13.大広間 3
ローゼはアーヴィンに連れられながら、さきほどの様子を思い返しつつ尋ねた。
「アーヴィンが有名なのって、やっぱりこの前の鳥文のせいよね?」
慣例を無視して大神殿へ一報を行った話は、今でも耳にする。
「そうだね、先日の件で少し名が知れたかもしれない。ローゼが嫌ならもう近づかないよ」
「嫌なわけないでしょ。そもそもあれは、あたしだって共犯なんだから」
「そうだったかな」
涼しい顔で言う神官は、聖剣二家の当主から離れたことを確認して立ち止まった。
「……なに?」
ローゼが不安げに見上げると、アーヴィンは少し微笑む。
「せっかくこんな場所にいるんだから、顔を売っておいで」
「ええ……だってこんな……あたし思いっきり場違いだし……」
つい先日までは片田舎の村娘だったのだ。王宮という物語の中でしか知らないような場所で、誰と何を話して良いのかさっぱり分からない。
「挨拶だけでも良いんだ。少しだけでも話しておけば、相手の方で勝手に喜んでくれる。何しろ今日の主役はローゼなんだから」
そのままアーヴィンは少しローゼを見つめ、口を開く。
「……それに今日、一番綺麗なのもローゼだから大丈夫。自信を持って行ってくるといいよ」
恥ずかしくなってうつむくローゼは、小さな声で返事をするのがやっとだった。
そんなローゼの背中を軽くたたいて、アーヴィンは立ち去ろうとする。
瞬間、言い忘れていたことを思い出してローゼは顔を上げた。
「あのっ、さっきは来てくれてありがとう」
振り返ったアーヴィンは、答えに少し悩んだようだ。
「お礼なら、聖剣に言うのが良いかもしれないね」
「聖剣に?」
どういうことだろう、とローゼは首をかしげる。そういえば、わざわざ聖剣をアーヴィンに預けた理由はまだ聞いていなかった。
――レオンの声が聞こえてる、なんてことはあるわけないだろうし。
じゃあね、と言って立ち去る彼を見送っていると、真っ先に来てくれたのはフェリシアだ。ローゼは今度、ドレスを着て駆け寄ったり飛びついたりする技術を彼女から習ってみようかなと思う。
二家の申し出を断ったことを伝えると、フェリシアは大きくうなずいた。
「見ていましたわ! 本当でしたらわたくしもローゼの味方をしに参りたかったのですけれど、無念です!」
言い方は悔しそうだったが、彼女の瞳は楽しそうな、もしくは嬉しそうな輝きを見せている。
どこかで見たような目だなと考え、すぐに思い当たる。そういえば、グラス村の乙女の会の子たちがときどきこんな目をしていた。
「でも、フェリシアにはお願いを聞いてもらえたから助かったよ、ありがとう」
そう言って聖剣を見せると、彼女はにっこりと笑う。
フェリシアの笑みに見惚れるローゼは、先ほど可愛いと思ったフェリシアのドレス姿は改めてみると別格の愛らしさだな、と思った。瞳の鮮やかな紫色に合わせたような淡い紫色のドレスは、彼女にとても良く似合っている。
「ところでローゼ、この後は何か用事がございますの?」
「ううん。アーヴィンには、いろんな人に挨拶しておいでって言われたんだけど、どうしていいか分からないし……」
ローゼが口ごもると、フェリシアは嬉しげに手を叩いた。
「では、わたくしと一緒におこしくださいませ。他の方々へご紹介いたしますわ」
「え? でもフェリシアだって予定があるんじゃない?」
「ございませんわ。それにわたくし、たくさんの方にローゼのことを自慢したいんですもの。さ、参りましょう!」
「そんな、自慢されるようなもんじゃ……ちょっ、フェリシア?」
こうしてフェリシアに腕を引っ張られたローゼは、あちこちで貴族たちと話をすることになった。
確かにローゼが主役というのは間違いないようで、どこかで話をしていると、輪の中に近くの貴族たちがどんどん加わってくる。
ローゼは顔に笑み貼りつかせてひたすら話し続けていたのだが、時間が経つにつれて顔が強張ってくるし、喉もかわいてきた。
さすがに限界になってフェリシアに休憩を申し入れると、彼女はにっこり笑ってうなずく。
