2.最初の町
北の領地に近づいたローゼは、遠くからでも分かるほどの立派な城壁を見て困惑した。
近づいてみれば、石造りの城壁の下、街道に設けられた門には護衛をする兵士の姿も見える。様子から察するにどうやらシャルトス公爵家側の兵のようだった。
「なにこれ。今まで国内を移動してきたけど、こんなのなかったよね?」
【おそらく国だったころの名残なんだろう。なかなか立派な壁じゃないか。独立してたのはもうずいぶん昔になるというのに、ご苦労なことだな】
レオンの揶揄するような言葉にローゼは首をかしげる。
「レオンだって北へ行ったんでしょ? ここを通ったんじゃないの?」
【……いや……俺は山の中を通ったんだ……】
聖剣から小さな声が聞こえる。その声色はどことなくバツが悪そうで、ローゼは小さく笑った。
当時の彼は神殿から手がまわっていたのだから、確かに堂々と門を通過するわけにはいかないだろう。
「そういえばそうよねー。でも、あたしはやましいことなんてしてないから、ちゃんと門から行くことにするわー」
【そうだな。するとしたらこれからだもんな】
皮肉に皮肉で返され、ローゼは言葉に詰まる。
勝ち誇ったようなレオンの笑い声が聞こえた。
門では別に通行料を取られるなどということもない。ただ、全員下馬していたので、倣ってローゼもセラータから降りる。
その中で、何人かが被り物を取るよう指示されているのだが、よく見ると、取らされているのは若い女性ばかりだ。警戒している理由を何となく察して、ローゼは背筋がひやりとする。
知らないふりをして被り物を取らないまま門を抜けようとしたのだが、それを見た護衛の兵士が近づいてくる。
これはレオンと同じく山の中を通るしかないか、とローゼが覚悟を決めた時、兵士はどうやらセラータを目にしたようだ。
少しの間迷った様子を見せていた兵士は、結局何も言わずに元の位置へと戻ったので、結果的にローゼは被り物を取らないまま門を抜けることに成功した。
しばらく歩いて門から離れたローゼは、小さな声で尋ねる。
「さっきのどういうことだと思う?」
【被り物をしたまま通行できたことか?】
「うん」
【お前の馬が、夕焼け色のたてがみをしていたからだろう。シャルトス領の娘だと思われたんじゃないか?】
ローゼも同じ考えだったので、あっさりと答え合わせは終了した。
「じゃあ、なんで被り物を取らされてるのが若い女性ばっかりだったんだと思う?」
【お前が来るんじゃないかと警戒して、赤い髪の娘でも探してるんだろ。本腰いれて探ってるわけじゃなさそうだったから、あのマリエラって女がここを通る時にでも命令でもしてったんじゃないか】
それを聞いてローゼはため息をついた。
「なーんだ、つまんない。やっぱりあたしと同じ考えか」
【つまんないとか言うな。気が合ったんだからもっと喜べ】
ローゼは不満だったが、レオンはどことなく嬉しそうだった。
* * *
道を進んだ先にある町はとても活気があり、規模も大きかった。さすがは門を抜けて最初に到着するだけのことはある。
そしてどうやらここには北方以外の人々も多いようで、北では数少ないウォルス教の神殿があった。
最初に神殿を訪ねたローゼはシャルトス領内のことを教えてもらえるかと期待したのだが、残念ながら徒労に終わる。
確かに北方の人はウォルス教に良い感情がないのだから、神殿関係の人物と親しく付き合うことはないだろう。実際、神殿へと来るのは他の地域から来た人ばかりだった。
ただ、北の領内にある神殿の場所と、この町の中にある『北方独自の神殿』の場所は教えてもらえたので、ローゼはさっそくその神殿を見に行ってみようとしたのだが、教えてくれた神官は難しい顔をする。
「おそらくご覧いただくことは無理だと思われます」
「どうしてですか?」
「北方の神殿は、他の地域の人は入ることができないのですよ」
ローゼは少しがっかりしたが、それでも外観くらいは見ることができるだろうし、何か参考になるものが見つかるかもしれない。
そう考えてセラータを神殿に預け、北方の神殿へ行くことにした。この町は他から来た人も多いのだから、『夕焼け色のたてがみをした馬』がいなくても平気だろう。
教えてもらった方面へ歩いていると、前方で騒ぎが起きているらしく、叫び声が聞こえる。場所はまさに北方の神殿前のようだ。
「このクソガキ! 痛い目を見る前にさっさと帰れ!」
「なんで駄目なんだよー! ケチケチドケチ!」
ドケチ、と叫んだ声に聞き覚えがあった。
