3.娘ふたりの恋話
ローゼはラザレスを見送った後、どうしようかと思いながら空を見上げる。
……夕食にはまだ早いが、何か軽く食べる程度なら悪くないかもしれない。
そう思いつつ傍らを見ると、帽子を取られたコーデリアは背中までの髪を前に寄せ、下を向いている。どうやら髪で顔を隠そうとしているらしい。
「せっかくだから、一緒に甘いものでも食べる?」
ローゼが誘ってみると、意外にもコーデリアは小さくうなずいた。
「嫌いなものある?」
この問いには首を横に振る。
「どっかいい店知ってる?」
首を横に振る。
「……一緒に探そうか」
少女はうなずいた。歩き出すと、並ぶというより少し後ろからついてくる。
ローゼは道すがら話しかけてみたものの、この後もコーデリアからは、小さくうなずくか、首を横にふるか程度の反応しか戻ってこない。
結局コーデリアの声を聞くよりも、店を発見する方が早かった。
扉を開けて中へ入ると、店員らしき小太りの女性が無表情に寄ってくる。
この町は北方へ入って最初の町だけあり、他の地方から来た人も多い。他の地域から来た人たちには慣れているのだろう、この店員も北方の人だと思われたが、ローゼたちに対して愛想は無くても排他的という感じはしなかった。
しかし「そっちに座れ」とばかりに案内されたのは、日の当たらない暗い場所だった。
おまけに木の椅子はきしむし、敷かれている毛皮は他の席のものより古そうだ。北方の人と完全に同じ扱いをするつもりはないらしい。
ローゼは苦笑しながら椅子に座るが、コーデリアは暗がりなことにほっとしているようだった。彼女にしてみれば、この場所は当たりだったのかもしれない。
注文後の待ち時間にコーデリアへ話しかけても、やはり返事はなかったので、ローゼもなんとなく黙り、ぼんやりと今後の旅に思いをはせる。
進むにつれて徐々に他の地方から来た人は減り、北の人ばかりになるはずだ。排他的だという話も実感できるようになるだろう。
ローゼはシャルトス領に入る際に通った門のことを思い出す。きっとこの後の旅は、セラータが頼みの綱となるに違いない。
あの子には道中たくさん好物を買ってあげよう、と考えているうちに、不愛想な店員が注文した菓子とお茶を運んできた。
席は良くないが、さすがに出てきたものは悪くなさそうだ。
ローゼはさっそく食べようとしたのだが、その時正面から小さな声が聞こえてきた。
コーデリアだ。
「あの……ローゼは、どうして、お話を断ったの? みんないい人だったでしょう?」
見ると、少女は顔を上げていた。ローゼは食べようとしていた手を止めて問い返す。
「話っていうと、先日の舞踏会の?」
聖剣の二家が持ってきた、どちらかの家でローゼを娶りたいという話だ。
舞踏会に連れて来た男性の中から旅に同行するものを選び、その人物が気に入ったのなら将来結婚してはどうかと言われたのだ。
「うん……だって、今も1人で旅をしてるのでしょう? それなら誰か、随伴に選んでも良かったんじゃないの……?」
帽子をかぶって目を合わせたがらないほど恥ずかしがっていたはずなのに、今のコーデリアは草色の瞳を非難がましく揺らめかせながらローゼを見ている。
その様子を見てローゼはなんとなく察した。
おそらく、コーデリアはラザレスが好きなのだ。
彼女自身は、ラザレスが舞踏会でローゼに断られたこと自体はほっとしているのだろう。しかし好きな相手が歯牙にもかけられなかったことは、面白くないと思っているに違いない。
あらら、なんだか可愛い、とローゼは彼女を微笑ましく見る。
とりあえずコーデリアへの返事としては「まだそんなことは考えられない」もしくは「二家に入れてもらわず、自分で頑張りたい」と言うのが無難だろうか。
どちらにしようかな、と思いつつローゼは口を開いた。
「あたし、好きな人がいるの」
するりと出た違う言葉に、ローゼ自身が驚く。考えてみれば、その言葉は今まできちんと口にしたことがなかった。
思わず呆然とした後に、視線を落とす。囁くような声で繰り返した。