「でしたら隣の部屋に、軽いお食事と飲み物が用意されていますの。そちらで少しお休みになっていらして。頃合いを見計らって迎えに参りますわね」
その言葉を聞いて、まだこの苦行は続くのかと、ローゼはこっそりため息をついた。
喧騒につつまれた大広間とは違い、別室に人はまばらだった。たくさんの視線にさらされ続け、疲れていたローゼはほっとする。
夜も始まったばかりで舞踏会はまだ長い。
簡単な食べ物をつまみ、冷たいものを飲むと少し落ち着いたので、ローゼはグラスを片手に、部屋の出入り口から大広間の様子を眺めてみた。
中央では楽曲に合わせて踊っている人が多数いた。その中にはフェリシアの姿もある。先ほどまで一緒に挨拶回りをしていたはずなのに、なぜあんなに元気なのだろうかとローゼは不思議でならない。
貴族の男性と何事かを囁きながら優雅に踊っているフェリシアは、とても美しかった。
(でもあたしは、旅に出てるフェリシアの方が生き生きとして好きだけどね)
そして踊っている男女の中に、チェスター・カーライルの姿を見つけてローゼは思わず目をそらした。
(……嫌なもん見ちゃった)
視線を移せば、アーヴィンは例の白いドレスを着た女性と話をしている。
こちらに背を向けている彼の表情は見えないが、彼女の方は涙をぬぐっていた。表情から見るに、どうやら嬉し涙のようだ。
「……一体なんだろう、あの人。白いドレス着てるし、あたしのこと嫌な目で見るし、今は泣いてるみたいだし。変なの……」
ローゼが呟くと、レオンは割と真面目な声で答えた。
【当り前だ。貴族なんて奴らは変だと決まっている】
大神殿には慣れたようだが、貴族嫌いの方はまだ治ってないらしい。ローゼは思わず苦笑した。
その先の壁際では、ジェラルドが数人の人物と真面目な表情で話をしている。
中のひとりはどこから持ってきたのだろうか、紙に何かを書きつけていた。
いろいろな人物がいるものだと思いつつ、ローゼが大広間を見渡していると、横から声が聞こえた。
「こんばんは」
見ると、人懐こい笑顔を浮かべた年下の少年が立っている。短めの亜麻色の髪に覚えはあるが、会った人数が多くてさすがに名前と顔が一致しない。
思い出そうとしているのを察したのか彼は苦笑する。
「ひどいなー。最初の方で会ったのに。でも、しょうがないね。父上たちの印象が悪すぎるから」
最初、と、父上、でようやく思い出した。
「あ……ええと、ラザレス・ブレインフォード?」
ローゼの夫候補として連れてこられた中で最年少の14歳、確かマティアス・ブレインフォードの三男だ。
名前を言うと、ラザレスは顔を輝かせる。
「そう! 覚えててくれた? 嬉しいな」
「……うん、まあ」
ローゼの目が少し険しくなったのが分かったか、少年は後ろに下がって残念そうに尋ねる。
「もしかして僕のこと警戒してる?」
「そりゃね」
少年は敵意が無いのを示すように手を広げた。
「大丈夫。今は僕が勝手にしてることだから、父上たちとは関係ないよ」
「お父さんが関係ないなら、あたしに何の用?」
「決まってるさ。あなたともっと話したいなと思って」
無邪気に返されて答えに困るローゼだが、とりあえず空になったグラスを戻すために黙ってその場を離れる。少し遅れてラザレスも一緒について来た。
立ち止まって振り返ると、ラザレスは少し困ったような表情を浮かべている。
「やっぱり駄目? ねえ、少しでいいから僕とも仲良くしてくれないかな。そうだ、もし僕のことが心配なら、あの怖い神官が一緒だって構わないから」
「……アーヴィンのこと怖い神官なんて言う人、初めて見た」
「そうなの? でもさっきすごく怖かったよ」
「へぇ……」
なかなか面白い評価だと思いつつローゼが思わず笑みを浮かべると、ラザレスは嬉しそうな顔をした。
「良かった、やっと笑ってくれた。やっぱり笑ってる顔の方がいいな」
「なーに、年下のくせに生意気言っちゃって」
ローゼが机の上にある食べ物をつまむ間も、ラザレスはローゼにまとわりついてあれこれと話しかけてくる。