「……なんか知ってる人のような気がする」
【まあ、そうだな】
ローゼは野次馬をかき分けて最前まで進み出る。見れば、門の入り口で少年と門番がもみ合っていた。どうやら少年は北方の神殿に入ろうとして、門番に阻止されているようだ。
少年の横には同じ年ごろと思しき少女が、帰ろうと言いたげな様子で必死に彼の袖を引っぱっている。それでも頑強に中に入ろうとしている、亜麻色の髪をした少年は――。
「ラザレス?」
思わず名前を呼ぶと、少年はローゼの方を見て、ぱっと笑顔を浮かべた。
「わぁ! ローゼだ! どうしたの!?」
その隙を見逃さず、門番は思い切り押し返す。少年はよろけながら後ろに下がるが、なんとか倒れずに持ちこたえた。
門番はうんざりした様子を隠そうともせずにローゼの方を見ると、ラザレスへ顎をしゃくる。
「おい、そこの娘! こいつの知り合いなら連れて帰れ!」
「なんだよ! ドケチ石頭! バーカ!」
最後まで文句を言いながらも、ラザレスの興味はローゼに移ったらしい。一度門番を睨みつけた後、はしばみ色の目を輝かせながらローゼの方へ駆け寄ってきた。遅れて一緒にいた少女もついてくる。
「こんにちは、ローゼ、久しぶりだね! どうして北方にいるの?」
「ちょっと人に会いにね。ラザレスは遊びに来たんでしょ?」
「うん、言ってた通りに実行してるとこ! あ、そうだ。ローゼ、この子がコーデリアだよ」
聖剣の二家の一つであるブレインフォード家の息子は、もう一つの聖剣の家であるセヴァリー家の娘を紹介する。
コーデリアは被っていた帽子を目深に下げて目を合わせないようにすると、ラザレスの後ろに隠れて小さな声で挨拶した。
「……はじめまして……コーデリア・セヴァリー、です」
「ローゼ・ファラーよ。よろしくね」
ローゼも挨拶を返すと、コーデリアは小さく頭を下げる。ふわふわとした鳶色の髪が風に揺れるが、しっかり被っているらしい帽子は動く気配すらなく、口元しか見えない。
かなり内気な娘のようだった。
周囲に人は減ってきたが、相変わらず門番はラザレスを睨んでいるし、周囲からはちらちらと視線が飛んでくる。
神殿へ移動しようと提案したところ、ラザレスはうなずいたので、ローゼは2人と共に歩き出した。
「ラザレスは北方の神殿に入ろうとしてたの?」
先ほどの様子を思い出しながら笑みを含んだ声でローゼが問いかけると、どうやらラザレスは憤りを思い出したらしい。憮然とした表情を浮かべると、口をとがらせた。
「そう! でもさ、ウォルス教の信者は駄目だって言うんだよ! だから、ちがいまーすって言ったのに、今度は北方の祈りの言葉を唱えたら入ってもいいって言われてさ! そんなの知らないよ!」
そこでラザレスは、はたと気づいたようにローゼへ言う。
「ねえ、ローゼが会いに来たのって北方の人?」
ラザレスの言いたいことを察して、ローゼは苦笑した。
「残念ながら、その人はイリオスにいるの」
多分ね、と心の中でだけ付け加える。少年はがっかりした顔になった。
「城下都市イリオスかー。ここよりもっと北の方だね、それじゃ、祈りの言葉を教えてもらうのは無理だなぁ、残念」
その言葉を聞いて、ローゼは胸が締め付けられる気がした。
思わず北の方向へと目をやる。
ローゼが初めて村を出るとき、産まれた地を尋ねると、彼は「もっと北の方」と答えたのだ。
あの頃のローゼはグラス村が世界のほぼすべてだった。他の土地のことなど考えたこともなかったし、北と言われても、漠然と方向しか思い浮かばなかったが……。
(まさかこんなに距離があるなんて思わなかったわね)
距離も。そしてしがらみを含めた隔たりも。
そっとため息をついた時、そうだ、というラザレスの声がして、自分の思いに沈んでいたローゼは引き戻される。
「コーデリア、帽子貸してよ! これで変装すれば、きっと次は通れると思うんだ!」
ラザレスはそう言うと、コーデリアの返事を待たずに彼女の帽子をはぎとる。
取り返そうと手をばたつかせながら小さな声で少女は何かを言うが、ラザレスはまったく気にせず帽子をかぶると、満足げに笑った。
「じゃあ行ってくるよ! コーデリアは神殿で待ってて! ローゼ、また後でね!」
そう言って大きく手を振り、ラザレスは来た方向へと駆けていく。
残されたのは呆然と見送るローゼと、帽子を取られて泣きそうになりながら、うつむくコーデリアだった。
【……あのガキ、北方の祈りを知らないってのに、帽子をかぶった程度でどうするつもりだ?】
レオンがぼそりと呟いた。