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4.草原にて 1

 村から外に出てしばらく歩いた後、草原を見たローゼは思わず足を止めた。


(何これ)


 普段は緑が広がる草原だ。たまに放牧されてた家畜がいることもある。

 しかし今そこにいるのは、見たことも無いきらびやかな一団だった。


 先頭には恰幅の良い男性が立っている。


 着ているのは金糸の刺繍がされた豪華な神官服だ。しかしアーヴィンのものとは違い、色は黒に近い紺色をしている上に、刺繍はアーヴィンよりもっと豪華だった。

 その後ろにも同じような衣装の人々はいるが、先頭の男性よりも濃い色の服を着ている人はいないように見える。もしかすると身分が高い人物ほど濃い色の服になるのかもしれない。


 さらに後ろにも人がいるようだが、神官服の人たちですら全員を見ることができないので、全体でどのくらいの人数がいるのかは分からなかった。


(どうなってるの!?)


 ただならぬ雰囲気を感じ、ローゼは思わず足を止める。


「――落ち着いて」


 低い声で言って、アーヴィンがそっと背に手を回してくる。

 彼の灰青の瞳を見上げてうなずいたローゼはぎこちない足取りで再度歩き出し、よく分からないまま集団の先頭にたどり着いた。


 先頭の男性がローゼを見る。表情は厳めしく、眼光は鋭い。


 彼の視線に嫌なものを感じて思わず後ずさりそうになったが、背中を支えていてくれた手があったおかげでなんとか踏みとどまれた。


 そのままローゼの背を軽く背を叩くと、アーヴィンは手を放して男性の横へ行き、うやうやしく一礼する。


「アレン大神官様。ローゼ・ファラー様をお連れ致しました」


(……様?)


 アーヴィンがローゼに敬称をつけて呼んだことなどない。むしろ本来はローゼが尊敬を籠めて神官――アーヴィンに敬称を付けなくてはならない立場だ。

 しかし戸惑うローゼを横に、大神官が


「ご苦労」


 とだけ言うと、アーヴィンはさらに一礼して後ろに並んでいた人々の中に入る。

 思わず彼を呼び止めたくなる気持ちを堪え、目の端でだけで追ったローゼはふと、大神官と向かい合う形になっていることに気付いた。


 大神官はそのままジロジロとローゼのことを見ていたが、ややあって膝をつく。

 それが合図だったかのように、後ろの人たちも皆、膝をついた。


 手前の方にいるのは、青い神官服を着た人々だ。50名ほどはいるだろうか。

 後ろの方には白い鎧の人々がいる。神官と同じくらいか、もしかしたら少し多いかもしれない。


 さらに後ろには馬や馬車が数多く見える。

 馬車は人を乗せる豪華なものが1台で、その他は荷馬車のようだった。


 普段とは違う、すっかり様変わりした草原を見てローゼは呆然とする。


 本当にどういうことなのだろう?

 そしてなぜ全員が自分に向かって膝をついているのだろうか?


(アーヴィン……ねえ、これは何?)


