢を見る。
夢の中でローゼは18歳の少年だった。
* * *
「どうだい、レオン。準備はできたかね」
「神官様」
俺は全く進まない支度の手を止めて振り返った。明日には出発するというのに、何を準備すればいいのか見当もつかない。
「何持ってったらいいか分かんないですよ」
「それなら無理に用意する必要はないぞ」
現地には7日程度で到着するらしいし、迎えに来た連中が俺の荷物を用意してくれてるらしいが、だからと言って何の用意もしないっていうのはどうなんだ。
そう言うと神官様は、豪快に笑う。
「気にするな気にするな。甘えておけ。お前が持って行くものは覚悟と気合くらいで構わん」
神官様の物言いに、少しだけ緊張がほぐれる。
この神官様は、俺が産まれた時にはもう村の神官様だった。
子どものころに父親を魔物に殺された俺にとっては親父みたいな存在だったし、2年前に母親も亡くして天涯孤独になった時だって、心細くなかったのはこの神官様がいてくれたおかげだ。
ほっとしながら神官様を見ていたが、彼は今気づいたとばかりに手を打つ。
「おっといかん、本来の目的を忘れるところだった。お前よりも旅が得意な子が会いに来てるぞ。旅の心得でも聞いておけ」
神官様がそう言うと、扉の陰から誰かが飛び込んできた。
「レオン!」
「……エルゼ?」
「もう、神官様ったら。いつになったら言ってくれるのかって、ひやひやしちゃった」
俺に抱き着いたまま、エルゼは振り返って神官様に文句を言う。彼女の赤い髪が腕にくすぐったい。
「はははは、ごめんごめん。じゃあ私は下で待っているよ」
そう言って神官様は部屋を出ていく。俺はエルゼを腕に抱いたまま固まっていた。
「エルゼ……? 本当に? 王都の大神殿にいるんじゃなかったのか? 神官修行は?」
「レオンに直接おめでとうを言いたくて、里帰りさせてもらっちゃった」
3歳年下の幼馴染はキラキラした赤い瞳を俺に向けてくる。その真っすぐな視線を受け止めかねて、俺は目をそらした。
「……まだ決まったわけじゃないよ。これから古の聖窟へ行かなくちゃいけないんだから」
「でも、託宣があったんだから、もう決まりみたいなものでしょう? 古の聖窟では受け渡しの儀式みたいなものしかないって、神官様が言ってらしたわ」
「そうかもしれないけど」
俺はエルゼから体を離す。
「……今回の聖剣は初めて人へと渡されるんだし、何があるか分からないじゃないか。それに……」
少し言いよどむ。
「俺みたいな貴族でも騎士でもない、剣もほとんど扱えないような奴がそんな、聖剣の主だなんて……」
聖剣の主はいつも同じ一族の中から選ばれていた。
詳しい理屈は俺なんかには分からないけど、次の主が選出されるのは、先代主の親族からってことらしい。
「そこにただの庶民が新しく聖剣の主として誕生するんだからな。みんな面白くないと思ってるぞ」
と、今回俺を迎えに来た連中の1人が嫌な顔つきで言ってた。
しかし、俺の言うことを聞いたエルゼは首をかしげる。
「だからこそ、レオンが選ばれたんじゃないの? 」
「え?」
「今の聖剣の主様がたは、もうすっかり貴族の一員みたいになっていらっしゃるじゃない?」
「そうらしいな……」
「あ、そのことが悪いなんて言うつもりはないのよ? でも、どんなに魔物を倒しながら世を巡っていても、生まれが貴族だと見えないこともあるんじゃないかしら。考え方も、一般の民とは違うわけだし」
そう言って、エルゼはちょっと照れたように笑う。
「ってこれは、私の教育係をしてくださってる神官様がおっしゃってたことなんだけどね。でも私もそう思うの」
「……そうかな」
「絶対そうよ。だからレオンが新しい聖剣の主様に選ばれたのよ!」
そっか。そうだといいな。
「良かった。レオン、やっと笑ってくれた」
そう言うエルゼは嬉しそうだ。俺もつられて嬉しくなってくる。
「だから、レオン。本当におめでとう」
「……うん」
俺はちょっと恥ずかしくなって扉の方を向く。
そこでふと、今さっき神官様に言われたことを思い出した。
「ところでエルゼ。聞きたいことがあるんだ」
「なあに? 私で分かることならなんでも聞いて!」
「……旅の心得を教えてくれ」
* * *
ほとんど眠れぬまま朝を迎えたローゼは身支度を終えた。
