24.彼女が言いたかったこと 【挿絵あり】
「本当にそれでいいんだね、エルゼ」
壮年の神官が声をかけると、未だ涙にぬれている赤い瞳を上げてエルゼはうなずいた。
「はい。お願いします、神官様。大神殿に連絡をして、少しでも早くレオンを捕まえてください」
「分かった。大丈夫だ、禁忌を持っているのならば、きっと大神殿の動きは早い」
(【やめろ ききたくない みたくない】)
2人の声に重なってレオンの悲痛な声が響く。
駄目よ、とローゼはレオンに言う。声は出ないのだけれど。
レオンはこれを聞かなくてはいけない。見なくてはいけない。
本当なら、400年前に知るべきだったのだ。
「レオンは徒歩なのだろう。まだこの辺りにいるかもしれない。村人たちに手を貸してもらえば、すぐに捕まえることもできるんじゃないか」
エルゼはその言葉には首を横に振る。
「いいえ、それは駄目です。……レオンは、絶対に大神殿へ近寄らないと言っていました。なのに禁忌の枝を持っていたんです。どんな形かは分かりませんが、きっと誰かを使ったんです。だとしたら……」
そうか、と言う神官の口調は重かった。
「村人に被害が出る可能性もあるか」
「はい。ですから大神殿側で捕まえてもらいたいのです。それもできるだけ早く」
「そうだな……」
「そうすれば、そうすれば……」
エルゼは胸元で手を握りしめる。
「……今ならまだ間に合います」
「エルゼ」
「まだ間に合うんです。浄化すれば、人に戻れます。魔物にならずにすみます」
エルゼの声は震えている。
「大神殿がレオンを捕まえて調べてくれれば、瘴気に汚染されていることが分かります。すぐに浄化してくれるはずなんです。だってレオンは、聖剣の主ですもの」
「その通りだ」
神官は請け合った。それを見て、自分に言い聞かせるようにエルゼは言う。
「レオンはきっと罪に気づいて、償ってくれます。そうしたら……」
言ってエルゼはほんの少し笑みを浮かべる。
「そうしたら今度こそ、私はレオンと一緒に行きます。レオンが勝手なことをしようとしたら、止めてあげなくちゃ」
それを見て神官はエルゼを元気づけるように笑って、彼女の肩を叩く。
「それがいい。まったく、いつまでたってもあいつは子どもで困ったものだ。……よし、では私は禁忌の枝のことを連絡するとき、レオンが瘴気に染まっていることも一緒に書いておこう。なに、きっと元通りにしてもらえるさ」
はい、とエルゼはうなずく。
しかしエルゼの望みは叶わなかった。
「神官様、どうなさったのですか」
家へと駆けこんできた神官は、顔色を無くしている。悪い知らせなのは一目で分かった。
――まさか、レオンに何か。
「今しがた大神殿から連絡が届いた……先日、巫子全員に託宣が下ったらしい」
全員、とエルゼは息をのむ。ならばそれは確実な話だ。
「神が主のいなくなった11振目の聖剣を、ご自身の元へ戻されたと」
ああ、と呟いて、エルゼは力なく床に座り込んだ。そのまま泣き崩れる。
大神殿は結局レオンを捕まえられなかったのだ。
そしてどういう形であれ、レオンはもうこの世にいない。
「……北の地でレオンらしき人物を見たという話があったそうだが……」
間に合わなかった、と神官は悲痛な声で呟いた。
村が魔物の襲撃を受けたのは、レオンが消えた翌年の話だ。
運悪く大きな瘴穴が村の近くに出来てしまった。
そこから現れた魔物の力は強く、村人の力だけでは太刀打ちできない。
付近の町や村の神官たちにも協力してもらってなんとか撃退したが、壮年の神官は魔物に深手を負わされてしまう。
最期まで神官は謝っていた。
せっかく名誉の大役を受けることができたのに、レオンにとっては何も良いことがなかった。
自分がもっとしっかりしていれば、あの子から信用してもらえたはずなのに。
良い方向へ導いてやれたのに。
そうすれば違う結末を見せてやることができたのに。
レオンにも、そしてエルゼにも、つらい思いばかりをさせてしまった。
謝りながら彼は息を引き取った。
(【ちがう ちがう 違う】)
魔物の襲撃による被害は大きかった。
多くの建物は崩れ、石畳もはがれた。
しかし、神殿は無事だった。
3か月後には新たな神官も赴任し、村もどんどん綺麗になる。
村の復興がなったと思われるころ、村人たちは考える。
村も新しくなったことだ、せっかくだから村の名前も新しくしようと。
