2.新しくする
ローゼが神殿騎士の区画に来るのは久しぶりだ。うきうきしながら工房へ向かっているとフェリシアに尋ねられる。
「そういえばどんな鞘にしましたの?」
実は、ローゼも良く分からない。レオンにどんなのが良いか聞いたのだが、「好きにしろ」としか言わず、またローゼもこういったことは疎いため、工房にほぼ丸投げしたのだ。
「うーん……確か、この聖剣に合った感じのを作ってくれるって言ってたから、じゃあお願いしまーすって……」
ローゼが歯切れ悪く言うと、フェリシアは、まあ、と言って目を見開く。
「それでしたら、わたくしに言っていただきたかったですわ。レオン様にお似合いの素敵な鞘を考案いたしましたのに」
「そっか、そういう手もあったね」
「あったね、ではありません。ローゼが考えると思っていたから黙ってましたのよ!」
頬をふくらませてそっぽを向くフェリシアに、次に作る時は頼むから、と約束を取り付けてなんとかなだめる。
工房に着くころフェリシアの機嫌はなんとか直ったが、今度は「今から2つ目の鞘を作ろう」と言い出すのをなだめるのに苦労することとなった。
* * *
工房の中で用件を告げると、職人はうきうきと鞘を出してきた。
ここの人たちは気安い人が多く、ローゼも肩の力が入らないので助かる。
「聖剣の鞘を作るなんて、人生で一回あるかどうかですからね。良い体験させていただきましたよ」
見た目は厳つい職人が目じりを下げ、鞘がくるまれた布を愛おしそうに差し出してきた。
「開いてみてくださいな。良い出来です」
布を開くと、中からは大変優美な鞘が現れた。
白を基調とした革で出来ており、切っ先の方には黄金で花の意匠が、鍔の側には曲線の幾何学模様がそれぞれ施されている。ローゼの髪に合わせたのか、全体に散らされている紅玉が、豪華な雰囲気を際立たせていた。
フェリシアは目を輝かせ、職人は「ほらほら、ぜひ今使ってみてください」という顔をしている。
「これは、すごいですね……」
想像以上に鞘が豪華で、ローゼはなんだか恐れ多くなってくる。お金はいらないと言ってたが本当はいくらするんだろう、などと下世話なことを考えてしまった。
とにかく聖剣を腰から抜き、新しい鞘に差し替えてみる。
「うわあ、綺麗ですね」
ローゼが感嘆の声をもらすと、フェリシアと職人もそれぞれ感想を述べる。
「美しいですわ!」
「よかった……よく合ってますよ……」
【…………】
新しい鞘は聖剣の柄頭にある玉や鍔の黄金と相まって、それは美しく豪奢に見える。確かに合わせて作ったと言うだけのことはあるようだ。ためつすがめつしてみると、様々な角度から黄金や紅玉が光り輝いて、とても神々しく見える。
工房の奥の職人たちや、たまたま通りかかった神殿騎士たちも覗き込み、それぞれ称賛の声を上げた。
……そしてそんな中、輝かしい鞘に収まったレオンはあえて何も考えないようにしているようだった。
心行くまで眺めた後、工房の職人に礼を言って退出する。
「残念ですけれど、そろそろ休憩が終わるころですの。そうですわ、今日はお夕食の後にお邪魔してよろしいですかしら? 久しぶりにお話しいたしましょう」
そう言って手を振るフェリシアと別れて歩いていると、さっそくレオンは鞘を元に戻せと言ってきた。
「せっかく綺麗な鞘ができてるのに」
【儀式の時だけという話だろ。そんなごてごてしたものを普段からつけていられるか】
「部屋に戻ったら替えるから」
【今だ】
これ以上レオンの機嫌を損ねても面倒だと思い、ローゼは回廊の途中で腰にある黒の鞘に聖剣を戻す。
空になった新しい鞘を持って歩いていると、正面から誰か来るのに気が付いた。
銀色の髪が印象的な若い男だ。短髪なので神殿関係の人物ではない。着ているものも高価そうな上、背後には護衛らしき人物も従えている。これは貴族だなと判断して、ローゼは道を譲った。
【そんなことをする必要はないだろう】
レオンは文句を言うが、ローゼとしてはいらないもめ事を起こしたくない。
こういった時の作法は良く分からなかったので、端に寄って少し頭を下げる。
しかしそのまま通り過ぎていくかと思われた男は手前で立ち止まったままだ。
不審に思って顔を上げると、彼はなぜか聖剣を眺めている。
「……なんでしょうか」
「ああ、不躾にすまなかった」
うっすらと笑みを浮かべた男は、20歳くらいか。
表情の見えない、薄い緑の瞳をローゼに向けてきた。
「私はチェスター・カーライル。その外見からするに、君は新しい聖剣の主、ローゼ・ファラー嬢だな?」
「……はい。はじめまして、ローゼ・ファラーです」
うなずいたチェスターは、ローゼが手にした鞘を見て言う。
「何故その鞘を使わないんだ?」
問われたローゼは少しためらう。
レオンが嫌がっているから、とは言えない。
村で決めた通り、レオンのことは大神殿に報告していない。存在を知っているのは今のところ、ローゼの他にはフェリシアとアーヴィンだけだ。
仕方がないので適当な言い訳を口にする。
「儀式のときまでに傷をつけては申し訳ないので、普段は今まで通りの鞘にしていようと思っているのですが」
「なるほど、さすがは庶民だ」
庶民の自覚はあるが、改めて言われると気分は悪い。
「……どういうことですか」
「そのままの意味だが」