考えをまとめるためにディアナの家にでも行こうかと思っていると、ものすごい勢いで扉を開け、興奮しながら部屋に駆けこんできた人物がいる。上の弟のマルクだ。
「――姉貴!」
「ちょっとマルク、いきなり扉を開けるんじゃないわよ」
睨みつけながら言うのだが、マルクはまったく聞いていなかった。
「姉貴、すげえ可愛い! すげえ可愛いぞ、姉貴!」
「だといいわねぇ」
「兄ちゃん! 見た!? 表見た!?」
「テオも見たか! すげえよな、あんな可愛いのすげえ!」
「めちゃくちゃ美人でびっくりした!!」
下の弟のテオも乱入してきて、気が付くと弟2人はローゼの部屋で可愛いだの美人だのと連呼している。
いったい何があったのかは分からないが、その言葉をもう少し部屋の持ち主にも言ってくれていいのに、などと思っていると、妹のイレーネがローゼを呼びに来た。
「お姉ちゃんにお客さん。知らない人。でもすごく綺麗な人」
寡黙であまり表情が変わらない妹にしては珍しく興奮しているらしく、頬が赤らんでいる。ローゼが意外に思いながら妹の表情を見ていると、弟ふたりは同時に手を打った。
「そうだった、忘れてた。姉貴にお客さんなんだった」
「俺も忘れてたよ。姉ちゃんに会いたいって言われてたんだった」
「……あんたたち、ちゃんと役割くらい果たしなさいよね」
ため息をついたローゼは、無駄に見に来るんじゃないのよ、と弟たちに念を押して玄関へ向かった。
扉を開けると、ひんやりとした朝の風が吹き込んでくる。
暖かい季節に向かってはいるが、朝夕はまだまだ寒い。
そんな中、表に立っていたのは、薄手の服を着た少女だった。この寒さだというのに上着も羽織っていない。
寒くないのだろうかと思ったローゼだが、自分へと顔を向けた少女を見た途端、すべての考えが頭から消えた。
(……可愛い!)
彼女はローゼより3歳ほど年下だろうか。整った顔立ちはまさに奇跡の造形美だった。
大きな紫の瞳は光を受けた水面のようにキラキラとしており、ふんわりとした背中までの白金の髪は光に照らされて輝いている。彼女がいるのは見慣れた玄関前だというのに、別の世界に来てしまったかのような気分にすらなった。
ローゼは見惚れながら、これは確かに弟たちも騒ぐわけだ、と心の中で深くうなずく。
しかし顔にはまったく覚えがない。ここまでの美少女だ、見かければ絶対に忘れない自信がある。
誰だろうと首をかしげていると、美少女が艶やかな赤い唇を開いてローゼに問いかけてきた。
「ローゼ・ファラー様でいらっしゃいますか?」
顔に見合うだけの可憐な声だが、やはり聞き覚えがない。
「そうですけど」
ローゼの返答を聞いて、少女は頭を下げる。
「お目にかかれて光栄です。わたくしはフェリシア・エクランドと申します。どうぞフェリシアとお呼びくださいませね」
「あ、えーと、ローゼ・ファラーです」
名前を知っている相手に名乗るのも間抜けな気がしたが、フェリシアは気にしなかったようだ。
にっこりと微笑んで用件を告げる。
「わたくし、アーヴィン様に伝言を頼まれてこちらへ伺いましたの」
「アーヴィンからの伝言? ……あなたは何者なの?」
「神殿騎士見習いですわ」
彼女の言葉を聞いた瞬間、ローゼは自分の目つきが険しくなったのが分かった。
しかしフェリシアは微笑んだままで、態度に気負いも見られない。
神殿騎士は神に仕える騎士たちだ。神官たち同様、王都の大神殿で修行をする。彼らは主に魔物を退治する役目を負っているが、この近辺で神殿騎士を見かけたことはない。フェリシアも今回の大神官の一団として来たのだろう。
刺客である可能性も考えたが、すぐに否定した。さすがにそれはないはずだ。
(それにしても、アーヴィンからの伝言ねぇ……信用していいのかな)
しばらく悩んだ後、ローゼは玄関の扉を大きく開ける。とりあえず彼女の格好が気になった。見ているローゼの方が寒くて仕方がない。
「……入って。中で話を聞くから」
フェリシアは目を丸くする。
「入れてもよろしいんですの? わたくし、敵かもしれませんわよ?」
「敵なの?」
「違いますわ」
「それならいいじゃない」
ローゼが言うと、フェリシアはふわりとした笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきますわね」