余話:ジェラルド
グラス村から古の聖窟を経由し、一団が大神殿へと戻ってきたのは夜中のことだった。以降の茶番に関しては、ジェラルドにとってどうでも良い。
出迎えた他の大神官にアレン大神官が何かを言っているようだったが、どうせろくなことを言ってはいないだろう。
他の仲間たち同様さっさと自室へ戻り、その日は早々に寝台に入る。
翌日目が覚めると、既に昼だった。
すきっ腹を抱えて食堂へ行き、食事を受け取る。
周囲を見渡していると、居残り組だった同輩のバートがジェラルドを見て手を上げたので、彼の座る机へと向かった。
「お疲れ。昨日の夜中に戻って来たんだって?」
「おうよ。後半は飛ばすもんだから疲れたぜ」
座りながらうんざりした口調でジェラルドが言うと、バートは楽しそうに笑った。
「どうせアレン大神官は馬車の中で寝てるだけだろうし、周囲の奴らのことなんか考えちゃいないよな」
「まったくだ」
食事を口に運ぶジェラルドをしばらく見ていた彼は「で」と言って身を乗り出す。
「新しい聖剣の主って子はどうだった?」
「んあ? 綺麗な子だったぞ」
「そうじゃなくて」
バートは声をひそめる。
「本物だったか?」
そっちの話か、とジェラルドは内心ため息をつくが、特に表面には出さず答える。
「古の聖窟の扉は開いた」
「じゃあ本物なのか」
ジェラルドの話にがっかりしたような調子でバートは言った。
実は、大神殿の中では密かに
『新しい聖剣の主は本物か? 偽物か?』
という賭けが行われていたのだ。そのため食堂へ来る間、ジェラルドは何度も呼び止められた。答えるたびに相手はがっかりしていたので、偽物に賭けた人の方が圧倒的多数だというのは本当だったらしい。
巫子が10人告げたところで、結局こんなものだ。今回のアレン大神官の一団だって、ローゼのことを信じていた人物など、ジェラルドとフェリシア以外に誰がいるだろうか。
そこまで考えて、いや、とジェラルドは思い返す。
自分がローゼのことを信じたのは、たっての願いということでアーヴィンがジェラルドに手紙を寄こしてきたからだ。
『難しいのは承知の上で頼む。大神官の一団に入って、せめて古の聖窟まで彼女と行動を共にしてもらえないだろうか』
といった内容がしたためてあった。それを読んだジェラルドは、珍しいこともあるものだと思いつつ、アーヴィンがそこまで言うのならと、上官にかけあって参加させてもらったのだ。
……さらにフェリシアが一緒に行きたいと頼み込んできたので、ジェラルドとしては二重の苦労になったわけだが、これはまた別の話だ。
とにかく自分だって、ローゼが他所の村の人物だったら偽物ではないかと疑ったかもしれない。
そう考えると、彼女のことを純粋に信じていたのはフェリシアだけなのかもしれなかった。
自嘲の笑みを浮かべつつ、大神殿に来たローゼが失望しなければ良いな、と思ったところで、入り口に先輩神殿騎士の姿が見えた。
彼は食堂を見渡し、ジェラルドを見つけると大股に近寄ってくる。
また賭けのことを聞かれるのかと思っていたのだが、先輩が興奮気味に投げて来た質問は想像とは違っていた。
「おい、ジェラルド。お前が見習い時代に同室だったっていう神官がいたな。名前はなんだ?」
「アーヴィンのことっすか?」
訝しげに尋ねると、先輩は意を得たりとばかりの表情を浮かべる。
「アーヴィン・レスターだよな? 新しい聖剣の主がいた村の神官だろ?」
はあ、とジェラルドが気のない返事をするのと対照的に、先輩はやたらと嬉しそうだ。
「やっぱりそうか。今度紹介してくれ。面白い奴じゃないか」
あいつが面白いなんていう評価は聞いたことがない、とジェラルドは眉をひそめる。もしかして別の人物と間違えているのだろうかと思っていると、バートが先輩に尋ねた。
「その神官に何かあったんですか?」
聞かれた先輩は楽しそうにうなずく。
「神殿の神官のくせにな、鳥を飛ばして『11振目の聖剣が世に出た』って一報を大神殿へ入れたそうだぞ」
ジェラルドは思わず茶を吹く。
目の前に座っていたバートは大仰に顔をしかめて立ち上がると、机を拭く布を取りに行った。立ち去るバートを横目で見ながら、むせて咳き込みつつジェラルドは思う。
――ああ、そういう『面白い』なら、あいつはやりかねんわ。
* * *
ジェラルドがアーヴィンに出会ったのは10歳の時だ。
神官や神殿騎士になりたければ大神殿で修業をする必要があるのだが、その際は必ず寮に入らなくてはいけない。そして見習いのうちは基本的に2人部屋だ。
大神殿に来た当初のジェラルドは神官を目指していたので神官見習いの寮に入ったのだが、その同室の相手というのがアーヴィンだった。
初めのうち、ジェラルドはアーヴィンと仲良くすべく努力した。しかしすぐに「あ、無理。こいつツマンネー奴だわ」と思いなおすことになる。
物腰や物言いは穏やかだったが、表情がほとんど変わらないので何を考えているのか不明。
話しかけても「はい、いいえ」もしくは相槌程度の返答しかない。
何かしようと誘っても乗ってきたことは無し。
休みの日も出かけることはなく、部屋に閉じこもって本でも読んでいる。
なのに顔が良いから女の子にはモテる。
同室になって良かったこといえば、授業内容を書き写した紙を貸してもらえることくらい。
相手と交流したいジェラルドから見れば、同室の相手という意味でアーヴィンの評価は『最悪』だった。
放っておいて欲しい雰囲気を隠そうとしない彼の方も、ジェラルドに対し同じ評価を下していただろう。
そんなつまらない日々を3年も過ごしたある日のこと。
その日もジェラルドは授業が理解できず、終わった時に紙は半分以上が白かった。どうやら頭が内容の理解を放棄したため、手の方も書き写す努力を放棄したらしい。
またしてもアーヴィンに書き写させてもらおうと思ったのだが、珍しいことに彼は部屋にいなかった。
帰ってきたら借りるか、と思った直後にふと思いつく。
――勝手に借りればいいんじゃないか?
