7.可と否
ローゼは大きくため息をつく。
「そうじゃないかなーとは思ってたんですけど、予想通りすぎて驚きました」
それを聞いてアレン大神官は、いかにも不愉快だと言いたげに眉根を寄せる。
「田舎娘がずいぶん生意気な口をきくようになったものだな。え?」
「おかげさまで鍛えていただきましたから。それにしても、呼び出し方があまりに雑ですね。あたしがあれを本気にするとでも?」
ローゼが揶揄するような口調で問いかけると、アレン大神官は明らかにむっとした。
通常、神殿と大神殿とのやり取りには専用の鳥を使う。特殊な紙を使って手紙を書き、鳥の足に装着した筒の中に入れて飛ばすのだ。
大神殿には鳥を管理する神官たちがおり、手紙は彼らがまず受け取る。そして届いた手紙は一定期間、誰でも閲覧が可能となっていた。私用連絡として使われないようにするためだ。
鳥以外の連絡は時間がかかりすぎるために使うことはほぼない。せいぜいが、どうしても長文の連絡が必要になったときくらいだった。
それなのに今回、ブロウズ大神官が渡してきたのは、短文の割に通常の封書だった。こんなことはまずありえない。
「さて、こんなところまで呼び出したご用件をおうかがいしたいのですが」
「簡単だ。本当に瘴穴の場所を分かるかどうかを知りたかった」
「だから偽の手紙を書いてブロウズ大神官に渡し、町へ呼び出したんですね」
「そうだ」
ということはブロウズ大神官も共犯で、この町の神官は巻き込まれただけということか。彼女は権力と真実の板挟みになって悩んだことだろう。
「でも、瘴穴が見えるという件は、大神官の皆様で投票を行った結果、正しいということになったのですよね」
ローゼが問うと、アレン大神官は鼻を鳴らした。
大神官は5人いる。
意見が割れて収拾がつかない場合は、5人で投票を行って決めると聞いた。
今回の話は3名が可としたので、正しいというのが大神殿の意向になっている。
逆に言えば、2名は否定したわけだ。
「なるほど。否の側に投票されたのは、アレン大神官とブロウズ大神官ですか」
それを聞いてアレン大神官は尊大にうなずく。
「当り前だ。瘴穴や瘴気が見えるなど、そんな話は聞いたことがない。どうせあいつの入れ知恵に決まっている」
「あいつ?」
誰のことなのか分かっているが、あえてローゼは問い返す。この男が彼の名前をどんな顔で言うのか見てみたかった。
「決まっているだろうが。……アーヴィン・レスターだ」
大神官の顔は苦いものを飲み込んだかのように歪んでいたので、ローゼはとても満足した。どうやら例の一報は、ずいぶんとアレン大神官に痛手を与えたらしい。
腰の聖剣からは「お前、意地が悪いな」と声が聞こえるが、内容に反してとても楽しそうな響きをしていた。
「だがな。いつまでも奴の庇護下にいられると思わない方が良いぞ」
しかし意外にも目の前の男はすぐに立ち直った。言いながらニヤリと嫌な笑みを浮かべる。逆にローゼは苦笑した。
「何か勘違いしてませんか?」
「なんだと?」
アレン大神官の表情は訝しげだ。おそらくローゼに衝撃を与えるつもりで言ったのだろうが、思惑と違う反応が戻ってきたので戸惑っているらしい。そんな大神官の目をローゼはひたと見据える。
「あたしは聖剣の主です。もうただの村娘ではありません。今度はあたしが神官を庇護する番になるんです」
ローゼの言葉を聞き、アレン大神官は言葉に詰まる。
その様子を見てローゼは口の端に笑みをのぼらせた。
序列で言えば聖剣の主は、神殿関係の最高位である大神殿長の下に位置する。つまり大神官よりも上なのだ。もちろん神官よりもずっと上ということになる。
とはいえ聖剣の主とは名ばかり、未だローゼはただの村娘にすぎないと自分でも分かっている。今の言葉は権力に弱いこの大神官に対してのはったりだ。
「まあ、そんなことはどうでもいいです。ところで、いかがでしたか? 否決したはずのあたしは合格だったのでしょうか?」
大神官はローゼの言葉を聞いて何か言いかける。