 しかし、ただひとりの知り合いは青い群衆の中でローゼに向かって頭を下げている。

 その姿はいつも村で見知っている人物と同じだとはまったく思えなかった。


 やがて、ローゼの正面から声がする。


「お目にかかれて光栄に存じます、ローゼ・ファラー様。私はアストラン大神殿にて大神官を務めます、モーリス・アレンと申します」


 下を向きながらでも良く響く声で大神官は言った。

 その声からは先ほどの視線の物も含め、何の感情も窺うことができない。


「本来ならば私が出向かねばならぬところを、わざわざこの場までご足労頂きました非礼をどうぞお許しください」


 答えて良いものなのか、しかしなんと答えたら良いのか。分からないのでローゼは黙っていた。


「我々がこの地まで参りましたのは、神々より託宣(たくせん)があったからでございます」


 そう言って大神官は顔を上げる。


「ローゼ様、聖剣のことはお分かりですね?」


 この世で聖剣のことを知らない人物がいるとは思えない。教典に記載があるのだから。

 そうでなくともローゼは聖剣の伝説も好きだ。神殿の書庫にあった本も読んでいるので、教典にある以上の知識も持っていた。


 ローゼがうなずくと、大神官は先ほどまで打って変わった痛ましげな視線を向けて来る。


「ご存じの通り、聖剣とは神より賜った『魔物を打ち倒すための剣』です。――ローゼ・ファラー様。あなた様はその聖剣(せいけん)(あるじ)として神に選ばれました」


 何を言われたのか理解するまでにはしばらく時間が必要だった。

 目を見開いたまま動きを止め、やがてローゼはかすれた声で呟く。


「聖剣の主に選ばれた……? ……あ、あたしが……?」


 まず浮かんだのは否定の言葉だ。まさか、そんな、とローゼは頭の中で繰り返す。


 光の神々と敵対する闇の王が人を苦しめるために地上へ出現させているのが魔物たちだが、大半の魔物はさほど強くはない。


 魔物に備えて町や村では武器の訓練もしているし、武器を備えている家もある。

 グラス村だって、魔物が出た時は大人たちが討伐隊を組み、神官と共に戦うのだ。


 だが、時には強力な魔物が現れる。そういった魔物は、神の力を行使できる『神官』や『神殿騎士』という人々ですら倒すのに苦労した。

 苦しむ人々を哀れみ、神々が下されたのが聖剣だった。


 聖剣はこの大陸に10振あるが、どの聖剣も、初めに聖剣を手にした人物の子孫がそのまま主となっている。 

 5つの国に10振の聖剣、つまりどの国にも2人ずつ聖剣の主がいるのだが、彼らは王都で暮らしていると聞く。辺境の村で生まれ育ったローゼに聖剣の主の血が入っているはずはない。


 呆然としたままのローゼに、大神官は言う。


「2か月ほど前、アストラン大神殿にいる巫子たちが全員同じ夢を見ました。グラス村のローゼ・ファラーという17歳の少女が聖剣の使い手として神に選ばれたと」


 大神殿は各国に一か所、それぞれ王都に存在する。

 アストラン国の大神殿だから、アストラン大神殿だ。


 そして大神殿には巫子という、神々の声を受け取るものがいる聞いた。彼らは夢を介して神からの託宣を得たり、神々を体に降ろして人との仲立ちをするらしい。

 各大神殿には10名の巫子が在籍している。夢で託宣を得る時は、同じ夢を見た人数が多いほど信ぴょう性が高くなるという話だった。


 ――では、全員が同じ夢をみたということは。


 ローゼが思いを巡らせる間にも、大神官は話を続ける。


「10振の聖剣は1000年前から人の世にあり、今もその主様方が日々魔物と戦っておられます。ローゼ様がお持ちになるのはこの10振の聖剣ではなく――」


 一度会話を切り、大神官は言う。


「最後に作られた1振。400年前に人の手に渡されて最初の主様がお使いになり、以降は誰も手にしていない聖剣」


 さらにもう一度切り、ローゼを見つめた大神官は厳かに告げる。


「ローゼ様は11振目の聖剣の、歴史上おふたり目の主様となられるのです」


 大神官の話を聞いたローゼは何の言葉も発することができない。

 まさかそんな話だとは想像もしていなかった。


 つい先ほどまでは友人たちと一緒に日常を過ごしていたのに、今自分がここで話を聞いているこれは、本当に現実なのだろうか? もしかして、何か夢を見ているのではないだろうか。