こっそり借りて、こっそり返せば、自分がやったとは分かるまい。
そう思ってアーヴィンの部屋を覗いてみれば、想像以上にきっちり整頓されており、少しでもあさればバレてしまいそうな予感しかしなかった。
しかし、一度点いた好奇心の火は簡単に消えたりしない。
ちゃんと戻せば大丈夫なはずだと自分に言い聞かせ、ジェラルドはアーヴィンの机を覗き始める。すると引き出しの奥に、様々なものを置いてまるで隠すようにした中から手紙の束を見つけた。
封筒の差出人名から推察するに、どうやらごっそりあるのは恋文らしい。
神官見習いや神殿騎士見習い、果ては見習い以外の人物から届いたものまである。少しばかりジェラルドが気になっていた子の名前もあって、なんだか腹が立った。
その場に座り込み、憤慨しながらざっと見ていると、恋文に挟んだ中に実家からと思しき手紙まで発見した。
よし、これは面白そうだと、本格的に腰を据えて読み始める。恋文に加えて実家からの手紙を読みふけるうちに、目的と時間をすっかり忘れてしまった。
ほとんど読み終えたころに手紙の上へ影が落ちたので、不思議に思って顔を上げる。
腕組みをしたアーヴィンがジェラルドを見下ろしていた。
ジェラルドが初めて見る、アーヴィンの表情らしい表情。
それは怒りだった。
とはいえ表情が変わったのはその日だけのこと。翌日にはすっかり元通りだったので、あれだけ怒ってたけどもう許したんだな、とジェラルドは単純にそう思っていた。
だから相変わらずジェラルドは授業内容を写した紙を借りたし、アーヴィンの方も嫌な顔ひとつせずに貸してくれた。
しかし何故か「お前は授業を聞いていたのか」と講師に怒られる回数が増えてくる。確かに聞いてはいなかったが、書き写した紙がある以上ここまで怒られるのも変な話だ。
不審に思ったジェラルドは、授業内容をきっちり聞いて紙にも間違いなく写したことを確認し、アーヴィンから紙を借りてみた。
内容が違った。
紙を片手にアーヴィンの部屋に飛び込む。おそらく何のことだか分かっているのだろう、椅子に座っていた彼はゆっくりと立ち上がってジェラルドに向き直った。
「お前、これはどういうことだよ!」
ジェラルドが詰め寄ると、アーヴィンは口の端だけで笑う。
「ようやく気が付いたんですか」
アーヴィンは机の上にあった別の紙を手に取ってひらひらさせる。きちんと書き写したものは別にあった。どうやらジェラルドに貸すためだけに、わざと違う内容の紙を用意していたらしい。
「10日もあれば気が付くのには十分だと思ったのですが、まさか2か月近くもかかるとは思いませんでした。作るのも結構な手間だったので、早く気づいて欲しかったですね」
わなわなと震えるジェラルドを見るアーヴィンは、いつもとは違って、とても意地悪い顔をしていた。
つまり彼は、勝手に部屋に入って手紙を読んだことを、これっぽっちも許してなどいなかったのだ。
* * *
手紙の一件の後、何故か2人は仲良くなった。おそらくお互いから遠慮がなくなったからだろうと思っている。
しかしあいつも全然性格変わってねぇな、とジェラルドは机を拭きながら苦笑した。きっとアーヴィンは、アレン大神官に対して深く腹を立てていたのだろう。
アレン大神官はローゼを置いてくるために各所へ根回しを済ませていたはずだ。そもそも断らせるつもりでいたのだから、根回しは保険だったとは思うが。
しかしまさか、神殿からの鳥文が届くことまでは想像していなかったに違いない。この一報で大神殿の面子はつぶれたのだから、大神殿側としては当然、原因となったアレン大神官に対して厳しい態度をとる。根回しをされた人物ですら追及する側にまわらざるを得まい。
そこまで考えてふと気が付く。
――アレン大神官は今、どんな顔をしてるんだ?
拭いていた机から顔をあげてみれば、目の前のバートはとても良い顔をしていた。
「なんだ、バート。ずいぶん楽しそうな顔してんな?」
「そういうジェラルドだって」
顔を見合わせて話す2人に先輩が割って入る。彼もバートと同じような顔をしていた。
「お前らどっちも同じような顔してんぞ」
「いや、人のこと言えねぇっすよ」
3人はそろってニヤリとする。
「俺はちょっと神官の区域に用事ができたんだが、お前らはどうだ?」
「奇遇ですね。僕もなんだか神官の区域へ行きたくなったところです」
「いやー、昨日は疲れたからなー、俺も少し散歩したいなー、神官の区域辺りを」
ジェラルドは立ち上がると急いで食器を下げる。2人は既に扉の辺りにいたので、小走りに追いかけた。
きっと今日、神官の区域は妙に人が多いに違いない。
特に、アレン大神官の部屋辺りには。