2.村の乙女たち
ローゼが扉を開けると、集会所の中はやはりいっぱいだった。人数から推察するに、おそらく今回も全員が参加だろう。
終わるまでに到着できて良かった、と思いながら辺りを見渡すと、奥の壁側にいた仲の良い数人の娘が軽く手を上げる。彼女たちのところへ行って椅子に腰かけると、ひとりの娘が「遅かったわね、ローゼ」と声をかけてきた。
「うん。本を読んでたら時間忘れちゃって。……あれ、ディアナはいないの?」
「さっき家の用事で呼ばれてったわ」
「そっか、残念」
「……ねえねえ、時間を忘れるほどおもしろい本ってそれ? 何の本?」
興味深げに問われたローゼが本を見せると、彼女は題名を確認してがっかりしたような表情を浮かべる。
「……なぁんだ……おとぎ話……」
その言葉に興味をひかれたのか、別の娘が笑ながら会話に加わった。
「おとぎ話? ローゼってば17歳にもなっておとぎ話読むの? やだわ、本ならなんでもいいのね。で、今度読んでるのは何?」
彼女は本を覗き込み、題名を読み上げる。
「ん、なになに……『精霊に関する考察』……。ちょっと、どこがおとぎ話よ。神殿で借りて来た真面目な本じゃないの!」
「えー、だって、おとぎ話みたいなもんでしょ? 精霊なんていないんだもの」
「……言われてみれば、そうね!」
言って笑いあうふたりに対し、ローゼは一応の反論を試みた。
「えーっとね、おとぎ話じゃないの。精霊はちゃんといるんだけど、ほとんどの人には見えないだけなんだよとか、こういう話って、神秘的でいいと……」
ローゼは友人の様子を見ながら小さく肩をすくめる。
「……思わないよね」
いないと思っていた精霊が実在し、精霊に力を借りる精霊術というものもあるらしい。
そんな話を読んでローゼはわくわくするのだが、ローゼの話を聞いた目の前のふたりは示し合わせたかのように渋い顔をする。
「うん、思わない。私は神秘的な話なんかより、美しい恋物語の方がずっといいわ。この村で生きるのに、そんな無駄な知識いらない」
「私もそう思う。ローゼだって村の外に出るわけじゃないんでしょ? そんな難しい本を読んで、どうするのよ」
「ねー。難しい本を読むのは神官様だけで十分でしょ?」
口々に言われ、ローゼは曖昧な笑みを浮かべた。
「……ま、いいや。で? 集会の様子はどう?」
「そうね。少し前から、あの子が話題をさらってるところよ」
ローゼの問いに答え、横の娘が厳かな様子で少し離れた集団を示す。
見れば参加人数の半数近く、20名ほどの娘がひとりの少女を取り囲んでいた。
「ついに告白されたんですって! しかも村の南にある花畑で! すっごく素敵よね」
「……そ、そう。……他には?」
「そうね。あとは、ディアナが着てきた、隣町で流行してる服に関してのことも盛り上がったけど……でもやっぱり一番はアーヴィン様の話よね」
いつもと同じか、とローゼは小さくため息をつく。
しかし、次に聞こえて来た言葉には思わず反応してしまった。
「今回の話題になった『わざと怪我をして神殿に行く方法』の話は良かったわよね。似たようでみんな違ってるから、参考になることが多かったもの」
ローゼは思わず瞬く。
――聞き違いだろうか?
「今、穏やかじゃない言葉が聞こえた気がするんだけど、あたしの気のせい?」
「あら、どんな言葉?」
「わざと怪我して神殿に行くって言わなかった?」
「言ったわ」
まさかと思いながら尋ねたのだが、友人は赤くなった頬を押さえながら続けた。
「わざと怪我をしてー、神殿に行ってー、アーヴィン様に治癒の神聖術を施していただくの! そのとき――」
「待って待って」
ローゼは慌てて話を遮った。
「わざと怪我するの? 本当に?」
「本当よ。わざと怪我するの」
「嘘でしょ? 神聖術の代金だってタダじゃないし、何より痛いよ?」
「やだ、ローゼったら」
友人の目はとろりとしている。
上気した頬と合わせて見れば、いわゆる恋する乙女の表情というやつだった。
「あの麗しいお姿を間近で見られる上、アーヴィン様が私だけのために聖句を唱えて下さるのよ。それを考えればお小遣いはたく価値は十分あるし、痛いのだって平気だし。最後のお小言なんてご褒美よね」
横の娘が力説すると、話を聞いていた娘たちも一斉に同意する。
ローゼが唖然としていると、近くにいた少女たちが話を聞きつけて近寄ってきた。
「なーに、どうしたの?」
「遅れて来たローゼにさっきの話をしてたとこ。例のアーヴィン様の件」
「ああ、怪我する話ね。ローゼもやってるでしょ?」
さらりと問われたローゼが思い切り首を左右に振ると、別の少女が軽やかな笑い声をあげた。
「ローゼはしないわよ。だって神殿に行っても本を借りてくるばっかりだもんね」
「言われてみればそっか。大体、この集会に出てる子でアーヴィン様に興味がないのってローゼくらいじゃない?」
「そうそう。程度に差はあれ、やっぱりみんなアーヴィン様に興味はあるものよね!」
ねー、と同意する声は大きい。
気が付くとあちこちで、アーヴィンに関する話が始まっているようだった。
話に夢中になる友人たちを見ながらそっと立ち上がり、ローゼは扉付近へ移動する。
机に本を置き、改めて椅子に座った。
大陸の宗教は基本的にウォルス教ひとつしかない。そのため町や村には必ずウォルス教の神殿があり、神官が在籍していた。
彼ら神官は神々の力を借りた不思議な術『神聖術』を使うことができる。しかし術を頼むためには、代金が必要だ。
もちろん神殿を維持するためには重要なことなので、対価を払うことに不満を言う者は誰もいない。
アーヴィン・レスターは、そんなウォルス教の神官だった。
24歳のアーヴィンは、6年ほど前に王都の大神殿からこのグラス村へと赴任してきた。
見た目の良さと穏やかな物腰から、彼はグラス村だけでなく、周囲の村や町の女性たちからも絶大な人気を誇っているのだが、今に至るまで浮いた噂ひとつない。
だが、神官の結婚は禁止されてはいないのだから、アーヴィンが村の誰かと恋仲になることは十分考えられる。年頃の娘たちにとっては格好の相手で、会の参加者たちは毎回彼の話題で盛り上がるのだ。
この会の名は『未来を目指す乙女の会』。
参加資格は「15歳以上の未婚女性である」こと。会の目的は「年頃の女の子たちだけで集まって色んな話をする」こと。
彼女たちの話題は、誰かの噂や、お洒落のこと、そして恋の話が中心だった。
しかし。
(……読んでどうするのよ、かぁ……)
ローゼは赤い瞳を本に向ける。
ため息をつきながら背表紙をなぞった。
確かにただの村娘が本を読んだところで、知識の使い道などない。
(あたしは村から出たことないし、出る予定もない。他の場所も、この村以外で生きる方法も分からない……)
グラス村は平和な村だが、もちろん人々の敵である『魔物』が出ることはある。本当に運が悪ければ魔物に殺されてしまうかもしれない。
しかしそれはこの大陸にいる以上は同じことなので、気にしても仕方がなかった。
結局はローゼも、特に変わらぬ日々が過ぎていくこの村で、誰かと結婚し、そして人生を終えるのだろう。
少し退屈に思えるかもしれない。しかし、幸せで、良い生き方のはずだ。
――深く考えてはいけない。知らない世界を見たいのなら、本を読んでいればいい。
小さく首を振って続きを読むため本を開こうとしたとき、背後にある扉の開く音がする。
振り向くと思案顔のディアナが顔を出したので、ローゼは顔をほころばせた。
「お帰り、ディアナ」
会のまとめ役をしている村長の娘、ディアナは村の中でローゼと一番仲が良い。彼女と話をすれば沈んだ気持ちも晴れるだろうと思ったのだが、なぜかディアナはローゼを見ると手招きをした。
「良かった、目の前にいたわ。ローゼ、ちょっとこっち」
「……あたしだけ?」
「そう。ほら、早く。本も持って来て」
家の用で出かけたはずのディアナが、自分に何の用があるのだろう。
訝しみながら立ち上がったローゼは、それでも彼女の言う通り本を持って扉の外に出る。
見上げれば、日はだいぶ傾いていた。
暦の上では春だが、早春のこの時期、朝夕はまだ冷える。
おまけに今までいたのは熱気のこもった集会所だ。吹き抜ける風がより一層冷たく感じられて、ローゼは思わず身を震わせた。
「どうしたの、ディアナ。外は寒いじゃない。中で話そうよ」
しかしディアナは出て来たローゼを押しやると、扉の前に立ちふさがった。
「だーめ。あんたはこのまま神殿へ行くのよ。神官様がお呼びだってさ」
言ってディアナは、背後にある石造りの建物を指さす。
「……神殿に……」
呟いたローゼはディアナと神殿とを交互に見比べた後、ぐっと拳を握りしめた。
「……やられた。アーヴィンのやつ、昨日会った時にどっか態度がおかしい気はしてたのよ。……やっぱりなんか企んでたんだ」
どっしりとした神殿は白い石で造られており、日の光を浴びて一層白く輝いている。
何百年も前に建てられたはずなのに未だ美しいこの建物を見て、ローゼはいつも誇らしくなるのだが、今は恨めしい気持ちしか湧いてこない。
上目遣いに神殿を睨みつけていると、呆れたようなディアナの声が聞こえた。
「まったくもう。……神官様に対してそんな風に言う人なんて、ローゼくらいだわ」
見れば彼女は小麦色の髪を風になびかせ、腰に手を当てている。
「とにかく早いとこ行ってよね。じゃないと私がお父様に怒られちゃうわ」
「……ねえ。ディアナは家の用事があったんでしょ? なのにどうしてアーヴィンの伝言係をしてるの?」
正直に言うならば、ローゼはもう答えが分かっている。
それでもあえて問いかけると、ディアナは小さく肩をすくめた。
「だってこれが家の用事だったのよ。『神官様がローゼをお呼びだから、神殿に行くようにと伝えなさい』ってお父様に言われたわ」
やっぱりかと思いながら、ローゼは顔をしかめた。