11.大広間 1
ローゼは椅子に座ったまま、ぼんやりと窓の外を眺めていた。目の前の机の上には昼食が置いてある。聖剣の主2人が慌ただしく出て行った後、神官が届けてくれたのだ。
その際、次に仕度を整えるときまで控室にいるようにとも言われたのだが、何しろすることがない。
【まだ時間がある。どうせ夜も忙しいんだから、今のうちに食っておけ】
「うん……」
レオンに言われ、もそもそと食べ始める。食べながら、ローゼはレオンに問いかけてみた。
「あたし、どうしよう」
もちろん、聖剣の二家が紹介するという相手についての話だ。
【お前はどうしたいんだ】
逆にレオンに問われて、すっかり冷めてしまったお茶を飲みながらローゼは答える。
「どうなんだろう。あたしも、分かんないなぁ……」
ブレインフォード家もセヴァリー家も、1000年の間、聖剣の主を輩出してきた家だ。当然、積み上げてきたものが違う。財産も知識も人脈もなにもかも。
そこに迎え入れてもらうことができるのなら、ローゼのこれからの旅は格段にやりやすくなるだろう。随伴の人物だって、人となりは申し分ない人物のはずだ。なにしろ家をかけて推薦する夫候補なのだから。
ほとんど味が分からないまま食事を終え、立ち上がって中庭に面した窓を開ける。
【まずは会ってみて、興味がわいたら一緒に行くってのはどうだ。旅の途中で気に入らなければ、改めて断ればいいだろ】
「それはそうなんだけど、会うのも気が重いよね。途中で断るのもなんだか悪い気がするし……」
そもそも二家が紹介するとはいえ、選ぶのは1人なのだ。選ばれなかった家のことを考えると申し訳ない気がする。
【……本当にそういう理由か?】
探るように低くなったレオンの声を聞いて、ローゼは眉をひそめる。
「どういうこと?」
風が吹き込んできて髪を一筋ふわりと揺らす。かき上げた左腕にある銀鎖が複雑な色に輝き、しゃらら、と涼やかな音をたてた。
【いや、別に。なんとなく聞いただけだ】
* * *
王宮へ行くのは夕刻だったが、それよりも早めに複数の女性神官がやってきて、改めて仕度をしてくれる。
着ている衣装は同じなのだが、化粧を直し、装飾品も荘厳なものから明るめのものへと変更した。髪を直す際にも、花飾りやリボン、色石の飾りなどを使って華やかな雰囲気に仕立て上げる。
送り出してくれる彼女たちはとても満足そうだったので、良い出来なのだろう。礼を言って案内の神官と共に部屋を出て、次の舞台である王宮へと向かう。
王宮は、王都アストラのほぼ中央にあった。
大神殿の広大な敷地は王都の東側一帯を占めているので、大神殿の敷地西端から王宮の敷地東端は近い。最も近い場所には王宮と大神殿を繋ぐ専用の道が設けられていた。
その専用の道を、豪華な馬車に乗ったローゼは進む。
馬車の周囲、もちろん前方と後方にも大勢の神官や神殿騎士たちがつき従っており、正直に言えば居心地悪いことこの上ない。
「これ、帰りも同じことされるんだよね」
周囲に聞かれないように小さな声で話すと、つられたかのように小さめの声でレオンが答える。
【そうだろうな】
「……やだなぁ」
そっとため息をつく。
お披露目会でやること自体は簡単だ。まずは国王に会うのだが、これは着任の挨拶をする程度、その後は交流目的の気楽な舞踏会に入るのだと聞いている。
ただし今回は貴族主体の舞踏会ではなく、神殿関連の行事なので、本来なら舞踏会には参加しないはずの神官や神殿騎士も参加する。
お目当ての神殿関係者と近づきたい人が来るために、参加者も意外と多いそうだ。逆に神殿関係者には近づきたくもないという人もいるようだが。
こちらも神官や神殿騎士の見習いたちは参加できないため、フェリシアは神殿関係者ではなく、王族として参加すると言っていた。
しかしローゼが嫌だと思う最たるものは、もちろん決まっている。
「あの場で断っておけば良かった……」