それより先に、勢いよく扉が開いた。
「見つけましたわ!」
言葉と共に、白金の髪をなびかせた少女が部屋に飛び込んでローゼに抱き着く。遅れて、後ろから大柄な青年も現れた。
「フェリシア。それに、ジェラルドさんも」
「いよう、ローゼちゃん。久しぶり」
今朝、ローゼがのんびりと町へ向かったのはこのためだ。ジェラルドは意外だったが、もしかしたらフェリシアが来てくれる可能性を考えていた。
「王女殿下……?」
さすがにフェリシアのことは知っていたようだ。現れた人物を見て、アレン大神官が目を丸くする。その言葉にフェリシアがアレン大神官へと向き直り、ローゼを守るように立ちはだかった。
「わたくしはただの神殿騎士見習いですけれど、王女と呼ぶのでしたらそのようにいたしましょう。アレン大神官、このようなところで儀式前の聖剣の主を呼び出し、何をしていますの?」
凛とした雰囲気をまとわせたフェリシアの厳しい口調に、アレン大神官はたじろぐ様子を見せた。
「私はその……儀式の前に改めて確認をしておいたほうが、良いかと思いまして……」
言いながら扉の方へ後退るが、その前に立っていた神殿騎士とぶつかる。
おっと、と言いながらおどけたように手を上げるジェラルドを、大神官は憎々しげに見上げた。
「つまりアレン大神官は大神殿の規定に疑念を持ち、ご自身で勝手な振る舞いをなさったということですわね?」
フェリシアはアレン大神官を睨みつける。王女に睨まれたためか、大神殿の規定を破ったことを他人に知られたためか。大神官は青くなりながら弁明を口走った。
「とんでもございません。私は大神殿や神殿のために行ったのでございます。今回の件に関しましては、疑念を持った者がかなりおります。このままでは暴動も起きかねません。ですから彼らの不満を和らげるため、そして真実を探るためにも、私が動く必要があると判断いたしました」
大神官の言葉を聞いたフェリシアはためらいを見せる。それを見て取ったアレン大神官は言葉を続けた。
「そう、私は皆のために行ったのでございます。そもそもこちらの聖剣の主様には、ご出身のみならず不可解なことが――」
「それ以上は許しません!」
「いいよ、フェリシア。ありがとう」
大神官の言葉を遮るように叫んだフェリシアの肩に手を置いてローゼは言う。
「あたし知ってるから」
「ローゼ……?」
見上げてくる紫の瞳が不安げに揺れている。
「何を言っていますの? アレン大神官のおっしゃることなんて……」
どのようにごまかそうかと口ごもるフェリシアの言葉をさえぎるように、ローゼは言った。
「あたし、実は闇の王の手先なんじゃないかって言われてるでしょ。神々ですら騙せるんだってさ。すごいと思わない?」
おどけた口調で言うローゼに、フェリシアが知っていたのか、と言いたげに目を見開いた。一方で大神官はつまらなそうな表情を見せる。
「あとは……さっきこの人も言ってたけどさ。瘴穴が見えるって言ってるのは、生まれ育ちがどうってことないから箔をつけるための嘘だって話があるのよね? ……アーヴィンの入れ知恵っていうのは初耳だったけど」
ローゼが苦笑しながら言うと、フェリシアはうつむいた。
チェスターに会った翌日からローゼは大神殿を歩き始めた。そこで知ったのは、好意的な相手もいるが、そうでない相手はもっといるということだった。
その半分くらいは「庶民のくせに聖剣の主だと?」と言ったような、どちらかといえば侮蔑の表情を向けてくる。しかしもう半分は侮蔑とは違う、しいて言うなら疑惑や警戒、そういった感じの視線を向けてきていた。
初めのうちはどうしてそんな表情をされるのかが分からなかった。そのうち、あちこちからヒソヒソされる声が耳に入る。
きれぎれに聞こえるそれらを繋ぎ合わせて、ローゼはやっと納得したのだ。
「まぁ、気持ちは分からなくもないよね。ほとんど世に出たことも無い聖剣をもつ者が、全く聞いたこともないようなことを言い出したら、確かに怪しいし」