 ぼんやりしていると、再びアレン大神官の声が響く。


「……おいたわしいことでございます」


 はっとして声の方を見ると、大神官はローゼを見つめたままだった。しかしその顔には先ほどまでと違い、何かの感情が浮かんでいるように思える。


「ローゼ様はごく普通の暮らしをなさっていたと聞き及んでおります。急にこのような話をされるなど、お受けになった衝撃はいかばかりか」


 確かにその通りだ、とローゼは心の中でうなずく。


「……このようなことを申しあげるのは、神々に背く行為なのかもしれませんが、しかしあえて申し上げます」


 アレン大神官の声には少しばかり哀れみが含まれている気がした。


「ローゼ様が手にされるご予定の聖剣は、400年もの間、人の世から離れておりました。しかも最初の主様は聖剣を手にした後、10年も経たずに世を去っておられます」

「10年……」

「10振の聖剣は長く人と共にございますため、歴史も良く知られております。しかしその長い歴史の中、10年という短い期間で世を去られた主様など1人もおられないのです」


 この聖剣は先の10振とは何か違うのかもしれません、と続ける大神官は、初めに見た厳めしい表情が嘘のように切なげな表情を浮かべていた。


「魔物と戦い続ける役を負うのですから、ローゼ様にとってはお辛いことでしょう。しかもそれより私は、11振目の聖剣という、何か違うものをお渡ししなくてはならない、そのことの方がつらくて仕方がありません」


 ローゼが手にするかもしれないのは聖剣だ。


 確かに、聖剣を持つからには、よく見る小物と戦うことを期待されているわけではないだろう。

 ときおり現れる手ごわい魔物、あるいは伝説に残るような強大な魔物たちと戦うことを求められるに違いない。


 訓練で剣を握ったことがあるとはいえ、ローゼはまだ小さな魔物と戦ったことすらなかった。それなのに、強い魔物と戦うことなど出来るのだろうか?


 しかもローゼが持つ聖剣は、今までのものとは違うらしい。

 もし10年程度で世を去るのだとしたら、その時まだローゼは27歳でしかない。

 それどころか、不慣れな腕で魔物と戦わなくてはいけないのだから、もしかすると来年にはローゼは存在していない可能性だってあった。


 うつむいたローゼは血の気が引いてくるのを感じた。


(……あたし……どうしよう……怖い……)


 足が震える。立っていられず、思わずしゃがみこみそうになる。


「ローゼ様」


 そんな時に名を呼ばれた。顔を上げると、優しげな微笑みを浮かべた大神官がローゼを見ている。


「ローゼ様。もしお嫌でしたら、断っても構わないのです」


 彼の声には、慈愛が含まれている。


「神々は人々を救うため聖剣を下されました。人々を救うために、です。決して苦しめるためにではありません」


 大神官はさらに続ける。


「聖剣を振るうべき(あるじ)様もまた人。なのに主になられる方が、神の決定により苦しむというのは、間違っていると思われませんか?」


 そうかもしれない、とローゼは思った。


「人が神々の決定に異を唱えたとしても、仕方のないことです。なぜなら人は万能ではないのですから」


 大神官は穏やかに続ける。


「神は万能です。しかし人は神ではありません。できること、できないことがあるのです」


 その通りだ、とローゼは思わずうなずく。

 この場にいる誰よりも、自分が一番弱い。それなのに聖剣の主となり、ここにいる誰よりも強い敵と戦うことなどできるはずがなかった。


(そうよ、あたしに、できるわけがない!)


 大神官はさらに続ける。


「この世は人の物です。この世において人の意思は、神々の意思よりも尊重されるべきだと私は思うのです」


 彼の言葉に救いを感じ、震える手を握りしめてローゼは大神官を見る。

 大神官はうなずく。彼の顔は、ローゼが今まで見てきた誰よりも優しさを感じさせるように思えた。


「良いのですよ、ローゼ様」


 たった一言、できないと言いさえすれば良い。大神官はそう言っているように思えた。


 良かった、とローゼは心のどこかで安堵する。


 大神官は聖剣の主にならずとも許してくれるだろう。いやむしろ、彼はそれを望んでいる。なぜなら、ローゼのことをこんなに心配してくれているのだから。


 断るため、ローゼは口を開きかける。


 その瞬間。


『雰囲気に飲まれないように』


 胸の内に声が響いた気がして、はっとした。

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