12.露呈
目を覚ますとローゼは部屋の中で長椅子に横たえられていた。
確かローゼは小さな庭で倒れた。だとすれば護衛の女騎士か、もしかするとアーヴィンがここまで運んでくれたのかもしれない。
とりあえず起きようとしたのだが体にうまく力が入らなかった。それでもなんとか動こうとした時、近くから声が聞こえる。
【気が付いたか】
その気づかわしげな声を聞いた途端、ローゼは心の底からホッとして、思わず泣きそうになった。
考えてみれば彼と離れていたのは半日にも満たない。だが、ひとり部屋の中に残ってからの慟哭、小さな庭での心細さを思い出すと、もう何日も別れていたような気がする。
聖剣は長椅子の正面、机の上にある。
結った髪のせいで向きは変えられなかったので、代わりにローゼは視線を下ろした。
「……馬鹿レオン」
【最初に言うのがそれか!】
レオンの声は、たちまちむっとした調子になるが、ローゼは気にせず繰り返す。
「……だって、馬鹿だもん。……ばーかばか、レオンのばか……」
出てくる声は囁くかのようなものだが、これは別にわざとではなく、単に腹に力が入らないためだ。
「……ばか……レオンのばーか……ばか……」
ぽつりぽつりとローゼが呟く間、レオンはずっと黙っていた。
やがてローゼが黙ると一言だけ返してくる。
【ひとりにして、悪かったな】
彼の声は優しい。
どうやら気持ちを察してくれているのだと分かり、ローゼは胸の奥で凍えていたものがゆるゆると溶けていくような気がした。
【アーヴィンはな。お前をここへ運んだ後、用事を済ませに出た。そろそろ戻ってくるはずだ】
「……そっか」
【どうする? もう少し眠るか?】
「ううん。それよりね、あたし、聞きたいことが――」
言いかけたとき、扉の開く音がする。続いて聞こえた靴音は男性のものだ。
ようやく力が入るようになった体をなんとか起こすと、アーヴィンと目が合う。彼は安堵したような笑みを浮かべて長椅子まで来ると、いつものようにローゼの左隣へ腰かけた。
「具合は?」
「……ん、平気」
本当は座っているのもやっとだったが、心配をさせないようにローゼはそう答える。だが、アーヴィンはそんな気持ちなど見通しているのだろう。そっと肩を抱いてきた彼は、ローゼを自身に寄りかからせながら言う。
「今日の夕食はフロランたちとは別にしてもらったよ。後ほど部屋へ届けてもらう手配をして来た」
「ありがとう。でも、アーヴィンは?」
「この後はローゼと一緒に居ようと思ってるんだ。夕食もここでとるよ」
「……そうなんだ……ごめんなさい」
ローゼは申し訳なくなって身を縮める。
リュシーがローゼを着飾らせてくれたのは、その夕食のためだ。アーヴィンだって姉や弟と食卓を囲むのを楽しみにしていたかもしれない。好意を無にしたり、せっかくの機会を奪ったりしてしまったのは他ならぬローゼなのだ。
しかし見上げたアーヴィンの表情にローゼを責める様子は微塵もない。穏やかに微笑む彼は首を横に振って言う。
「それまで休んでいると良い。寝台で横になりたいのなら運んであげるよ」
「え? ええと……あたし、それよりも……」
実を言えば、ローゼは休むよりレオンと話がしたい。
先ほど小さな庭で起きた不思議なこと。
レオンの力を借りずとも精霊の姿が見え、声が聞こえた。あれはきっと、奇妙な神降ろしに深く関わっているに違いない。
だが逆に、これはアーヴィンに絶対聞かせたくないことだ。
できれば部屋から出て行って欲しいのだが、こうして気を使ってくれるアーヴィンに「出て行け」と言うことなどできない。
「……あのね。……あたし、レオンに話があるの。だから、その……それで……」
聖剣とアーヴィンとを交互に見ながら徒に言葉を連ねて良い伝え方を考えていると、いつもより低いアーヴィンの声がする。
「……ほう」
一連の言動から、アーヴィンはローゼの言いたいことに気づいたらしい。彼の声からは不機嫌さが窺われた。
失敗を悟ったローゼはアーヴィンからゆっくり体を離す。おそるおそる見上げると、彼の口元には笑みが浮かんでいる。しかし細められた灰青の瞳はまったく笑っていない。
ごくりと唾をのむローゼの前で、アーヴィンは長椅子に深く座りなおした。
「そうか、レオンとこんなに離れたのは初めてだったね。もちろん、ゆっくり話すと良い。ただし無理をしてはいけないよ」
言って、ゆったりとした動きで膝を組む。
アーヴィンに長椅子から動くつもりが無い、と判断したローゼは、足に力が入ることを確認して立ち上がろうとした。
途端にぴしりとした声が飛んでくる。
「ローゼ。どこへ?」
「えっと、あっちの部屋に」
「つい今しがたまで具合を悪くしていたのだから、もう少しここで大人しくしていなさい」
「え? でも……」
