1.奇妙な光
ローゼの目的地はシャルトス公爵の城がある都市だ。名をイリオスという。公爵領の中でも、北寄りの場所にあった。
アストラン国の王都は、国の中央部から少し南へ下った辺りにある。国の北方の公爵領、しかもその中でも北の方にあるイリオスへ行くのだから、目的地までの距離は遠かった。
しかも、レオンがいるとはいえ、ローゼの本格的な一人旅は今回がほぼ初だ。
旅の要領はフェリシアと一緒のときに学んだから良かったが、問題はそれ以外にあった。
魔物と遭遇したときだ。
もちろん北へ行く最中にも魔物は出る。遭遇する魔物は主に小物、醜悪な小鬼たちが多い。
攻撃が当たってさえしまえば、持っているのは聖剣だ。小鬼程度かんたんに片付く。しかし問題なのは、ローゼが1人きりで戦わなくてはいけないということだった。
近くに瘴穴がなければなんとかなるのだが、あるときには想像以上に苦戦する。理由はもちろん、ローゼの力量と経験が不足しているせいだ。
今まではフェリシアと2人だったので、ローゼが瘴穴へ向かい、その間にフェリシアが魔物と戦っていた。だが1人になってしまえばそういうわけにはいかない。魔物か瘴穴か、どちらかを先に対処する必要がある。
瘴穴へ向かうと、気配を察知した小鬼が襲ってくる。しかし先に小鬼を倒そうにも、瘴穴から流れ出る瘴気に強化された小鬼の動きはまだうまく追えない。
フェリシアと一緒だったときにはもっと簡単だった小鬼に毎回てこずり、戦闘が終わるたびにローゼはへとへとになっていた。
人通りのある場所では、長引く戦闘の間に手助けをしてくれる人も現れた。しかし剣の切れ味に称賛の声をもらうことはあっても、誰ひとりとしてローゼが聖剣の主だと分かった者はいない。
分かってしまえば相手はきっと落胆するだろう。もちろん分からない方が良い。そんな思いにかられることが多く、ローゼは誰かと共に戦闘するたび、終わった後はなんだかいたたまれなくなるのだった。
「もっと大神殿で鍛えてもらえば良かったな……」
ローゼがため息をつくと、1人で戦ってきたレオンは慰めるように言う。
【基礎は教えてもらったんだから、あとは実戦でつかんでいけ。まだ聖剣を手にしていくらも経ってないんだ、そのうち戦えるようになるさ】
「……なるのかな」
【こんなやりとりをしたことを笑える日が来るだろうな、とでも思っておけばいい。そうだ、俺が覚えておいてやろう。いつかお前が偉そうなことを言いだしたら、この話を持ち出して笑ってやる】
冗談だか本気だか分からない調子の言葉を聞いて、ローゼは少し心が軽くなる。
「じゃあその時はよろしくお願いします、先輩」
【任せておけ!】
おどけた調子でローゼが言うと、頼まれたのが嬉しかったのか、レオンは自信満々の様子で請け合った。
こうして戦闘をこなしつつ、ローゼとレオンは北へ進む。
途中で『彼ら』に追いついたところで、どうせ何もできない。
それならば何か情報が掴めるかもしれないということで、初めのうちは急ぐわけでなく旅をするつもりだった。
* * *
「今日はいい天気だけど、風がちょっと冷たいね。シャルトス公爵領に行ったら、外套を出す必要があるかな」
王都の気温は高かったので、大神殿の中ではずっと短い袖で過ごしていた。しかし王都から北上するにしたがって、気温も下がっていく。