「そんなことありませんわ、そんなことありませんわ! みんな勝手なことを言ってます。ローゼに対しても神々に対しても、ひどい侮辱ですわ」
「フェリシアの気持ちは嬉しいけど、大丈夫。今は実績がないからしょうがないよ。そのうち分かってもらえると思うから」
ローゼが笑ってみせると、フェリシアは紫の瞳をうるませる。
「みんな、ひどいですわ。ローゼは闇の王の手先なんかじゃありません。瘴穴のことが分かるのだって本当ですのに。わたくしは一緒に戦いましたから分かっています。……だって……」
レオン様がいらっしゃいますもの、という声は小さくてローゼ以外には聞こえなかった。
うつむいたフェリシアをそっと抱き寄せると、ローゼは扉の方に目をやる。大柄な神殿騎士はローゼと目が合って少し肩をすくめた。
そのだいぶ下にある大神官の顔を見て、ローゼはため息をつく。
「とりあえずこれ以上はもういいでしょう? 嘘は言ってなかったということを手土産にしてお帰りになりませんか」
ローゼがそう言うと、アレン大神官はじろりと睨みつけた。
しかしフェリシアがいる以上何も言えないようだ。そのまま踵を返し、出て行こうとする。
最後にローゼが
「ああ、今回のことは他の大神官方にも報告させていただきますから、ご安心くださいね」
と付け加えたところ、アレン大神官は目をむいてローゼを見るが、結局は口を開かずにすごすごと立ち去って行った。
しばらく待ってフェリシアから体を離し、念のためにローゼ自身も扉の向こうを覗き込んでみる。アレン大神官の姿は見えなかったので、間違いなく引き上げたようだ。
「本当に帰りましたのね?」
「うん、いないから帰ったんだと思う。……そうだ。改めて、来てくれてありがとう、フェリシア。それからジェラルドさんも」
2人に礼を言うと、扉近くまでやってきたフェリシアは頬を膨らませた。
「ローゼったらひどいですわ。一緒に行こうって言ってくだされば良かったですのに」
「本当は念のためにあの手紙を預かって欲しいなって思っただけなの。……でも来てくれたら嬉しいなと思ってた」
手紙があれば、もし「勝手に大神殿を抜け出した」と言われても、何かの証拠になるかもしれないと思ったのだ。
だからこそ、一番安全だと思われるフェリシアのところに置いてきた。
「信じてくださったのは嬉しいですけれど……でも次に行く時は、絶対にわたくしも誘ってくださいませね!」
遊びに行ったのを怒られている気分だが、何かが間違っている気がする、とローゼは思った。
そのまま目線を移し、所在なさげに立っている神殿騎士に声をかける。
「ジェラルドさんも、ありがとうございます。正直、完全に予想外でした」
「わたくしも予想外でしたわ。門を出たらお兄様の部隊がいるんですもの」
「俺も予想外だったぜ。警戒任務から戻ったと思ったら逆戻りさせられるんだからなぁ。……まあいいさ」
そう言って彼は明るく笑う。
つられてローゼも笑いながら言った。
「でもおかげで助かりました。あいつの後ろに立って、逃げないようにしてくれてましたよね?」
「お、分かってくれてた? 嬉しいねぇ」
「あら、そうでしたの」
「フェリシアちゃんはもう少し分かってくれてもいいんじゃないかな」
ジェラルドが情けない顔をしたとき、レオンの緊迫した声が聞こえた。
【ローゼ】
「ん?」
ローゼの独り言めいた返事に、フェリシアが聖剣を見て、ジェラルドが不思議そうな表情を浮かべる。
【準備しろ。少し遅いが、あいつの思い通りになったぞ】
「どっち?」
【東の方向だ。今ならまだ大きな被害は出ない】
緊張した表情から察したのか、フェリシアがこちらを見る。ローゼはうなずいた。
「東だって。実はあいつが闇の王の手先なんじゃないの?」
「分かりましたわ。お兄様、お喜びになって。来た意味がございましたわよ」
「おいおい、2人でどうした? 俺には何のことだか分からないぞ?」
「鈍いですわね。魔物が出ましたの。行きますわよ!」