7.北方神殿
その日に到着した町でも、ローゼはいつもと同じように北方神殿の確認をしに行く。
他の町とは違い、門番はやる気のなさそうな男だった。大きなあくびをしながらぼんやりとしていたが、さすがに黙って通してくれたりはしないだろう。
しかしあまりに不真面目そうなので、隙ができないものかとしばらく観察していると、北方神殿の門が開いて中から高齢の男性が出て来た。
門番は慌てて姿勢を正し、彼に話しかける。高齢の男性はにこやかな笑みを浮かべて門番に対応しつつも、ちらちらとローゼの方へ視線を向けてきた。
なんだか気味が悪く思えたのでローゼは踵を返す。
何事もなかった風を装って、そのまま北方神殿から離れた。
* * *
次の日。
町で北方神殿を見学することを諦めたローゼは、街道をそれて細い道を行ってみる。街道近くにある町や村よりも、少し外れた村の方が警戒は薄いのではないかと思ったのだ。
確かに、外れにある小さな村の北方神殿には、門番らしい人物がいなかった。しかし村人が門の前に座っている。何をしているのかと遠くから眺めるうち、どうやらここでは村人が交代で北方神殿の番をしているのだということが分かった。
「なんでこんなに警戒してるんだろう」
小さな村へ行ったのも、結局は無駄足だった。
がっかりしながらローゼはレオンに話しかけてみる。しかしレオンは小さく何かを言っているが、しばらく待ってもローゼの問いに答える気配がない。
「レオン?」
【ああ。なんだ?】
再度呼びかけると、はっとしたような返事が戻ってきた。
「何かあったわけじゃないけど。どうしたの?」
【いや、別に?】
結局レオンはそのまま黙る。しばらくすると、またぼそぼそと独り言を始めた。
少し前から、レオンはこういう時が多い。
町で周囲に人がいるときは噂話に気を配っており、何か聞こえてこようものなら積極的に話しかけてくるのだが、そうでないときはいつも独り言を呟いている。たまにローゼが夜中に目を覚ますと、やはり小声で何かを言っていることがあった。
妙だとは思うが、レオンにもいろいろあるのだろう。
ローゼは生暖かい目で見守ることに決めると、会話を諦めてセラータに乗り、村を出ることにした。このまま急げば、なんとか夜には次の町へ到着できるかもしれない。
村から街道へと繋がる道は細めで、左右は森だ。空も曇っているので、なんとなく周囲も暗い。こういう場所は魔物に遭遇することが多いのだが、意外にも北方を進む間は魔物に出くわすことがなかった。
実際にローゼはシャルトス公爵領に来てから、魔物と戦闘をしていない。
不思議に思ってレオンに聞いてみれば、北はそういうものだと言う。
確かに400年前も、レオンは北ではあまり魔物に遭遇していなかった――。
そこでふと、ローゼはひっかかりを覚える。
レオンの記憶の中で銀狼は、村や町には守りがあると言っていた。
森にも精霊の守りはあるが、町ほど強くはないのだと。
この守りとは北方神殿、つまりそこで祀られているらしい花の咲く木と関係があるのだろうか。
レオンは何か知っていそうな気がする。しかし今尋ねても、きっと答えをくれないだろうという予感がローゼにはあった。
結局答えが出ないまま森を抜け、道を進み、やがて前方には分かれ道が見えてくる。
ここまでは来た通りの道だ。今日はこの街道を南から来て、村へ行くために東へ折れた。本来の目的地であるイリオスは北なのだから、今回はそのまま北への進路を取れば良い。
そう思ってローゼがセラータを北へ向けようとした時、申し訳なさそうにレオンが声をかけてきた。
【なあ、ローゼ……少し戻ったら駄目か?】
言われてローゼはセラータを止める。
「戻る? どうして?」
【昨日の町に用がある】
レオンの申し出にローゼは首をかしげた。昨日行った町も、特に他の町と変わったところはなかったと記憶している。
「昨日の町って、何かあったっけ?」
【北方神殿の門番が少しやる気がなさそうで……中から年寄が出て来てこっちを見てただろ】
言われて思い出した。ちらちら見られて気味が悪く思った記憶がある。
【あそこへ行きたいんだ】
正直に言えば、戻るのもあの北方神殿へ行くのも抵抗があった。
それでもレオンが言うならとローゼはうなずき、分かれ道は南へと進路を取ることにした。
* * *
町へついたのはもう星が輝くころだった。
北方神殿へ行ってみたものの、案の定扉は閉まり、人の気配もない。
仕方なくその日は宿を取り、改めて翌日、北方神殿へと行ってみる。
今日は珍しく天気が良いようだ。とはいえ、空気はひんやりとしていて肌寒い。
機嫌のよさそうな鳥の鳴き声を聞きながら、ローゼは目的地へと向かう。
朝のまだ早い時間ということもあって、北方神殿の周囲に人通りは少なかった。
しかし門の前には先日見た番人が既に立っており、相変わらずやる気がなさそうな顔でぼうっとしている。
「どうするの? 結局入れないことには変わりないじゃない」
【まあ、少し待ってろ】
自信ありげなレオンの言葉を訝しく思いながらも言われた通り待っていると、やがて中から老人が出てくる。先日ローゼの方をちらちら見ていた人物だ。
彼が門番に何事かを言うと、門番は礼をして門から立ち去る。その後ろ姿を見送っていた老人はローゼの方へと視線を寄こし、手招きをした。
どういうことか分からずにローゼは戸惑う。
【よし、大丈夫みたいだな。行こう】
対してレオンは満足げにローゼを促した。