「でもグラス村にいたころはねぇ、このくらいの季節ならまだ長い袖を着てたのよ。王都がおかしいのよね」
セラータの上で空を見上げながら、ローゼは聖剣に話しかけた。ローゼの出身グラス村は国の最西だが、王都から見れば北西の方角にあたる。
【どっちにせよ、お前は一年中長い袖を着ることになるだろうよ。魔物と戦うくせに、肌を露出させておくつもりか?】
「やっぱりそうなるよねえ」
そう言ってこの後の季節のことを考え、ローゼはうんざりした。
大神殿を出てくるときから長袖の旅装を着ているが、王都付近では暑くてたまらなかったのだ。
この服は大神殿で作られており、魔物の攻撃をある程度防いでくれる。もちろん袖は長い。戦闘をしていないときならば、袖をまくっておいても良い気はしたが――。
ローゼは少しだけ左の袖をめくる。現れた銀の鎖が複雑な色に輝き、しゃら、と涼しげな音をたてた。
――きっとこの銀は高価なものだろう。ならば隠すためにも長い袖で良いのだ。
見ているうちに寂しい気分が湧き上がってくる。ローゼはその気持ちを押し殺すように袖を戻し、視線を前に向けた。
昼下がりの午後、日差しは暖かい。
進んでいるのはなだらかな丘だ。左右には草原が広がり、黄色や白の花が咲いている。ゆるやかな勾配の先、頂上付近には森が見えた。
吹き抜ける風が緑の香りを運んできて、穏やかな気分になる。セラータも機嫌が良いらしく、足取りが軽い。
平和だな、と青い空に浮かぶ雲を眺めていると、レオンの声がする。
【さて、ローゼ】
「んー?」
【戦闘だ】
どうやらローゼが平和だと思ったのは気のせいだったようだ。
進むうち、前方に見えた森の中に魔物の気配をとらえる。レオンが見せてくれる中に瘴気の黒い影はないのでそこは幸いだ。
辺りに通りかかる人がいないことを確認して、ローゼは道の近くの木へセラータを繋ぐ。周囲を警戒しつつ森の中を進んでいる途中、視界の端に何か見えた気がして、目線をそちらへとやった。
複雑な色に輝く丸いものが、ふわふわと木の中を漂っていた。
大きさはさほどでもなく、人の頭より少し小さいくらいだろうか。光は、どうやら森の奥へ行こうとしているように見える。
これは一体なんだろうとローゼは訝しく思った。良いものだろうか、それとも悪いものなのだろうか。
危険なものなら、レオンが何か言うだろう。しかし彼は何も言わない。
なにより気配が魔物ではなかったので、ローゼも光のことは放置して先に進むことに決めた。まずは魔物を倒すことを優先するべきだ。
しかし光はローゼと同じ方向へ移動しているらしく、視界の端にちらちらしっぱなしだった。戸惑いながら進んでいたローゼだが、正面に小鬼が現れたので意識はそちらへ集中させる……が、魔物は妙なことになっていた。
なぜか手足をばたつかせている。
よく見れば先ほどから視界に入ってきているものと同じ、複雑な輝きをしている光が2つ、小鬼の周りを飛び回っていた。
初めは光と魔物が一緒に戯れているのかと思ったが、どうも違うらしい。
そこへローゼと一緒に来た光も参加する。光は3つになった。そのまま様子を窺っているうちに、やっと光は小鬼と戦っているのだということが分かった。
ローゼはあっけにとられてその光景を眺める。一体これは何だろう?
