11.北の大都市
ローゼは今日も露店で食事を購入し、ちびちびと食べながら周囲の話題に耳を傾けていた。
以前は噂話をなるべく聞かないようにしていたし、レオンも聞かせないようにしてくれていた。しかし最近のローゼは、聞ける時には聞くようにしている。
どうも、噂の内容が少しずつ変わっているような気がして仕方ないのだ。
実際、以前聞いた時は「今の公爵になってから良くないことが起こる」という話だったのが、最近では「今の公爵は苦渋の決断をした立派な人物だ」という内容に変わっている。
跡継ぎの変更に関しても「なぜか急に変更になった」から「『彼』が爵位を望んで無理やり変更させた」ということになっているようだ。
変更させた理由に関しても、以前は「自分が兄であることから」「今は亡き父から後継者に指名された話を持ち出して」という予想だけだったが、今ではそのどちらかに加え「神官だったことを理由に」という話が必ず加わる。
神官だったことは以前から話題にはあがっていたが、それを理由に跡継ぎを変更させたという話ではなかったように思えるのだ。
曖昧だった話がきちんとした裏付けをされるようになったと言われればそれまでだが、ローゼとしてはどこか納得のいかない話だった。
この町の次はとうとう目的の城下都市イリオスだ。
できればここで何か新しい噂を手に入れたくてしばらく耳を傾けていたのだが、食事が終わっても目新しい内容の噂は手に入らなかった。
とはいえ悪い噂には変わりがないのだから、聞いていて気分の良いものではない。噂の収集を諦めて先へ進もうと決めた時には、ホッとする自分がいるのも確かだった。
町の外へ向かいつつ、開けた場所でセラータに乗ろうとしたとき、「ねえ、知ってる?」という話が耳に入ったので、セラータに乗るのをやめてなんとなく立ち止まる。
そのままだと怪しまれそうな気がしたので、先ほど買った果物を取り出し、何日かぶりの好物を見て目を輝かせるセラータを撫でながら、ローゼは聞き耳を立てた。
「来月にはもう、今の公爵様は爵位を譲られるそうよ」
「えぇ? ついこの前、跡継ぎを変更するという話を聞いたばかりなのに」
「なんでも、早く公爵になりたいから譲るようにと、例の跡継ぎが公爵様を脅したらしいわよぉ」
ひどい話ね、とか、いやね、と言った声を聞きつつ、石畳を蹴りつけながらローゼは小さな声で呟く。
「本当にいやーね。日々こんな話ばっかりよー。でもなんでこんなに内情が噂として漏れてくるのか不思議で仕方ないわーっと」
【まあ、公爵が意図的に噂を流してるんじゃないか?】
そうよね、と囁きつつ、果物を食べ終わったセラータに騎乗する。
風がふわりと服を巻き上げたので、めくれそうになった裾を慌てて押さえた。
着ているものは大神殿から持ってきたいつもの旅装ではない。少し前の町で購入した、何の変哲もない女性用の服だった。
髪の色や言葉の抑揚で余所者かどうかの判別がつくのなら、もしかして着ているものでもある程度は判別ができるかもしれない。そう思って念のために買っておいたのだ。
綺麗な刺繍に惹かれて購入したものの、スカートだったのは失敗かもしれないと思いながらローゼは道中何度も裾を抑え、イリオスを目指して進む。
さすがに城下へ向かう道だけあり、街道は今まで以上に人が多かった。
「……会ってもらえるかな」
ローゼがため息まじりに口に出した声は、思ったよりも不安げだった。
イリオスへ到着したら、まずは北方神殿へ行く。
そこで術士を通じて公爵家に関わる誰かを呼び出してもらおうと、レオンと一緒に計画を練っていた。
公爵家は精霊に関することを掌握しているだろう。
木を見せてもらうならば術士に頼むよりも手っ取り早い。
