9.儀式の朝 【挿絵あり】
食人鬼と戦闘した翌日も動けなかったので、ローゼたちが町の神殿から大神殿へ帰還することにしたのは、さらにその翌日のことだった。
神殿側は馬車を用意しようかと言ってくれたのだが、そこまでの必要はなさそうだったので、来た時同様に騎乗して帰ることにする。
町の若い女性神官は最後まで恐縮していたが、彼女は無理に加担させられたのだろうと判断し、ローゼたちは今回の件について特に追及をしなかった。
「その分、大神殿へ戻ったら、アレン大神官を糾弾して差し上げますわよ!」
とフェリシアは息巻いていたのだが、残念ながらそれはできなかった。
ローゼたちが戻った時にこの件は既に終了扱いとなっており、大神殿から蒸し返さないで欲しいと頼まれたからだ。
それでも当事者なのでと食い下がり、アレン大神官とブロウズ大神官の2人による個人的な行動だったことくらいは教えてもらえた。
やはりな、と思うが、最後にブロウズ大神官が手紙を渡してくれたのが気になる。
こんな手紙を渡しても何の証拠にもなりはしないという自信からだったのか、それとも何かの時にローゼに証拠として使わせてあげようという配慮だったのか。
不満は残るが、代わりに大神殿への貸しという形になったようなので、ローゼは不承不承うなずく。
いずれ何かの時に、切り札として使えるだろう。
フェリシアとジェラルドも、当事者であるローゼが良いというなら、と首を縦に振ったようだった。
結果的に今回は魔物との戦闘が発生したので、ジェラルドは日数分の休暇が伸びたらしい。
「可愛い子2人と一緒に旅した上に休暇が伸びて、俺、役得!」
と喜んでいた。
フェリシアも実習扱いになったので補習は無いはずなのだが、なぜか彼女は書面を片手に嘆いている。
どうしたのだろうとこっそり覗けば、持っている『ローゼの歩き方練習予定表』という名の紙には、隙間もないほど予定が書いてあった。
「この日数分の予定はどうしましょう……もう! アレン大神官様のせいで、予定が大幅に狂ってしまいましたわ!」
それを聞きながら、ローゼは少しだけ、アレン大神官と魔物に感謝した。
* * *
日が経つにつれ、あちこちから応援の声をもらうことは多くなった。
もちろん日常の世話をしてくれた神官たちからもいろいろと励ましをもらっている。
そんな中、誰よりも応援してくれながら、人一倍残念がっていたのはフェリシアだ。
見習いたちは儀式に出られないらしい。
「代わりに王宮のお披露目会には参りますわ。そこでお会いしましょうね」
お披露目会という名の舞踏会に、彼女はきっと愛らしいドレス姿で現れるだろう。
フェリシアのドレス姿を思い浮かべてローゼが思わず微笑むと、何かを勘違いしたらしいフェリシアは大きくうなずく。
「ええ、大丈夫。自信を持ってくださいませ、ローゼ。歩き方は問題ありませんわ!」
笑顔で言う講師フェリシアの言葉に、厳しい練習の日々が思い出される。
ローゼは思わず虚ろな目になった。
ジェラルドは儀式を護衛する神殿騎士に任命されたと喜んでいた。
「食人鬼を一緒に倒した件で、ちょっと優遇してもらえたみたいなんだ。当日はローゼちゃんの綺麗なとこばっちり目に焼き付けとくからな! ……ところで喋ってる誰かの謎は、いつになったら俺にも教えてもらえるんだ?」
誰かと喋ってましたっけ、とローゼがとぼけて首をかしげると、ジェラルドは肩を落とした。
成長した姿を見てもらおうと思っていた元グラス村神官ミシェラは、別件があって儀式には参列しないらしい。出られないのは残念だが成功を祈っている、といった内容の手紙を世話係の神官から渡されていた。
しかもここしばらくは彼女を見かけなくなったので、ローゼとしてはがっかりしている。
大神殿は大きい。仕事もたくさんあるはずなのだから、ローゼ1人にかまけているわけにもいかないのだろう。しかし子どもの頃から知っているミシェラに会えないのは、やはり寂しかった。
* * *
聖剣の主を襲名する儀式は朝の内に行われ、夕方からは王宮でお披露目会が開かれる。
当日のローゼは朝早くに起こされ、専門の神官に湯浴みをさせられた後に、体中に香油をすりこまれた。
