4.各々
思いのほか話しこんでいたらしい。ローゼとコーデリアが店を出た時、外はだいぶ暗くなっていた。頬をなでる風はひんやりとしている。
「夕食の時間になっちゃったね」
外套の前を合わせながらローゼが話しかけると、髪を集めて顔を隠そうとしているコーデリアからは
「……でも……お話楽しかった……ありがとう」
と、小さな声が返って来た。
来るときには声も聞けなかったが、店の中で話をしたおかげでローゼにも慣れてくれたらしい。
妙な話にはなったが仲良くなれて良かったな、とローゼは微笑んだ。
コーデリアと旅の話などをしつつ神殿へ向かうと、門の前にラザレスが立っているのが見えた。
体の後ろで手を組み、時々地面を蹴っている姿は、とてもつまらなそうだ。
近くまで寄ってもローゼたちに気が付く様子はないので、名前を呼んでみたところ、ラザレスはようやく顔を上げる。
「もう! 2人とも、どこ行ってたんだよ!」
「コーデリアと一緒にお茶してたのよ」
案の定、ラザレスは機嫌が悪そうだった。
「……その様子だと北方の神殿は見られなかったみたいね」
笑いながらローゼが問うと、ラザレスは不機嫌な顔のままうなずいた。
「変装してたのに「さっきのクソガキめ、また来たのか!」って言われちゃったよ」
結局帽子をかぶっても見破られたので、裏手に回り、壁をよじ登れないものかとあれこれ試していたらしい。
「だけど、通りすがりの人に見つかっちゃってさー」
周囲の人が止めようとする一方で、誰かが呼んだ門番が駆けつけてくる。棒で殴られそうになり、ほうほうのていで神殿まで戻って来たということだった。
「なんで頑なに見せてくれないんだろう。僕だって北方の神殿がどうなってるのか見たいのにさ!」
ラザレスは文句を言いながら帽子を脱ぎ、コーデリアへ渡す。
受け取った少女は急いで帽子をかぶると、口元に安堵の笑みを浮かべた。
「ねえ、ローゼ。僕たちも一緒にイリオスへ行っていい?」
しかしラザレスの言葉に、笑みを浮かべたはずのコーデリアの口元がこわばる。
せっかくラザレスと2人で旅ができると思ったのに、ローゼが来ることになったらどうしようと思っているのだろう。
先ほどまで店でコーデリアと話していたローゼには、彼女の気持ちが良く分かった。
とはいえ、ローゼは元々誰かと行動を共にする気がない。
期待を込めて見つめているラザレスには悪いが、首を横に振ってみせた。
「一緒に来るのは駄目」
「どうして? ローゼが会うのは北の人なんだよね? その人に案内を頼んでよ。このままじゃ僕、何も見学できる気がしないよ!」
「確かに会いに行くとは言ったけど、実際に会えるかどうかは分からないのよ」
ついでローゼは自嘲するような笑みを浮かべた。
「……それにあたし、問題を起こすかもしれないし」
ローゼの言葉を聞いて、ラザレスは首をかしげる。
「問題? ローゼは何か悪いことをしに来たの?」
「悪いことのつもりはないんだけど、何て言うのかな。まあ、ちょっと、偉い人に喧嘩を売る可能性があるっていうか」
「……イリオスの偉い人? もしかしてローゼ、公爵家に何かしようとしてる?」
まずいことにラザレスはとても興味を持ったようだ。
はしばみ色の瞳が輝いている。
ローゼはしまったと思いながら、慌てて会話を打ち切った。
「これ以上は秘密」
「えー、教えてよ!」
「教えない」
「ローゼのケチー」
ケチ、と文句を言い続ける少年の頭をローゼは小突く。
「ラザレスはコーデリアと来たんでしょ。2人で一緒に見て回ればいいじゃない」
「でもさあ。コーデリアはあちこち見るのに興味がなさそうなんだもん。それに人と話すのだって――」
「わ、私っ!」
その時、意外なほど大きな声で、コーデリアがラザレスの話を遮った。
彼女は意を決したように帽子を脱ぐと、胸の前で強く握りしめ、真剣な眼差しでラザレスの瞳を見つめる。
「私っ、ラザレスが見たいところあるなら、が、頑張って、協力する、からっ」
そんな様子のコーデリアを見るのはとても珍しいらしい。ラザレスが目を丸くしている。
「だからっ、ふ、2人で、行きたい……の」
言い切った少女は赤くなってうつむく。
あーもー、可愛いわー、と思いながら、ローゼはラザレスの背を叩いた。
「ほら、コーデリアも2人がいいって言ってるでしょ?」
「う、うーん。そっか。……うん、分かった。コーデリアがそう言うなら」