しかしチェスターの表情には見下しも侮りもなかった。
「その鞘がどういうものか知っているか?」
「どういうって……」
「素晴らしい鞘だ。良い素材を使って丁寧な仕事をしてある。職人が丹精込めて作ったんだろう」
確かにその通りなのでローゼはうなずいた。
「さて、それをもし購入とするならば、いくらかかるだろうな」
「……分かりません」
「そうだろうな」
構えたところのない言い方ではあるが、なんだか神経を逆なでする。
「あなたには分かるんですか?」
「分からないな。ただし、おそろしく高価だろう。それを君はいくらで手に入れた?」
「……払ってません」
「そうだろうな」
チェスターはまたしても同じように言い切った。
分かってるならなぜ聞く、とローゼは更に嫌な気分になる。
「だが素材の費用もさることながら、職人たちの費用もかかっている。無償で手に入るものじゃない」
「……はい」
「名声と身分を得た今の君には作ってもらえた品だが、本来の君ならば一生かかっても手に入らないような物だろうな」
「何が言いたいんですか?」
回りくどい言い方にしびれを切らし、つい強い口調で言い返す。馬鹿にされているのだろうかと思うが、チェスターの表情は凪いだ湖のように穏やかで、何を考えているのか良く分からない。
それでもはしばしから、ローゼに対して好意があるわけでないことだけは伝わってくる。
「別に私は元の鞘のままでも構わないんです。聖剣の主になって偉ぶりたいわけでも、贅沢をしたいわけでもないですし」
神殿内での位や役職には、実は国でも通用する身分が設定されている。
聖剣の主の位は神殿内でも上位であり、国で言えば貴族階級の身分を持っていた。さらに位相応の支給金がもらえるため、ローゼが手にする金額はかなりのものになる。
「お金の話が問題なら、もっと質素にしてもらいますけど。なんならこの後の儀式の衣装だって、普段着にしてもらいましょうか」
思わず喧嘩腰に言い返してしまったローゼだが、チェスターの表情は変わらない。
むしろ微笑んでいるようにも見える。
「ああ、やはり君は庶民なのだな」
「なっ……」
「もし君が今言った通りのことを実行したら、どうなると思う?」
「どうって……」
昔のレオンのことを思い出す。
嘲笑され、長いこと悪い噂を流されたのだったか。
「私は別に、馬鹿にされても平気ですけど」
「ふふふ。でも、例えばそうだな――アーヴィン・レスター」
「え?」
いきなりアーヴィンの名前が出てきてローゼは面食らう。
「グラス村の神官だったな。君とは懇意なのだろう? あのときの大神殿は大変だった」
あのときとは、アーヴィンが大神殿へ送った聖剣の主の連絡に関することだろう。
「あとはフェリシア王女殿下か。君と仲が良いらしいな」
「……それがどうかしたんですか」
自分と親しい人物の名前が全く親しくもない人物の口から出てくるのは、なんとも不気味で不愉快だ。
「別に。もし君が今のままなら、可哀想だと思っただけだ」
「何を……」
自分が何かすることに、アーヴィンやフェリシアがどう関わってくるというのだ?
(……いや、待てよ……)
考えを巡らそうとするローゼに、チェスターは片手を上げる。
「ここで長々と君の答えを待つつもりはない。すぐに答えられないなら話は終わりだ」
「これだけ長々と立ち話をしたのに?」
「そうだな。私にとってはあまり有意義ではなかった」
それならしなければ良かったのに。と喉元まで出かかった言葉をローゼは飲み込む。
チェスターは「私にとっては有意義ではない」と言った。
もしかすると今のやりとりの中には、ローゼにとって有意義なものがあったかもしれない。
「……わかりました。ありがとうございます」
ローゼが苦いものを飲み下しながら礼を言うと、初めてチェスターの表情に変化が出る。
「言っておくが、私は別に君の味方ではない」
「分かっています」
「それでも礼を言うと?」
「言う必要がある可能性を考えたので、言っておきます」
チェスターの緑の目を見据えて言うと、彼の口元に今までとは違う笑みが浮かぶ。
「ほう? 意外と面白そうだ。次に会う時はもう少し楽しい話ができることを期待している」
* * *
ローゼは部屋に戻ると聖剣を外し、新しい鞘と一緒に机に置く。
椅子に座って聖剣を眺めながら、チェスターとのやりとりを考えていた。
(なんか面倒だけど、あたしそういうところに来ちゃったわけだしなー)
世の中色々な理屈がある。
少しずつ学んでいく必要があるのかもしれない、と考えているときに、レオンの声がした。
【ローゼ】
「ん?」
【鞘を新しいものにしろ。明日からお前は大神殿の中を見て回るんだ】
「どうしたの、急に」
【これはお前の聖剣だ。聖剣を伴って主であることを示す必要がある】
どうやらレオンも同じようなことを考えていたらしい。
【心得違いをしていた。昔のことに捕らわれている場合じゃない、俺はもう人じゃなくて聖剣なんだ。お前は俺の娘だし、エルゼにもお前のことを頼まれている】
なんだか色々と吹っ切れたような話し方だった。そしてどこか保護者のような雰囲気を醸し出している。
なによ急に気持ち悪い、と思いつつもローゼは尋ねる。
「でもどうして明日からなの?」
【……俺にもこの鞘で行動する覚悟をさせろ】
しかしレオンはやはりレオンだった。