「どういうこと?」
【あの爺さんに俺たちを呼ぶよう頼んだんだ】
「誰に? どうやって?」
【話は後だ。ほら、さっさと行け。誰か来たら面倒なことになる】
レオンに急かされたローゼがセラータを連れてしぶしぶ北方神殿へ向かうと、老人は一礼して大きく門を開く。祈りの言葉を尋ねる気は端からなさそうだった。
「お待たせして、申し訳ありませんでしたなぁ」
【いや、助かった】
ローゼが口を開く前に、レオンが返事をする。まさかという気持ちで老人へと目をやれば、彼の目線は確かに聖剣に向けられていた。
これはなんだろう、とレオンにも老人にも猜疑の心を抱く。老人はそんな気持ちを読んだかのようにローゼへ視線を向け、優しげな笑みを浮かべた。
「私の名は、ジュスト・ブレイルと申しますよ。この北方神殿で、術士をつとめておりますなぁ」
【俺はレオンだ。こいつはローゼ。馬はセラータという】
「……おお、この馬は……そうですか、そうですか。なるほど、それで遠くからおいでになったのですなぁ」
ジュストと名乗った老人はセラータを見つめて目を細める。
一体何に納得しているのかが分からないローゼとしては、本当に信用して良いのか分からず困惑したままだ。
知らず彼を観察していたのだが、見ているうちにジュストの髪の色が気になった。
遠くからだと薄い色のように思えたが、それはどうやら年月を経て白いものが多くなっただけらしい。彼の本来の髪は茶色をしているようだ。
北では珍しい色だったのでローゼが意外に思いながら見ていると、髪の中にきらりと輝くものがある。
なんだろう、と目をこらしたローゼは思わず息をのんだ。
それは見覚えのある、複雑な色に輝く銀の鎖だった。
視線に気が付いたのか、ジュストは馬へ向けていた顔をローゼへ移す。
無遠慮だったかとローゼは恥じたが、老人に気を悪くしたそぶりはない。
「私の髪は、茶色でしたよ。もうすっかり、白が多くなってしまいましたがなぁ」
どうやらジュストは、ローゼが髪の色を見ていたのだと思ったらしい。
「私の母は、この町の人でしたよ。でも父は、商人でしてなぁ。シャルトス公爵領の人では、なかったのですよ」
それを聞いてローゼは目を見開く。
老人が口にした父親の出身地という場所は、王都からほど近い場所にある町の名前だった。
「さあ、さあ、立ち話もなんでございますから、どうぞ、中へお入りください」
【おう、すまんな。ローゼ、そうさせてもらうぞ】
ジュストがセラータを馬屋へ連れて行ってくれるというので、その間にローゼとレオンは中を見せてもらうことにした。
広い庭の先にある建物は石造りで、この点だけ見るとウォルス教の神殿と同じ。ただ、北方神殿はより解放感にあふれている。もちろん意匠も違うのだが、しかしローゼは見学どころではない。
「ねえ、どういうこと? なんでレオンはあの人と話ができてるの?」
【後にしろ。誰か参拝の奴が来たらどうする。せっかくの機会なんだから、中を見るのが先だ】
どうやらレオンはまだ答えてくれる気がないらしい。ため息をついたローゼは、仕方なく内部を見ることにした。
壁には大きな透かし窓があり、外には木の窓がついている二重構造だ。日中は木の窓を開け放して日の光や風を入れ、夜や雨の日になると閉めておくのだろう。
扉も木でできており、やはり開け放たれている。奥を見てみればウォルス教の神殿のように祭壇があるわけではなく、入り口と同じような扉があり、こちらも開け放たれて外へ出られるようになっている。
建物の中には何もないので、どうやら祀られている木は奥の扉を出たところにあるようだ。
「この先にも行っていいのかな」
【別に構わないだろう】
レオンが請け合うのでローゼは建物の中を通って外へ出たのだが、その途端、息をのんだ。
朝日の差し込む庭に1本の木が立っている。
木の高さはローゼより少し高いくらいだろう。尖った緑の葉をそよがせた木の幹は、あまり太くない。ローゼが片腕で抱えられそうだ。
しかしこの木は、珍しいことに銀色の花をたくさん咲かせていた。銀の花の大きさはローゼの手のひらより、ふた回りほど小さいくらいだろうか。
「すごい……銀の花なんて、初めて見た……」
きらめく5枚の花弁を持つ花々が光をはじいて輝くさまはとても幻想的で、ローゼはうっとりと眺める。
しかし見ているうちに、ふと違和感を覚えた。
一見神秘的で美しく思えるこの木は、よく見ると元気が無いようだ。
花は一部がしなびており、葉も茶色くなっているものがある。
目線を下にやれば、地面には枯れ葉とともに、いくつも花が落ちていた。
ローゼが眉をひそめた時、レオンの声がする。
【お前も『見て』みろ】
次の瞬間ローゼは叫びそうになって慌てて口を押える。木の周りでいくつかの光が戯れていたのだ。
(精霊……!)
光の玉同士でくるくると回ったり、葉の中に潜ったり、花に止まったりと、精霊たちはとても楽しそうに見える。
【おそらくこれらすべてが、北方の守りというやつだ】
久しぶりの精霊を見てローゼの心は弾んでいたのだが、話しかけてくるレオンの声は固い。なぜそんな声を出すのか訝しく思って問いかけようとしたとき、後ろから声をかけられた。
「お待たせいたしましたなぁ」
振り返ると、ジュストが茶の道具を持ち、微笑みながら立っている。
こちらへどうぞ、と促されたので、ローゼはレオンへの質問を中止し、老人と共に木が見える四阿へと向かった。