戸惑いながらもうなずくラザレスを見て、ローゼは、じゃあね、と言って2人に手を振る。
そのまま踵を返すと、来た道を歩き出した。
【どこへ行くんだ?】
「夕食の店を探すに決まってるでしょ。さっきはお菓子しか食べてないのよ?」
【ガキどもも誘えば良かったのに】
「冗談」
振り返ると、神殿の前で何かを話しているらしい2人が見える。
「あたしはそんなに、無粋じゃないわよ」
せっかくなんだから、一緒にいられるうちは一緒にいた方が良い。
ほんの少しだけ感傷的な気分になりながら、ローゼは道を歩く。
なんとなくそのまま進んでいるうちに、北方の神殿前を通りかかった。
ウォルス教の神殿ならば、神殿に住み込んでいる神官が、朝に門を開け、夜に門を閉める。その間なら誰でも入ることは可能だ。神殿の入り口に神官補佐はいるが、彼らは別に門番というわけではない。
正式な門番がいるのは、王都の大神殿くらいだ。
しかし北方の神殿では、門は常に閉ざされており、人が来た時にだけ開けている。
相変わらず門番は厳めしい顔つきで立ち、周囲の様子をうかがっていた。
「なんでこんなに厳しく警戒してるのかしらねえ。しかもウォルス教の人だけを排除するなんて……ってまあ、シャルトス公爵領以外の人なら、みんなウォルス教だからそこは仕方ないか」
内部が少しでも見えないかとローゼは周囲を巡ってみるが、結局、塀の上から石造りの建物が少し見えただけだった。
「北方独自の神殿って、結局何を祀ってるんだろうねえ」
北方の神殿はかなり広大だが、あまり長い時間、この付近をうろうろしているとさすがに怪しまれそうだ。
残念に思いながらローゼは背を向け、別方向へ歩き出す。
しかしその時、レオンが遠慮がちに声をかけて来た。
【……ローゼ】
「ん?」
【この神殿で何が祀られているのかが見たい】
言われたローゼは立ち止まり、顔をしかめて聖剣を見る。
「また難しいことを言い出すのね」
【それは分かってるんだが……】
うーん、とうなりながらローゼは振り返る。
もう一度北方の神殿近くへと戻り、人が少なく見える方向へ回った。
石造りの壁はローゼが手を伸ばして跳んだ程度では到底届かない高さだ。壁には足をかけるところなどもなさそうで、特別な技能を持たないローゼが登るのはどう考えても無理だった。ラザレスはどうやって登るつもりだったのかと不思議に思う。
「ちょっと難しそうよ」
【……まあ、この町でなくても構わない。見られるならどこでもいいんだ】
「じゃあ、別の町にしようか。この町は余所の人が多いから厳重に警戒してるのかもしれないし、違う町なら見られるかも」
【そうだな】
ローゼは最後にもう一度振り返り、北方の神殿から離れた。
結局良さそうな店は見つからなかったので、コーデリアとお茶をした店へ戻る。
不愛想な店員に暗い席へ押し込められたローゼは、またこの席か、と密かに苦笑した。
席は悪いが、菓子の味は悪くなかった店は、食事の味もやはり悪くはなかった。
少し故郷の味付けに似ているなと思いながら、食べ終えたローゼは店を後にする。
神殿へと戻ってみれば、ラザレスとコーデリアは各々の部屋にいるらしい。話しかけようかどうしようか悩み、結局ローゼは黙ってあてがわれた部屋へ向かった。
翌日のローゼは早めに起き、荷物を持って部屋を出る。
扉の前から確認すると、ラザレスもコーデリアもまだ眠っているようだったので、そのまま小さく手を振って立ち去った。
外へ出れば、今朝もやはり寒い。
日が昇っていない空はまだ暗いが、暗い理由はそれだけではない。
どうやら今日も、雲が多い空を見ながら進むことになりそうだ。
「王都で短い袖を着ていたのが、本当に嘘みたい」
馬屋へ向かいながら外套の前を合わせると、腰からため息交じりの声がする。
【まったくだ】
「……レオンも気温差が分かるの?」
【俺を馬鹿にしてるのか?】
「だって前にさ、暑い寒いが分かるかどうか確認するために、雪に埋めるとか暖炉に突っ込むとかいう話をしたじゃない?」
【おい。まさか本当にやるつもりだったんじゃないだろうな?】
あれこれ言葉を尽くして「するんじゃないぞ」という内容を述べるレオンの声を聞きながら、ローゼはセラータに馬具をつけ、神殿から出た。
夜が明けて門が開く。
山並みは低く垂れこめた雲に隠れており、今日も上の方が見えない。
ローゼは馬上で首をすくめると、北の方角へ進み始めた。