その案にみんなが賛成し、話し合いの結果新しい名前が付けられることになった。
村の名はすぐに決まった。
『グラス』。果てにある緑の地が良いのではないか、と。
これからみんなで力を合わせ、この地を緑豊かな地にする決意の表れだった。
大神殿による禁忌の枝の捜索は続いたが、長い年月見つからないことからレオンが消えた時に一緒に消滅したのだと結論付けられた。
それを機に大神殿は不名誉な聖剣の主だったとして、レオンに関することを記録から消し去った。
名前も、年齢も。
何をしたのかも。
* * *
【エルゼ! 神官様!】
レオンの慟哭が聞こえる。
【2人は何も悪くなんかない! 俺がもっと、聖剣の主としてしっかりしていれば良かったんだ!】
暗い空間でレオンが、聖剣ではなく人の姿のレオンが泣き崩れているのをローゼは横から見ていた。
レオンの正面に、誰かがふわりとしゃがみ込む。
『本当に、馬鹿よね』
しゃがみ込んだ影が、赤みを帯びる。同時に、暗い空間は白くなった。
『今さら話を聞いてくれるんだもの。しかも結局、自分の意志じゃ来てくれないんだから』
【エルゼ……?】
レオンは顔を上げる。赤い髪の娘がレオンに向かって微笑んでいた。
『ずっと待っていたのよ。大神殿にいたときも、村に戻ってきた時も』
そう言ってエルゼはレオンの髪を手に取る。色は明るい茶色だ。
待っていた、と呟いたレオンは、少し皮肉げな笑いを浮かべる。
【先に俺を置いて行ったのはお前じゃないか。神官になるんだと言って大神殿に行っただろ】
『ええ、行ったわ。大神殿に行って、神官になって。そうしたら村への希望を出して、神官様やレオンとずっと一緒にいようと思っていたの』
【…………】
『だからレオンが聖剣の主に選ばれて嬉しかったのよ。私が役に立てるのだもの。もしかしたら一緒に旅にも出られるかしらって思ってた。でも……』
【…………】
『私が神官になれなかったから……』
つらそうにうつむくエルゼに向かって、レオンは首を振る。
【エルゼが悪いわけじゃない】
『いいえ。最終的にそのことが、レオンに道を踏み外させてしまった』
【……遅かれ早かれ、俺は同じ道を辿ったはずだ。あのころの俺は誰も信じていなかった。神官様も。お前のことも】
視線を下へ落とし、レオンは続ける。
【そして……娘のことは今でも許せない。許せないが……あの貴族には悪いことをした】
場が静かになった。
しばらくしてレオンが独り言のように言う。
【最後、北に行かずに……いや、行ったとしても、大神殿に見つかっていれば違う道もあったんだろうか】
『そうなってたら、良かった?』
尋ねられたレオンは深く息を吐く。
顔を上げてエルゼを見た彼は、少しだけ微笑んだように見えた。
【そうだな、何年後になったかは分からないけど、お前と一緒に旅をするのも楽しかったかもな。……一緒に旅をしてみたかったな】
それを聞いたエルゼは笑顔になる。心の底から嬉しそうな笑顔だった。
『私ね、本当は、あなたのことが好きよ、レオン』
【……そうか】
『私もあなたと一緒に行きたいわ』
【……ああ】
『嬉しい。やっと言えた。ずっと言いたかったの』
エルゼはレオンを抱きしめる。
『もっと早く、素直に言っておけば良かった。こんなことになる前に。まだあなたが生きているうちに』
そう言ってエルゼはちらりとローゼを見る。何かを含んだ表情で微笑んだ。
(……ん?)
しかしそれも一瞬のこと。彼女は体を離すとレオンに向き直った。
『でも、私はもうレオンと一緒には行けない。代わりに……どうかお願い、あの子を守ってあげて』
エルゼはそう言ってローゼを示した。
【任せておけ】
レオンはエルゼに向って大きくうなずくと、わずかに微笑んだように見えた。
彼の表情を見てエルゼも安心したように笑い、現れたとき同様のふわりとした仕草で今度は立ち上がる。
もう一度レオンを見つめたエルゼは、最後にローゼへ手を振り、今まで一緒にいたことが嘘だったかのように名残も残さず消えた。
残ったのは、何かを決意したような表情を浮かべるレオンと、ローゼだけだ。
彼の様子を見ながら最後のエルゼの表情を思い出し、ローゼは確信する。
(聖剣に血がかかったときのレオンの反応からして怪しいと思ったけど、やっぱり)
きっとローゼは、エルゼの子孫なのだ。
そして白い空間がぐらりと揺らいだ。