あらかじめ聞いていたこととはいえ、数人がかりで体をあれこれされるのは、やはり恥ずかしい。最初の内は必死に抵抗したのだが、結局は無駄な体力と時間を使っただけで終わった。
入念な前準備が終わると、次は着替えだ。
美しい衣装だと神官たちから聞かされていたが、奥から丁寧に出されてきた衣装は本当に美しく、見た瞬間にローゼは言葉を失う。
形状はフェリシアと一緒に練習したときに使ったものとほぼ同じだった。首元までの中着があり、ローブ自体は胸の辺りがゆったりと開いている。袖は手首、裾は足首まで。後ろは前より長めで、マントはそれより長い。
ただ、練習の時と違うのは美しい刺繍だ。白の滑らかな絹地には銀糸をふんだんに使って、繊細で豪華な刺繍が全体に施されている。きらきらと輝き、動きに合わせ揺れるさまは、まるで光をまとっているようだった。
さらに装飾品を着けられ、髪を整える。一部だけを結い上げて飾りをつけると、大半は背中に流す。赤の髪は白のローブと相まって美しく見え、支度をしてくれた神官たちからも感嘆の声が上がって、ローゼは赤面する。手放しで褒められるのは恥ずかしい。それでもやはり嬉しい気持ちは大きかった。
化粧を施したあとは時間まで待つように言われた。
ローゼがうなずくと、神官たちは退出する。
そしてやっと控室は静かになった。
【綺麗だぞ。聖剣の鞘ともよく合う格好だな】
褒めてるのかどうなのか良く分からないことをレオンが言いだしたので、ローゼは少し笑った。
「ありがと。レオンの鞘も綺麗にしてもらえたねぇ」
【そうだな。でも今日はお前が主役なんだから、俺はのことはどうでもいい。とにかくお前は練習通りしっかりやれよ。と言っても俺がついててやるんだから、心配はないけどな】
言葉は頼もしいが、声色はいつもと違って緊張している。
それを聞いて、ローゼも何だか落ち着かなくなってきた。
「主役……そうよ、今日は本番で……人がたくさんいる中で……うわ、どうしよう。緊張してきた。レオンのせいよ」
【俺のせいかよ! そんなこと言うならもう二度と励ましてやらないぞ!】
機嫌が悪くなったレオンの声は無視しつつ、ローゼは自分を落ち着かせようと努力する。
(集中集中。今日は大事な日なんだしね。ああでも、どうしよう……あたしちゃんと歩けるかな)
部屋の中で少し歩いてみた限りでは、練習の成果もあって悪くない動きにはなっていると思う。しかし実際に長距離を移動するとなるとどうだろうか。
大勢の中を転ぶだの、大神殿長が宣誓したあと立ち上がったとき裾を踏むだの、余計なことばかりが頭にちらついて鼓動が早くなる。
悪い想像で頭がいっぱいになってしまった、丁度その時。遠慮がちに扉が叩かれて、ローゼは思わず飛び上がった。
もう出番が来たのかと思ったが、時計は予定よりずっと早い時間を示している。しかし案内の神官以外は誰も控室に来ることはないはずだ。
首をひねりながら返事をしてみても扉は開く気配が無いので、仕方なく自分でそっと扉を開き、ローゼは自分の目を疑った。
「……アーヴィン?」
「ローゼ。久しぶりだね」
扉の向こうにいたのはグラス村にいるはずのアーヴィンだった。
「……嘘。本当に? どうして大神殿にいるの?」
彼は以前見た青い神官服を着ている。ということは、儀式に参列するのだろうか? 状況が理解できずにいるローゼに、なんとも言えない表情を浮かべたアーヴィンが答える。
「セルザム神官がグラス村にいらしたんだ。しばらくの間滞在してくださることになったので、代わりに私が大神殿に来たんだよ」
「神官様が……」
ミシェラの言う別件とはこれだったのか、とローゼは思う。姿を見かけなかったのは、グラス村へ向かっていたからなのだろう。
なぜ彼女がそのような行動を取ったのか理由は気になるが、しかしそんなことはどうでも良いくらい、アーヴィンがこの場にいるという事実が嬉しい。
彼を見ながらローゼは顔をほころばせるが、一方のアーヴィンは複雑な表情で横を向く。
「私もね。セルザム神官が儀式に参列なさった方が良いのでは、と申し上げたんだよ……」
顔を背けられた上に、含みのある物言いをされ、ローゼはひどく気落ちする。
「アーヴィンは来たくなかったの?」
思わず出たのは、自分の想像以上に悲しげな声だった。