さらに言うなれば、今回の一連の流れ……木に関すること、そして爵位の変更に関することの情報を、交渉の上で引き出したいとも思っていたのだ。
もちろん、会う人物は『褐色の髪をした彼』だとローゼはとても嬉しいのだが、そうでなくとも公爵家……または公爵家に近い人物ならば誰でも良い。
問題は、貴族である彼らがローゼのような余所者に会うために出てきてくれるかどうかだ。
一応切り札らしきものはあるのだが、できればここでは使いたくなかった。
【どうだろうな。とにかく最初はお前の演技力が必要になるから、しっかりやれよ。お、見えて来たな。あれがイリオスか】
* * *
シャルトス公爵家の城がある都市、イリオスの大きさはもちろん王都アストラと比べるべくもない。
ただしそれはあくまで王都と比較した時の話だ。王都以外の都市と比べるならば、イリオスはアストラン国随一の都市だと言えるだろう。
都市最北の丘ににそびえる城も、今まで見たどの地方領主の城よりも大きく堂々としており、さすがはもと一国の城だと思えるほどの威容を誇っている。
城のある丘のふもとに目をやれば、立派な建物が見える。おそらく北方神殿だろう。
こちらも町々の北方神殿とは全く違う。もちろん大神殿とまではいかないが、それでも大きく見事な建物だった。
門をくぐり、止められなかったことにほっとしながらも通りを進む。
周囲を見渡せば、大通りは活気に満ちている。
ざっと見た限りでは都市は清潔に保たれているようだったし、人々の様子から察するに暮らしぶりも悪くなさそうだ。
それでも道行く人の表情がどこか暗いのは、やはり今後が不安なのだろう。
ときおり城を見上げては顔をしかめたり、ため息をつく人もいる。
北方神殿へ向かう人も多かったので、ローゼは途中で下馬することにした。
到着してみれば、門前はかなりの人数でごった返している。
いつもこんな調子なのだろうか。それともやはり不安で、つい来てしまうのだろうか。
こっそりため息をついたローゼは奥に見える建物へは向かわず、門で足を止める。
腰から白い鞘ごと聖剣を外し、門番に近寄った。
「こんにちは」
門番からの返事はない。ただ、武器を手に持ったローゼを警戒してか、緊張した様子を見せた。
「あたしは精霊の宿った剣に導かれ、王都アストラから、ここまで参りました」
衛兵は上から下までローゼを眺めた後に、怪訝そうな表情を浮かべる。
夕焼け色のたてがみをした馬を連れているので北方の娘だと思ったのに、王都と言い出したことを不審に思ったに違いない。
にっこりと笑ってローゼはかぶりものを取る。
現れた赤い髪に、門番は警戒の色を濃くして武器を握りしめた。
その様子を見てもローゼは笑みを崩さずに、剣を差し出す。
「こちらが精霊の宿る剣です。精霊はこの地に関わることに対し、重要なことを述べたいと申しております。どうか精霊の声が聞こえる方にお取次ぎください」
門番はこの怪しい娘にどう対処して良いのか悩んでいるようだった。
しばらく難しい顔をしていたが、やがて詰所へ戻る。どうやら他の人物と相談していたようで、出てきたときにはもうひとり別の人物を連れていた。
最初にローゼが声をかけた門番は「少し待て」と言いおくと北方神殿の建物へ向かって小走りに去って行く。代わりにもうひとりの門番が、いつでも武器を向けられるよう油断なくローゼを見張っていた。
しばらくして、先ほどの門番が30代後半くらいの女性を連れて来た。銀の額飾りが輝くのが見えたので術士なのだろう。彼女は聖剣を見るや、まあ、と声を上げる。
「この剣には精霊が宿っています。間違いありません」
門番ふたりは驚嘆の面持ちで聖剣を見る。
女性はローゼに目をやり、戸惑ったような表情を浮かべて口を開いた。
「そなたがこの剣の持ち主ですか」
「はい。あたしはローゼと申します」
