14.庭園 1
舞踏会も後半になると、大広間の人数は少なくなってきた気がする。
正直に言えば、ローゼはさっさと帰りたかった。しかし主役である以上は最後まで残る義務があるらしい。確かに、来た時同様、周囲を取り囲まれて帰るのならそうなるだろう。諦めたローゼはフェリシアに連れまわされつつ、貴族たちに挨拶を続けていた。
フェリシアの母である第三王妃にも、もちろん会った。王妃と別れた後にローゼが「フェリシアっていろんな意味でお母さんに似てるね」と伝えると、彼女は大喜びする。きっと母親のことが好きなのだろう。
あちこちの人に挨拶をしてはまだ移動、といった具合に大広間を渡り歩いているうち、不思議なことに男性からダンスを申し込まれることが増えてきた。
いや、誘われることはまったく不思議ではない。しかし初めのうちは他の人と話をしつつも断れる程度だったのが、いつしかダンスの申し込みをする男性だけで列ができるほどになる。
その列の長さといえば、フェリシアが連れまわすのを遠慮して去って行ったほどだ。
さすがにローゼが訝しく思っていると、ダンスに誘うふりをしてやってきたジェラルドからこっそりと耳打ちされた。
全く踊らないローゼが最初に踊る相手は誰か、という賭けが行われているらしい。
「俺は最後まで踊らない方に賭けてるぜ。頼むな、ローゼちゃん」
と一言つけ加える辺りがジェラルドらしくて、ローゼは苦笑した。同時に別室から見た光景が思い出される。
(あのとき、何か書いてる人と話してたのは賭けのことだったんだ。……まあ、誰とも踊るつもりはないから、ジェラルドさんの儲けは確定ね)
ローゼは表面だけはにこやかに申し込みを断り続けているたのだが、もちろん内心ではうんざりしている。そんなとき、外へ通じる大窓が開いていることに気が付いた。
確か外には花であふれた庭園や温室があったはずだ。
暑くなってきたこともあり、外へ逃げてしまうのは良い案に思えた。じりじりと大窓の近くへ移動し、申し込みをしてくる人をなんとかあしらい、人に紛れて男性たちを撒いたところでローゼはするりと外へ出た。
外にも明かりは数多く灯っている。
明かりは鉱山から採掘される特殊な石で、力を加えると一定時間輝く『輝石』と呼ばれるものだ。
係によって配備された輝石があちこちで煌々と輝いているため、もちろん室内とまではいかないものの、思ったよりずっと明るかった。
日中は暑かったのだが、夜はさすがに気温が落ちており、思った通り外は心地良い。
そして大広間の人数が少なくなってきたのは、庭園に出ている人が増えたというのも理由だということに気が付いた。
「なるほど。仲良くなった男女が「2人っきりになりましょう」って感じで散策してるわけね」
【そうらしいな】
確かに出会いの場として舞踏会は悪くないのだろう。むしろそういった相手を見つけに来ている人も多そうだ。
「ってことはなーに、この場合あたしはレオンと仲良しの組み合わせってこと? わー、うれしーい」
【お前はどのくらい本気で言ってるんだ?】
「本気本気、ものすごく本気」
レオンの呆れたような声に適当に答え、空いていた長椅子を見つけて腰かける。
周囲は薄暗い。その分花の香りを強く感じる気がする。深呼吸をすると甘い香りが疲れた体を癒してくれるような気がした。
大広間から流れてくる曲も、先ほどまでの陽気なものから優雅なものへと変わっているので、なんとなくゆったりした気分になる。
「あーもう。こういう集まりには出たくないもんだわー」
【まだ終わってないけどな。まあ、お前にしては良く頑張ってるぞ】
「レオンが優しいこと言ってる。めずらしー」
【珍しくない。俺はいつでも優しいんだ】
その発言に少し笑うと、ローゼは座ったまま伸びをする。その瞬間、近くにある温室から女性と一緒に出てきたチェスターと目が合って、思わず伸びの姿勢のまま固まった。
慌てて居住まいをただし、余所を見ているふりをして視線をそらす。しかしチェスターと女性はこちらへと来ているようで、そらしたはずの視界の隅に入ってきた。
「ねえ。あの人たち、こっちに来てない?」
【来てる。逃げるか?】
「今さら無駄よ」
ため息をつくとローゼはさりげなく立ち上がり、さも今気が付いたと言った風にチェスターの方を見る。彼はそのまま女性と一緒に近くまで来たので、仕方なく挨拶することにした。
「こんばんは。良い夜ですね」
そう言ってにっこりと微笑むと、チェスターも笑みを返す。
「普段着ではないようだな」
(うわ、むっかつく)
内心腹を立てるが、もちろん表には出さない。
「そんな冗談を申し上げたこともありましたね」
チェスターの隣にいる女性はローゼと同じくらいの年齢だろうか。髪は茶色なのだが、瞳はフェリシアと同じ紫色をしていた。
(そういえばチェスターはフェリシアのお姉さんと内々に婚約が決まってるって聞いたけど、もしかして……)