【おい、何をしている。さっさと倒せ】
レオンに促され、ぼんやりしていたローゼは我に返って聖剣を抜く。
光と戦闘をしている小鬼は、新たに加わったローゼに対処しきれなかったようだ。今までのどの戦闘よりもあっけなく小鬼は消え去った。
小鬼がいなくなると、光はくるくると回りながら上へ向かう。目で追うと、そのまま木の枝で弾みはじめた。飛び跳ねて遊んでいるようにも見える……とローゼが思った瞬間、視界の中から光は消えた。
【よし、お疲れ】
戦闘が終わったのでレオンが見せるのを止めたらしい。つまり今の光は、レオンだけが見られるものということか。
「ねえ、レオン」
【さっさと森から出ろ】
「あのさ」
【いいから早く出ろ】
どうやらレオンはローゼが何を聞きたいのか分かっているようだ。分かっていて、今は答えたくないらしい。
仕方なくローゼは先に森から出るが、その後もレオンはなんだかんだと理由を付けて話を遮る。
これはまったく答える気がないと察したローゼは、セラータに揺られながら、光について思いを巡らせることにした。
自分の目で見えないのは確定だ。
レオンの目でも、今までそんなものは見えてなかった。
そこまで考えて、ローゼは小さく首を振る。
……いや、以前からごくまれに見えているときもあったかもしれない。今回のものは大きい方だったが、小さめの……片手の上に乗るくらいの光はたまにちらちらしていた気がする。ただ、光の反射か何かだろうと思っていたのだ。
それらは町の側では見なかったように思う。木漏れ日なのか、とか、水の反射かな、と思った記憶があるので、自然が多いところに出現するものだろうか。
ローゼは黙って馬を進める。一方のレオンも、ずっと静かだった。
お互いほとんど話さないまま、夕刻には町に到着した。ローゼは先に食事を済ませ、宿に部屋を取る。
荷物の確認などの作業が終わった後、椅子へ座ったローゼは、思い切って口を開いた。
「ねえ、レオン。今日の戦闘の時に見た光はなんだったの?」
今回もレオンから答えはなかなか返ってこない。まだ答えるつもりがないのかと落胆するころ、ようやく返答があった。
【……精霊だな】
ローゼは目を丸くして、机の上に置いてあった聖剣を見る。
「精霊? あれが?」
【そうだ】
精霊、とローゼはもう一度口に出す。
グラス村の書庫には精霊関連の本があったので、ローゼも借りて読んだことがある。
精霊は知能も高く、人間と意思疎通ができる。ほとんどの人には認知できないが、精霊の言葉が分かる人物ならば力を借りて術を使うことができる、といった内容のことが書いてあった。
「そっか……あれが精霊なんだ……本当にいたんだね」
乙女の会の友人たちにはには精霊なんておとぎ話だと一蹴されたこともあったが、実際にいたのだと知ってローゼは嬉しくなる。
「精霊といえば、レオンも会ったよね。銀色の大きな狼」
【……そうだな】
400年前に人だったころのレオンが北方で会った森の主、銀色の狼は瘴気に染まって魔物になりつつあった。彼はあれからどうなったのだろう。渡された禁忌の枝を食べたのだろうか。
「銀の森だっけ。北の領地に行くんだから、そこも訪ねてみようか。銀狼がどうなったか気になるでしょ?」
【残念だが、森の場所を覚えてない】
「それは本当に残念」
ローゼは笑いながら、窓の外へ目線を向ける。もう外はとっくに暗い。今日は早めに眠った方が良いだろう。
おそらく明日には、北の領内へ入れる。
この先は物を調達するのも難しくなるかもしれないから、必要なものはなるべくこの町を発つ前に準備しておきたい。
そう思いながら、ローゼは机の上に置いてあった聖剣を手に取る。
「それじゃ、あたしは着替えるから。ちょっと箪笥の中に入れておくね」
【お前な。前にも言っただろ】
レオンの声はため息交じりだ。
【俺は意識を内にこもらせることができるんだ。箪笥に入れたり布をかぶせたりしなくても、見られたくないときは一言声をかけて、また俺のことが必要になれば聖剣を弾いて合図すればいい。……俺が自分の判断でそうしてることもあるんだぞ?】
つまり、箪笥に入れられるのは、物扱いされてる気分で嫌だと言いたいようだ。
しかしローゼは、じろりと聖剣をねめつける。
「だってフェリシアと歩き方訓練をしたときは、布をかぶせても聞いてたでしょ」
【聞くなとは言われなかったし、俺は聞いてもいいと判断した】
「じゃあ着替えが見たいって思ったら見るってことじゃない。いやらしい」
【お前の着替えなんか頼まれたって見ないぞ!】
レオンの文句を聞きながら、ローゼはやっぱり聖剣を箪笥へしまった。