9.馬上にて 1
(あの方を助けてください、って言われても……)
出て来たばかりの北方神殿を振り返り、ローゼは重いため息をつく。
助けを求められている状況なのであればもちろん助けたい。
しかし、なぜ助けが必要なのか分からない状態なのに、どうすれば良いのかなど、今のローゼには見当がつくはずがなかった。
重い気分のままセラータに騎乗する。
そのまま北の門へ行き、町を出た。
朝日に照らされて美しく輝く銀の花を思い出し、ローゼの心は暗くなる。
最初に花を見た時の陶然とした気持ちはもうどこにもなかった。
久しぶりに晴れた日だ。青い空には雲一つない……とまではいかなかったが、薄く白がかかっている程度、曇りになる気配もない。
セラータに揺られながら、頂までくっきりと見える山並みを眺めているうち、ローゼはようやく話す気分になった。
同じく北方神殿を出てからずっと黙ったままだったレオンに、問いを投げてみる。
「そういえばジュストさんと何を話してたの?」
【ああ……】
どうやらレオンも物思いに沈んでいたようだ。ローゼの問いかけにのろのろと答える
【古の大精霊がもういないという話だ】
「やっぱりいないんだ……」
ローゼはため息交じりに呟く。
ジュストは過去のこととして話していた。おそらくいないのだろうと思ったし、北方神殿でレオンが気配を感じないと言っていたこともあって予想はしていたが、実際言い切られるとローゼですらつらいものがある。
北の人々には秘されているようだが、もしこのことが公表されたとすれば彼らはどのような行動に出るのだろうか。
【大精霊は今年に入って消滅したそうだ。だが、これは公爵家や術士にとっては意外な話ではなかった】
「どういうこと?」
【消滅の兆候があったんだ。……50年くらい前に】
50年と聞いてローゼは眉をひそめる。――また50年。
【眠ったまま何日も目覚めないことが続いた。今までになかったことだ。術士には理由が分からなかったが、大精霊が言ったらしい。「自分は遠くない未来に消滅するだろう」とさ。慌てた公爵家は術士たちとともに大精霊を生かす方法を、それが駄目ならせめて木を枯れさせない方法を探した】
「枯れさせない……なんてことができるの?」
イリオスの北方神殿にある元の木は、大精霊自身の変化した姿ではなかったか。
【できる。イリオスにある木は大精霊が変化したというより、元となる木に大精霊が憑依して、木ごと変化したという方が近いようだからな】
「うーん。そっかー?」
理解したような返事をしてはみたものの、実際にはさっぱり分かっていない。
ローゼの声を聞いたレオンは苦笑交じりに付け加える。
【……とにかく、今の木は中身が消えて入れ物だけがある状態だ。今はまだ少しばかり大精霊の力が残っているからいいが、早いとこ中身を入れないと木が完全に枯れて何もできなくなる】
「中身はどこにあるの?」
【それを公爵家は50年前から探し続けてきたわけだが、見つからなかった】
「じゃあ、木はあとどのくらいもつの?」
【さてな。元となる木を見てみないと分からん】
だが、とレオンの声は暗い。
【……木を残してやらないと、あいつを連れ戻すことはできないはずだ】
レオンの言葉を聞いたローゼは思わず息をすることを忘れる。
ぐらりと視界が揺らいだ気がして、慌てて手綱を握った。
セラータが不快そうにするのを首筋を撫でて落ち着かせ、ローゼは口を開く。
「……どうして?」
【50年くらい前に大精霊の消滅する兆候が見えたこと、ウォルス教を信じる人物は災いをもたらすと言って北方神殿に入れなくしたこと、なのに15年近く前にあいつが神官見習いになったこと。……無関係だとは思えん】
「……でも、公爵家は、木を残す方法が見つけられなかったって……」
何十年も探してきた公爵家が見つけられなかったものを、こんな短期間でローゼが見つけられるはずもない。見つけられなければ彼を連れ戻せないというのなら、それは無理だと言ってるようなものではないだろうか。
絶望しながらローゼが呟くと、レオンは言う。
【俺が見てやる】
安心させるようにか、穏やかな声でレオンは続けた。
【公爵家は精霊にも話を聞いてるはずだが、その中のどれよりも俺の方が強い。小さい精霊たちに分からなくても、俺なら分かることもある。……いずれにせよ俺に考えがあるから、まずはイリオスで木を見せてもらう方法を考えよう、ローゼ】
「……うん」
レオンの声にうなずいて、ローゼは肩の力を抜く。
自分で言うのだから、レオンは確かにその辺りの精霊よりは強いのだろう。
ならば今は、彼が頼りだ。
「元の木って見せてもらえる……わけないよね」
【そうだな。今までの北方神殿があの調子だ。その大元なんだから、かなり難しいと思った方がいい】
元の木は公爵家の城下、都市イリオスの北方神殿にある。
ということは、公爵家の管理下にあると思った方が良いだろう。なにせ大精霊に愛された公爵家は、精霊信仰の筆頭なのだから。