万一を考え、頭を下げて名乗っておく。するとやはり、チェスターからこちらは王女だと紹介があった。しかし彼女自身からは黙礼があったのみで、挨拶はない。
(平民出身の聖剣の主には挨拶する気になりませんかそーですか。……まぁいいけどね)
ローゼの知る王族代表はフェリシアだ。きっと彼女の気さくさは別格なのだろう。
通り一遍の会話が終わると2人は立ち去ったので、やれやれと思いながらローゼはもう一度長椅子に腰かけようとする。しかしチェスターは王女になにごとか囁くと、1人でローゼの方へと戻って来た。
いかにも何か言い忘れたような形を取っているが、それが計算された動きに見えるのは気のせいだろうか。仕方なく腰を下ろすのを止めたローゼに、戻って来たチェスターは感情が読めない瞳で言う。
「ブロウズ大神官の件では借りが出来たようだな」
ブロウズ大神官の件といえば、先日アレン大神官と組んでローゼを町へ呼び出した件に違いない。
チェスターは元々、この話をしたかったのだろう。やはりわざと戻ってきたのだ。しかし、チェスターとブロウズ大神官の関係が分からない。ローゼが黙って微笑んでいると、彼は話を続けた。
「知らなかったか? ああ、でもいつかは分かっただろうから構わない。ブロウズ大神官は私の大叔母だ。先日の件を君に追及されればブロウズ大神官は立場を危うくした……まったく、短慮から馬鹿な真似をしてくれたものだ」
そういうことか、とローゼは思った。
ブロウズ大神官の立場が弱くなれば、カーライルの一族が大神殿で持つ力も弱くなってしまうということなのだろう。その関係を知っていたのなら追及したのに、とローゼは歯噛みする思いだったが、やはり表面には出さない。
「借りっぱなしは性に合わないから、さっさと返しておきたい。さて、どうしようか」
微笑むチェスターだが、相変わらず瞳の色は感情を映さず、何を考えているのか良く分からない。
「……借りは大神殿から返してもらいます。お気遣いいただく必要はありません」
ローゼが言うと、チェスターは首を振る。
「そういうわけにはいかない、これは私の気持ちの問題だ。……そうだな。特に希望がないのであれば、私の結婚式の招待状というのはどうだろう」
今考えついたかのような物言いだったが、チェスターはこの答えをあらかじめ決めていたのだろうと思わせた。
ローゼは深く頭を下げる。
「お招きありがとうございます、お二方へ神々の祝福がありますように。喜んで出席させていただきます」
そう答えると、チェスターの薄い緑の瞳が満足そうにゆらめく。
「式はまだ先だが、その時は必ず招待状を送ると約束しよう。送り先は西の神殿で良いな?」
「もちろんです」
ローゼが答えると、チェスターはうなずき、王女のところへ戻る。そして今度こそ2人で立ち去った。
【結婚式の招待状か。断るかと思ったぞ】
「やーね、レオンたら。断るわけないじゃない」
チェスターを見送ってからローゼは長椅子に腰かけ、隣に置いた聖剣を見ながら言う。
「大貴族カーライル家の結婚式よ? 行きたくても行けない人が大勢いるに違いないわ。あのチェスターが借りを返す条件として出してきたくらいの話なんだから、この招待は今後の武器になるわよ」
【ローゼはカーライル家から見て、嫡男の結婚式に呼ぶに足る相手なのだと、周囲に印象づけることができるな】
「そういうこと」
話が切れて静かになった。大広間からの優雅な音楽が花の香りとともに主と聖剣を包む。
【……で、どこまで本気だ?】
「どこまでだろうね」
【本音は?】
「大貴族と王女の結婚式よ? 見てみたいじゃない!」
ローゼとレオンの忍び笑いがもれる。
「……まあ行くためにはまたフェリシアに色々とお世話になんなくちゃいけないけどね。何を着ればいいのかとか、どうやって着たらいいのかとかさ」
フェリシアは気にしないだろうし、むしろ頼ってくれて嬉しいと言うだろうが、いつまでも彼女に任せきりにしていてはいけない気がする。
【さっさと自力で何とかできるようにするべきだな】
「やっぱりそうよね。ってことは王都に家が必要かな。……そもそも王都を拠点にした方が便利なんだろうけどねぇ……」
聖剣の主の支給金は良い。その金を使って、近いうち王都に家を用意する必要があるだろうかと思っていると、レオンが感慨深げに言う。
【それにしても結婚式か。少し前なら、そんな面倒なところ行かないって、絶対断ってただろ?】
「当り前よ。……なんてね、それでも行ったかもしれないな。だって考えてもみて。結婚式よ!」
「結婚式? ローゼが? もしかして今の男と挙げるのか?」
その時レオンとの会話に、不快感をにじませた別の声が割って入る。驚いて見上げると、いつの間にかアーヴィンが横に立ち、チェスターが去った方へと顔を向けていた。