マティアスの息子ということで警戒はしているのだが、彼自身はどうにも憎めない子だ。14歳というのはローゼの下の弟と同じ年齢なので、その辺りも関係するのかもしれない。
「ローゼは西の出身だよね? 他にどこか行ったことある?」
「あのね、あたしは村から出たことなんてほとんどなかったの。知ってるのは古の聖窟と王都くらいよ」
「そっかー」
そう言ってラザレスは周囲をうかがうと、声をひそめて話しかけてきた。
「内緒だけどさ。僕、近いうちに北の方へ遊びに行くつもりなんだ」
「北?」
それを聞いてローゼは首をかしげる。
ラザレスは瞳をキラキラさせながら話をつづけた。
「北ってさ、父上もスティーブおじさまもほとんど行かないんだよ。僕も行ったことないんだ。だからさ、コーデリア……あ、スティーブおじさまの娘なんだけどね、コーデリアが付き合ってくれるって言うから、行ってみるつもりなんだ」
「なんでわざわざそんなところへ行くの?」
ローゼは北に良い印象がない。それはもちろん、レオンの記憶を追体験したせいだ。
「だって面白そうだと思わない? 北の方の人たちって排他的だからさ、アストランの人はほとんど行ったことがないんだよ?」
「北の人たちだってアストランの国民でしょ」
「そうだけどさ。あそこは元々は別の国だったから、今でもちょっと違うんだよ」
レオンの時だって北方は既にアストランの一領土だった。ということは、最低でも400年以上は同じ国なはずだ。それなのに未だ少し違うとは、一体どういうことなのだろう。
レオンのことは隠しつつローゼがその旨を尋ねてみると、ラザレスは意を得たりとばかりにうなずいた。
「ね、謎だと思わない?」
「まあ、そうね」
「あとさ、北方っていい馬がいるんだよ。特にいい馬はね、栗毛で、たてがみの色が夕焼け色をしてるんだって」
「夕焼け色のたてがみ……」
「うん。夕焼け色のたてがみをした馬は貴重だから、他の地域には出さないようにしてるんだってさ。僕、その馬も見てみたいんだ。どこに行ったら見られるかなぁ」
うきうきと話すラザレスを見ながら、ローゼはセラータのことを思い出す。確か最初にもらったとき、北方の馬ではないかとジェラルドが言っていた。そして、たてがみの色は……。
まさかそんなことはない、とローゼは首を振って考えを否定する。
「ラザレスは旅に良く行くの?」
尋ねてみると、少年は元気よくうなずいた。
「行くよ。僕の家もそうだし、スティーブおじさまのところもそうなんだけどさ、みんな思い立ったらすぐどっか行っちゃうんだ。うちで出かけないのは母上くらいかな」
「へぇ……」
なんだか思ったよりも自由な家のようだ。
【意外と面白そうだな。こういうのも悪くなかったんじゃないのか?】
腰の聖剣から揶揄するような声が聞こえる。ローゼは黙ったまま指で柄を強めに弾き、抗議の意を表した。
「父上やスティーブおじさまとも旅に出るけどさ。2人ともすぐ僕のこと子ども扱いするから、あんまり一緒には行きたくないんだよね」
「……魔物退治もしたことある?」
「うん。小さいころからやってるよ」
ラザレスの口調は別に自慢げではない。彼にとってはごく普通のことなのだろうが、ローゼは少しだけ心が沈む。
そのとき、ローゼの名を呼ぶ軽やかな声がした。フェリシアだ。
「あら、素敵な方とお話していらっしゃいましたのね。でもそろそろ、わたくしと一緒に来てくださいませ」
「えー……もうちょっと後じゃ駄目?」
ラザレスと話したいわけではないが、大広間へは戻りたくない。
ローゼが上目遣いに尋ねると、フェリシアは腰に手を当てて言い切った。
「駄目に決まってますわ。まだまだ挨拶する方はたくさんいらっしゃいますのよ。ええと、まずはわたくしのお母様に会っていただいて、それから……」
指折り数えて会う人を挙げるフェリシアを見ながらローゼはため息をつく。
それを見ていたラザレスはにっこり笑って手を振った。
「話してくれてありがとう。残念だけど、また今度会おうね!」
ラザレスはそう言うと、先に大広間へと戻って行った。