聖剣の二家とのやりとりを思い出しながらローゼはもう一度ため息をつく。
圧倒されているうちに会う話がまとまってしまったのが悔しい。いや、それよりも、圧倒されてしまった自分が仕方ないとはいえ悔しい。
(また同じように押し切られて、誰かと一緒に行かなくちゃいけなくなりそう……。そしたら同じように押し切られて、誰かと結婚しなくちゃいけなくなるかも……)
沈んだ気持ちのままうつむいていると、レオンが声をかけてくる。
【そういえば、あいつは参加するのか】
「あいつって……フェリシアに対してそんな言い方ひどくない?」
【そっちじゃない】
ローゼは馬車に乗る際、後方に見かけた褐色の髪を思い出す。
「アーヴィンなら来てると思うけど」
【そうか】
しばらく間が空く。
どうやら迷っていたらしいレオンが、意を決したように言い出した。
【ローゼ、頼みがあるんだが】
* * *
王宮に到着すると、ローゼは謁見の間へと案内された。
左右に居並ぶ騎士や貴族の中を何も考えないようにして歩き、国王の前に進み出る。王の左右には王子王女、そして王妃らしき女性たちが並んでいた。
(王子が3人、王女は6人、王妃が確か4人……だっけ。で、結婚した王女はここには来てない……っと)
フェリシアを探したい気もするが、さすがにそういうわけにはいかない。
王の前で膝をつき、通り一遍の挨拶をする。形式通りの答えが返ってきて、驚くほどあっさり謁見は終わる。
ここに来る前にさんざん言っておいたおかげで、レオンは最後まで静かだった。
とにかくこれで気が張る一連の流れは終わった。次は大広間での舞踏会が始まるのだ。
先導の貴族に従って、謁見の間からしばらく歩いて大広間へ入ったとたん、ローゼは目がくらむ思いがした。
(なにこれ、ものすごく広い。しかもすごく豪華……)
奥も幅も、一体どのくらいあるのだろうか。
そんな大広間の中には明かりがあちこちに灯され、大勢の貴族たちが色とりどりの衣装を着ている。ほうぼうに鮮やかな花が飾られ、端の方では楽隊が優雅な楽曲を奏でていた。
そもそもローゼは、ごく普通の村の娘だったのだ。
大神殿も豪華だったが、青と白の簡素な世界だったのでまだ慣れやすかった。しかし華やかな王宮は完全に別世界としか思えない。
「帰っちゃ駄目かな」
完全に気おくれしたローゼが小さく呟くと、400年前に苦い思いをした先輩は暗い声で答える。
【気持ちは分かる】
神殿の一団が思い思いに散っていく中、ローゼはこそこそと壁際へ移動しようとして、マティアスとスティーブを見つけた。どうやらローゼを探しているようだ。
慌てて反対側へ移動しようとすると、何故かアレン大神官と目が合った。ローゼを見て、なぶった獲物にとどめを刺す時のような、本当に嫌な目つきでニヤリと笑う。
(あれが大神官って呼ばれる人の顔かねぇ、まったく)
そう思って顔をそむけようとしたとき、アレン大神官の近くにいる人物が目に入った。若く美しい貴族の娘なのだが、その女性を見てローゼは戸惑う。
今回のお披露目会の主催は神殿だ。
神殿の基調色は青、そして白なので、神殿が主催する会の時は、青や白を着ないのが貴族たちの礼儀だと聞いたことがある。
しかし、彼女が着ているドレスの色は、白なのだ。
ローゼが内心首をかしげるのと同様、周囲からも不審な目をむけられているのだが、当の本人は一向に気にする様子がない。
良く分からないが、近くにいる大神官が何も言わないということは、神殿側としては別に構わないということなのだろうか。
(まあアレン大神官のことだから、偉い人だから何も言えない可能性とか……あるいはボンクラだから気づいてない可能性ってのもあるけどね)
そこまで考えて、いや、とローゼは首を振る。
アレン大神官などにかまけている余裕はない。一刻も早く身を隠す場所を探さなくては。