「では、ローゼ。この地に関わることというのは何でしょうか」
ローゼは手にした聖剣を見る。しばらくして、術士に目をやった。
「はい、剣は、木に関してのことだと言っております。ここある大きな木のことだそうです」
大きな木、と聞いて門番と女性は顔を見合わせた。
「大きな木のことだと、確かに言ったのですね?」
「はい、剣の精霊はそう言いました」
「私には何も聞こえませんでした」
レオンは今、何も言っていない。
しかし女性の言葉を聞いて、ローゼはさも不思議そうに瞬く。
「でも、剣は確かに……はい、ではそのようにも伝えます」
もう一度何も言わない聖剣に向かってうなずくと、ローゼは視線を上げて術士を見る。
「大きな木の寿命は――」
「おやめ」
ローゼが言うと、女性は慌てたように話を遮る。
術士様? と門番が怪訝そうな表情を浮かべた。
女性術士は門番に向かって手を振る。
「なんでもありません。……分かりました、この娘はひとまず奥へ案内します。そこで話を聞きましょう」
はい、と返事をしながらも、ローゼは内心で安堵していた。
どうやら最初の一歩は踏み出せたようだ。
門番にセラータを預け、女性に案内されたローゼは建物の奥にある応接室へ通される。そこで彼女からいくつかの質問をされた。
聖剣に聞くふりをして適当な返事をしていると、彼女はため息をつく。
「剣に精霊が宿っているのは間違いありませんが……声は聞こえませんね」
ローゼは黙って首をかしげる。
術士の女性はしばらく悩んだ後、椅子を示した。
「そこへかけてお待ちなさい」
言いおいて術士は出て行ったので、ローゼは体を投げ出すようにして椅子に座ると、大きく息を吐いて天井を見上げた。
「とりあえず何とかなったわねー。この後どうなるのかな」
【さてな。しかしお前、本当に演技が下手だな。つまみ出されたらどうしようかとハラハラしたぞ】
「ひどいー。頑張ったのにー」
ため息交じりに言うレオンに、ローゼは口をとがらせる。
先ほどまでレオンが黙っていたのはもちろんわざとだ。術士と呼ばれる人たちがレオンの声を聞いてしまっては意味がない。
呼び出したいのは公爵家の人物なのだ。
公爵家の人物は、きっと普通の術士たちよりも精霊に関する力が強いはずだ。術士たちの誰にもレオンの声が聞こえなければ、公爵家の誰かがここまで来るはずだと、ローゼとレオンは考えていた。
しばらく待つと、先ほどの女性が年かさの男性と女性を連れて来た。
彼らも聖剣に精霊が宿っていることは請け合ったが、やはり声は聞こえないと言う。
もちろんレオンは黙ったままなのだから当たり前だ。
困ったらしい彼らは相談を始める。ときおり「公爵家の方に」という声は聞こえるが、さすがに踏ん切りはつかないらしい。
じれたローゼが、大きな木に精霊はもういませんね、と言うに至って、彼らはようやく決断したようだ。
「……もう少しこの場で待て」
そう言って術士たちは出て行く。しかしその後、まったく音沙汰がなくなってしまった。最初の女性が他の術士を連れて来たよりもずっと長い時間待っているのだが、誰ひとりとして部屋にやってこない。
さすがに不安になったローゼが、誰かを呼びに行こうかとレオンと話しているとき、にわかに外が騒がしくなる。
何かあったかと振り返ると同時に扉が開き、最初に会った術士が椅子から立つようローゼに告げた。
その緊張した様子から、どうやら公爵家かその関連の人物が来たらしいと察し、ローゼは胸が高鳴る。下ろしている両手を無意識のうちに握りあわせていた。
言われた通り立ち上がって待っていると、しばらくの後に護衛らしき騎士が姿を見せる。続いて入ってきたのは豪華な服を着た青年だ。
彼の髪の色は、春の朝日のような柔らかい金だった。