「……そうか……あたしやっぱり、あの人のこと、好きなんだ……」
もちろん自覚していなかったわけではない。そうでなければ、わざわざ北の領地まで来るはずがない。
しかし改めて認めてしまえば、その言葉は思ったよりもじんわりと胸の内に広がる。恥ずかしいような、切ないような、嬉しいような気持ちがこみ上げてきて、思わず口元が緩んだ。
コーデリアは言葉の内容より、ローゼが自分の言葉に驚いている様子を見て不思議そうに問いかける。
「えっと、ローゼは好きな人がいるって、気が付いてなかったの?」
「んー、そういうわけじゃないんだけどね……当たり前すぎて見えてなかったというか……なんかさ、ちゃんと口に出して言うと、違うよね」
言いながら目の前に座っている少女を見る。
「そうだ、コーデリアはラザレスが好きなんでしょう?」
話をごまかすためローゼがからかうように言うと、コーデリアは真っ赤になった頬を押さえ、こくんとうなずく。
「だからラザレスと一緒に北方へ来たのよね?」
顔をニヤつかせながらローゼが重ねて尋ねると、耳まで真っ赤にしながら少女はうつむいた。
「なになに? コーデリアとラザレスは昔っから仲良しなの?」
「……あの……私とラザレスは同じ年なの……お父様やマティアスおじさまともよく出かけて……その時にも一緒になることが多くて……」
コーデリアは小さな声で話しだす。
8歳の頃、初めて旅に出た時に仲良くなったこと。
北へ行くと言うラザレスに思い切って声をかけ、一緒に出かける話になったこと。
2人だけで出かけるのは初めてなのでとても嬉しいということ。
小さく身振りを入れながら懸命に語る彼女はとても愛らしかった。
(ラザレスと同じ年ってことは14歳よね。やだもう、この子いいわー)
今ならグラス村の乙女の会で話に入れるかも、と思いつつニマニマしている間に、ローゼ側で注文した焼き菓子は食べきってしまった。
一方、食べることを忘れて語り続けていたコーデリアは、話が終わると注文した皿を自分の方へ寄せ、もくもくと菓子を食べはじめる。
半分ほど食べた段階で上目遣いにちらりと見上げ、コーデリアは再度口を開いた。
「ローゼは……?」
「ん?」
「ローゼの好きな人は、どんな人? 北方へは、誰に会いに来たの?」
あら、反撃だ、と苦笑しながらローゼは答える。
「んーと、あたしが好きな人はね……意地悪で、頑固なくせに、変なところには気を使う、かなり面倒な人よ」
それを聞いてコーデリアは瞬いた。
「……えっと、悪口……じゃないのよね? そんな人のことが、ローゼは好きなの……?」
「そうなのよー。変でしょ?」
うなずきかけたコーデリアは、途中で動きを止める。失礼にあたるかもしれないと悩んでいるようだった。
気にしなくていい、とローゼはコーデリアに手を振ってみせる。
「北へ来たのはね、その人に会うため。……なんだけど、会えるかどうかは分からないのよね。まあ会えなかった時はしょうがないから、諦めて帰るけどね」
おどけたように言って笑うが、ローゼの顔を見たコーデリアは、なぜか切なそうな顔をした。
食べるのをやめて下を向くと、何か考えている。
「……あのね、私ね」
しばらくの後に顔を上げたコーデリアは、それでもどう言おうか悩んでいるようで、何度も視線をさ迷わせ、口を開いては閉じる。
「私ね。よく、内気だって、みんなから言われるの」
帽子をかぶって目を合わせない様子を思い出しながら、そうだろうなと思いつつローゼは先を促す。
促されたコーデリアはもう少しだけ考える様子を見せた後、ローゼと目を合わせ、言い切った。
「えっと……それでね、ローゼはきっと、素直じゃないって、みんなから言われてるよね……?」
彼女の言い方に嫌なところはない。
むしろまっすぐな目で言われて、ローゼは思わず言葉に詰まる。
【お、意外と鋭いな】
左側から揶揄するような声が聞こえ、ローゼは聖剣を殴る。
手首につけた飾りが、しゃら、と涼やかな音をたてた。