隠れることができそうな場所を探して周囲を見渡したそのとき、ローゼの背後から誰かが抱き着いてきた。
「ローゼ! 素敵素敵素敵、本当に素敵ですわ! 輝いていて遠目からでもすぐに分かりましたわよ! 女神様もかくやと思わせるほどで、わたくし、本当に誇らしいですわ!」
「フェリシア……」
歓声を上げながら飛びついてきたフェリシアに周囲の人々が注目する。マティアスとスティーブもこちらに気が付いたようで、ローゼは思わず天を仰いだ。
――まあでも、仕方がない。いつかは対峙しなくてはいけないのだし、嫌なことは先に済ませた方が良いか。
「歩き方もとっても素敵でしたわ。差し上げたローブできちんと自習もしましたのね。最後に見た時よりずっと良かったですもの。いいえ、隠しても無駄です。わたくしには分かりますわ!」
振り返ると、満面の笑みをたたえたフェリシアがこちらを見ていた。
「ありがとう。……フェリシア、すごく可愛いね。色もよく似合ってるよ」
本当に愛らしい姿だったのでローゼはそう言ったのだが、フェリシアは急に訝しげな表情になる。
「どうしましたの、ローゼ。元気ありませんわね」
「あー……うん……」
目の端にとらえた聖剣の主2人は、ローゼたちを見ている。どうやらフェリシアがいるので今は遠慮しているようだ。しかし側に4人ばかり若い男性がいるのがとても気になった。
「実はね……」
朝に聖剣の主とした話を聞かせると、フェリシアはため息をついた。
「そういうことでしたのね。確かにローゼの場合は……少しつらいですわね」
王族や貴族ならば、家の絡みや立場で結婚相手が決まるというのは普通の話だろう。しかし村では、恋愛で結婚相手を見つけることが多かった。
「それもあるけど、一対多数だからどうしていいか分からなくて。あちらは、あたしが断るなんて全然思ってないみたいだし」
本当ならとても良い話なのだから、乗ってしまうのが一番だろうとは思う。
思うのだが……。
「旅に出るならフェリシア以上の相手なんて絶対いないから、そこは諦めるしかないんだけど。でも紹介されるのが、結婚相手として考える前提っていうのはね」
ローゼがそう言うと、フェリシアは少し微笑む。
「ありがとうございます、嬉しいですわ。……つまりローゼはこのお話、お断りしたいんですの?」
「うん。できればね」
「では……とにかく頑張って断るしかありませんわね」
頑張れ、と言いたげにフェリシアは胸の前でこぶしを握る。
「わたくしに何かお手伝いできることはありますかしら?」
そう言ってくれるのは嬉しいが、これは当事者以外に対処できないことを、フェリシアもローゼも分かっている。
しかし馬車の中でのやりとりを思い出し、ローゼは腰の聖剣を鞘ごと抜いた。
「レオンから頼まれてたの。これをアーヴィンに渡してもらえる? 周りの状況は見たいらしいから、覆っちゃわないように注意しといてもらえると嬉しいな」
「まあ。レオン様は何をされるおつもりですかしら。でも分かりましたわ、お任せくださいな」
フェリシアは大きくうなずくと、こっそりと聖剣をドレスに隠し、楚々とした仕草で去って行った。
その様子を見送っていると、後ろから女性の声がする。
「お前」
(……ん? お前って、あたし?)
振り返ると、立っていたのは例の白いドレスを着た女性だった。年齢は20代前半くらいだろうか。
呼びかけた割に、彼女は上から下までローゼを眺めるばかりで何を言うでもない。彼女の意図も分からないので、ローゼも黙っている。
しかし彼女はローゼを眺めただけで結局何も言わず、ぷいとそっぽを向くとそのまま人に紛れてしまった。
「何よ、今の」
むっとしながら呟くが、その言葉には何の返事もない。
(……そっか。今、聖剣は手元にないんだ)
うるさいときもあるが、いなければいないでなんだか寂しい。彼の存在に慣れてきていることを自覚して、少し複雑な気分になるローゼだった。