口ごもるローゼに向かってアーヴィンは言う。
「私のことを気にする必要はないよ。ふたりの話を邪魔するつもりはないからね」
相変わらず口元だけで笑う彼の姿を見ながらローゼは唇を噛みしめる。どうやらアーヴィンは言葉と裏腹に、ローゼがレオンと話すのを邪魔をするつもりでいるようだ。
湧き上がってきた悔しさを抑えながらローゼは小さな声で言う。
「……なに、それ。……アーヴィンはレオンと内緒話ができるのに……」
イリオスへと向かう道中、アーヴィンはレオンと精霊の言葉を使って話すことがあったが、精霊の言葉が分からないローゼは、彼らが何の話をしていたのかまったく分からない。
だが、ふたりから「アーヴィンがレオンに精霊の言葉を教えている」と言われてしまうと、怪しく思いながらもそれを信じるしかなかったのだ。
ローゼはきゅっと両の拳を握る。
「あたしは内緒の話をしちゃ駄目なの?」
「なるほど。ローゼは秘密にしたいことがあるんだね? それも、私に対して」
もちろんローゼは神降ろしのことをアーヴィンに隠しておきたい。だが、アーヴィンだってずっとローゼに隠し事をしていたはずだ。なぜ自分だけがこのような言い方をされるのだろうか。
悔しさを抑えきれなくなったローゼが口を開いた時、まるで言葉を遮るようにしてもうひとつの声が加わった。
【芝居はその辺でいいだろ。ローゼが神降ろしを隠してたことは、もうずっと前から知ってるじゃないか】
「レオン!?」
ローゼは悲鳴混じりの声を上げるが、そんなローゼを意に介すことなくレオンは更に続ける。
【そもそもアーヴィンだって北方へ来た理由のひとつをローゼに隠してたわけだし、まあ、これはお相子ってやつだ】
揶揄する調子の声に対しては、ローゼの傍らにいる青年が落ち着き払った様子で答える。
「なるほど。最初から妙だとは思っていたのですが、やはりそういう魂胆でしたか」
【当たり前だろ。俺はどこまで行ってもローゼの味方だからな】
得心が行ったような声と、朗らかな声と。
彼らの様子から鑑みるに、どうやら完全な協力体制を敷いていたわけではないようだ。
だがそれよりも、ローゼにとってはレオンに裏切られたことの方が衝撃だった。
視線を床へ落とし、わななく唇を動かす。
「……レオン、酷い」
小さな声は唇と同じように震えていた。
「……アーヴィンには言わないでって頼んだのに……」
【すまん】
対してレオンの声はあっけらかんとしている。謝罪は完全に形ばかりだ。
【だが、この方がお前にとって良いことだと俺は判断したんだ】
しかしよく聞くと、中には少しの後ろめたさと多分な安堵が含まれている気がした。もしかするとレオンも、秘密を持っていることは苦しかったのかもしれない。
【ま、そういうわけだ。この後は二人できちんと話し合うんだぞ】
「えっ、やだ、レオン!」
【戻って来た時まだ互いに隠し事をしてたら、俺は怒るからな?】
「待って!」
ローゼの叫びを聞くことなく、レオンは気配を絶やしてしまった。
あとに残されたのは、何か考える様子のアーヴィンと呆然とするローゼだ。
(何これ……だって、話し合うっていっても)
確かにイリオスへ向かう途中でアーヴィンの態度は変わった。神降ろしをしても何があったのかを問い詰めなくなり、ローゼの体調を心配する態度しか見せなくなった。
先ほどの話から察するに、それもすべてはレオンが神降ろしの件を暴露したためということになる。ふたりで精霊の言葉を使って話をしていたのだって言葉を教えるためではなく、神降ろしの件に関してのことに違いない。
アーヴィンはもう神降ろしのことは知っている。では他に何を話せば良いのか。
考えてローゼは愕然とする。
(まさか、巫子長から聞いた話……)
あれはローゼとアーヴィンの関係を決定的に分かつもの、さすがのレオンも勝手に話してはいないはずだ。
(そんな……。今ここであの話をしろっていうの? 嫌よ!)
なんとか話さずに切り抜ける方法を考えたいところだが、レオンは「話し合って隠し事を無くせ」との言葉を残している。もしアーヴィンに巫子長の話をしなかった場合、レオンはローゼの誤魔化しなど簡単に見通して激怒するだろう。
だが巫子長の話をするということはアーヴィンを失うということだ。話した途端、絶望に満ちた表情を浮かべるアーヴィンを想像してローゼは目の前が暗くなる。
(……どうしよう)
確かに巫子長の話はいつかアーヴィンにする必要のあることだ。しかし今、北方に居るこの時にしなくてはならないことなのか。ローゼが血の気の引いた顔をうつむかせると、横に座るアーヴィンが深く息を吐く。
「ローゼ」
音のなかった室内に低く通る声が響く。
名を呼ばれたローゼは、下を向いたままびくりと身を震わせた。