驚いた表情を見せるアーヴィンだが、それでもローゼを見ずに彼は言う。
「そんなことはないよ。でもローゼはきっと、セルザム神官に成長した姿を見て頂いたほうが嬉しいんじゃないかと――」
「ねえ、アーヴィンは来たくなかったの? 神官様に言われたから、仕方なく来たの?」
彼の言葉を遮ってもう一度問いかけると、しばらくの後にアーヴィンはローゼへ視線を向けてくれた。
「……本当はすごく来たかった。自分が大神殿にいなかったことを初めて悔やんだよ」
真剣な表情で言われたのが照れくさくて、ローゼは思わず下を向く。
「そっか。来たくなかったんじゃないなら、いいわ」
「来られて良かった。上手く言葉が見つからないけど……とても綺麗だよ、ローゼ」
優しい声で言われて顔が赤くなる。しばらくそのまま下を向いていたのだが、ふと疑問がわいた。
「……アーヴィンはいつ大神殿に来たの?」
「3日前だよ」
その言葉を聞いてローゼは反射的に顔を上げた。
「3日前? 3日前にはもう大神殿にいたの?」
あっさりうなずかれて、ローゼは思わずアーヴィンに詰め寄った。
「じゃあなんで会いに来てくれなかったのよ」
「色々あってね。儀式の確認とか、挨拶回りとか」
「そのついでに、あたしのところにも挨拶に来てくれれば良かったんじゃないの?」
「私が来たせいでローゼをがっかりさせたら悪いかと思ったんだ」
「するわけないでしょ、アーヴィンの馬鹿!」
「……そうか」
大きく開かれた窓から入り込んだ風がアーヴィンの褐色の髪をふわりと揺らす。
さらに、ふんだんに差し込む光が、青い神官服の金の刺繍や、微笑むアーヴィンをきらきらと輝かせた。
彼の麗しい様子に、ローゼの胸が高鳴り、体が熱くなる。
(……すごい……アーヴィンってこんなにカッコ良かったんだ……)
確かに村の乙女たちが騒ぐのも分かる、と思いながら目を細めていると、アーヴィンがふと周囲を見回す。
「……ところで、ローゼ」
囁くような声で言った彼は、ベルトに下げていた小さな袋を外してローゼに差し出した。
「良かったら、もらってくれると嬉しい」
「……なーに?」
「今回のお祝い。本当は古の聖窟から戻って来たときに渡せたら良かったんだけど、思ったより時間がかかってしまってね」
ローゼが手を出すと、アーヴィンは上にそっと載せてくれる。開けてみると、中には銀でできた三連の腕飾りが入っていた。光に当ててみると複雑な色に輝く、とても美しい腕飾りだ。
「綺麗……こんなの見たことがない」
うっとりとしながら呟くと、アーヴィンが嬉しそうに言う。
「特殊な銀で作ったんだ。丈夫だし、守りの力もある。……何かあった時には換金することもできると思うよ」
「作った? これ、アーヴィンが作ったの?」
恥ずかしそうにうなずくアーヴィンを見ながら、ローゼは腕飾りを手に包んだ。自然と顔がほころぶ。
「絶対手放さないわ。ありがとう、嬉しい」
言い切るローゼに向け、アーヴィンは本当に嬉しそうな表情で笑ってくれた。
* * *
部屋に戻ったローゼは、上機嫌で左腕を眺める。
神官たちが儀式のために飾り立てた装飾品の中に、先ほどもらった銀の腕飾りがあった。
さっそくはめてみたくて悪戦苦闘したものの、どうしてもうまくいかず、結局アーヴィンにつけてもらったのだ。
【お前、単純な奴だな】
「なにがー?」
【……まあ、緊張してるよりはいいか】
苦笑まじりのレオンの声を聞きながら、腕飾りを日に透かせて楽しんでいると、扉が叩かれ、今度こそ案内役の神官が顔を出した。
時間が来たことを告げる神官とともにローゼは控室を出る。
回廊を通り、向かう先は大聖堂だ。
大聖堂前には神殿騎士たちと、まだ青が薄い服を着た神官たちが頭を下げて並んでいる。
間を通って大聖堂の扉の前へ着くと、鐘の音が鳴り響き、それを合図に両開きの扉がゆっくりと開いた。
中央には白い道があり、大聖堂の外よりも濃い青の衣を着た神官たちが左に、右には白い鎧の神殿騎士たちが並んでいる。
手前が薄い色、奥に行くにしたがって濃い色となっていく神官たちの最奥には、白に黄金の刺繍をほどこした神官服をまとう大神殿長がローゼを待っていた。
鐘の音が終わると、神官と神殿騎士たちが礼を取って膝をつく。
その中央の白い道を、ローゼはゆっくりと歩いて行った。